出会い
高い陽が7月の終わりの空から見下ろしている。峠を4つ超えた。
へばりつく頼りない道を進んでも進んでもまだたどり着かない。山深きところ、
F県の端の端、弥生村の『水瀬地区』に僕は来た。
ここはいわゆる過疎が激しいところだ。
唯一の道でたどり着くと右側に小学校がある。今は廃校だ。学び遊ぶ子どもはもういない。そこからまっすぐ道路沿いに家が立ち並ぶ。
そこに旅館もある。
それらを抜けて舗装が終わり、砂利道をしばらく行くと飯豊山への登山口に至る。
この集落を訪れる人間の目的は主に登山だと言い切って良い。住んでいる人間はごくわずか、ここを離れて移り住み、空き家になっているところも多い。
ここに僕が来た目的は登山ではない。
ここに今日から『住む』ことになった。田舎暮らしを求めて色々調べていたらたどり着いたのがここだったのだ。
都会で働いて5年、このご時世にかなりの金額を貰える仕事に就いてはいたが、激務に疲れ果ててしまい、休職をするくらいならいっそ辞めてまおうと決心した。
鬱になんかなってられない、自分は使い捨てじゃない!そう思ってみたが、自分が何をやってみたいのか?は何も思いつかない。これほどまでに空っぽの人間だったとは思いもよらなかった。趣味もない、彼女もいない。なぜ産まれてなぜ働いているのか。いつしか呼吸がなぜ無意識にできるのかすらわからなくなった。
結局自分を変えるために環境を変えることにした。何も準備せず、ただ貯金と服と最低限の荷物。まるで旅行のような軽装でネットで探し当てた『移住支援』の自治体を渡り歩き、ここに決めた。
役場の人に案内してもらい、いくつかの空き物件を紹介してもらった。
街中も良かったが、とにかく自分は不便に憧れた。失礼な話ではあるが、なんでも徒歩圏内にある都会と正反対を選ぶことが自分への『変化』に必要だと思い込んでいたからだ、
旅館の3軒手前の空き家に決めた。平屋で5部屋。風呂は幸いにガス、トイレは簡易水洗。水は井戸水、冬場は一晩で1m以上積もるこの場所に決めた。
広い。今までの1LDKからとつぜん一国一城の主だ。鍵を受け取り、家主さんに家賃を払った。
そして引っ越すために車を買った。この豪雪地帯で生き残るための車、ジムニーJA11。
オンボロだけどエンジンはいい。これでこの村での移動には事欠かない。
まずは集落の会長さんに挨拶に行く。
「聞いでだげど、ずいぶんわげぇあんちゃだない。こごいらは雪すげぇぞ」
斎藤さんはゴミ出しの日程表や、集落の草刈りなどの説明をしてくれた。
「名前は?」
「山上・・・・山上正親です」
僕は色々いただいたプリントやお知らせを整えながら答えた。出してもらった麦茶の氷が音を立てて溶けていく。
「仕事はなじょすんの?」
「何も決めていません」
「こごは何もねぇぞ」
「そのようですね」
「このへんは田んぼもつくれね。もうちっと下さ出ればあっけんちょもな。畑でもやっか?」
「そうですね、借りられる畑があったら紹介していただけますか?」
斎藤さんはよしきた、というタイミングで膝を叩いた。
「うぢで畑あましてんだ。そごかしてタダで貸してやっから。その代り荒れてっから大変だぞ」
「ありがたいです。色々教えてください」
「ああ、畑見てくっといい。大山神社の下だがら」
斎藤さんの家を後にする。他に誰もいないのかすらわからない。車が止まっている家もあるのだが、声をかけて挨拶するには手土産になるタオルのようなモノも持っていない。後日日を改めることにしうよう。全部の家を訪ねても20もないのだし。
道をずっと歩いて3分。
石垣で高くなる場所が左側にあった。そこに畑がたしかにある・・・・が、何年も放置していたようで、たしかに荒れている。
その畑の横に消えそうな獣道。これが神社へと通じているのだろうか?この集落の鎮守様に挨拶の一つもしておこう。
この弥生村は中心地のほうに全国的にも有名な『大山祇神社』がある。ネットで見ただけで一度も参拝はしていないのだけれど。
『オオヤマツミ』は説明不要の山の神。ここからはるか西、愛媛県今治に総本社があるが、祀った神社は東北や北陸など広く分布し、ここF県は60社を数える。
この神の娘、コノハナサクヤビメとイワナガヒメがニニギに嫁ぐがイワナガヒメだけが返され、それに怒ったオオヤマツミの呪詛により天皇に寿命が短くなってしまった。
ほかにも酒の神、軍神、炭鉱、林業、農業従事者に信仰されてきた有力神。
自分は詳しいわけではないのでこの程度しか知らない。
道を上り詰めた先はあまりにあっけなく、朽ちていた。
