◆外伝:アロイス◆
少年は孤児だった。
親に捨てられ、森の中に横たわり生死を彷徨っていたとき、妖精かと見まごうような不思議な少女が傍にやって来た。
「あの」
声をかけられたが、返事をするような力はなかった。
生命としての本能で、彼女に手を伸ばす。
それは助けて、なんて生ぬるいものではなく。
生き残るために、この少女の血肉を食らおうとしたのだ。
無論そんな力はすでにないのだが。
だがそうとも知らない少女は水筒を取り出し良い香りのする紅茶を注ぐ、それを少年の口に近づけた。
「こんなものしかありませんが、どうぞ。飲めますか?」
少年の汚れた体を躊躇いもなく起こし、冷たいお茶を彼の口にそそぐ。
水分を貰い、少しばかりはっきりとしてきた意識の中、少女は少年にサンドイッチとクッキーを差し出した。
返事をするほどの気力はなく、それを受け取ると残っていた力で一気に食べた。
しばらく待って、少女が声をかける。
「動けるようになりましたか?」
「……どうして」
ようやく、相手の姿がはっきりと見え始める。
それは燃えるような赤い髪に、はちみつのような金色の瞳を持つ……貴族の少女だった。
「帰る場所はありますか?」
「……ない」
「それなら、一緒に来てください」
「?」
少年は首を傾げた。
「ただでというのは、きっと家族が許してくれないでしょうが、使用人としてなら、あなたに住む場所を与えられます」
「ばかいわないでよ」
まさか孤児の、こんな薄汚い子供を貴族が迎え入れるなんて、ありえない、ありえるはずがない。
「信じられませんか? でも、私、あなたをこんなところに置いて行けません。夜になったら野犬が出るかもしれませんし」
それは分かっている。
運が良かっただけで、この数日も遠吠えが聞こえていた。
少年の答えはすぐに出た。
この貴族が嘘つきで、奴隷市場に売られるとしても、どうせ死ぬのだどっちでも変わらないと。
そうして少年は少女についていった。
彼女の周囲は困ったような顔をしていたが、やがて頷いて、本当に少年に綺麗な服と部屋を与えたのだ。
先に言っていた通り、使用人として働くことを条件に。
信じられない奇跡だった。
ありえない現実だった。
少年、アロイスはそうして居場所を得た。
彼女に何か恩返しをしたかった。
けれど学もない自分にできることは――彼女を敵から守ることくらいだった。
隠れて貧民街の暗殺者に弟子入りした。
思いがけず自分はその才能があったようで、あっという間に師匠をこえて一人前になった。
彼女には敵があまりに多い。
それらから守ろうとしたのが始まりだった。
笑っていてほしかった。
花のようで、妖精のようで、幻のように愛らしい彼女が大好きだった。
けれど。
皮肉にもアロイスが自分の内にあった感情を自覚したのは、彼女が王族と婚約することになってからだった。
もともと公爵家の生まれであったメアリと、アロイスでは、到底つりあわない。
メアリを不幸にしてしまうだけだ。
だから最初はそれでも耐えようとしたのだ。
この気持ちは殺すべき対象だと。
それも、メアリと相手の男が本当の意味で恋に落ち、愛しあうのにつれて、憎しみへと変わっていった。
メアリを守ってきたのは自分なのに、彼女はそれを知らない。
他の男の手を取って、遠くへ行ってしまう。
自分は彼女のいなくなった屋敷に残されることになる。
そんなのは――。
◇◇◇
メアリの肌は柔らかかった。
ずっと触れたかった。
ナイフで彼女の肌を切り裂くとき、えもいわれぬ快感があった。
温かい血の感触、濃厚な彼女の香り。
そして何よりも、これでメアリはもう誰のものにもならない。
部屋にやって来た男の青ざめた顔が面白くてならなかった。
アロイスの歪みはこの頃より始まった。




