俺より可愛い奴なんていません。6-8
◇ ◇ ◇ ◇
BLOOM店内、キッチン。
黛から依頼された仕事を洗い場で淡々とこなしつつ、前野は一向に店に戻ってこない葵が気になっていた。
「アイツまだ着替えてんのか……?
いくら着替えるって言っても時間かかり過ぎだろ……、逃げたか?」
前野は洗っても洗っても次々と溜まっていく食器を、流れ作業で洗っていき、雑荒いで大きな汚れを落とし、そのまま洗浄機器へと食器を流しては、先程洗浄機器に入れ洗っていた食器を綺麗な布巾で吹いてを繰り返していた。
最初はぎこちない動きだったが直ぐになれ、今ではかなりスムーズに仕事をこなせる様にもなってきていた。
独り言を言うくらいには余裕も出てきており、一向に帰った来ない葵を心配しながらも、少し愚痴っぽく話した。
洗い場とキッチンは少し離れている事もあり、今この場に居るのは自分だけということもあって、前野は1人孤独な戦いを強いられていた。
そのため、予定では自分と一緒に洗い物をする予定の葵が、来るのを心待ちにしている部分もあり、前野にとって話し相手が出来る事でもあった。
「速く来てくれ〜……、ホント、さっきから寂し過ぎて独り言がヤバい…………。
てゆうか、せっかくフロアには天国みたいな情景が広がっているのに、それを見れないなんて……、あんまりだぞ」
キッチンからであれば、フロアの方をどんな状況か確認できたが、洗い場は壁に機器が備え付けられており、バックヤードなため、フロアを見ることが出来なかった。
唯一見れるとしたら、フロアのウェイトレスが食べ終わった食器を持ってくる時、その一点のみだった。
「あ……、前野くん。
これ、またよろしくね」
前野がブツブツと小声で愚痴を零していると、不意に後ろから女性の声が掛けられ、前野はスグにそれに気付くと、凄まじい速さで後ろへ振り返った。
前野に話し掛けたのは、フロアから片付けた食器を持ってきた美雪であり、前野の振り返り方の勢いに、美雪は思わず「おぉッ……」とおどろき声を小さく上げていた。
「あッ! 橋本さん!!
オッケ、オッケー! 了解!!」
前野は美雪の顔を見るなり、笑顔で気前よく明るく答えた。
前野の先程まで出していた、どんよりとしたネガティブな雰囲気は一切なかった。
前野はそのまま新たに現れた話し合い相手、しかも異性の話し相手を呼び止めるように、続けて美雪に話を振ろうとしたが、美雪は「それじゃあ、お願いねッ」と笑顔で前野に言い、すぐさまフロアの方へと戻っていった。
あまりの手際の良さと、不意を食らったような前野は、困惑するようなぎこちない返事しかさせてもらえず、呼び止めさせてももらえなかった。
「い、行ってしまった……。
はぁ~、なんか橋本さん忙しいんだろうけど、すごく生き生きしてたな……」
ほんの一瞬だが、美雪の顔を見れた前野は、彼女が終始笑みを浮かべながら、急な手伝いであったにもかかわらず、愚痴一つこぼさずに、働いていたことで、楽しんでいることがよく分かった。
前野はがっかりした様子で、再び皿洗いに戻ろうと溜まった食器に視線を移すと、不意に廊下を歩く人影が視界に過った。
前野はそれに気づき、キッチンの方とフロアへ向かう廊下へ視線を向け、その影を確認しようとした。
しかし前野がいる洗い場からでは、廊下のほんの一ヵ所しか確認できず、過ぎ去ろうとしている人の後ろ髪しか確認できなかった。
「あれは……、誰だ……??」
一瞬だけ見えた後ろ髪は前野の知っている店員の中では心当たりがなく、おそらく初めて出会う相手であることは確認していた。
なぜなら美人に目がない前野は、Bloomの店員を一通り確認しており、現在出勤している人以外であれば知らない人はいないぐらいの自信があるほどだった。
「おっかしいな……、美人が多いから一通り店員は確認済みのはずだったんだけどなぁ……。
今から出勤とかかな……」
前野が見たのは金髪の長い後ろ髪で、前野の知る限りでは、金髪で長髪の女性店員は確認できなかった。
「あの感じ、絶対また新たな美女だよ……。
はぁ~、皿洗いなんかじゃなかったら、見に行けるっていうのに……」
前野は黛に皿洗いを任命された時と同じくらいの大きなため息をつき、そのうなだれたまま、業務へと戻っていった。
◇ ◇ ◇ ◇
「うそぉ……、ほんとに着てきた……」
着替えを終え仕事の指示を貰うため、初めにキッチンにいる黛の元へと向かうと、黛は驚いた表情を浮かべながら、葵に向かってそう呟いた。
黛も当然ながら葵のその仕上がり具合に驚いていたが、それ以外にも、キッチンで業務をこなす、男性スタッフが多かったが、男女問わず葵に見とれ完全に手が止まっていた。
葵の女装を知ってか知らずか、それとも単なる見た目で見とれているのか葵からはわからなかったが、悪い気はしなかった。
「ほんとに着てきたって……、着せたいから細工をしたんじゃないんですか?」
「ま、まぁ話には聞いてたけど、ここまでエグイとは」
葵の冷たい表情からの問いかけに、黛はだんだんと笑いがこみ上げ、ニヤニヤとしながら葵に答えた。
「それで?? 誰かの入れ知恵です?」
「あ~、まぁ~……、それよりッ!
