何も知らない王子様
流行りにのりたかっただけです。おちなくてすみません。
「ミルニア・アグナー、貴様との婚約は破棄させてもらう!」
隣国へ留学していた王子の帰国パーティーの中、高らかに宣言する男性の声に周りはさっと距離をおく。豪奢な造りをした大広間の中心に人垣の輪ができてようやく貴族達は察した。周りが遠巻きに眺める先には三人の人物が立っていた。
破棄を告げた見目麗しい男性はパルジャビス王国の第一王子であるフィンノス・ベレ・パルジャビス。パーティーの主役と言える彼の傍らには可憐な少女が王子に寄り添っていた。
対して一人、ミルニアと呼ばれ王子から侮蔑の視線を受けるのは貴族にして平凡な顔つきの女性。しかし理知的な翡翠の瞳は引き込まれそうな美しさを宿している。
「謹んでお受けします。」
最上礼を取るミルニアは至って冷静に破棄を受け入れた。周りの貴族は同情と軽蔑の眼差しを王子に向けた。そんなことにも気づかず、婚約破棄を受け入れたミルニアに気を良くした王子は続ける。
「そして新たに、隣国であるアサセイラ王国のアランダ・バルバカカ伯爵令嬢と婚約を結ぶことにした!彼女は隣国との架け橋となり様々な恩恵をこの国にもたらすだろう。」
「紹介にあずかりましたアサセイラ王国バルバカカ伯爵が一女、アランダと申します。以後、フィンノス王子の妃として国に尽くす所存です。どうかよろしくお願いいたしますわ。」
婚約者がいながら浮気したのだとこの場の誰もが理解できた。堂々とそれを知らせるなど愚かでしかないのだが、フィンノス王子はそれに気付いていない。
だからミルニアは馬鹿でも阿保でも判るようにこれから伝えることを頭で整理し、言葉を紡ぐ。
「それはめでたいことですわ、フィンノス王子。お祝い申し上げたいところですが、婚約破棄の有責はそちらにあるようですのでそちらから慰謝料をお支払いくださいませ。」
「ああ、こちらから破棄したのだから当然だ。今すぐは無理だが都合しよう。」
「ええ、払ってもらえるならばいくらでも待ちますわ。」
言質を取ったミルニアは内心ほくそ笑んだ。婚約破棄された令嬢という不名誉はついても、多額の金とストレスの元凶がいなくなるのであれば帳尻は合う。
平凡な見た目にため息をつかれ、王子の理解できない話となれば一切聞かず、勉強もせずに視察という名の外遊。政治が駄目ならば、民に寄り添う心とか民のために剣を取ることを期待したがそんなこともしない。これでは金食い虫でしかない。
あんな王子を引き取った隣国の伯爵令嬢にはお礼を言いたいくらいである。
「口約束だけでは不安であろう?正式な書類を用意しようではないか。」
「女王陛下!」
「母上!」
ヒールの音を響かせ濡羽色の髪を翻し現れたのはパルジャビス王国代18代目女王であるエイティア・マヘレル・パルジャビス、その人である。真っ赤なドレスが女王の気性を表すようだ。彼女が手を叩くと紙とペンを持った文官が現れた。
「ミルニア、仔細は承知している。お前には苦労をかけたな。相場より高い慰謝料を愚息に払わせよう。」
「いえ、女王陛下に気を使わせてしまい申し訳ありません。」
エイティアは謝るミルニアに鷹揚に手を振った。
「気など使っておらん。それに慰謝料は愚息の私財で払わせる。ないならばこれから稼いでもらう。フィンノス、よいな?」
「……はい、わかりました。」
間があったのは国庫をあてにしたのだろう。そんな考えもお見通しとばかりに女王はくつくつと笑った。
さらさらと条件を書き終えた文官は、女王に確認をとってからまずはミルニアからサインをもらい、次に王子のサインをもらう。それから女王は国印を押し、公式の書類として認められた。
「さて、同時にこの場で愚息フィンノスの婚姻を認めようではないか。なあ?嬉しかろう?」
「よ、よろしいのですか?」
