◆アロイスとセレナ◆
セレナが連れてこられたのはどこかの民家だった。
カーテンはしめられていて、位置は分からない。
薄暗い部屋のテーブルには刃物の類や、薬品らしき瓶が並んでいる。
「ケントさん、なんですよね?」
ソファにおろされたセレナが問うと、アロイスは首を傾げた。
「あいつは僕だけど、僕ではないよ。もっと脆弱で、無力で、力の前に抗うすべを知らない子供だし。あいつは、僕のことも知らない」
「?」
意味が分からない。
「なんて言えばいいんだろう? 二重人格、とかが近しいのかな。ケント=ヴァリラは虐待を受けていた、けれど抗うすべを持たなかった。
なされるがまま殴られるだけの存在だった、だから僕が、助けてやろうと思ったんだ。どうせあのままじゃ殺されていた」
「……まさか」
ふと思い当たる。
以前、ケントの両親は殺されたと言っていた。
「あいつは両親が冷酷な殺人鬼に殺されたと思っているけど、実際には自分の手で殺したのさ。自分と言っても、僕として、だけど?」
アロイスはなんでもないことのように言う。
「あなたはどうして暗殺者に弟子入りしたのですか?」
「……あいつから聞いたの? よく話したね、あいつが、君に、僕の話をするなんて。今日にも空から槍が降りそうだ」
けれどアロイスは黒い外套をぬぎながらセレナに話す。
「メアリを守るためだった。公爵家に生まれて、権力闘争の道具として生きていたメアリには敵が多かったから。
僕が陰でずっと守ってきたんだよ、彼女は知らなかったろうけどね」
アロイスは緑の瞳をセレナに向けて、いたずらっぽく笑う。
「だけどね、メアリがあいつと婚約して初めて僕、メアリのことを好きだったんだって、気づいてしまったんだ。
そうしたらどうしても許せなくて、憎くて……だからあの女からの依頼を受けたんだ」
「?」
「今はアデリーナ=クロヴェル、あいつはね、前のヴィヒトリの妻だよ。
君が死んだあと、政略結婚したんだ」
「――」
さすがに驚いた。
こんなにも身近に、前世の関係図が広がっていたなんて。
「だけど気の毒に、ヴィヒトリは当然彼女をを愛さなかった。憎んで、憎んで、憎んで、最終的にアデリーナはあいつに毒殺されたのさ」
「っ、そんな……!」
セレナの前の生が陰惨なものであったのは知っていた。
だが、メアリを含めてこんなにもむごいことばかりが起きていたとは、知らなかった。
「セレナもあいつを好きなら、いっそもう一度殺してしまおうかと思ったんだけど、でも、君が僕の手をとってくれるなら……まだ生かしておいてもいいかなあって」
セレナに近づいてその頬に手を伸ばし、アロイスは笑った。
その瞳はケントとは違い、光を宿さぬものだった。
「ねえセレナ、今度は僕と結婚して?」
「はい?」
理解が追いつかず目をしばたくセレナに、アロイスは微笑む。
「僕と結婚して、僕の子を産んで? ね、セレナ、お願い」
「――順序がおかしくありませんか」
青ざめるセレナを見て、アロイスは猫のように瞳を細めた。
「……冗談だよ。本気にした? それなら、順序を踏めば僕の願いを叶えてくれる?」
「アロイスさん、ふざけてらっしゃいますか?」
「うん」
にこにこと悪びれもせずそう言われ、セレナは頭痛を感じた。
「だってね、そんなのは無理だから。前も、今も、きっとこれからも」
「?」
「でもきっと最後だから、僕も少しくらい貰ってもいいよね?」
鼻先がふれあうほど顔を近づけられて、驚いているあいだにアロイスはセレナの頬にキスをした。
その頃、セレナが消え去った部屋を見て、ヴィヒトリはため息を吐いた。
「……ドロシーの容態は?」
後ろに控えたマルクスが悲しそうに告げる。
「峠はこえました、ナイフに毒が塗られていたのでしょう」
「同僚でさえ躊躇しないか、あんなに仲がよさそうだったのにね」
「いかがいたしましょう、旦那様。セレナ様の身が……」
「いや、あいつはセレナを殺さないだろう。もしそうするつもりなら、ここで殺している。居場所の見当はついているんだ、問題はあいつがどれほど抵抗するか、かな」
冷静に思案しているヴィヒトリに、マルクスが問う。
「殺してしまわれるのですか、旦那様」
「良心が痛むかい? 君もケントのことを子供のように可愛がっていたからね、無理もない」
だがヴィヒトリは、殺すということを否定しなかった。
もとより彼は、アロイスを簡単に殺すつもりはない。
ただ、最終的には殺すつもりでいる。
その正体がケント=ヴァリラだと気づいてからも、彼のその決意は変わっていない。
前に味わった苦痛を、絶望を、失望を、憎しみを、ヴィヒトリは一つも忘れていない。
ただ殺したぐらいで、到底納得できるものではない。
「信頼できる者が居る、彼女に依頼しよう」
マルクスはただ頷いた。
彼にとっては我が子を殺すのと同じようにつらいことだろう。
それも承知している。
それでも、アロイスを許すことはできなかった。




