4、脅威
日本最大の宗教団体、照命宗が抱える寺院の一つ、慈厳寺。
あの住職は、この寺の霊能力者達なら、何とかしてくれると言っていた。
だが、本当だろうか。
もしまた住職のように、あっさり斬也くんに殺されたりしたら? そんな不安が、佐紀と成治の胸をよぎる。今回は奈美子も一緒なので、血生臭い死体など見せたくない。
「……行くぞ」
とはいえ、ここで突っ立っていたところでどうにもならないので、さっさと向かう。
三人が中に入ろうとした時、その前に五人ほど、照命宗の僧が出てきた。
僧達は厳しい顔をして数秒間沈黙した後、真ん中僧が穏やかな顔になって、三人に言った。
「除霊にこられたんですね」
「……はい。やっぱりわかるんですね、そういうの」
ああ、やっぱりか、といった感じで、成治が代表して答える。
「とても凶悪な怨念を感じたもので。最初は悪霊か怨霊が向かってきているのかと思いましたが、実際に目にして事態が理解出来ました」
佐紀と成治を見た時、とてもそんな怨念を持っているようには見えないと感じた。そして同時に、二人が怨念を抱いているのではなく、怨霊に憑かれているとわかったのだ。
「こちらへ。詳しい事情を伺います」
僧達は丸山一家を迎え入れる。
中に入って階段を登っていく一同。
やがて丸山一家は、注連縄が掛けられ、襖一面に大量の札が貼られた部屋に通された。
「こちらでお待ち下さい。決してここから出られませんように」
僧は言うと、丸山一家を中に入れてから襖を閉めた。
しばらくして、先程の僧達とは違う感じの僧が入ってきた。
「お待たせ致しました。当寺院の住職を務める、浄安と申します」
浄安と名乗った住職は、部屋の一番奥に行き、座った。
「早速ですが、一体どのような怨霊に憑かれたのですか? これほどまでに強大な怨念……何か心当たりがあるのでは?」
さすがに力のある霊能力者だ。成治が全てを話す。
「なるほど。最近巷を騒がせている、例の怨霊ですか。あなたに、反省の気持ちはあると?」
斬也くんは本当に強力な怨霊のようで、浄安もその名を知っていた。
次に浄安は、斬也くんに対する反省の念があるかどうかを成治に訊く。
「もちろんです。罰を受ける日が来れば、必ず受けようと思っていました。ですが、私には大切な家族がいる。二人の為にも、まだ死ぬわけにはいかないのです」
「この怨霊が持つ怨念は強すぎる。あなたがどれほど反省していようと、聞き入れはしないでしょう」
桐谷は深い怨念を抱いて息絶えた。怨霊に言葉など届かないし、説得は不可能と断定していい。
「しかし、己が犯した罪を悔いる者を、我々は見捨てません。必ず、あなた方をお救いすると約束しましょう」
成治が桐谷に対して過去に犯した罪は、決して許されない事だ。かといって、死なせるわけにはいかない。浄安は二人を必ず救ってみせると、約束した。
「ありがとうございます!!」
成治は頭を下げて、浄安に感謝した。
「ですが何度も言う通り、あなた方に取り憑いている怨霊は強すぎる。怨霊が刻み付けた印を完全に消し去るには、相応の時間がかかります。場合によっては、本山に移って頂く事も検討せねばなりません。それほどまでに危険な状態であるという事を、お忘れなく」
しかし、ここも完全な安全地帯ではなく、まだ危険な状態は続いていると、釘を刺された。
「わかりました。それで、私達はどうすればいいんですか?」
「この部屋で過ごして頂きます」
ここはこの寺院にいくつかある、除霊を行う為の部屋の一つなのだが、その中でも特に大掛かりな除霊を行う為の部屋らしい。襖に注連縄や大量の札があったのは、結界を張り、霊が弱体化する空間を作る為だ。
具体的にやる事は、この部屋で一回二時間の除霊を朝昼晩に一回ずつ、計三回行う。それを二人に憑いた怨念が消えるまで、毎日繰り返すのだ。
その間、なるべくこの部屋から出ずに過ごす。もしも出る場合は、必ずこの寺院の僧を二人、護衛として付ける。
「こんな所で、怨念が消えるまでずっと?」
「厳しい生活になりますが、我慢して頂くよりほかありません」
佐紀は少し嫌そうな顔をしたが、死ぬよりはましだ。彼らに従うしかない。
「それと、怨霊は恐らく今、他の標的を殺しに行っているはずです。ですが、自分の付けた目印が消えつつあると知れば、必ずここにやってくる」
「もし、そうなったら?」
不安そうな顔をする奈美子。浄安は数秒間沈黙した後、どうするか答えた。
