8、慟哭
未だに斬也くんと自衛隊の激しい攻防が続く町の中。佐紀は聞こえてくる銃声にびくつきながら、成治達とともに斬也くんを捜していた。
彼女達は斬也くんを捜して、龍霊に頼まれたポイントへ誘導し、そこでさらに時間稼ぎをしなければならない。
「怖い……」
「父さんも怖いよ。でも、大丈夫だ」
「そうよ。絶対に大丈夫……」
大丈夫とは言っているが、成治も木葉も、本当は怖くて仕方ない。だから大丈夫と必死に言い聞かせる事で、恐怖をねじ伏せようとしていた。
その時だった。何かが爆発する音と、ぎゃあああ!! と何人もの男性が叫ぶ声が聞こえて、それっきり何も聞こえなくなったのだ。
「……あっちから聞こえたね……」
佐紀は爆発音が聞こえた方を見て呟く。
「……行こう」
成治が先頭に立ち、率先して二人を導いた。
「ところで、シャサさん、ちゃんと着いてきてるでしょうね?」
木葉は声を潜めて、佐紀に尋ねる。シャサは作戦が始まる前、自分が裏切ったとギリギリまで斬也くんに知られないよう、姿と気配を隠して着いていく。危なくなったら助けると、そう言っていた。
「……たぶん……」
龍霊が逃げないように術をかけていたので、逃げる事はないと思うが、それでも姿が見えないというのは不安だ。
「父さん?」
佐紀は尋ねる。成治が突然立ち止まったのだ。
「……誰か来る」
言われて耳を澄ましてみれば、確かに、足音が聞こえる。
「そこにいるのは誰かな? まぁわかってるんだけど」
続いて、聞き覚えのある声が聞こえた。もう二度と聞きたくないと思っていた、あの少年の声が。
物陰から現れたそれを見て、三人は我が目を疑った。
自分達が捜していたのは、血まみれの日本刀を持った、赤い目をしているボロボロの男子高校生だったはずだ。
それなのに、三人の前に現れたのは、三メートル以上の身長に頭から四本の角を生やし、四枚の翼と二本の尻尾を持つ、真っ黒いゴツゴツした肌の悪魔だったのである。
手に血まみれの日本刀を持っていて、目が赤いので、間違いなく斬也くんなのだが、どうしてこんな人間離れした姿になってしまったのだろうか。最後に会った時は、確かに人間だったはずなのに。
「き、斬也くん!? 斬也くんなの!?」
「何なんだその姿は!? どうしてそんな姿に!?」
意味がわからず、佐紀と成治は斬也くんに訊く。
「ああ、これ? なんか目についた人間を手当たり次第に殺しまくってたら、いつの間にかこうなってたんだ」
理由は斬也くん本人にもわかっていなかった。その時、斬也くんを除く三人の頭の中に、シャサの声が響いた。
(そいつは悪魔の血を引いてるって言ったでしょ? 今そいつの心は、人間の心じゃなくなってる! その影響でそいつの身体も、人間じゃなくなったのよ!)
人ではない者の血を引く少年、藤宮桐也。彼は既に死亡し、霊魂となっている。霊魂の姿は、心の在り方次第でいくらでも変わる。一切の未練なく死ねば、綺麗な姿に。憎悪を抱いて死ねば、おぞましく禍々しい姿に。斬也くんも強い憎悪を抱く事で、あえて痛ましい姿となっている。
しかし、今回は極めて異質だ。悪魔の子供が多くの人間を殺し、血だけでなく心まで悪魔になった事で、姿も悪魔になってしまったのである。
「あ、悪魔……」
「悪魔?」
佐紀の呟きに、斬也くんは疑問符を浮かべた。佐紀はハッとする。
斬也くんが悪魔の子であるとシャサから聞かされたのを、斬也くんは知らない。佐紀達がその情報を知るには、シャサと接触するしかない。シャサが斬也くんを裏切った事を、今の呟きで悟られてしまったかと、佐紀は思った。
「……確かにその通りだ。今の僕のこの姿、悪魔としか言い様がない!」
斬也くんは笑った。見ている者全てが凍りつきそうな笑みを浮かべて、斬也くんは笑った。
「そうだ僕は悪魔だ!! 僕はこの世界を終わらせる悪魔なんだ!! 悪魔でいい!! そうなりたいと、心の底から願っていたんだ!! あの日から!!」
今、斬也くんの脳裏には、シャサと契約した運命の日の事が思い起こされていた。
――どうして……どうして僕は、死ななきゃいけなかったの?――
あの男に、試し切りと言われて刀で斬り殺された藤宮桐也は、暗闇の中にいた。
――どんなに苦しくても、どんなにつらくても、耐え続けていればいつか必ず幸せになれるって、信じていたのに……――
