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◆迷い 前編◆

 その日は快晴、反面セレナの心はどんよりと曇っていた。

 いつものようにヴィヒトリに呼び出されたはいいが、彼は疲れているのか執務机に頬杖をついて眠っていた。

 アムレアン伯爵家は広い領地を有する家だ。

 疲れがたまるのもしようがない。

(戻りましょうか、それとも……)

 悩みながらも、セレナはめったに見れるものではないヴィヒトリの寝顔を覗いてみる。

 はしたないとは、分かっているのだが。


 金色の髪が日の光を受けて煌めいて。

 伏せられた長い睫毛も、整った顔もつい見とれてしまう。

(ちょっとくらいなら、だいじょうぶでしょうか)

 手を伸ばして、彼の髪に触れる。

 さらさらとした感触、気恥ずかしさを覚えてさっと手を引こうとしたのだが。

 その手を掴まれて指先にキスをされた。

「可愛いことをしてくれるね、セレナ」

「っ⁉ い、いつから起きていらしたのですか!」

「最初からだよ」

「な……」

 頬が熱くなっていくのを感じる。

「君が、どうするかと思って」

「ひどいです!」


 抗議の声をあげるセレナに、彼はくすくすと笑った。

「キスでもしてくれたら嬉しかったんだけどね」

「しません。するはずないでしょう」

 きっぱり否定し、手を引き戻す。

「ヴィヒトリ様。ひとつ伺いたいことがあるのですが」

「なんだい? 君が知りたいことならできるかぎり答えよう」

「私を襲った少年を、ご存知でいらっしゃるのですか? 彼は過去に何者だったのでしょう?」

 セレナしか知らないはずの、メアリを殺した、という事実をヴィヒトリが知っていたということは、何か知っているのだと思った。

 セレナは、あの少年が誰だったのか知らない。

 けれどヴィヒトリのように前世のセレナに関係がある人物だったのだろうか。

「……セレナ」

 ヴィヒトリは優しく微笑んだ、けれどその瞳は一切笑っていない。

 声音といい、むしろ冷酷さを思わせる。


「なぜ君は彼のことを気にするんだい?」

「なぜって、気になりますよ。誰だったのか」

 前世であったメアリが、前のヴィヒトリを心から愛してしまったから殺したのだと少年は言っていた。

 だが、それなら彼は誰だったのか?

「それについては、君に教えたくないな。私としては今でも許しがたいことのひとつでね」

 ということは、メアリにとって特別な相手だったのだろうか。

 と、推測していると席を立ったヴィヒトリがセレナを抱きしめた。

「っ、なんです」

 驚いて声をあげると、彼はセレナの頬に手をすべらせる。


「私のことを知ろうとはしてくれないのに、彼のことは気になるのかと思ってね」

「純粋な疑問です、だって、何度も夢に見ているんですもの」

「ほう? 彼は何度もでてきているのか」

 セレナは焦った。

 それではまるで、彼に特別な興味を抱いているようだ。

「そうじゃありません! ヴィヒトリ様が前の、メアリさんの婚約者だったのは伺いました。けれど、あの子は……誰だったのかって」

 それをメアリは最期まで知らずに逝ったのだし。

「……名前はアロイス。メアリの使用人だ。彼女は愚かなほど優しくてね、飢え死にしかけていた子供を拾ってきて使用人として育てた。結果、殺された。

 彼女の知らないところで暗殺者に弟子入りしていたらしい」

 すんなり教えてくれたことに目を丸くしていると、ヴィヒトリは眉を寄せた。

「君が彼のことで思い悩んでいるのも腹が立つからね」

(では、あの子も過去の記憶があるのですね)

 そうでなければ辻褄があわない、と思案していると。

 頬をふにふにとひっぱられた。


「ふぁっ、なにするんです!」

 ヴィヒトリは何も答えず、無言のままセレナの頬で遊んでいる。

「ひゃ、めてくださ、ヴィヒトリさまっ!」

 ヴィヒトリの手を掴んでやめさせると、彼は小さなため息を吐いた。

「君は私に興味さえ抱いてはくれないのかな」

 悲しそうな声に、セレナは首を横に振る。

(だってあなたの場合は、私ではなくてメアリさんのことで……。まともにとりあって、もし好きになってしまったら、つらいのは私ですよ)

 今だって、否定しがたいのに。

 これ以上踏み込まれたくないのが、セレナの本音だった。

(一生誰かの代わりなんて、嫌ですよ……)

 セレナはヴィヒトリの肩をおして体を離そうとする。


「ヴィヒトリ様、こういったことを誰にでもなさるのは、よくないと思います」

「誰にでも、ね。君は私をそういう男だと認識しているわけだ」

 セレナの言葉にヴィヒトリは自嘲気味に笑った。

 そして、手をセレナの頤に持っていくと、そのまま唇にキスをする。

「――」

 唇を舌で軽くくすぐられ、開いた隙間からぬるついた舌が押し込まれる。

 蠢く熱い舌先が歯列や歯茎をたどり、ようやくセレナは状況を理解して、思いきりヴィヒトリの肩を押すが、びくともしない。

「ん……んぅ、ふ」

 長く深いキスから解放されると、セレナは腰がぬけそうになってよろめいた。

「っ、な、んてこと、するんですか!」

 目じりに涙をためて怒るセレナに、ヴィヒトリは肩をすくめてみせる。

「どうせ軽薄な男だと思われているのなら、と思ってね」

 なんて開き直りだろうか。


「――ヴィヒトリ様なんて、もう知りません!」

 今回ばかりはセレナも本気で怒っている。

 混乱した頭でそう言うと、部屋を飛び出した。

 入れ違いになった執事のマルクスが目を丸くして、涙目で口もとをおさえながら走り去るセレナを見送った。

「……旦那様、あまり純粋なご令嬢をからかうものではありませんよ」

「君までそんなことを言うのか、マルクス」

 ヴィヒトリは椅子に戻り、心外だというように悲しそうな顔をする。

「旦那様、セレナ様はセレナ様なのですよ」

「あぁ、彼女は彼女だ」

「……旦那様。時に女性のほうが大胆だというものです、あまりからかわれては、セレナ様も愛想をつかしてここを飛び出していかれるかもしれませんよ」

「手鏡の件があってもかい? クロヴェル家で耐えてきた彼女が?」

「あの方にとって女性の意地悪はなんともないかもしれませんが、旦那様の悪ふざけはこたえるでしょう」

「悪ふざけとは、ひどい言いようだね」

 本気なのに、とヴィヒトリは青い目を細める。

 そんな主人にマルクスは、ため息を吐きそうになるのを堪えるのだった。


「ところでマルクス、君は小言を言いにきたわけではないだろう?」

「はい。旦那様、アロイスの件ですが……」

「私もだいたい予想できているんだ。ただ、証拠がなくてね。あれはいったいどうなっているのだろうね」

 微笑みながらも、ヴィヒトリの瞳はひどく冷たいものだ。


「ドロシーに監視させているが、今のところしっぽをださないね」

「セレナ様の身に万が一のことがあっては困りますが、これでは手のだしようもありませんな」

「ははは、面白いことを言うねマルクス。もしもあいつがセレナも殺すというのなら、その時にはいい考えがあるよ」

 感情のない笑いだった。

 楽しげでありながら、深い憎しみを抱いた声だった。

「簡単には死なせない。死んで終わらせてなどやるものか」

「旦那様……」

「あとはそう、アデリーナの件も片づけてしまわないとね」

 憂鬱だ、とヴィヒトリは呟いた。


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