「我々が迎撃します。しかし除霊が不可能な場合は、本山に移って頂きます。あなた方が本山に逃げるまでの時間は、我々が命懸けで稼ぎますので、ご安心を」
それはつまり、負けるかもしれないという意味だ。だが、照命宗の本山はここより遥かに除霊に適した場所であり、そこまで逃げる事が出来れば、いかに斬也くんといえど手出しは出来ないらしい。
「わかりました。では早速お願いします」
成治が頼み、浄安達は除霊の準備に取り掛かった。
一回目の除霊が終わり、夕方。
「あ、そうだ。私、木葉に電話しなきゃ」
もうそろそろ学校は終わっている頃だろうと思い、ケータイを取り出す佐紀。除霊を行う為の部屋ではあるが、電波は届くらしい。
木葉に電話した佐紀は、自分が今置かれている状況を説明した。
「ずいぶん本格的な除霊ね……まぁそれぐらいしなきゃいけない相手だって事なんだろうけど」
「木葉。何度も確認して悪いんだけど、本当に来るの?」
「何度確認されても答えは同じよ。絶対行く」
「でも、すごく危ないし……」
佐紀は心配だった。何せ、本当に危ないのだ。あの尋常ではない殺意と憎悪に触れて、このままでは殺されてしまうと思った。
生まれて初めて経験する、混じりけのない本物の殺意。木葉はあれを見ていないから、感じていないから、来ても大丈夫だと思っているのだろうと、佐紀は思った。
「どんなに危なくても、行くって言ったら行く。誰に何を言われても、絶対に答えは変えないから」
木葉の決意は硬かった。
「……まるで、本当に私の事心配してくれてるみたい」
「本当に心配してるから行くのよ。さ、そろそろ住所を教えて」
「わかった」
佐紀は木葉に住所を教え、正確な場所も教える。
「オッケー。着くのは明日になると思うけど、必ず行くから心配しないでね」
「学校はいいの?」
「いいのいいの。あんたの方がずっと大事。じゃあね」
木葉は電話を切った。
「……嬉しいな」
木葉を巻き込みたくない。でも、自分の事を親身になって心配してくれる木葉の存在が、とても嬉しかった。
「もうよろしいですか?」
「はい。お願いします」
佐紀は護衛についていてくれた僧と一緒に、除霊の部屋に戻った。
「いけません!」
事情を話した木葉は、母、里美から反対されていた。
「あたしの友達が、殺人鬼に狙われてるのよ!? 心配じゃないの!?」
幽霊に狙われていると話すわけにはいかないので、木葉は殺人鬼に狙われていると話したのだ。
「私だって心配よ? でもそれであなたまで狙われるようになったらと思うと……」
「だからって佐紀を見捨てろって言うの!?」
「そんな事言ってないわ! でも、あなたに何が出来るの!?」
言われて、木葉は黙った。相手は怨霊だ。何の力も持たない木葉が出来る事など、ないかもしれない。
「何も出来ないかもしれない。でも、佐紀は今でも不安で不安で仕方ないって思ってる。佐紀の為に、そばにいてあげる事は出来るわ。とにかく、母さんに反対されても、あたしは行くから!」
「待ちなさい」
里美の反対を押しきって行こうとする木葉を、父、相馬が呼び止めた。
「父さんまであたしを止める気?」
「ああそうだ。が、その前に聞いておきたい。佐紀ちゃんと成治さんを追っている殺人鬼の事だが、もしかしてそれは桐也という高校生じゃないか?」
相馬の口から桐也の名が飛び出してきた瞬間、木葉は目を見開いた。
「斬也くんの事を知ってるの!?」
「そうか……やっぱりな……」
暗い顔をする相馬。
木葉達は昔から佐紀達一家と交流があり、相馬もよく成治と会社帰りに居酒屋に行っている。
時々その席で、成治が酔いに任せて桐也の事を話してくれるのだ。
自分があの時、彼を見捨てた事を後悔していた事。彼が殺されたのをきっかけに、教師としての自信を失った事。いろいろだ。
「最近は、桐也関連で妙な事件が起こっている。それは自分のせいだと、よく話してくれるんだよ。それから、こうも言ってくれる。もし同じ場面に遭遇したら、後悔しない選択をして欲しいって」
成治は見捨てるか助けるか。この二つの選択を迫られ、見捨てる方を選び、一生消えない後悔を背負う事になってしまった。相馬には、そんな思いをして欲しくないと、よく語っていたのだ。
「私は助けるべきだと思う。だから、父さんも一緒に行くよ」
「父さん……!」
一人では行かせない。自分も行く。後悔しない為に。そして、友人を救う為に。
