名前
焼きうどんを一口。もちっとした食感にバターの豊かなコクと風味。そこへ香ばしい醤油の味が絡んで喉を通り越した後に残る香りがまた次の一口を求めて箸を動かす。
「お前、料理人か?」
「違う違う、ただの無職」
ずぞぞぞと音を立て一気加勢に腹へおさめる。耐えていられるだけで空腹を覚えるのは間違いない。食べ物を出されれば食べるし、きっと落ち着くこともできるだろう。
「おかわり」
あっという間にぺろりと平らげてしまった。
「僕のぶんがなくなっちゃうんだけど」
「買ってくればいいだろう?早く作れ」
はぁ、と溜め息をついて反論をする。
「あのさ、お金持ちじゃないんだよね僕。君のペースで飲み食いしたら1か月もしないで破たんしちゃうの。まだ仕事も決めてないんだから」
箸を咥えてんー、と考える神様。
「正親はなんでこなんな山奥にいるのに仕事してないんだ?」
「・・・・都会で働いてて、色々あって・・・・疲れちゃったから引っ越してきた。貯金はあるけどまだ5日目だから仕事なんか決まってもないよ」
箸を丼へぱちりと置いて手酌で湯飲み茶碗へ酒を注ぐ。
「たしかに。この酒だって湧いて出てくるものでもない・・・・」
静かに言った。
「よし、ちょっと付き合え」
一気に飲み干して勢いよく立ち上がる。
「え?どこへ?」
「この村で一番偉い人間に会いに行くのだ。車はあるだろう?出してくれ」
車を走らせる。助手席で腕組みをして大人しく景色を眺めている。
細い山道は普通車同士だとどちらかがバックをしなければならない部分もあるほどだ。崖と川に挟まれて広げようもない。ただ地形に沿ってうねうねと這っている。
特別いい景色がある道ではない。途中、スノーシェッドを潜ると道はだんだんと広がって手前のそこそこ人がいる集落へと近づいてゆく。このスノーシェッドにはスズメバチが巣を作っているので地元の人間は止まらないし、止めても窓を開けることはしない。それを知らない登山客が用を足そうとしたりして刺されることがあると斎藤さんに聞いた。
ちなみに一つ隣りの集落は2人しか人がいないらしいが詳しくは知らない。
川沿いに人家のある3、4つの集落を過ぎると、食料品を扱う小さな店とガソリンスタンドが、そしてちょっとだけ家が連続して立ち並ぶ『街並みのようなもの』に初めて触れることができる。
ここにたどり着くまででも都会なら何駅分になることか。しかしまだまだ人口が多い中心部には程遠いのだ。
そこから国道へ。3桁なので広かったり、狭かったり。消雪パイプも設置されている場所もあるし、郵便局もある。
その郵便局の手前で左折し、国道と早くも別れを告げる。
ヘアピン3つで一気に勾配を登り、山間を進む。
転入届を出しに行った時に役場の人が親切に教えてくれた近道。
その山道は工事が進んでいる箇所があり異様に快適だ。もちろん地形をうねりながら舐めるカーブもいくつか点在する。
下りながらの左ヘアピン、ブレーキで緩やかに減速をしていると
「右に曲がれ」
目を瞑ったまま助手席から声がする。
「あ、ああ・・・・・」
ウインカーを出して曲がる。唐突な横Gにジムニーの小さく背の高い車体はフラつく。
「こっち道知らないよ?」
「いいから進んでみろ」
左に墓地を眺めあいまいな勾配を登ると小さな橋で川を超える。
そこから集落を超えて「地元車両優先」と書かれた看板、そして不似合いな山奥の交差点に立つ誘導員を見かけた。
特別止められることもないので入っていく。
どんどん進んで行くととうとう砂利道になってしまった。けっこうな急坂を降りていくとダンプカーやパワーショベルなどが並ぶ物々しい工事現場に突き当たった。引き返し、さらに別な道を進んでみたがそれもやはり工事現場で行き止まりになった。
「これは・・・・」
