俺より可愛い奴なんていません。8-20
◇ ◇ ◇ ◇
葵は静との一件以降、静と別れ、自分の泊まるホテルへと戻ってきていた。
静をあのまま、夜の海辺に置いていく事に気が引けたが、それ以上にあの場に留まる事を、彼女の行為を振った立場である葵がすることは出来なかった。
地元民である彼女が何か、他の悪意に脅かされることは考えずらかったが、Bloomを手伝う上で、連絡先を交換してあった黛に、一言連絡を入れていた。
葵はホテルに戻るなり、海風で思った以上に体温を奪われた為か、体が冷たく、体を温める為に部屋に戻ろうとしていた。
部屋に戻る前に、何気なく中庭を覗くとそこには、椅子に腰を降ろし、足をぶらつかせながら、上機嫌に海を見つめる美雪の姿があった。
葵からは彼女の横顔しか見ることは叶わなかったが、月明かりに照らされ、やさしく微笑むように海を見つめる彼女のその姿は、神秘的で大人びており、まるで月明かりが彼女を照らすスポットライトのようにすら感じられた。
(なにアホな事考えてんだ、俺は……)
葵は柄にもなくポエマーのような事を、一瞬でも思い浮かべた自分に、軽く幻滅しながら、中庭へと足を運んだ。
「おい……、あんま風に当たってると風引くぞ?」
葵は美雪の近くまで近寄ると、彼女に声を掛け、葵の声が届くと、美雪は葵の方へと振り返り、声の主が葵だと分かると、ぱぁっと表情を明るく変えた。
葵はそのコロコロと変わる美雪の表情と、彼女の満面の笑みに一瞬心奪われた。
「立花さん! 約束通り来てくれたんですねッ!」
「え、あ、まぁな……。
ん? 約束??」
葵は一瞬呆気に取られていたが、すぐに我に返り、思考を巡らせたが、美雪の一言に引っ掛かった。
「え? 覚えてないんですか!?
昨日の夜、約束したじゃないですッ!?」
「したか……? そんなような話はしたかもしれないけど、覚えが…………」
美雪の物言いに押され、葵は再度思い出す様に、昨日の夜の事を考えたが、約束したような覚えは確かになかった。
「ちょっと、ガッカリです……」
「あ、いやッ、悪い!
思い出した! そういやそんな約束もしてたな!」
露骨に落ち込む美雪に葵は、彼女の機嫌を取るように立ち振る舞い、自分の思いを曲げてまで、彼女の意見を肯定した。
美雪は確かに内心、落ち込んではいたがそこまで大きく落胆していたわけではなく、むしろ、ここまで下手に気遣う葵が、美雪の目には珍しく映った。
昔と比べれば確かに最近の葵は丸くなったと、美雪以外の生徒も多く賛同していたが、美雪は今の葵がもっと丸くなったように感じていた。
「そういや、携帯。
見つかったのか?」
「はい、真鍋先生のおかげでなんとか見つかりました」
「そか、そりゃよかったな」
葵は優しく微笑むようにして、素直に見つかった事を喜ぶように、美雪に告げた。
美雪はこの瞬間、葵に違和感のような物を感じ始めた。
「えっとぉ……、上機嫌?ですね……。
なんか良い事でもあったんですか?」
「ん? 上機嫌か??
別にいつも通りだろ。 特に良い事も無いし……」
「そ、そうですか…………」
美雪は確かに違和感を感じていたが、葵の何も構えた様子の無い、素直な反応に自分の意見を取り下げるように、これ以上の言及はしなかった。
しかし、美雪の目に映る葵は、どこか余裕があるような、何か吹っ切れたような様に見えていた。
そしてそんな中、美雪は数分前に、葵によく似た人物をこの中庭で見かけた事を、不意に思い出した。
「そういえば、立花さん!
数十分くらい前に、立花さんに似てるような人を見かけたんですけど、立花さんじゃないですよね?」
美雪は特に二人の間に会話が無かったため、内心違うだろうとは思いつつ、見かけた話を葵に振り出した。
「あぁ~、数十分前か……。
多分、俺だし、中庭にいたぞ?」
「あッ! そうだったんですね!
いつもより早い時間だったのと、途中どこかに行ってしまったんで、てっきり違う人かと……。
どこ行ってたんです?」
美雪は会話の自然の流れから、そこまで美雪にとって重要では無かったが、会話は続けたかったため、続け様に葵に尋ねた。
葵は、本当の事を話そうか一瞬迷ったが、告白の話を避ければ、友達に会いに行った、いたって普通の受け答えの為、素直に美雪の質問に答え始めた。
「ちょっと、呼ばれてな?
静に会いに行ってた……」
「え…………?」
葵は素直に答えたつもりだったが、少しの気まずさと、笑顔も上手く笑えておらず、苦笑い気味で答え、葵の答えに美雪は驚き、声を漏らした。
美雪は今はまだ判断材料が少なすぎて、常識的に考えれば結びつくはずの無い事柄を憶測し、先程、少し上機嫌に見えた葵のそれが、静と会ったことがきっかけなのだろうと考えがよぎった。
「へ、へぇ~……、そうなんですね……。
何を話されたんですか?」
なぜ夜のこの時間に? いったい何の為に? 最終日、明日一日会う時間があり、話す時間もある中でなぜ呼び出し? などいろんな事が頭の中でよぎり、美雪は自分でもなぜここまで気持ちが沈みかけているのか、疑問に感じながらも、続けて葵に尋ねた。
「三日間あったとは言え、急な再開と、お互いいろんな状況や環境の変化で、あんまりきちんと話せなかったからな……。
昔の思い出話とかも出来てなかったから、積もる話をね……」
葵は一瞬、またも回答に困ったが、嘘を付く、取繕うには簡単な質問だったため、すらすらと本当にあった事のように答えた。
(積もる話を数分で? ここからBloomまで近いとは言え、歩けば数十分はかかるし、たくさん会話を交わしていたならこんなに早くは……)
葵の反応を伺いつつ美雪は質問を続けていたが、余計に疑問が増え、もやもやとした感情ばかりが増すだけだった。
美雪は何気なく素直に答える葵に対して、妙な感情を抱き始めている自分に罪悪感を持ち、「そうですか」と一言だけそう呟くと、これ以上葵に質問は投げかけなかった。
ここまで長くは途切れなかった二人の会話は途切れ、遠くからほんのりと聞こえる波音と風の音だけが、二人の空間を支配した。
そして、数分の時が流れ、今度は葵の方から美雪に話を投げかけ始めた。
「なぁ、こんな事、急に聞いたりして変だと思われるかもしれないけどさ。
一つだけどうしても確認したい事があるんだけど、聞いてもいいか?」
葵は少し表情を引き締め、先程まで感じさせていた余裕を持ちながら美雪に尋ねた。
美雪はそんな葵の雰囲気を不思議に感じたが、特に計画も無く、「いいですよ」と短く答えた。
その言葉を聞いた葵は、少し深呼吸をし、あくまで自然に質問するように、その質問を、まるで昨日の夕食の献立を尋ねるかのように、すらすらと口に出した。
「橋本は、今でも真鍋の事が好きなのか?」
葵は美雪から目を逸らすことなく、真剣な面持ちで美雪に尋ね、その質問を最後に、時間が止まったかのように、二人に沈黙が訪れた。




