三話 人生初の決死の努力
「とまぁ、こんなもんかな」
昨日のことを思い出してそう呟く。
本当に散々な一日だった。
「転ぶわ、歩くわ、やっとこさ異世界に転移したと思いきや危うく転落事故に遭いそうになるわ、女神様なんかと目が合うわ……」
やはり初めから気づいていたのだろうか……。
新は昨日の女神のことを思い出す。
確かに今考えてみると不思議な点はいくつかあった。
一つ目は、神様の言う探知魔法?ってやつで自分の存在を見逃したことだ。
アナティウスと呼ばれていた人物が本当に神なのであれば、自分の存在を見つけるのは容易だっただろう。
いや、事実容易だったはずだ。
もし本当に自分を見つけられないのであれば、横にいた黄金騎士のヴォルテールは神では無いものに騙されていることになる。
あのヴォルテールやアナティウスの口ぶりからして、神は完璧な魔法を使えるとのことだったからだ。
しかしあの女神が女神ではない可能性は恐らくこれぽっちも無い。
何故断言できるかというと……、
「悲しいくらい真っ直ぐに目が合っちゃったからなんだよなぁ」
おそらくあのときあの女神は俺がその木の裏にいることを知っていたのだろう。
そして俺が魔法を見るために顔を出すのを待ち伏せていたのだ。
そして哀れな俺はまんまと罠に掛かってしまう……。
しかしここまで全部予想が当たってたとすれば、『扉』の話も俺に聞かせるために話していたんじゃないだろうか。
可能性は全く無いとは言い切れない。
もしかしたら異世界に紛れ込んでしまった俺に、元の世界に帰る扉の存在を伝えたかったのかもしれないしな、うん。
「でもあの笑顔見た後だとそんな生易しい女神さまでも無さそうなんだよなー」
先が思いやられるな……。
「じゃあまずはこの《庭》、探索しましょうかね」
寝起きの身体に鞭を打って立ち上がる。
目指すは東だ、といっても来た道を戻っていくだけなのだが。
フラフラしていた新の足が一定の歩幅を刻むようになった頃には浮島の端は見えなくなっていた。
「そろそろかな?」
そう言って新は立ち止まり、周囲を見渡す。
しかしそこに新が求めていたものは無かった。
「やっぱり無いか、あの扉。一体どこに消えたんだ、地面に魔法陣が書いてある訳でも無いし」
新は地面を睨みつけながらそうぼやく。
「でも見つけたところで墓場の下で餓死するだけだし、無くて良かったのか?」
キョロキョロと辺りを見渡し本当に扉が無いことを確認すると、トボトボとまた東へ向かって歩き続ける。
そして歩きながら新はとある可能性について考えていた。
「俺は迷い込んでしまっただけで、別にこの世界にお呼びではないのでは」というもの。
それは昨日の二人を見ていて思ったことだ。
しかし帰る術も無いので若干諦めてしまっているが。
それにこの世界は腹が減らないのでここで生きていくことも出来ないことは無いだろう。
「最悪の場合、飛び降りればいいか」
最悪の場合というのは、黄金騎士などに殺されそうな場面ということである。
勿論死にたくなどないし、殺されるのも御免である。
そもそもここに迷い込んだだけだし、そんなことで黄金騎士に殺されるのは嫌だ。
だが、生き残るには奴を倒さねばなるまい。
しかし新自身、あの騎士に勝てるかと言われれば無理としか言いようがない。
相手と自分の力量の差も分からない程実力がかけ離れているからだ。
それはそうだ、長年命を懸けて戦いを生き抜いてきた人間と、かたや喧嘩もしたことが無く、自分磨きにと始めた筋トレでさえ三日坊主な新、例えるならば天と地の差である。
「天変地異が起きても勝てそうにねーな……」
今この場所であったら飛び降りることさえ不可能そうだ、早く反対側まで向かわないと。
そう新が歩を少し早めようとしたその時だった。
再び途轍もない衝撃が新を襲った。
新の背中に襲ったそれは昨日とは比べ物にならないものだ。
その事実は新の全身を震え上がらせる。
何故なら、昨日より自分に近い位置で光球が発現したということに他ならないからだ。
そして瞬く間に果てしない程の光量が新を襲い、その時、新の目には見たことない程長く伸びた自分の影が映った。
「フラグ建てた覚えないんだけど!?」
新はそう言うが早いか、走り出していた。
まだ光は止んでいない、今回は自分の後ろに発言したお陰で目を潰されずに済んだ、チャンスはある!
