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過ぎし日の君の名を想う

作者: 桧山いちか

 思い出すのは貴方の声と、迫りくる夜と、どうしてもと私がせがんで連れて行ってもらった海と、ああでも無理を言ってしまったからか、途方もない溜息を一つ、貴方がしたのもよく覚えている。

 私はどうしても海のすぐ近くで一泊したくて、だけど今思い返せば貴方の方では海なんて見慣れているものだから、貴方にとっては大して魅力のある光景ではなかったのでしょうね。しびれを切らしたように貴方は言った。


「もういいだろ、帰ろう」

「待って、あと少し。私こうやって、大好きな人と大好きな海を眺められるのが好きで……」

「部屋からでも見えるよ。さぁ……早いとこ戻ろう?」

「でも……」


 またいつでも来れるんだからと貴方は言ったけど、やっぱり次の機会は来なかった。結果論でもそうなのよ。でも結果が分かる前から私は何となく分かっていたの。きっと貴方と二人で海を見ることはもうないだろうって。もしその勘が外れていたって、私はあの場所に留まったわ。だって、あの瞬間のあの場所、そしてそこにいる貴方には、私はもう二度と巡りあえないんだもの。だからこうしてふと思い出してしまった折に、過ぎたはずのあのときのあの感情がとてつもなく強烈な色彩をもって私の意識を支配するんだわ。


「もし、これで会うのが最後だったらどうする? 私のお願い事を無視したことを後悔するんじゃない?」


 少し貴方を困らせたくなって、私はそんな意地悪を言った気がする。やっぱり何度意地悪を言われても耐性のつかない貴方は、泣きそうな顔になって「どうしてそんなことを言うの」なんて。でも本当は私の方が泣きたい気分だった。大体にして私の漠然とした勘は当たる。彼はいつかはいなくなってしまうだろうと、彼が熱心に口説いてきたときから私はそう思っていた。根拠のない勘ほどよく当たるもので、結果論が事実そうなのだ。その勘のために彼の気持ちを疑ってしまうことが多々あったけれど、あのときは私も子供で――今だって貴方を前にすればきっと子供に戻ってしまうのではないかしら――常に確証されている未来がなければ不安で仕方がなかった。


「もしかして、もう俺と会いたくないとか?」

「まさか! ちょっと意地悪を言ってみただけ。でも……」

「でも?」

「何て言ったらいいんだろう、いつかはね、きっと別々の道をいくような……そんな気がするっていうか」

「別々の道ってどういうこと」


 次第に低くなる貴方の声から、貴方がより深刻に事態を受け止めていることがわかった。でも私にはどうしようもなかったし、あのときの発言が間違っていたとは今だって思えない。過去をやり直せると言われたって、きっと私は貴方と付き合ったし、きっと私は貴方と別れたに決まってる。


「具体的にどうっていうのはわからないんだけどね、例えばあと何年か後に、るいが私と話をしている図が思い浮かばない」

「そのときには別れてるってこと?」

「まぁ……そんな感じかもしれない」


 家庭の事情でただでさえ別れや孤独に敏感だった貴方には、本当に酷なことを言ったと思う。だけど私はそれを貴方に言わずにおけないくらい半ば確信じみた勘、貴方が近い将来私の前からいなくなるという勘にひどく悩まされていたし、ただただその通りになるのを待つだけの度胸はなかった。

 梨花りかがそういうんならそうかもな、まるで吹っ切れたかのように貴方は語気を強めて、でもこれは貴方の可愛い癖だった。強がるときはいつもそう。貴方、私のことをわかりやすいってよく笑っていたけれど、貴方だって相当わかりやすかったんだから。そうして貴方はいつもの口癖を付け加えた。


「仕方ないよな。初恋は実らないっていうし」

「それ、いつも言うけど何なのよ?」

「そのままの意味だよ」


 今の今でも唯一謎なのはその言葉。貴方は事あるごとに「初恋は実らない」って嘆いていたけれど、一体どういう意味で使っていたのかしら。私は未だに初恋というのがよくわからないけれど、困ったときには俺に頼れって、そう言ってくれた貴方ももういない。人の数だけ恋があるのではないかと私は思うのよ。出会う時期がそんなに重要かしら。付き合う回数が何度目でも、その人と恋をするのが初めてなら、それを初恋と呼んではいけないのかなんて……そういうことを考えてしまう。あるいは……貴方にも未来がみえていたのかしら。

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