仕事、仕事!! それだけ綺麗だったら君が嫌でなければフロアの方を手伝ってもらいたいかなぁ~」
「はぁ~……、わかりました」
都合が悪くなった黛は露骨に話を逸らし、葵も先ほど忙しそうにしていた美雪達を見ていたため、それ以上の追及は改め、黛が答えないため、フロアにいるであろう美雪等に聞けばいいかと楽観的に考えた。
「うん! それじゃッ! よろしくね!!
フロアには慣れた先輩もたくさんいるし、お客さんの注文と料理を運んでもらえればいいから!!」
呆れたようなため息を付きつつも、素直に従う葵に黛は、軽い様子で葵へ仕事を振り、珍しいものを見たといったホクホクした様子で、業務に戻っていった。
(そんな簡単に言うけど、大丈夫なのか?
フロアの仕事だって簡単じゃないだろうに……)
葵は心に大きな不安を感じつつも、美雪も亜紀も行えているのを見えいたため、なんとかなるだろうと思いつつ、フロアの方へと向かっていった。
「とんでも無いっすねあの娘……。
めちゃタイプです」
葵がキッチンからいなくなると、途端にその中は人の声でざわざわとし始めた。
黛も葵からいったん視線を逸らし業務に戻るそぶりを見せたが、葵の存在はやはりとても気になり、葵が振り返ってフロアに向かいだすのを確認すると、すぐに葵へ視線を戻し彼がいなくなるまで見つめていた。
「なんだぁ~。
お前あぁいう子がタイプなのか??」
黛は自分に向かって話しかけてきたBloomの従業員である男性スタッフにそう答えた。
「かわいいっす!
髪は金髪に染めてて、顔も綺麗顔だからちょっと強面で近寄りがたい感じありますけど、めちゃくちゃ美人で綺麗なギャルっすね!! 優勝っす」
「優勝ってなんだよ。
まぁ、確かに驚いたしかわいいな」
「店長、あの娘の名前って何ちゃんなんすか?」
「ん〜? えぇ〜と、立花 葵ちゃんだ」
「葵ちゃんっすね! 了解っす、覚えました」
ニヤニヤとほくそ笑みながら答える黛に、その男性スタッフはいかにも純粋に、葵の名前を教えてもらったことを素直に喜んでいた。
そして、「立花 葵ちゃん、立花 葵ちゃん」と小声で呟き、頭の中で反芻するようにして、葵の名前をキチンと記憶しようと勤めていた。
黛と話していた男性スタッフの他にも葵の事を異性として大きく意識している者は数多く、女性のスタッフも葵の美貌を参照していた。
「ほらほら! 話もいいけどまずは仕事だよ!!」
私語が多くなり、雑音が大きくなっていくのを感じた黛は、ここらで1度空気を締め直そうと声を上げ、従業員を注意し、黛の声に彼等や彼女等も反応し、それに応えるように私語を辞め、仕事に戻っていった。
(さぁ、新しく来た子はウチで何を仕出かしてくれるかね〜)
黛は仕事に戻っていく従業員を確認した後、フロアの方へ視線を向け、楽しそうにニヤニヤとしながら、これから起きる事に対して前向きに考えていた。




