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第一話 急げや急げ

小さな喫茶店で働くことになった、不器用な新人アルバイトの吉田くんは……

 そこは、テーブル席が二つとカウンターだけの小さな喫茶店だった。表にはまだ『準備中』と書かれた札が下がっている。店内では、店長らしいチョビひげの男が若い男に何か話していた。

「吉田くんは、こういう仕事は初めてなんだって?」

「あ、はい。よろしくお願いします」

「うーん、そうか。実は、前のバイトが急に辞めちゃって、わたし一人でやってるから、ゆっくり教えてやる余裕がないんだ。すまないが、やりながら仕事を覚えてくれ」

「はい、頑張ります」

「返事はいいな。とにかく、開店まで三十分しかない。色々準備をしなきゃならんが、何かやってる途中でも、わたしが『これを急いで』と言ったら、それを優先してやるように。いいね?」

「はい」

「えーと、まずは、そうだな。わたしが朝イチで作ったサンドイッチがあるから、乾燥しないよう、一人分ずつこの透明な袋にめて、シールをってくれ。但し、素手すでで触るんじゃないぞ。ちゃんとこのビニール手袋をするんだ」

「ええと、急ぎますか?」

「もちろんだ。だが、雑にやるなよ。丁寧、かつ、素早くだ」

「はい」

 吉田は、見るからに不器用だった。

 のっけからビニール手袋をするのに手間取り、さらに手袋が中途半端なため袋の口がうまく開けられず、なかなかサンドイッチが入らない。

「おい、急げよ」

「あ、はい」

 せかされてあせった吉田は、あろうことかサンドイッチを口にくわえ、両手で袋の口を開いて入れようとしている。

「何やってんだ!」

「えっ」

 吉田が返事をした瞬間、サンドイッチは口から離れ、ポトリと床に落ちた。

「ばかやろう! 素手でさえダメなものを、くわえるヤツがあるか! もう、いい。それはわたしがやるから、他の事をやれ!」

「あの、この落ちたサンドイッチは?」

「捨てるに決まってるだろ。まったくもう。ええと、そうだな。忙しくなったらやってもらうかもしれんから、ソフトクリームを巻く練習をしてくれ」

「急ぎますか?」

「いや、急がなくていいから、わたしがサンドイッチの袋詰めを終わるまでやってくれ。いいか、この商品出口と書いてある穴の真下に、手に持ったコーンをあてがう。足でペダルを踏むとソフトクリームが出てくるから、コーンのふちに来るまでは動かさずにジッと待つ。クリームがコーンのふちまで来たら、ゆっくり回す。最後は、ペダルから足を離すのと同時に、コーンをスッと抜く。出来栄えを確認したら、クリームは捨てたり食べたりせずに、上の原液タンクに戻す。いいな?」

「ええと、ええと、はい」

 吉田は言われた通りにやり始めたが、止めるタイミングがわからないらしく、どんどんてんこ盛りにソフトクリームを出し続けている。

「おいおい、もういい、離すんだ!」

「あ、はい」

 吉田は、パッと手を離した。

 落ちたコーンの上に、さらにニュルニュルとソフトクリームがそそいでいる。

「あああ、足だ足だ、ばかやろう! ペダルを離せ!」

「はいはい」

「はいは、一回でいい!」

 およそ四五人分のソフトクリームが、小山のようになっていた。

「ええと、これタンクに戻しますか?」

「戻せるかよっ! ああ、もう触るな触るな。ここはわたしが片付ける。お前はもういいから、ホールのテーブルチェックでもやってくれ。ゴミが落ちていないか、テーブルクロスがズレたり曲がったりしてないか、テーブルの上のおすすめメニュー・紙ナプキン・シュガーポットなどがそろっているか、そういう確認だ。できるな?」

「で、できます!」

 吉田はホールに出て、テーブルを見た。

 メニューやナプキンはそろっている。だが、テーブルクロスは微妙にズレていた。

 少し右に引いてみる。

 引きすぎた。

 今度は左に。

 もっとズレた。

 何度やってもうまく行かない。

「おい、急いでやれよ」

「はいっ!」

 驚いて大きな返事をした瞬間、思い切りクロスを引いてしまった。

 テレビなどでは、テーブルクロスだけを引く芸人がいるが、そうはならなかった。

 がらがっしゃん、すってんころころ。

「あれれっ!」

 吉田は、飛んでいくメニューやナプキンを押さえようとしたが、勢いあまって無事な方のテーブルや椅子を押し倒した。

 どん、がらがら、どすん。

「何やってんだ、ばかやろう!」

「ああ、ああ、すい、ません」

「もう、いいっ! 時間がないから、わたしが片付ける。そこをどけっ!」

「あのあの、何をしましょう?」

「何もするな。ジッとしてろ!」

「でも、でも、何かさせて、ください」

「ふうーっ。それじゃあな、カウンターの中の冷蔵庫に、今朝しぼったオレンジジュースが入った、大きなボトルがある。果汁が沈殿ちんでんしてると思うから、よく振っといてくれ」

「えーっと、急ぎますか?」

「少し急げ。開店前に充分振って置けば、オーダーが入った時に軽く振ればいいからな」

「はいっ、わかりました!」

 吉田は冷蔵庫から大きなボトルを出したが、中身は透明だった。

 それを激しく上下に振り始めた。

「あ、ばか、それは炭酸水だ。色でわかるだろっ!」

「え?」

 ポーンと大きな音がしてキャップがはじけ飛び、ものすごい勢いで炭酸水がき出した。

 どどどっ、じゃばじゃばじゃばっ。

「ああっ、早くけっ。布巾ふきんがその辺にあるだろっ!」

「はいーっ!」

 吉田はボトルを放り出し、布巾を探そうとカウンターの上のコーヒーサイフォンをなぎ倒し、やっと見つけた布巾で飛び散った炭酸水を拭き始めたが、コーヒーカップもグラスもお構いなく、次々にカウンターからたたき落として行った。

 どん、がらがらがらっ、がしゃんがしゃん。

「あ、ああ、あああーっ!」

 店長が言葉を失っている間に、さらに後ろの食器棚を拭き出したが、もはや、拭いているのか壊しているのかわからない。

 がちゃがちゃ、がちゃん、めきっ、ぼきっ、どすん、がらがら、ばきっ、ばらばらっ、ごん。

「もういいっ、もういいっ! やめろ、やめてくれーっ!」

「あ、はい」

 店内は、どんな大惨事だいさんじがこの店で起こったのだろうかと、目をおおいたくなるような有様ありさまになっていた。

「ああーっ、もう、もう、今日は閉店だあ」

「ええと、閉店は、急ぎますか?」

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