それには周りもざわつき始めた。婚約してすぐ婚姻は稀である。より良い日を占い入籍を決めるのだが、女王はそれをしない。
「ああ。お前はバルバカカ伯爵に既に婚姻する了承をとったのであろう?であれば、両家の親が許したも同然。それに隣国では婚姻の日取りは本人の意思で決めるのであろう?それに則るのもまた一興。」
上機嫌な女王の提案を止める者などいない。フィンノス王子は戸惑いながらもアランダを伺う。
「俺は構いませんが、アランダの心の準備が…。」
「いいえ、今で構いませんわ。こんな急な報告でも対応してくださる女王陛下のご好意を無為には出来ませんもの。」
「アランダ……なんて優しいんだ。母上、我々は今ここで婚姻を交わします。アランダの覚悟を無駄にしないために。」
二人の世界はお花畑だとミルニアは彼らから距離をとりそれを眺めた。
女王は文官に目配せし、新たな紙を二人に差し出した。婚姻証明書であるとわかるとフィンノス王子が目を輝かせた。ここまで心中がはっきりわかるなど王族に向いていない。
「ふむ、誓いの言葉は後ほどにしようか。好きなだけ後で式をあげれば良い。このめでたき日に新たな人生を歩む2人を、皆、祝福しようではないか!」
その言葉に会場には溢れんばかりの拍手が響き渡る。誰もが半笑いであるが祝福されていると勘違いした二人は互いに微笑み合い、婚姻証明書の内容もよく見ずにサインした。
それを確認した女王は、素早く国印をし文官に渡した。
「これにてこの世に新たな夫婦が誕生した。フィンノス・ベレには一代限りの騎士爵を与える。精進するが良い。」
「騎士爵?!どういうことですか母上!」
「もう母上と呼ぶな。女王陛下と呼べ、フィンノス・ベレ騎士。これでは先が思いやられるな。」
やれやれ、と肩を落とす女王の言葉に固まっていたアランダもようやく口を開いた。
「あの……女王陛下?どういうことでしょうか?何故、フィンノス様は騎士などになるのですか…?女王の世継ぎではないのですか……?!」
血の気の失せたアランダ元伯爵令嬢は震える声で尋ねた。その様子が加虐心を煽ったのか女王は意地悪く微笑んだ。
「そなた、本当にこの国のことを知らずに来たのだな。まあ、そなたの父は全てを理解した上でそなたを送り出したのだがな。」
「父が?父が何を知っていると言うのですか?!」
女王は面倒くさくなってきたのかミルニアに目をやった。何度も教えただろう女王の苦労に同情しつつ、ミルニアは一礼してから説明した。
「そもそもこのパルジャビス王国の爵位は女性が継ぐしきたりがあるのです。ですからフィンノス王子は王太子ではなく、元々我が家に婿入りする予定でした。」
「そんな馬鹿な?!隣国では男が爵位を継ぐのだぞ?!それにそんな話聞いたことがない!」
「隣国はそうでもこの国ではこれが常識です。授業でも習いましたよ?それにフィンノス王子には何度も申し上げました。その度に冗談だとあしらわれましたが。」
淡々とミルニアが言葉を並べるとフィンノスの顔が羞恥に染まる。
「ミルニア、もう王子は要らぬ。もうそれは一介の騎士ぞ?」
「申し訳ありません、女王陛下。あまりに態度が王子のようで勘違いしてしまいましたわ。」
ふふふ、と笑い合う2人につられて会場にも笑い声が漏れる。その声は女性がほとんどであるとようやくフィンノスは理解した。周りをよく見れば男性が女性を連れているのではなく、女性が男性を侍らしていることを今更気付く。
「そもそも、パルジャビス王国は最初こそ爵位は男性優位でした。ですがある6代目の時代にそれは起きました。王子が婚約破棄してまで手に入れた妃が他の男と情を交わしたのです。それも少なくとも5人。他にも城の男全てに愛を囁いたとまで言われています。そんな妃が産んだ子供が、本当に王子の子供かどうか、わかりますか?」