来た道を戻りながらきょろきょろと周りを見渡す。最初の集落まで下ってくるとお葬式か、葬祭場のバスから人が降りてくる。杖をついて歩いている人はまだいいが、支えられてやっとな高齢者がとても多い。口にすればいい顔はされまいがこれがこの村の現実だ。
「このあたりは『多岐坂』と呼ばれる地だ。」
指で緑色の看板を指し示す。この村は地名を緑色の看板で表示する。そこには確かに『多岐坂』と表記されている。
「この工事は国の直轄だ。昔から地滑りが多い土地でな。ま、人が住み着いて人口が増えた明治から昭和にかけて被害が増えたわけだ」
「それがなんで国なの?」
「ここには断層がある。不安定な土地が崩壊し新たな断層が産まれるほど弱い土地だ。近くを阿鹿野川が流れているのはわかるか?」
「うん、地図で見たよ」
「阿鹿野川が氾濫するとここは浸食されて脆くなる。、南北約2.1km、東西約1.3km、面積約150ha 。これがさらに崩れやすくなる」
「え?ちょっと想像がつかない・・・・」
「バカでもわかりやすいように言えば『東京ドーム32個分の面積』とでもいえばいいのか?この範囲の土砂が動くと言うことだ。これは日本最大規模の地滑りだ。今我々はその上を走っている。何も住民や水田の保護だけではない。阿鹿野川が堰き止められればらこの村だけで済む話ではないな」
「たしかに」
「それに少しだけ力を貸してやろうと思ってな」
右耳を小指でほじってフッと息で取れた何かを吹き飛ばす。
中心部へ向かう道へ戻った。もう一度小さい峠を越えれば快適な道へと変わる。
「それは、見せてくれた不思議な力とかそういうので?」
首をかしげて小指をもう一度右耳へつっこみぐりぐりとほじる。痒いらしい。
「いいか、たとえば大蛇が暴れて退治される、みたいな伝承があるだろう?ああいうのは洪水を起こす河川や地滑りの起きやすい土地の具体化だ。現代のような科学も数学も技術もない時代に物事を把握しようとした『当時なりの科学』なんだよ。大蛇を退治したということは治水工事に成功したか、流れが変わって水害が起きにくくなったかのどちらかだ」
「はい?」
僕は混乱する。
君は神様だろう?でも今言った通りならば、そうだとするならば、じゃあ神様が大蛇を退治しなくてもあの工事が終了すれば解決するんじゃないの?
「だが、県としては昭和33年、国の直轄事業としては平成8年から延々と作業している。まだ終わらん」
「国の工事になってからでも25年、県の工事からは61年・・・・」
「なぜ終わらないか?それは地滑りが今でも止まらないからだよ。対策し続けるしかない。工事で金が動くほうが都合がいい人間もいるだろうが、この手の災害対策は手抜きや不正をすれば命に関わる。かといって金額が少ないに越したことはないな」
たしかに。
そういえば関東に酷い水害が起きた時、災害対策に使われる金額そのものがピーク時の1/3に減額されていてって何かで読んだ記憶がある。あちこちのトンネルや橋の老朽化にも追いつかないとかあまりいい話は聞いた覚えはない。
「この世の理は何かの定理や数式が複雑に干渉しあいながら動いている。別に神がサイコロを振っているわけではない。『仕組みのわからないモノ』を神として人格を与え、それが後々に原因や真実が明らかになっても神は消えないだけだ。神を作ったのはお前たちなのだよ。だがお前たちを作ったのも私たちであるが。だから科学と技術の粋をつぎ込んだこの工事にもやはり倒せない『未知の大蛇』がいるんだよ・・・・。それを倒すのは神の役目だろう?」
この少女が言ったこと。
アカシックレコードとかオムニバースとか神智学とかオカルトとかそういう漫画で読んだやつとか、
神は自由自在に力を操って悪魔や鬼を退治したり、人を護ったりするのとか、
そういうのじゃない・・・・。
じゃあ数学者と科学者が神なのか?