それは、いつか読んだ絵本の内容。その絵本の主人公は、いつか必ず幸せになれるからと、信じて待っていた。そして、幸せになった。
自分もそうなれると信じて、桐也は耐えていた。地獄の生活を、ただひたすらに耐え続けた。それなのに、桐也は報われる事なく死を迎えた。
――どうして? どうして、僕ばっかり……――
「可哀想な魂。頑張って頑張って、頑張り続けたのに、報われなかった可哀想な子」
闇の中で苦しみ続けていた時、桐也の頭の中に声が響いた。
――誰?――
気付いた時、桐也の前に、奇妙な姿をした女性が現れていた。
「私は悪魔。あなたの魂の嘆きが、私を呼んだ。あなたが死んだのは何で? 何でいじめられたのかな?」
――……僕の目が赤いから。目が赤いからって――
いつの間にか、桐也は悪魔と名乗った女性に、訊かれた事に答えていた。
「ああ~、やっぱりね。自分でも何で目が赤いかわかんないでしょ? それはね、あなたが悪魔の血を引いてるからよ」
――悪魔? 僕が?――
「そうよ。その様子だと、全然知らないみたいね。どう? あなた自分の事知りたくない? 知りたいでしょ? 教えてあげる。だからその代わりに、私の使い魔になりなさい」
――使い魔?――
「そう、使い魔。契約して、私の奴隷になるの。でも契約してくれたら、あなたの全てを教えてあげるわ。あなたの素性も、あなたの力の使い方も、全部教えてあげる。全部教えて、あなたにリベンジのチャンスをあげる」
――リ、ベンジ?――
「そうよ。あなたを殺した人に、あなたをいじめた人に、あなたを見捨てた全ての人に、復讐、したいでしょ? あなたが私の使い魔になったら、復讐をさせてあげるわ。もちろん邪魔なんてしないし、希望さえあれば、好きなシチュエーションだって用意してあげる」
――……――
桐也は黙った。悪魔の言う通りだ。桐也は自分を殺したあいつも、自分をいじめた人も、助けてくれずに見殺しにした人達も、全員が憎かった。
やめて欲しかった。助けて欲しかった。仲良くなりたかった。友達になりたかった。彼女も作りたかったし、結婚して子供も作りたかった。人並みの生活だけを、ただの平凡な人生だけを望んでいたのに、どうして、どうして自分だけがこんな目に遭うのか。どうして殺されなければならなかったのか、わからなかった。理解出来なかった。納得出来なかった。
許せなかった。
「あなたはとっても我慢強い子。でも、あなたはもう死んだの。死ぬまで我慢したの。だから、もういいんじゃない? 我慢をやめても。あなたはもう、自由なんだから」
――……そうだ。死ぬまで我慢したんだ。僕はもう死んだんだ。今の僕は、自由なんだ――
もう生前の生活に苦しめられる事はない。耐える必要はない。そう教えられた事が、引き金になった。
――そうだ。もう我慢しなくていいんだ。我慢しなくても、いいんだ――
「どうやら、今自分がどうなっているのか、やっと飲み込めたみたいね。さて、それじゃあ答えを聞きましょうか。契約するの? しないの?」
――するよ。もちろんする。僕が悪魔だっていうなら、なってやるよ。本物の悪魔に――
桐也の憎悪に火が点いた。もう止まらなかった。止めるつもりもなかった。悪魔はニヤリと笑って、桐也に言う。
「じゃあ契約しましょう。私はシャサ。あなたの名前は?」
――桐也。藤宮、桐也!――
こうして、悪魔と怨霊の契約は交わされた。
その後、桐也はシャサから自分の素性と力の使い方を教えられ、復讐を始めたのだ。
「そうだ。僕はもう、我慢しなくていい!! 頼まれたってするもんか!! だいたい、僕は死ぬまで我慢してやったんだ!! もうこれ以上我慢のしようがないんだよ!!」
我慢をしなくていい。あの契約の日から、斬也くんはこの言葉が大好きになった。どんなにいじめられ、痛め付けられても、ずっと我慢して、耐えて耐えて耐え続けてきたのだ。それをもうこれから一切しなくていいとなれば、これ以上嬉しい事はない。
今までずっと抑えてきた憎悪を解放出来るとなれば、これほど楽しい事はない。
「僕はずっと、お前らからされるがままになってきたんだ。今度は僕が……」
斬也くんは日本刀を振り上げ、
「好き勝手する番なんだぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
三人目掛けて振り下ろした。
(避けて!!)