「それなら、私も行くわ。心の支えくらいには、なってあげられると思うから」
二人が行くなら自分も行く。里美もまた、同行を申し出た。
「父さん、母さん、ありがとう!」
木葉は二人に礼を言った。
「……どこかに潜り込んだな」
斬也くんは呟いた。
昼間、佐紀に刻み付けた印が少し薄くなり、今、どんどん消えていっているのを感じたのだ。十中八九、あの時よりも強力な霊能者がいる施設に入り、除霊を受けているのだろう。
「まぁいい。もう少し泳がせてやる」
自分がつけた印が簡単に消えるはずがない。このペースだと完全に消えるまでは、明日の夜までかかる。それまでは、佐紀達を生かしておく事にした。
消える寸前になったら佐紀達の前に現れ、もう一度印を刻み付ける。そうすれば、助かると思った希望が断ち切られ、佐紀達は絶望のどん底に落ちるだろう。その方が、すぐ殺すより面白い。
「それより今は、あいつを殺しに行こう」
楽しみは後に取っておくとして、今は他の標的である。斬也くんは今までと同じように、顔見せした相手の所へ向かった。
「兄ちゃん、本当に大丈夫だよな?」
そう言ったのは、兵藤幹孝という男。
彼は先日斬也くんに遭遇し、以来命を狙われている。彼もまた、学生時代に桐也を見捨てた人間の一人だ。
「任せろ。兄ちゃんが何とかしてやる」
そう言ったのは、幹孝の兄、勤である。
彼は幹孝より二つ歳上で、剣道の腕が四段だ。斬也くんに殺されそうになっているという弟を助ける為、今は戦いやすいよう、家の道場に二人でいる。
少しして、異変は起きた。
道場の入り口の引き戸が、突然開いたのである。二人は見てみたが、外には誰もいない。
引き戸の為、風で開いたという事はあり得ない。どう考えても、姿が見えない第三者に開けられたようにしか見えなかった。
そして、入り口の内側の風景が、陽炎のように揺らいだかと思うと、斬也くんが現れたのだ。
「き、来た!!」
幹孝は悲鳴を上げて腰を抜かす。
「驚いたな……本当に幽霊なんてものが実在していたとは……」
勤は幹孝の話を内心疑っていたのだが、斬也くんが実際に現れた事で、冷や汗を流している。
「今回はちょっと演出を工夫してみたよ。どう? 怖かった? まぁ、本当に怖いのはここからなんだけどね」
無邪気な少年のように笑う斬也くん。だが現在の風貌と合わせて見れば、それは狂人が笑っているようにしか見えなかった。
「お久しぶりだね、お兄さん。弟さんを守ろうとしてるのかな? でもさ、正直言って邪魔だから。さっさと消えてくれる? そうすれば、お兄さんだけは助けてあげるよ」
「それは出来ない。かけがえのない弟を、お前に殺させるわけにはいかないんだ」
そう言って、勤は左手に持っている物を見せる。
「これが何かわかるか? 正真正銘の日本刀だ」
「兄ちゃんはお前を返り討ちにする為になぁ、親父に内緒でそいつを納屋から引っ張り出してくれたんだよ!! それに兄ちゃんは剣道四段だ!! お前なんか相手じゃねぇんだよ!!」
早口で捲し立てる幹孝。兄が本物の武器を持って出てきてくれた事で、幹孝は助かると確信している。
だが、斬也くんはニヤリと、不気味に笑っただけで、全く怯んでいなかった。
「へぇ、八年も経ってまだ四段なんだ?」
「!!」
斬也くんの指摘に、勤は顔色を変えた。
いじめられっ子の特徴と言うべきか、斬也くんは周りの人間の家庭事情を全て知っていた。
まだ生きていた頃、軽い挨拶程度だが、斬也くんは二人と顔を合わせた事があったのだ。そして少しだけ調べ、勤は驚異的な速度で剣道四段までたどり着いた、天才と呼ばれている事を知ったのである。
しかし、そこまでたどり着いてから、勤はこの八年間、全く進歩していない。
どれほどの努力と時間を重ねても、四段以上になれないのだ。
「どうやら、そこまでがあなたの成長の限界だったみたいだ。いくら努力しても成長出来ない。進歩出来ない。それで弟を守るっていう名目で、本当の刀で八つ当たりか。まぁ幽霊が相手なら罪にならないし」
「黙れぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!」
激怒した勤は、刀を抜き放ち、鞘を投げ捨てる。
「あははっ! 怒ってる怒ってる! 図星を突かれて怒ってるよ!」
