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19/21

◆因縁◆

 ロイドの前の生は、メアリの幼馴染で婚約者候補の一人だった。

 だが、メアリと彼の縁談は破談になった。

 その当時ロイドは伯爵家の出身だったが、第二王子だった前のヴィヒトリと、メアリの間に縁談がもちあがったからだ。

 相当に恨まれていたのは今のヴィヒトリも覚えている。

 それが今もロイドの無意識にはあるのかもしれないと、勘ぐってしまうほどだ。

 なぜなら、現世でもロイドは初対面からヴィヒトリを毛嫌いしている。

 もう昔のことだが『いつまでも、臆病で卑屈なグズのままでいればよかったんだ』と言われたことがあるくらいには。


「……」

 ペンを走らせる手を止めて、ヴィヒトリは窓の外に視線を移した。

 いつもならセレナがやって来て、恥じらいながらも触れさせてくれる。

 その幸福な時間のないことが、どれほど憂鬱か。

 しかも今はあの公爵のところに居るのだから余分にだ。

 内心はひどくいらだっている。

 セレナが戻って来たときに、優しくしてやれるだろうかと考えて、小さくため息を吐く。

 そんな時だった。

「旦那様、アウェンミュラー公爵家からお手紙が」

「……嫌な予感がするよ」

「そうでございますね」

 手紙を持ってきたマルクスには悪いが、重いため息が零れ落ちた。



 その頃、セレナは部屋に閉じこもって考え続けていた。

 要するに、ロイドがセレナに飽きるか、興味を失ってくれればいいのだろう。

(それなら……えーと、彼が見慣れているような女性としてふるまってみる、とか)

 たとえばすごく媚びているとか。

 慣れているようにふるまって、へんに真面目なことは言わないほうがいいのかもしれない。

(できるでしょうか……いえ、できます、できるはずです)

 残念なことだが、メアリであった頃から男性に免疫がないのがセレナだ。

 メアリは純朴で、そして天然だった。

 セレナは単純に経験不足もあるが、慣れることがむずかしい。

 場慣れした女性のようにふるまうことは難しく、また、先を読む力も磨かれていなかった。

 だからこの時の選択が何を招くのか分かっていなかった。

 いや、単に運が悪かっただけかもしれない。

 あるいは、ロイドが想像以上にセレナに執着していただけかもしれない。


 ……。


「まさか鍵をかけて閉じこもるとは」

 呆れたように呟くロイドの手には、ジュディからとってきたのだろうマスターキーがあった。

「すみません。あなたに会うのが恥ずかしくて、つい」

「?」

 怪訝そうな顔をされた。

 それはそうだ、昨日の今日なのだから。

(こ、ここでくじけてはいけません)

 早鐘のように鳴る鼓動をおさえて、ロイドの傍に寄り添う。

 本当は腕を絡めるほうがよいのだろうが、そんな勇気あろうはずもない。

「今日はどうなさったのでしょう?」

 演技はそれなりに問題ない、はずだ。

「……あぁ、そういうことか」

 少しして、ロイドは納得したように頷いた。

「いや待て、これはちょうどいいな」

「?」

 そして何か思案したあと、ロイドは笑みを消してセレナを見やった。

「なんだか、今日の君は変だな。面白みがない」

「そうですか? そんなつれないことおっしゃらないでください」

「まぁ……いい、今日は君を連れて行きたいところがある」


 そう言って連れてこられたのは部屋だった。

 一部屋の一面だけが、ガラスになっている。

 その向こう側は何も見えないので、いちおう壁なのかもしれない。

「ここですか?」

「あぁ、君と落ち着いて話がしたかった」

 ソファの隣へと促されたので必死に平静を保ちながら座り、あえて腕に寄り添うようにする。

「私とですか? うれしいです、ロイド様」

「そう言ってくれるのか、やっと私も心を許してもらえたのか?」

(あら? さっきと反応が違う……)