トタンを打ち付けた小さな物置小屋のような建物がどうやら『お社』のようだった。鳥居も小さく、気の利いた石灯籠も何もない。草刈りはされているようだが、お参りする人もいないようで参道と思われる獣道は葉っぱや草で歩きやすいとは言えない。
お社は集落に残るわずかな人間の記憶の端っこに引っかかりこのまま『限界集落』のこの地と共に消えてしまいそうな感じだった。
僕はこういう雰囲気に弱い。少し涙が出てきた。今日からここ住民になった僕が一番若いそうだ。僕の次のに若い人は55歳らしい。僕より30歳も上だ。人口は20人足らず。それならばこの悲しい静寂も致し方ないのかもしれない。
次の日僕は朝起きて散歩のついでに神社へ行って酒をお供えした。カップ酒で申し訳ないが、何分貯金を切り崩している身なので驕るわけにもいかない。神様も寂しかろうとついでにスルメも置いておいた。
家に戻り風呂を沸かす。
シャワーがないので湯船から洗面器でお湯をすくって洗う。汗を流してそのまま朝飯にする。
街中で買ってきた袋のうどんを茹でてめんつゆですすりこんだ。冷蔵庫も必要だなと思った。
集落の真ん中に自販機が幸いにして設置されているのでジュースは冷たいのが飲めるが、食品やビールが冷やせない。駅のある中心地まで車で片道20分。その間に一切店はない。
午後は冷蔵庫を買いに大きな街まで出ようと思い、食器をシンクで水に浸しておいた。
次の日、また神社へ向かう。
昨日と変わらない、風も吹かない境内。信心深いわけでもないのだが、一応自分の今後がうまくいきますようにと願掛け代わりに通うことにしたわけだ。雪が降れば難しいだろうが。
僕は何も変わらないはずの境内に変化を見つけた。
僕が昨日お供えしたカップ酒が空になっている。スルメもない。
「猿でも出るのかな?でも猿はカップ酒の蓋開けられないだろう・・・・」
気味が悪いがまた新しいカップ酒とスルメを置いて畑へ戻った。
買ってきた冷蔵庫を家の中へ運び込み、台所に設置をする。
少しの調味料と少しの食料、そして日本酒を詰め込んで扉を閉めた。中古の古い冷蔵庫は少し大きめのブーンという低音で空気を揺らす。広いがらんとした家だから響くのだろう。
ついでに書店に寄って買いあさって来た農業関係の本を何冊か手に取りパラパラとめくってみる。
耕し方にも方向があり決められた順番で耕していくと綺麗に轍もなくなる、とか
ネギは植える2週間前から石灰を混ぜて土をよく耕さねばならないらしい、とか
まったく知らなかった知識が写真や絵と優しい解説で書き連ねてある。
子供の頃から土に触れたことがない。
道路はアスファルトだし、家はマンションで庭もなかった。公園がかろうじて硬い砂の地面と砂場があったけれどあまり遊んだ記憶もない。
何もわからない事ばかりだ。
自分は産まれは海のほうだ。山の暮らしはわからない。家は海から近かったし、高校を出てすぐに東京へ出た。都会に憧れのようなものがあった。今思えば青臭いあこがれだ。
必死で働いていたうちはよかった。
あまり長居をする業界ではないから、同期が去り、先輩も去り、いつのまにかそこそこのポジションになっていた。人間、出世すると実は『後が無い』という事なのだ。それに気が付かなければむしろ花なのだろうが、それが見えてしまった人間はどうしようもない。取り憑かれたように必死で人生の意味を考え無気力になり疲弊する。
その連鎖から抜け出すには同じところでグルグル回っているだけではダメだ。都会で疲れたなら、都会でやり直すのも小手先でしかない。
だが人間環境を大きく変えるのは本当に勇気がいる。高い所から飛び降りる方がまだいいのかもしれない。
仕事も人間関係もすべてを捨て去り生まれ変わったようにやり直すには日本とはあまりに不自由すぎる。
僕はそれをやってしまった。来年の今頃には死んでいるかもしれない。でもそれでもいいか・・・・。
そう思った。知り合いもいない、綺麗な空気も清涼な川の流れもむしろ嫌味ったらしく思えるほど自然は大きく包む。
次の日、神社にまたカップ酒とスルメを持って散歩に行く。また何も変わらない境内でカップ酒とスルメだけが無くなっていた。
さすがに鈍い僕でもこれはおかしいと思う。
「誰かここに来ているのか?」
思わず声に出していた。
住人以外の登山客はほぼ通り過ぎる。集落の旅館に泊まる人もいるが、この神社にどれだけの人が気が付くだろう?そう思うとスルメは獣が食べたとしてもカップ酒が空になっているのはあきらかにおかしいのだ。
「来ているのはお前じゃないか」
声が響く。
その声はトタン張りのお社の中から。