◆日常と非日常◆
「あなたってさ、馬鹿なの?」
「――……」
その日、ケントの服を着て、ケントの姿で、アロイスが昼間から現れていた。
仕事中だったケントを乗っ取ったのだろう。
セレナの部屋の前で、呆れたように窓枠に頬杖をついている。
どうやら、アロイスとドロシーもセレナのことを見守ってくれていたようで、あの一部始終を知られていた。
「あんなふうにかしずいて、キスとか迫られたらどうするつもりだったの?
ま、キスですめばマシだけど」
「……か、返す言葉もございません」
「初めてあの伯爵を可哀想だと思ったよ。こんな危なっかしい婚約者が居たら、僕ならとっくに孕ませているけどね」
「?」
途中からセレナの耳を後ろからふさぎ、ドロシーが低い声で言う。
「アロイス、セレナ様に変なことを吹きこまないように」
「わぁこわーい」
わざとらしい言葉に、ドロシーの額に青筋が浮く。
「え? なんです? なんなのです?」
「セレナ様はお気になさらず、俗物の言うことですので」
「?」
そんな二人を見ながら、アロイスが続ける。
「ま、でも、あの公爵がこのまま引き下がると思えないし、また何かあるかもね」
「どうして分かるのです?」
「……あなたは知らないのか」
アロイスは驚いたようで、けれど説明をしてくれた。
「あいつは前世、メアリの幼馴染で婚約者候補だった。でもオウジサマの出現で破談にされた男だよ、メアリに本気で入れこんでた。女癖の悪い男だったから、何度か殺してやろうと思ったけど」
ここでもまたメアリの話がでてくるとは……とセレナは頭を抱えたくなった。
「さぞやオウジサマのことを恨んでいたろうね」
「だからあんなにぎすぎすしていらっしゃるのでしょうか」
セレナの言葉に、ドロシーが首を横に振る。
「ぎすぎすなんてものではありません、殺気さえ混ざるほど初対面から仲が悪くていらっしゃいます、主に、ロイド様から一方的にだったのですが」
アロイスは空を見上げた。
「セレナもセレナで天然だし鈍感だし、でもあなたは運がいいから大丈夫かなって思ってるよ」
「そんなに鈍感でも天然でもないと思うのですが」
「ドロシー、どう思う?」
話を振られた彼女は首を横に振った。
◇◇◇
それは白昼夢のようなものだったと思う。
セレナによく似た後ろ姿の、けれど少し違うような気もする女性。
その人の首に傷が走り、ドレスに血が滲み、ゆっくりと倒れていく。
「っ」
ひどい頭痛と眩暈を感じた。
そのあとは、自分によく似た青年が棺の前に佇んでいた。
『……おまえのせいだぞ』
その人物が誰かに話しかける。
その先には、ヴィヒトリによく似た青年が居た。
『おまえが殺した! おまえがでしゃばってこなければ、メアリは……っ! 死ぬことなどなかったんだ!
守り切ることもできないくせに! よくも!』
それに対して、その青年はひどくいびつな笑みを浮かべた。
『……君が彼女の夫になったとしても、なにも変わらなかった』
『なんだと?』
『言葉通りの意味だ。なにも……変わらない。メアリは必ず殺された』
顔を片手で隠して笑い出したその様は、すでに正常ではなかった。
『殺すさ、メアリを殺した奴らは全員、必ず……報いを受けさせてやる』
それは、嘘でも詭弁でもなく、現実となった。
ロイドの目の前には、いくつもの死体がある。
その中には、あの青年の妻であったはずのものもある。
暗殺、毒殺、謀略、様々な手を使って殺された。
その男は若くして亡くなったが、最後に会った時は、まるで亡霊のようであったと思う。
ロイドによく似たその青年はたしかに、その姿に、哀れみを抱いた。
『おまえがそんなふうでは、メアリがうかばれないじゃないか』
優しい彼女のことだから、おまえの幸せを願っただろうに、と。
……。
「お兄様、お兄様ったら!」
「いっ……」
パァンと扇で顔面をはたかれて目を覚ました。
「おまえ、もう少し起こしかたを考えろっ」
「何度ゆすっても起きないのが悪いわ、うなされていらしたから、わたくし、せいいっぱい普通に起こそうとしましたのよ?」
いつもならジュディに小言の二、三個つけるところだが、今日のロイドはぼんやりとして窓の外を見やった。
「どうなさったの? お兄様」
「……おかしな夢を見ただけだ」
「ふうん? どんな?」
「なんと言えばいいのだろうな……私であるのに私ではない男の話だったように思う。妙に現実味のある、嫌な話だったな」
「あらまあ、まるで前世の話みたいね」
「……前世、前世か。ありえないだろ」
「ありえるかもしれないじゃない、わたくし、そういう話って好きよ。ロマンチックではなくて?」
「はぁ……おまえは能天気でいいな……ん?」
ふと、ロイドの脳裏をよぎるものがあった。
公爵家に生まれて様々な歴史を学んできた彼には、引っかかるものがあったのだ。
慌てた様子で部屋を出て行く兄に、ジュディは首を傾げた。
それはそう年月のたっていない話だ。
公爵令嬢メアリと第二王子の悲劇は、物語の題材にされる程度には有名だ。
メアリは式の数日前に暗殺され、それを仕向けたのはのちに王子の妻になる侯爵家の令嬢だった。
暗殺者の行方は知れぬまま、しかしメアリ暗殺にかかわった人間は次々と闇に消えた。
それを誰が成したのかも、謎のままだが……第二王子自身の手によるものだという憶測がある。
「まさか、本当にそうだっていうのか?」
ジュディの言う通り、あれが現実に起きたことだったなら?
ロイドとしては信じられない、だが、夢とそっくりな話だ。
なにより、そう、この時代には写真がないのだが……。
メアリの容姿は、セレナに酷似しているのだ。
そして、ヴィヒトリもそうだ。
「……あいつっ」
憎しみがあった。
だが同時に、複雑な感情もあった。
なぜ自分がセレナに惹かれたのか、それは前世で因縁があったからかもしれない。
では過去の自分は先ほどの夢で、彼女の最期に何を思ったのか。
たしかに、彼女の幸福を願ったはずだった。
それに今のヴィヒトリはただの伯爵だ、その妻になるからといってセレナが害される確率は低い。
むしろ、それで言うのならロイドのほうがよほど危険だ。
それはまるで、今のロイドと、過去のロイドが混ざっていくような気持ちの悪い感覚だった。




