『返り血vs断頭台』
前回のあらすじ
中年、ふり出しに戻る
①
携帯を開く。
そこには新着の文字がある。
1ボタンでメールが開かれると、そこには主治医からの一言が書かれている。
「天気なんぞ医者には関係がない」
「全くそのとおりだ」と思った。
携帯を閉じ、ポケットにそっと入れる。
まぁ、現実逃避はこんなところだ。
男は現実に立ち返る。そう、眼前を見定める。
そこには、神の御心に寄り添う懐刀。
正端清が、半身で構えていた。
その佇まいは、力強くあるようで、その実、流水の如くたおやかであり、微動だにしないながらに其処からの千の太刀筋を想像させた。
瞳の中に思い描いた千の刃にその身を晒しながら、尾方巻彦は涼やかに嗤う。
その太刀筋に隠された、願いと言う名の呪いを。見透かすように嘲笑う。
君は迷わないんだと思ってた。でも、違うんだね。迷えないんだね。
戒位第三躯の天使を眼前にして、尾方巻彦はその焦点を少しずらす。
それは見ている。それは観ている。それは視ている。
こちら側を。白くない世界を。
故にソレは、こちらに手を伸ばす。
思ったとおりに、想ったとおりに。
強すぎる異質な願いをその目で観て、屈折の悪魔はやはり嗤う。
「そんなになっちゃうぐらいなら。折れ曲がった方がずっとずっといいよ」
瞬間、尾方の想像をそのままに、千の刃が世界に現れた。
②
「ルールを決めましょう」
小廻は人差し指を立てて得意げに言う。
「私は確かに尾方さんに挑戦をしましたが、ここは非戦闘地区です。よーいドンで天使と悪魔がドンパチするわけには行きません」
「あれ? おじさんが悪魔だって小廻ちゃん知ってたっけ?」
「さっきはそれより優先すべき情報が先行していただけでちゃんと聞いてましたよ。屈折の悪魔さん」
小廻は事も無げに言う。
「おお、流石は尾方じゃ。有名人じゃのう」
姫子は謎に自慢げだが、尾方は苦笑いである。
「でもそれだったらどうするの? 四人でUNOでもやるかい?」
「ワシは花札がよいのう」
「渋いなぁ...」
緊張感のない二人を他所に小廻は話を進める。
「幸いにもここには賢明な清先輩が居られます。ここは意見を仰ぐべきでしょう。知恵をお貸しください清先輩」
小廻がお辞儀をして清にお願いをする。
「と、言われても。そもそも争う必要はあるの? 私は尾方さんに修行に付き合って貰っているだけで弟子と言うのはものの例えなんですが...」
「その、修行と言うのはなにをやっているのですか?」
「それは、その、私の...正装を...ですね」
清はなんともバツが悪そうに口ごもる。
「清ちゃんの正装の攻撃をおじさんが避ける。その修行だよ」
後ろから尾方が口を挟む。
「清先輩の正装を!? そんなの無茶ですよ!?」
「そ。無理も無理。だから修行あるのみってわけさ」
「修行でなんとかなるものですか? だって正装『不知火』は...あ!」
「ああ、大丈夫大丈夫。おじさんもう清ちゃんの正装は権能すら知ってるから」
「へ?」
小廻は目をパチクリさせる。
「そ、それは、その、いいのですか!? 知らぬ存ぜぬ不知火神話にひびが入るのでは!?」
「いや、それは周りが、というか大天使のみんなが勝手に言ってるだけで。私は気にしていないのだけれど...」
「むむむ...」
小廻は大げさに腕を組んで考える素振りをする。
「まぁ他ならぬ清先輩のお考えです。私の心配など無用なのでしょう」
「そそ。清ちゃんはちゃんと考えてるよ。無用ご無用」
心配の種は後ろでへらへらと笑っている。
「そうだ。ではこうしましょう。実際に清先輩の正装をかわしてみてくださいよ。そうすれば私の負けを認めましょう」
「え? いやいや、おじさん修行中の身でね。それが出来るようになるよう頑張っているわけなのよ?」
「そこは清先輩の一番弟子を名乗るほどですから、本番に強くなければなりません」
「最近の若い子は無茶振りばかりするんだよなぁ...」
「なぜワシの方を見とるんじゃ尾方?」
すると清がそそっと尾方に寄って小さな声で言う。
「まぁまぁ尾方さん。久しぶりに修行をしたいのは私もですし。負けても一番弟子? が奪われるだけです。ここはササッと終わらせるのが吉かと」
清に耳打ちをされ、尾方はやれやれと頭をさする。
「まぁ、その、いいよ。それで行こうか小廻ちゃん。おじさん受けて立つよ」
「その意気やよし! 流石は『現』清先輩の一番弟子です!」
『元』にする気満々の言い方である。
「では清先輩! ご面倒ではありますが! ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いします!」
小廻は清へ深々と頭を下げて道を空ける。
清は静かに頷き、一歩前に出る。
「では尾方さん。ご準備をば」
清は足を擦る音も立てずに半身に構える。
「尾方!! 足じゃ! 足を使え!!」
「清先輩! 周り込んで周り込んで!」
ボクシングのセコンドじみた野次が飛んでいるが、尾方は無視を決め込む。
相対した二人の間にピリピリとした空気が漂いだす。
「準備と言われましてもねぇ」
尾方は軽く肩を回し、清の方を観る。
「......(ん?)」
最初は軽い違和感に過ぎなかった。
清から尾方への距離はその間約5メートル。その間の空間が、澱んでいる。いや、濁っている。とにかく、色ではなくもっと抽象的ななにかがそこを通っているように尾方は感じた。
尾方は目をこらす。するとその違和感は、焦燥感へと変わる。そこから離れるべきだと、近づくなと他でもない尾方自身が語りかけてくる。
眉をひそめた尾方は違和感を、焦燥感を辿る。その元を、その先を。すると自然、視線は正端清を中心に据えて止まった。
無論、そこには旅館の若女将。正端清が静かに構えている。
それだけだ。
いや、それだけか? 尾方は大きな違和感と焦燥感を振り払うようにそれを観る。ソレを観る。
そこにいるのは正端清か?
そこにいるのは―――
その一端に触れた時、その発端を思わず思った時。
空間を埋める雰囲気が一気に変わった。
ハッとした小廻が瞬間動こうとしたが、知っているが故に、知っているが故に、動けない。
そこにはもう正端清の姿はもうなく。
悪魔の間で『断頭台』の名で呼ばれる詳細不明の正義の徒。
悪魔を斬首するだけの機構。
戒位第三躯、正義の天使。
ソレが、尾方巻彦の前で構えていた。