ペルソナ・カメラ
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と、内容についての記録の一編。
あなたもともに、この場に居合わせて、耳を傾けているかのように読んでいただければ、幸いである。
こーくぅん、撮るよ撮るよ、もっと寄って寄って! ほい、決めポーズ! イエーイ!
むっふっふ、「自撮り棒」とはいいものですなあ。特にこのグリップ内臓式がイカスね。いかにも遠距離から操っている感が出てくるよ。
あたしもそうなんだけどさ、なんか、自分や仲間を撮影することにはまっている人が増えているよね。「プリクラ」の時から。手を変え、品を変えて、「その時々の自分」を、他人とシェアするっていうのが、すごくハマるんだよね。
今はデフォルメとかで簡単に「盛る」ことができるし、まさに、色々なあたしを見て、状態よ。スマホだと、ここら辺のアプリもそろっていてありがたいね。
――それが、ガラケー卒業の理由か?
いやあ、もっと別のわけがあるよ。ちょっと、手元に置いておきたくなくってね。
え? 話を聞きたい? まあ、いいけれど、くれぐれもあたしの真似、しない方がいいよ。
写真が日本に伝わってきたのは、幕末の頃らしいね。
昔は撮るのにも出来上がるのにも、時間がかかってさあ。出来上がる頃には撮影した人が亡くなられちゃったこともあって、「写真を撮ると、魂が抜かれる」なんて迷信も生まれるくらいだったとか。
自分とそっくりなものを作ることができる、という点においては、写真も人形と同じようなものだよね。今の技術だったら、記録として取っておくのに、申し分ないクオリティを持っている。まさに「生き写し」と言えるかも。
加えて、うちのお母さんが変わった使い方をしていて、あたしも真似した時期があったんだ。
あたし、小さい頃に、父方のおばあちゃんからいじめられたんだ。
いや、本当はいじめじゃなくて、しつけだったのかもしれない。
「あれを着なさい」「これはしちゃいけない」「もっと女の子らしい言葉遣いをしなさい」とかとか、色々とあたしを縛って来たんだ。
それに嫌気がさして、反発した結果が、センスも仕草も口調も、どこか男に近づいちゃった、今のあたしってわけ。
お母さんもだいぶ参っていたみたい。良く分からないけど、嫁姑の問題って奴? 一緒に住んでいた時期があったんだけど、夜中に時々口げんかしているんだ。聞き耳を立てると、お父さんのこととか、あたしの教育のこととかで。
あたしは人のケンカしている姿を見るのは、あまり好きじゃない。嵐が通り過ぎるのを待つように、布団の中で寝たふり、聞こえないふりを続けていたよ。
あたしにとっては、昔ばなしの魔女のように憎たらしい相手。だから亡くなったと聞いた時に、あたしは思わず笑いだしちゃって、すぐにお父さんにぶん殴られたのを覚えてる。
お父さんにとっては、大切なお母さん。思い出もたくさんあったと思う。それをバカにされたと思ったら、娘に手をあげるのも無理ないよね。
何度も殴られて、ボロボロに泣きながら、あたしはお父さんの部屋を出た。
「悲しめ」って、お父さんは言ったけど、どうして嫌いな相手を悲しまないといけないのか、あたしにはさっぱりだった。
悶々として、部屋に戻ろうとしたあたしの耳に、届いた音があった。
洗面所からだ。キリキリとフィルムを巻く音と、パシャっとシャッターを切る音。それが何度も繰り返されている。
恐る恐るのぞいてみたあたしは、お母さんが、壁にはめ込まれたガラスに、自分の姿を映しつつ、使い切りカメラで、何枚も写真を撮っているのを見た。その顔は、号泣と言っていいほどの、崩れた表情だった。
「ひっ」と息をのんだあたしに、お母さんは気づいて、こちらを向く。
さっきまでの表情が、ウソのように穏やかになって、あたしの腫れた頬をさすってくれた。「お父さんに叩かれたの? 痛かったでしょう?」って、悲しそうに話しながら。
お母さんはいつも、あたしの味方でいてくれる。だから、つい話しちゃったんだ。
おばあちゃんの死を、どうしても悲しめないこと。それを正直に話したら、お父さんにボコボコにされて「悲しめ」と言われたこと。
聞いて、お母さんはあたしの頭をなでながら話してくれた。「実は、お母さんも同じ」って。
「けれど、お通夜やお葬式で笑ったり喜んだりしてはいけない。同じようにお祭りやお祝い事で、涙を流しちゃいけないの。人がやるべきことと反対のことをするのは、悪魔だけだと、言われているから」
