『不変』
前回のあらすじ
悪魔は嗤う
①
世界にばら蒔かれた致命的な悪魔。
無責任にも私が放った私の弱点。
それは与えられた才能で。
それは与えられた力で。
それは委ねられた選択。
『手中の』が気付くとは思わなかったが、追いつめられると人間どう転ぶか分からないものだね。
私は別に悪魔を贔屓目に見ているわけではないが、面白くなって来たとでも言っておこう。
ではではさぁさぁ、火付け役はこの私、悪の神でお送りしております。
引き続き、お付き合い、どうぞよろしく。
②
不敵に嗤う悪魔を、天使は怪訝に見下ろす。
余りにも理外の動きをした搦手を、色無は明らかに警戒していた。
「アナタ……もしかして『気づき』ましたか?」
「さぁ、何のことかしらね?」
天使の疑問を悪魔はサラリと流す。
天使は気付かれない程度に奥歯を軽く噛むと、両の手を広げて正装を震わせた。
その目には一寸の迷いもない。
「だからどうした。私は天使。仕えて正す」
相対する搦手は破顔して斜に構える。
「それがどうした。私は悪魔。孤りで乱す」
一瞬。
ほんの一瞬だけ。
二人の間に静寂が流れた。
しかしこれは、相手の言葉を汲み取る相互理解の時間では決してなく。
相対者の。
思想を夢想を、理想を空想を。
絶対的に否定するまでの助走。
そして。
音もなく握られた搦手の手のひらが、開戦の合図には充分だった。
「メメント・モリ戦闘員、『手中の悪魔』搦手収」
「…戒位番外『天使』、色無染」
「「貴方が死ぬまでやりましょう」」
③
空間の掌握と解放、それを自在に操る搦手は、文字通り捕えられず、また捉えられなかった。
色無との間合いを意のままに操り、一打加えては引いて、加えては引く。
価値なき四肢なら取るにも足らない殴打ではあるが、今の搦手には、響くに足る価値がある。
芯を外していなす色無にも、これには若干の焦りの色が見え始めていた。
そしてその些細な隙を、悪魔は見逃さない。
「せいッ!」
「ッッ!?」
フェイントを織り交ぜた搦手の胴回し回転蹴りは、色無の翼の防御を躱し、その体を地面に墜とした。
観念したように地に足付けた色無は軽く口を拭いながら言う。
「……なんですか胴回し回転蹴りって、バキの世界でしか見たことありませんよ」
「色々想定して鍛えてるのよ。乙女は強くなくっちゃね」
不機嫌そうな色無は、チラリと自身の翼を見る。
「……一理ある」
色無の脳裏に浮かぶのは、やはり追いかけるべき先輩の後ろ姿。
取るに足らないと思っていた最近の彼の行動に、色無は解を得た。
「正装『自幽』」
この時、色無が解き放った鎖の名は、身体能力の限界。
無論通常であれば、尾方巻彦の権能在りきのこの運用。
しかし色無染は、その性質上、この代価を一切払う必要がない存在である。
「……あなた、死んでも生き返るのかしら?」
事態を察知した搦手から当然の質問が投げかけられる。
それはもちろん最悪の想定質問であったが、
「いや、死んだら死ぬよ。ただ、私は死なないだけ」
帰ってきた返答は、最悪の向こう側へ落っこちた。
「私は、物理的に不変なんだ。人間の強度を超える力にも、不変ならば耐えられる」
その言葉が意味するところは、余りにも残酷で。
「幾ら圧しても、幾ら曳いても、結果は私に届かないけれど」
機械のように無機質に響く声帯が空気を震わせる。
「どうぞ続けましょう」
搦手は、全ての言葉を理解し、吞み込んだ。
その上で、その事実に対し、嗤ってみせる。
「応ともさ」
色無の間合いにまるで散歩でもするかのように入った搦手は、左手をスッと差し出す。
それは握手の誘いではないことは、色無でも分かった。
手の甲を搦手の手の甲に合わせるように差し出し、軽く腰を落とす。
両者甲を離さず間合いでの殴打戦。
先ほどの話を聞いて尚、決着を望んだ搦手の案に、色無は乗った。
無論、その心意気を買ってではなく。
淡々と処理するため。
二人の間に、沈黙の時間が流れる。
合図は、自然と訪れた。
コンッ
スタジアムの瓦礫に乗った小石が、風にあおられて落ちる音。
瞬間、両者の右手が、両者の視界から消えた。
握力なき、しかし価値に固められし搦手の右手は、色無の顎を振り抜いていた。
「……ッ」
「尾方ちゃんほどじゃないわね」
勝利なき悪魔は、それでも不敵に嗤っていた。
『不変』END