「うるせぇんだよこの死に損ないが!! 亡霊がいつまでも、この世にしがみついてるんじゃねぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」
なおも煽り続ける斬也くんに、怒りが収まらない勤は、目にも止まらぬ速度で接近し、日本刀を振り抜いた。
その一撃は正確に斬也くんの顔面を捉え、顔は上顎と下顎に別れて吹き飛ぶ。
ぼん、ぼん、と音を立てて床に転がり落ちる、斬也くんの顔の上半分。
「どうだ!! これが俺の腕だ!!」
倒した。そう思って勝ち誇る勤。四段とはいえ、普通の人間では太刀打ち出来ないくらい強いのだ。
相手が普通の人間なら。
直立不動の斬也くんの身体が、くるりと踵を返した。頭を斬り飛ばされ、動くはずのない斬也くんの身体が、動いたのだ。
斬也くんは何の淀みもなく、すたすたと歩いていく。まるで頭など斬り飛ばされていない、とでも言うかのように。
やがて、落ちている自分の頭の前にたどり着いた斬也くんは、それを掴んで自分の下半分に乗せた。ぽんぽんと軽く頭を叩いてから、こちらを振り向く。
「言ってる事が支離滅裂だよ。ちょっと落ち着きなって」
斬り飛ばされた頭は元通りくっついており、斬也くんは何事もなかったかのように話した。
「そ、そんな、どうして……!!」
「だから落ち着いてよく考えなよ。僕は幽霊だ。幽霊に物理攻撃なんか効くわけないだろ?」
勤は激しく動揺していたが、斬也くんからすれば当然の結果だった。斬也くんは幽霊なのだから、刀など効くわけがない。
「今のは演出。僕に勝てるって、そう思わせる為のね。さて、じゃあ次は、こっちの番だ」
「う、うおおおおおおおおおお!!」
斬也くんが身構えた瞬間、駆け出す勤。効くはずのない攻撃で、それでもどうにかしようというのだ。
今度は胴を斬りつける。だが斬りつけた刀は、斬也くんを両断出来ず、すり抜けてしまう。
「僕の番だって言ってるのに……ちょっと都合の悪い事が起こっただけで、すぐ動揺する。そんなだからいつまで経っても成長出来ないんだよ」
「黙れ!! 黙れ!!」
「僕なんか殺されるまで耐えたんだよ。忍耐力なさすぎ」
「うるさい!! うるさい!! うるさい!! うるさい!!」
斬也くんに煽られながら、がむしゃらに攻撃する勤。
腕に放った斬撃が、足に放った斬撃が、顔に放った斬撃が、心臓に放った斬撃が、すり抜ける。刀を狙っても、やはりすり抜ける。勤がやっている事は、全て無駄だった。
そんな無駄な足掻きをいつまでも続ける勤を、いい加減鬱陶しいと思った斬也くんは、そろそろ終わらせようと思った。
「あ、そうそう。逃げればあんただけ助けるって言ったけどさ――」
次の瞬間、斬也くんの刀が真っ赤な光を放ち、
「あれウソだから」
斬也くんは刀を振り抜いた。勤の刀もろとも、勤の顔面を両断する。先程自分がやられたのと同じ事をした。
顔の上半分を失った勤は、仰向けに倒れる。
「に、兄ちゃん……!!」
幹孝は、茫然と声を出した。
斬也くんは、飛んでいった勤の顔面の上半分を掴んで持ってくると、それを下半分に合わせた。
「……うん! 死んでるね!」
満面の笑みを浮かべて幹孝に言う斬也くん。当然だ。彼と違って人間が顔面を両断されれば、生きてはいられない。
「ほら! 死んじゃってるよ! ほら! 君の大事なお兄さん死んじゃったよ! ほらほらっ! あははっ!」
笑いながら、自分の刀を何度も勤の死体に突き刺す斬也くん。幹孝はその光景があまりにも恐ろしくて、ただ震えていた。
「さて問題です。次に僕は何をするでしょう?」
斬也くんにそう質問されて、幹孝はようやく我に返った。
そもそも彼は何をしにここに来た? 勤を殺す為では、ない。邪魔だったから始末しただけだ。
そう。斬也くんは自分の邪魔をしてくる存在を、殺した。
なら次は?
次は、自分の番だ。
斬也くんは自分を殺す為に、ここに来たのだから。
「う、うわあああああああああああああああ!!!」
逃げなければ殺される。そう思って幹孝は立ち上がり、斬也くんから逃げる。
斬也は左手を幹孝に向け、力を込める。
その左手から衝撃波が飛び出し、幹孝とその先にあった壁を吹き飛ばした。
「あ、あぐ……」
両手足が奇妙な形に折れ曲がり、半死半生となっている幹孝に悠々と追い付き、
「残念」
斬也くんは日本刀で頭から両断した。
「あの坊主どもから奪った力、意外と役に立つな……」
目的を果たした斬也くんは、次の標的を殺す為、姿を消した。