国民の髪の色、瞳の色にそこまで差異はない。それは貴族でも同じだった。だから余計に、産んだ直後の赤ん坊が誰の子供かわからなかった。
もし今後も同じようなことがあっては困る。だから確実に血統を残すために、女性を跡継ぎにする政策を進めた。女性であれば、最悪浮気しようが間違いなく産んだ者の子供。だから女性が爵位を継ぎ、男性は婿入りが一般的だ。
「だから世継ぎはフィンノスではなく、お前の妹であるマヤリスだ。心配するな、マヤリスは常識を持ち合わせている。ああ、アランダ元伯爵令嬢の質問には答えてなかったな。そなた、隣国の学園で男共を手玉に取っていたらしいな?」
エイティア女王の言葉にアランダの目は泳いだ。その報告はミルニアにも届いていた。婚約者の素行は把握するのも、次期侯爵の務め。そのついでにアランダの素行も耳に入っていた。
隣国の学園でフィンノスだけでなく、隣国の第3王子、騎士団長の息子、天才少年、学園教師、他家の執事を誘惑したのだと。幸い、本気にまでは至らず火遊びで済んだようだが、フィンノスだけはアランダにのめり込んだのだ。
「バルバカカ伯爵は他家の抗議に頭を抱えていたようだ。妾が処理を請け負うと喜んでいたよ。ようやく悩みの種が消えるとね。」
「そ、そんな、お父様が……そんなこと……。」
「こちらとしても過去の事態を繰り返すような女は気に食わぬ。妾の前に二度と顔を見せるな。」
あまりのショックにアランダは崩れ落ちた。エイティアが指を鳴らすと金属が擦れる音とともに、騎士団長率いる騎士団が現れた。
精悍な顔つきと実直な性格の騎士団長は若いながらも騎士団から慕われており、社交界でも人気は高い。
「さて、レイアラム騎士団長。この男を連れて行け。ああ、妻もな。妾からの祝いとして一軒家を用意した。フィンノス、貴族位は女が継ぐが、騎士爵は男の実力次第よ。しっかり稼ぎ、国に尽くせ。」
絶望しているフィンノスは縋るようにミルニアに手を伸ばそうとするが、騎士団長が素早く腕を掴み荒々しく会場から退出した。立てもしないアランダは荷物のように騎士に担がれて消えていった。
帰国を祝うパーティーは主役が消え去り、その日の夜会はなくなった。皆が帰宅する中、女王はミルニアを別室に呼びつけた。
「さて、ミルニア。婚約者の座が空いたな?」
先ほどあった王族の恥も忘れたように切り出す女王に尊敬を抱きながらミルニアは頷いた。
「はい。家に戻り母と話し合い、新たな婚約者を決めたいと考えております。」
「あてはあるか?ないのであるなら、遠慮せず妾に申せ。今ならば妾が全て通してやろう。」
だから今回フィンノスが起こしたことは王族に責を負わせるな、と圧力を感じる。ミルニアにしてみればこのまま結婚した方が問題であったため、自身の名誉が傷つこうとも些事であった。
「ありがとうございます、女王陛下。お手を煩わせる
ことはないと思います。」
「ほう?ならば良い。妾も気が休まるというもの。帰って良いぞ。」
「はい、失礼いたします。」
ミルニアの退出を見送ったエイティア女王は深く息をついた。
「フィンノスよ。体で覚えるのだぞ。想い人を蔑ろにされた男は恐ろしいのだとな。」
後日、騎士団長直々に鍛錬をつけられた元王子は毎日ボロボロになり愚痴を吐くため酒屋に入り浸ったという。妻のアランダは早々に妊娠するも夫の酒癖が悪くすぐ離縁し帰国したが、貴族籍から抜けたため実家から追い払われ行方不明になったらしい。
ミルニアはというと、婚約者に名乗り出た若き騎士団長からの猛アタックに陥落し、婚約破棄から一年半後に結婚した。夫婦共互いを尊重し合う姿勢を多くのものが羨み祝福した。騎士団長レイアラムに支えられながらも侯爵となったミルニアはその客観的な視点を生かし法の整備に尽力したという。
後の歴史書に女王エイティアは女尊男卑を最も世に敷いた悪女と評された反面、内乱や戦争もない一時代をもたらした才媛だと語り継がれた。