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◆ロイドとセレナ◆

 頬に触れる手が、ヴィヒトリのものではないだけでこんなにも恐ろしさを感じるものなのかと、セレナは思った。

 彼に触れられるのは、とても幸せであるのに。

「――私に、何を要求なさるのですか」

 ロイドの部屋で、彼を睨みつけ、震える声を絞り出す。

 そんなセレナの頬を両手でつつみ、彼は楽しそうに笑った。

「そんなに伯爵を守りたいのか? ますます妬けるな。それでは君は、伯爵のためならば、私の要求をなんでも受け入れてくれると?」

「なんでもというのは……無理ですけれど」

「なら君にできそうなことにしよう」

 そう言って、ロイドは微笑んだまま、冷ややかな瞳でセレナに告げる。


「伯爵との婚約を解消してもらいたい、君から」

「……それはっ」

 嫌だ。

 絶対に、嫌だ。

「嫌か? なら違うものにしよう」

 ロイドの指先がセレナの首筋をなぞる。

「私と一夜をともにしてくれるのでもいい」

「っ……」

 それでは同じことだ。

 まず嫌だ。絶対に嫌だ。それに、弱みを握られるのと同じことであり、それを持ち出されたら彼との婚約はどのみち破棄に追い込まれる。

「断るのは自由だ。だが先に言っておく、伯爵家ひとつ潰すことくらい、私にはたやすい」

 ヴィヒトリならなんと言うだろう。

 考えてみても、セレナにはうまい切り返しがない。

 どうしようか、緊張で頭がうまくまわらない。


「……ロイド様、なぜあなたが私にそこまで執着なさるのでしょう? あなたには、他にたくさんの素敵な候補がいらっしゃるでしょうに」

「なぜだろうな? 私にもよくわからない、ただ君に強く惹かれたのと……あとは、あのいけ好かない伯爵から奪い取ってやりたい」

「ヴィヒトリ様へのいやがらせに私を利用するのですか」

「勘違いしないでくれ、君を好いていることは事実だ」

 セレナは眉を寄せ、結局、貴族らしくとか、誰かならどうするかとかを差し引いて、彼女らしくあることを選んだ。

「ロイド様、初対面の女性と関係を持つなんて、ご自身を貶めるようなまねをなさるのはいかがなものかと思います」

「?」

「もっとご自身を大切になさったらどうでしょうと、申し上げているのです。そんな生き方は、おつらいでしょうに」

 それにロイドはしばらくぽかんとしていたが、やがて口もとをおさえて笑いだした。


「君は面白いことを言うな」

「真面目に話しているのですが」

 できればこれで面白みのない女だと思ってもらえればいいのだが。

「いい、実にいい。やはり君にはあの伯爵との婚約を破棄してもらおう」

 状況が変わらない、セレナは頭を抱えたくなった。

 だいたい身分を考えれば無礼だと言われておかしくないのだ。

「よく知りもしない女をなんて、よくありません。不幸へ一直線です、そういうことは、もう少し堅実に考えたほうがよいですよ」

「そういう君は出逢って間もないはずの伯爵と婚約したろう?」

「それは……」

 いろいろ理由はあるのだが、一つも口にできたものではない。


「あの男はそんなに魅力的だったか?」

 顔を近づけられて、反射的にそむけようとしたが頤を手でおさえられてしまう。

 どうしよう、と冷や汗が流れたときだった。

 ばんばんと乱暴にドアを叩く音がする。

「お兄様! いらっしゃるんでしょ! 開けてちょうだい!」

「――……ジュディか」

 不機嫌そうにドアを見やるロイド。

 離れていく体にセレナはどっと押し寄せる疲労と安堵を感じた。

「どうした」

「どうしたではありませんわよ、わたくしをダシにセレナ様を呼び出したんでしょう? わたくしにもお話する権利があるのではなくて?」

「お茶会ならいくらでも相手がいるだろ」

「いないわ、こんな夜中にわたくしとお茶会をしてくれるのなんて天使か幽霊くらいのものよ。というか、相手がいるかいないかではないのよ、わたくしが駄々っ子のような手紙を送りつけておいて、わたくしの要求を通さないとおっしゃるの?」

 ガンッと扉を蹴り、先ほどは清楚な美少女であったはずの……いや、今も見た目は清楚な美少女なのだが、ジュディが部屋へと入ってくる。


「だいたい、婚約なさっている女性をこんな時間に部屋に連れ込むなんて、お兄様こそ名誉が傷ついてよ。物事なんて見方しだいなのだから、権力にものいわせて嫌がる女性を連れこんだ、という風評だって流れておかしくないわ」

 そう言いながらセレナの手をとり、ジュディはずんずんと部屋の外へ歩いていく。


「それではおやすみなさいお兄様、よい夢を」

「それはおまえのほうだろ!」

「いやですわね、女同士語りあうことは山とあってよ。でも男女が語りあうような時間ではないわ」

 それだけ言うとばたんと扉を閉じた。

「……助かりました、ありがとうございます」

 セレナがそう言うと、ジュディはいたずらっぽく笑った。

「いいのよ。でもお兄様ったら、本気なのね」

 呆れた、と彼女は呟いた。

 同時に「でもしかたがないのよね、こればっかりは」とも。


「それで、本当にお茶会をしようなんて思っておりませんのよ、もう夜遅いですし。セレナ様も兄の相手をしてお疲れでしょう? 早くおやすみになったほうがいいわ」

 そう言いながら、彼女はセレナを別室に案内した。

「念のため、鍵をかけておいたほうがいいわね。マスターキーはわたくしが持っているから、安心して眠って大丈夫よ」

「あ、ありがとうございます……あの、なぜここまで?」

「なぜって、いくらなんでも愛する人が居る女性に、さっきのようなことをつきつけるのはあんまりよ、止めて当然だわ、家族だもの」

「――ふふっ」

 思わず笑みが零れる。

「ロイド様は愛されていらっしゃるのですね」

「それはそうよ、お兄様は鈍感だから、そういうの全然気づかないけれどね。今だって、邪魔したことをきっと怒っているわ」

 では、おやすみなさい。

 そう言ってジュディは部屋を出て行った。

 残されたセレナは、どうやってこの窮地を抜け出そうかと考えていた。

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