『左手代行』
前回のあらすじ
筋モン(その筋のモン)と筋モン(筋肉モンスター)
①
一方、場面は再び隻腕の中年サイド。
替々に見事に丸め込まれた尾方は、中央のドームへは大回りとなる西ルートの廊下を疾走していた。
葉加瀬のドローンでの追走でもギリギリの速度でのダッシュ。
息の一つでも切らしてもいいものだが、尾方は顔色一つ変えず風の様に前進していた。
その様子に、葉加瀬がドローンから疑問を飛ばす。
「おっさん、急いでるところ申し訳ないんスけど、一ついいッスか?」
尾方は走りながら軽く顔をドローンに傾けて返答する。
「いいけど、見てのとおり両手足共に大忙しだから手短に頼むよ」
「疲れないんスか? 無理してません?」
「事が事だからね。多少の無理は通さなきゃ。それにおじさんそこそこ鍛えてるから、これ位はへっちゃらさ」
「そうッスか...」
ドローンのマイクの奥のほうから尾方を称える姫子の声が聞こえたが、少し遠くてよく聞き取れなかった。
「そいえばヒメはなにしてんの? 師匠と話してる辺りから随分静かだけど?」
「あー、姫子さんなら替々さんの話を全部メモって纏めてるッスよ。マメっすよねー」
なるほどと尾方は薄っすらと微笑む。
「ところでおっさん、今向かってる、その、ボスの部屋って言うのは、まだ距離があるんスか?」
「いいや、もうすぐだよ。この先の大広間を抜れば目と鼻の先さ」
尾方の言葉通り、尾方の正面には大広間への入り口らしき大扉が見えていた。
今の尾方の足ならそれこそ目と鼻の先である。
尾方は速度を落とすことなく大扉に近づく。
そして大扉の目の前まで迫った次の瞬間、
大扉を突き破って大男が飛び込んで来た。
一瞬目を見開いたが、落ち着き払って上がっていた右足で横に大男を打ち払う。
大男はこちらに突撃してきたというより、何者かに吹き飛ばされて来たという感じだった。
尾方は大男には目もくれず大広間の中を見る。
そこには、大広間から溢れんばかりの悪魔が、大乱闘を繰り広げていた。
「えー...」
尾方は唖然として立ち止まる。
その後でドローンが追いつく。
「...この先ッスか?」
「...この先だね」
「...ここ通るんスか?」
「...そうなるね」
すると、入り口近くの尾方に気づいた悪魔が襲い掛かってくる。
尾方は敵の右拳を肘で受けると、返す手で顎を振り抜く。
その動きは実に合理的で流れるようであった。
「おお、おっさん。もう使いこなしてるんスかその戦闘法?」
「付け焼刃だけどね。ヒメのお陰だよ」
声は聞こえないが、葉加瀬の後ろで姫子が胸を張っているのが分かる。
「しっかし、どうしたものか。こんなにちまちま倒して進んでたんじゃ日が暮れるよ」
「今の時間的には夜が明けるが正解ッスね」
「昨今、そっちで時間に追われてる人の方が多そうではあるよね...」
大勢の悪魔の大乱闘を前にこの余裕。
実に大物である。
しかし、にっちもさっちも行かないのも事実。
尾方はちょくちょく遅い来る悪魔を迎撃しながら右往左往していた。
流石に尾方の顔にも焦りの色が出始めた、その時
「―――カラン」
耳をつんざく騒音の中、尾方は確かに、この場に似つかわしくない下駄の音を聞いた。
それは不思議と、聴き慣れた音の様に感じられた尾方は、少し下がって考える。
「...厚かましいかなぁ」
少し煮え切らないような顔をした尾方は、左手を観る。
『どしたんスかおっさん? 義手、どうかしました?』
様子を見て葉加瀬が尋ねる。
「いや、ちょっと秘策をね...」
尾方はそういうと少し大きな声で独り言を言い始める。
「いやぁ、左手があればこの部屋を一直線に駆け抜けれるのになぁ! 残念だなぁ!」
『きゅ、急にどうしたんスかおっさん!? 両手があったってこの状況は流石に...』
尾方は構わず続ける。
「では、今の左手ではどうだろうか? 『よろしく頼みます』」
――カラン。と今度はハッキリと下駄の音が聴こえた。
そして数瞬後、
ザァァァァァァァン!!!!!!!!!!
尾方の目の前から大広間の向かい側に向けて、途轍もない衝撃波が発生した。
あまりの衝撃に尾方も顔を腕で隠す。
そして腕を下ろすと、
目の前に、巨大な爪痕の様な地面を抉る溝が出来上がっていた。
尾方は一瞬呆然と目をぱちくりさせていたが、直ぐに取り直してその溝の中を走り出す。
大広間で争っていた悪魔達は中央から衝撃で吹き飛ばされ、まだ動揺から動き出せていない。
それは葉加瀬操るドローンも一緒であったが、尾方が動き出したのに気づいて慌てて後を追う。
『な、ななななんなんすかコレ!? おっさんがやったんスか!?』
『ビックリして鉛筆が折れたぞ尾方ぁ!? なにがどうなったんじゃ!?』
マイクの向こうの二人が騒ぐが、
「今は急がなきゃ。ほら、折角のチャンスがなくなっちゃう」
尾方はそういって速度を上げる。
後方から、微かにまた下駄の音が聴こえた気がした尾方は、
誰に向けてでもなく、ヒラヒラとその右手を振った。
下駄の音の主である。中年の左手代行は、これを姿現さぬどこかから、微笑みで受け取っていた。