また三人の頭の中に、シャサの声が響く。
一番最初に行動したのは、成治だった。素早く振り向き、飛び付きながら佐紀と木葉を突き飛ばす。
斬也くんの刀が、大きくアスファルトを抉った。何とか避けられたが、刀も斬也くんの変貌に合わせて大きくなっているので、かわすのも一苦労だ。シャサが指示してくれなければ、逃げ遅れていたかもしれない。
「走るぞ!」
シャサが逃げていなかった事に安堵しながら、成治は二人を立ち上がらせ、逃げた。
まずは第一段階。斬也くんの攻撃をかわしながら、龍霊が指定したポイントに逃げ、斬也くんを誘導する。
「何だまた逃げるのか。まぁいい。これが最後の鬼ごっこになるから、ゆっくり付き合ってやるよ」
宣言通り、ゆっくり歩いてついてくる斬也くん。ゆっくりといっても、今の斬也くんは巨大化している為、一歩が常人の数歩分だ。一見動作が緩慢に見えるが、佐紀達からすればかなり速い。
だが、斬也くんはちゃんとついてきている。龍霊の予想通りだ。相手は怨霊。憎い相手が目の前に現れれば、必ず追いかけてくる。
「遅い遅い。お前ら走るの遅くなったなぁ? 気を抜いているのか? 死ぬ気で走らなきゃ死んじゃうぞ! こんな風になぁ!!」
そう言いながら、斬也くんは刀を振って赤い光の刃を飛ばした。
しかし、目標は三人ではない。三人が逃げる先にあった、二十階建てのビルだ。光の刃は三人の真上を飛び、切り裂かれたビルが倒れてくる。
「危ない!!」
ビルが大きすぎて、走ってもとてもかわしきれない。無駄な抵抗だろうが、成治が二人の頭を両手で抱え、伏せさせた。
だが次の瞬間、斬也くんがまた刀を振った。今度は光の刃ではなく、拡散する光線を飛ばしたのである。倒れてきたビルは、その光線を受けて欠片も残さず、消滅した。
「はははは! 安心しなよ! 脅かしただけだ! お前らだけは、今みたいなやつで一発で終わらせたりなんてしない。そんなものじゃ、僕の気が治まらないからね」
今の一連の行動は、自分の力の誇示。自分がその気になれば、お前らなんか一発で消せるんだぞ。何しても絶対に助からないぞという、斬也くんの意思表示だ。
ビルを一撃で両断し、崩れたビルすら消し飛ばせるその力、まさに人外の領域だ。ここで三人は、斬也くんが殺した相手の力を吸収出来る能力を持っていた事を思い出す。これほどの力を得るのに、一体何人殺したのだろうか。
「……行こう!」
成治が再び二人を立たせる。怯えている場合ではない。一刻も早くこの悪魔を封印しなければ、被害が増える一方だ。
一撃では殺さないという約束さえ、いつまで守ってくれるかわからない。憎悪で頭が狂っている人間は、狂っているから考え方をコロコロ変える。今の内に、彼を封印の地へ誘い込まなければならないのだ。
「ちょっと早くなったな。その調子その調子」
再び逃げ出した三人を、斬也くんは悠々と追いかける。絶対的な立場から獲物を狙う、狩人の気分だ。
しかし、実は佐紀達こそが、斬也くんという獲物を狩りに来た、狩人である。この場合は狩りというよりも、駆除と言った方がいいが。
佐紀達は斬也くんを封印する為に、ひたすら走った。少しでも足を止めたら、あの悪魔に追いつかれ、斬り殺されてしまう。
(もう少しなの!! 私が元の生活に戻れるまで、あと少しなのよ!!)
佐紀は今までの日常を、ずっとつまらないと感じていた。
普通の女子高生として生き、普通に大人になって、普通に歳を取る。そんな当たり前の日常が、つまらないと思っていた。
だが、命を狙われ続ける非日常に叩き落とされた事で、そのつまらない日常がどれだけ大切なものだったのか、泣きたくなるほど理解した。
こんな思いをするくらいなら、つまらない日常の中を死ぬまで生き続けた方がずっとマシだ。戻りたい。あの普通の日常に、今すぐ戻りたい。斬也くんに狙われるようになってから、ずっと願っていた事だ。
その願いが、もうすぐ叶う。叶える為にも、絶対に死ぬわけにはいかない。
佐紀は、足がちぎれるのではないかと思えるほど早く動かしながら、それでもその速度を消して弛めはしなかった。