そうして自分を奮い立たせて、あの二人が出て来る前になるべく距離を取る。
生憎運が悪いことに、二人が出てくる前に隠れられそうな距離にある木は無い。
「飛び降りる以外無いか!」
昨日のように身を隠せるものがある場所のみに活動拠点を絞れば良かったと、今さらな後悔をする。
しかし間に合うのか。
新はこの世界の基準を知らない。
人はどれほどの速さで走れるのか、どれほどの持久力があるのか。
新の世界と同様だったとしても、魔法というものがある時点で恐らく新に勝ち目は無い。
女神は昨日見逃してくれたので、追ってこないとだろういう希望的観測をしつつ、あの騎士のことを思い出す。
あいつは昨日意味不明な登場の仕方をした。
何もない場所から急に現れたのだ。
ということはあの騎士も少なからずは魔法を使えるということに他ならない。
ダメだ。間に合う気がしない。
とうとう、背後の光は消えた。
そろそろ自分の存在もバレる頃だ。
あらから三百メートルは走っただろうか、息も絶え絶え、足にもまともに力が入らない。
日頃から運動をしておけば良かった、二度目の後悔。
ここから島の端まで、あともう半分ほどは走らなければならない。
「貴様何者だァッ!!!」
ああ、見つかった。
しかしあいつに斬られる訳にはいかない。
止まりそうなほど疲弊していた足に再び力が入る。
チラッと後ろを振り向くとものすごいスピードでこちらに向かって走る騎士がいた。
先程の新の二倍以上は速い。
しかし恐らく魔法は使っていないのだろう、そう思ったのは今から魔法を使おうとしているところを目の当たりにしたからであった。
黄金騎士はそれから一瞬立ち止まり、なにかブツブツと呟く。
すると、紫色の靄が全身を包み込むようにかかり、再び走り出した黄金騎士のスピードは更に上がった。
もう間に合わない。諦めようか。
暗い考えが新を飲み込もうとする。
飛び降りても、斬られても死ぬのだ。走るのも辛い。
諦めて立ち止まれば楽になれる……。
「くっそおー!」
しかし考えとは裏腹に新の足は止まらなかった。
今まで色んな事を諦めてきた。
勉強も、運動も、友達作りや彼女に至るまで。
色々な方法を試して色々な失敗をした。
だがそんな新にも諦められないことがあった。
生きることでは無い。
では今新が足を止めないのは一体な何故なのか。
それは一つ、
「俺は……空が飛びたいッ!」
幼い頃に諦めた夢だ。
思い出す限り一番最初の夢であり、一番最初に諦めた夢。
奇しくも今、そのチャンスが巡ってきている。
後ろを向けば、時速五十キロ程の速さで新に迫る黄金の騎士。
前を見ればあと三十メートル程先に空がある。
捕まれば死。逃げ切れば晴れて空へ飛び込める。
新は諦めなかった。諦めきれなかった。
足はもうほとんど動かない上に酸素が足りないので過呼吸気味だ。
さらに言えばすぐ後ろには今にも斬りかかろうとする騎士の姿がある。
「死ねぇ、小童! 我らがアナティウス様の庭へ立ち入ったことをあの世で深く反省するがよいわ!」
その瞬間、背後まで迫ったヴォルテールは新の首元めがけて使い古された剣を振り下ろす。
『ブウォンッ!』
しかし次の瞬間には新の首めがけて振った黄金騎士の剣は勢いよく空気を斬り、そのまま地面へと勢いよく突き刺さった。
新は奇跡的に助かったのである。
その時、新の耳にはヴォルテールの声は全く届いていなかった。
ただ空に向かって一歩一歩歩いていただけ。
満身創痍のその身体、主に足は殆ど気合のみで歩けている状態でいつ倒れてもおかしくは無かった。
そしてとうとう新の足は溜まり切った疲労に耐え切れなくなり、前のめりに倒れこんだ。
それがヴォルテールの斬撃のタイミングと奇跡的に合ったのだ。
ヴォルテールが首ではなく胴体を狙っていたらきっと新は上半身と下半身で別々になっていただろう。
しかしヴォルテールが胴体で無く首を狙ったのはひとえにプロ根性である。
数々の戦場を駆け抜けてきたヴォルテールは、戦場では自分の手柄の唯一の証明である敵の首を、数え切れないほど斬り続けてきたからだ。
もしかしたら、こんな雑魚相手に外すはずが無い、という慢心もあったのかもしれない。
だが次は無い。
恐らく一撃目を外したヴォルテールは次は確実に命を取れる方法で来るだろう。
新はその一撃目を偶々避けたことで我に帰った。
本能で死ぬことに気付いたからだ。
そしてヴォルテールがもう一つの剣を抜くか抜かないかの瀬戸際、新は立ち上がり走った。
もう走れるわけないのに。
新はその時限界を超えたのだ。
すぐさま新の背中を追うヴォルテール。
しかし先程とは違いそのスピードは遅かった。
慎重に、ギリギリまで追いつめて殺そうと思ったからである。
だがその選択は間違いだった。
新は飛び降りる為に走っているのだから。
ヴォルテールがそのことに気付き、再び魔法を使い追いかけた頃にはもう遅かった。
新は飛んだ。
落ちたといった方が近いのかもしれないが、それでも新は満足だった。
幼い頃に諦めた夢を限界を超えるまで努力し掴み取ったのだから。
そして、元の世界でも努力していれば結果は違ったのかもしれないと、恐らく人生最後になるであろう後悔をしながらそのまま気を失ったのだった。
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