◆外伝:ドロシーの過去◆
ドロシーの家は貧乏だった。
着るものにも食べるものにも苦労したが、病弱な弟が居た。
豪雪が続いた日だった。
弟の薬がなくなって、病院の扉を叩いたのだが、出てきた医者は困ったような顔をした。
「ドロシーか、あの薬のことだろう?」
「そう、お願い、なくなってしまったの。早くしないと弟が……」
老齢の医師はどこか言いにくそうに視線を泳がせる。
「ここ最近ずっとこの調子だろう?」
降りしきる雪、空を見上げて医師が言う。
ドロシーは不思議に思って首を傾げた。
「だからなに? 急いでいるの!」
「貨物の輸送が困難になっているんだ、その分、薬も高価になってしまってなあ」
「そんなっ! いくらなの?」
医師が提示した金額は、とても今のドロシーに払えるものではなかった。
いますぐ必要なのに。
「お願い、次までに用意するからっ」
しかし医師は頷かない。
結局そこで手にいれることはできず、ドロシーは町中を歩きまわった。
雑貨店でも、薬品を扱う店でも断られた。
市場までやってきてまた尋ねると、ある、とは言われたが、ドロシーの恰好を見てすでに断ろうとする気配だった。
「お願いします、ちゃんと払います、だから」
けれど店主はやはり首を横に振る、これが最後だというのに。
絶望感が全身に滲み始めたときだった。
「おいくらですか?」
すぐ隣から声がかかった。
見上げると赤い髪に金色の瞳を持つ少女がいる。
歳はドロシーより少し上かもしれない。
財布にかけた手はひどく荒れていて、裕福ではないのだと分かる。
「セレナ、おまえにだってこの金額は辛いだろう」
店主の言葉、知りあいのようだ。
「だってこの子、ずっといろいろなお店をまわっています。
私なら払えるかもしれませんし」
店主は渋っていたが、やがてため息を吐いて金額を提示した。
それを見てセレナと呼ばれた少女は財布から必要分支払った。
「はい、どうぞ」
ドロシーに薬を手渡して、微笑むその人に心から感謝した。
「ごめんなさい、お金、持っている分だけ払いますから」
「大丈夫です、それより具合の悪い方がいらっしゃるのでしょう? 何か温かいものを用意してあげてはどうですか?」
「――ありがとう」
ドロシーの記憶に刻まれたのはその人の容姿と、セレナという名前だった。
それからしばらくして弟は快方に向かい、ドロシーはアムレアン伯爵家に雇われて働くようになった。
家は裕福になり、家族も皆幸せだ。
日々忙しくなかなか市場に顔を出すことができずに、結局ドロシーはセレナを雇っていた店主に言伝を頼み、あの時支払ってもらった分の金を包んで渡した。
それからしばらくして、主君であるヴィヒトリがめずらしくも人を招くという。
ドロシーから見たヴィヒトリは、何物にも興味を示さず、また冷酷さを持ち合わせた人物だった。
優しげな外側に騙される人ばかりだが、あの人は恐ろしい人だと、ドロシーは思っていた。
そんな主君が招くとは、どんな人だろうと思っていると、やって来たのは記憶に刻みこまれたその人だった。
セレナ=クロヴェル。
まさか男爵家の令嬢だとは思っていなかった。
と、同時に、クロヴェル家は嫌な噂の絶えない家だ。
たびたび見かけるアデリーナという令嬢も、陰でなかなかひどいことをしているようだった。
(まさか、姉妹だなんて)
似ても似つかないとはこのことだと思ったものだ。
中庭で話すセレナは楽しげで、驚いたのはヴィヒトリもめずらしく楽しそうだったことだ。
彼の笑顔のほとんどは作り物なのだから。
(あぁ、あの方は苦労ばかりなさっている)
ドロシーには、彼女にこれから災難が多く降りかかるように思えた。
あの主君があんなに楽しそうにしているのだ、おそらく何か理由がある。
そしてアムレアン伯爵家に呼ばれたからには、きっと意地悪な妹が黙っていないだろう。
(これから少しでも私が力になれるのなら、きっとあの時の恩を返しましょう)
心の内でそう誓った。