「じゃあ、あたしもお母さんも悪魔なの?」という、あたしの問いに、お母さんはかぶりを振った。
「たとえ心で思ってもね、表に出さなきゃ大丈夫。けれど、どうしても抑えられないなという時、お母さんはいつもカメラを使って、暗示をかけるの」
お母さんの教えてくれた暗示。
それは、さっきお母さんがやっていたように、鏡に自分の身体を写し、カメラを構える。
この時、ファインダーをのぞいちゃいけない。顔を隠してしまうから。
それで成りたい自分の表情、気持ち。無理やりにでも、でっちあげて、湧き立たせて、それらが最高に整った時、シャッターを押す。
うまく行ったら、しばらくその顔、その感情を保てるんだって。あたかもお面をかぶったかのように。
これは切ったシャッターの数だけ、効果が長引く。喪主になるであろうお父さんに付き添うお母さんは、途中で顔がほころんだりしないように、何回も写真を撮ったんだって。
あなたもやっとく? と言われて、あたしはうなずいた。お父さんに殴られるのは、もう絶対に嫌だったから。
あたしは、受け取ったカメラのフィルムを巻いて、顔から外して構える。お母さんに言われたように、ボロボロ泣きながら、ありもしないおばあちゃんへの哀しみを、ひねり出していった。
もう、これ以上はできない。そう感じた時、思い切ってシャッターを切ったんだ。
結果として、うまく行った。
あたしはお通夜もお葬式も、自分のものとは思えない悲しげな表情と瞳の涙をたたえながら、本当は全く思っていない、おばあちゃんを悼み、悲しむ言葉があふれ出して、やり過ごすことができたんだ。お父さんも、胸をなでおろしていたみたい。
それからというもの、あたしは内緒で、このおまじないを多用することになる。その傾向はケータイを手にしてから、一層強くなったね。
冠婚葬祭、学校行事、バイトの面接、その業務時間。
思わず表情を崩してしまいそうな、辛いこと、嬉しいことがあるたびに、あたしはトイレの鏡を使って、例のおまじないを行い続けた。
泣くべき時に泣き、笑うべき時に笑う。
これを徹底することで、あたしは何度も事無きを得ていた。心の中ではしばしば、正反対のことを思い浮かべながら。
そして、つい最近。
あたし、彼氏がいた。本気で結婚を考えるくらいの。
あまりのろけるつもりはないけど、彼にならあたしの将来含めて、何もかも委ねてもいいくらい、入れ込んでいたんだ。
彼はクールな雰囲気が好きなようだった。だから、あたしは彼とのデートの時は、いつもケータイのカメラを使って、クールの仮面をかぶって望んでいたよ。
その日のデートも、例のおまじないをしてから、待ち合わせ場所に向かったんだ。
彼は険しい表情で待っていた。そして、開口一番。
「お前と結婚なんて、ねーから」
何を言われたか、分からない。内心おろおろしながらも、仮面のあたしは「どうして?」と冷めた口調で、尋ねていた。
彼氏がケータイを出し、一通のメールをあたしに見せる。それは時刻的に、十分ほど前。
考えられなかった。十分前に、私はケータイに一切触っていない。
そこにはあたしが頭の中だけで思い浮かべていた、彼との将来計画が書かれていた。
「親、金、家、老後、墓……どんだけだよ、覚悟決めろってか? ふざけんな。クールで付き合いやすい女だと思っていたのに、こんなに重い奴だなんて思わなかった」
化けの皮がはがれたな。俺、もうお前に関わりたくねえわ。さよなら。
彼の言葉を何度も頭の中で反芻したけど、仮面のあたしは「そう」とつぶやいたきり、去っていく彼の後ろ姿を、一歩も追いかけようとしなかった。
夜。彼からは着信拒否。アドレスも変えられた。けれど、それだけじゃない。
男女問わず、アドレスに入っている人からのメールや電話が殺到した。それはことごとくが、私に対する非難だったんだ。
告げられるのは、あたしが仮面で覆い隠していた本当の言葉。内心で関わりたくないと思って、こびりつくくらいに繰り返した、呪詛と怨嗟。それをそっくりそのまま返された。
それでも、あたしを信じて残ってくれたわずかな友達に聞いたところ、あたしのケータイから、それらの言葉がびっしり書かれた、メールが届いたとのこと。
あたしはもちろん、そんなことは打っていないし、送っていない。
あたしはケータイを処分し、あのおまじないも、もうしていない。
明かしたくない、明かしちゃいけない、あたしの心。知っているのは自分と、カメラだけ。
人がやるべきことと反対のことをするのは、悪魔だけ。
あたしが仮面をつけている間に、あのケータイはあたしの悪魔に、憑かれちゃったのかもしれないね。