でも神を信じ教会へ通う学者は世界中にいる。仏に祈ったり、神社で祈祷する日本人学者だって別に普通だ。
そういう人達は『神』を否定しているんじゃなくて『神の存在』をむしろ証明しているのかもしれない。
「お化けはいない」、じゃなくて
昔の人が「お化け」と呼ぶ現象があったみたいなこと。
それは「お化けはいない」と=ではない。
昔の人の見たお化けの正体を明らかにした『証明』
未知が明らかになったことは神の否定にはならない。日本の神々は何かを叶えたり、ねじ伏せるにあらず。ただ存在し人間にはどうしようもない自然や天候への畏れ。そうやってこの災害列島へへばりついてきた古人の知恵。
「・・・・実はお前の家の辺りまでここから始まる断層が走ってるんだこれが。この村は案外に脆いのだぞ」
あんな山奥までも。すぐ後ろには高い山が控えている。局地的な土砂崩れなら諦めもつくけれど、連鎖して被害が出るような状態にこの地はある。
「例外もあるが、私は地理的に弱いところに祀られることがままある。だからF県でも一番の規模の社が一番端のこの村で祀られているわけだ。『一生に一度の願いは三年続けてお参りすれば、どんな願いもかなえてくれる山の神様』なんぞ勝手に宣伝をして・・・・そんなことをした覚えは一度もないんだが・・・・まあ、今回くらいは特別にいいだろうさ、かなえてくれよう」
「じゃあ工事もなくなるんだ?」
彼女は首を大きく振る。
「あくまで止めるだけだ。この村だけじゃない、隣のN県にも地滑り地帯がある。そっちは規模は小さいがズレの規模はなかなかのものなんだぞ。そういう『物事の法則』を止めることはできない。あくまで少し力を加えるだけ。だが地面の動きを止めるのがどれだけ大変かはお前だってわかるだろう?」
「そうなのか・・・・」
「落胆したか?神は全知全能だと思っていたか」
「いや・・・・」
「地震だって毎日のように起きているだろう?。そういった大地の仕組みに完全に逆らうことはできない。そういうものを操るか、司るか、だいたいそんな擬人化とか性格を持たせたみたいなものでな。そして降りかかる災難に人が怒りとか祟りとか勝手に理屈をつけるだけさ。神が人間をどうしようなんて理由なんか大して重要だと私は思わないね」
「君も・・・・なのか?」
「それは身をもって理解しただろう?私はバカは嫌いだ」
古い鉄製の吊り橋を解体している横、真新しい橋を渡れば村の中心部。田舎だがほぼ徒歩圏内に全てが集約している。というか逆に言えば中心部以外は何もないということ。
「どこへ?」
「村役場だ」
駅へ続く道へと入る。RC造でそこそこ大きいながら素っ気ない大山駅。
かつては神社への参詣客のための団体列車があったそうだが今はもう絶えた。タクシーが数台、人が歩いている様子もないメインストリートが寂しさをより際立たせる。その駅前を直進し、信号のある十字路を一番狭い右の道へ右折するとクリーム色の建物が見える。
「こんにちは、どういった御用でしょうか?」
「村長に面会したいんだが」
役場に入り、一番手前の窓口の職員に声を掛ける。突然一番偉い人に会わせろなどと、おかしい人と自己紹介しているようなものだ。
「えーと、面会のお約束は?」
「あるある。とってある。名前は・・・・えーと・・・・なんて言えばいいかな?」
振り返って僕を見る。
どうやら人として名乗る名前の設定をまったくしないで役場に突入したらしい。
「え?な名前?」
ちょっと考え込んで
「ほづみ。大山ほづみだ。確認してみてくれ」
単純・・・・。