 考えていると、頤をつかまれて顔をあげさせられる。

 青ざめる間もなく、頬にキスをされた。

「――……、ま、まぁ、ロイドさま」

 声がうわずり、引きつっていたが、なんとか笑顔をはりつけたままで居る。

 その姿に、ついに堪えきれなくなったのかロイドが笑いだした。

「ふ、くくっ……そ、そうか、セレナ。君は今でも伯爵のほうが好きか? あんな、君一人助けられない無能な男が」

「……いえ、あなたのほうが魅力的です」

 セレナにとっては、いっそ死んだほうがマシだと思うほどだった。

 泣きそうになるのを堪えて嘘を絞り出す。

「だ、そうだぞ、ヴィヒトリ」

「っ⁉」

 ロイドが放った言葉に、セレナは驚きと絶望に目を見開いた。

 彼の視線の先はガラスの向こう側。

 まさか……と嫌な予感が背筋を這いあがってくる。


 そのガラスの向こう側では、氷のように冷たい微笑みを浮かべたヴィヒトリがソファに座って、じっとその姿を見ていた。

 そしてガラスにはりついてジュディが大声をあげていた。

「セレナ様のばかぁあああ! 見えてますわ! 聞こえてますわ! こっちには!」

 あちらの部屋は内側からしか開かない、こちらの部屋は外側からしか開かない。

 どちらの部屋も自由に行き来できるのはロイドだけだ。

 ジュディが殴りこもうにもそうはいかないし、そもそもセレナのことだからこんなことにならないだろうと思っていたのだ。

 控えていたマルクスも青ざめた様子だ。


 向こう側では、がたりと立ち上がったセレナが部屋を飛び出していくのが見える、そしてほどなく、こちら側の部屋に飛び込んできた。

「――……っ、っ……!」

 声がでない様子で、涙目になったセレナがドアの前で立ちすくんでいる。

「……可愛らしい演技だったね、セレナ」

 ヴィヒトリは微笑んでいる、笑っている、だがそれが笑顔でないことはすぐに分かる。

 碧眼が薄く開くと、凍り付きそうに冷たい視線を向けられた。

「だけど、君の唇から……嘘でもあんな言葉を聞きたくなかったな」

「……ヴィヒトリ、さま」

 ゆっくりと席をたち、ヴィヒトリが近づいてくる。

 彼にしてはめずらしくセレナの手首を痛いほどの力で掴むと、そのまま引きずるように歩き出す。

「ヴィヒトリ様、あれは……っ」

「飽きてもらおうとしたんだろう? だけどねセレナ、あんなふうでは飽きるどころか煽るだけだよ」

「え⁉」

 本気で驚いているセレナに、ヴィヒトリは怒りも忘れそうなほどの眩暈を感じた。

 セレナは本当にうまくいっていると思っていたのだろうか、と。


「ヴィヒトリ、連れ帰っていいと許した覚えはないぞ」

 後ろからかかったロイドの声に、ヴィヒトリは冷ややかな視線を向ける。

「……爵位の剥奪も、辺境に追いやるのも好きになさればよろしい。私はそれでも生きていけるだけの力があるし、彼女を幸せにしてやれる。だが、相応の報いはあなたも覚悟していただきたい」

「!」

「それに、こんなにもセレナを傷つけて得るものなら、私は何もいらない」

 そう言い残して、ヴィヒトリとセレナはアウェンミュラー邸を去った。



「あの……すみ、ません。ヴィヒトリ様」

 伯爵家についてもヴィヒトリはセレナの手首をきつく掴んで、彼の部屋に連れて行くとセレナを強く抱きしめて、頤に手を当てる。

「謝らなくていい、ただ、優しくしてあげられそうにない」

「? ……っ、ん」

 深く口づけられて、セレナは驚き、けれども目をつむる。

「――ん、ぅ」

 息苦しさに離れても、またすぐに口づけられるのを繰り返し、足に力がはいらなくなってきた頃になってようやく解放される。

 ヴィヒトリの腕に体を支えられて、なんとか立っていられるくらいだ。

「セレナ、謝罪よりも、君の言葉が聞きたい」

「……っ?」

 蕩けた双眸でヴィヒトリを見つめるセレナを抱きしめて、耳元で囁く。

「私を愛しているのかということだよ」

「そ、んなの……あたりまえです、あなただけを愛しておりますのに」

「……私もだよ、セレナ。愛している」

 セレナの額にキスを落として、ヴィヒトリは微笑んだ。

 彼女が腕の中に居ることが、何よりも幸福だと思えるくらいには、セレナを愛している。




「ねえお兄様、愛を知っていて?」

 騒動のあと、不機嫌なまま部屋に戻ったロイドにジュディが問いかける。

「さっきのことか? 馬鹿げている、貴族の女が平民に落とされて生きていけるものか。たしかにあの面の皮が厚い男は生きていけるだろうがな」

「セレナ様は育ち方が特殊だわ、だからヴィヒトリ様の言う通りなのよ、きっと。

 わたくしも思うの、あそこまで愛してもらえるのなら、身分なんていらないわ」

「馬鹿なことを言うなジュディ」

「お兄様は何も分かってないわ。色んな人に愛されていたって、ちっとも気づかないんだから」

「おまえの言っているものは幻想だ」

「それならどうしてセレナ様はお兄様の手をとらないのよ」

 む、とロイドが眉を寄せる。

「お兄様、よくお考えになって。セレナ様でなくても、いつか本当にお兄様を愛してくれる人が現れるわ。お兄様が愛そうとするのなら」

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