3、逃走
家を出発してすぐの事だった。
「……木葉からだ」
急いでいたからか、佐紀のケータイにいつの間にか木葉からの着信が来ている事に気付かなかった。
(今の時間は確か授業やってるはずだから、もうしばらくしてからかけ直そう)
下手にかけ直して授業中の木葉を困らせてはまずい。なので、とりあえずこのまま放置して、電話をかけても大丈夫な時間になってからかけ直す事にした。
「お友達から?」
奈美子が訊いてきた。
「うん。木葉から」
「木葉ちゃんが……」
ふと、佐紀は思う。よくよく考えたら、斬也くんの存在を知ったのは、昨日木葉から聞いたからだ。斬也くんの話を聞くと、聞いた人の前に斬也くんがやってくる。
だが、木葉の話は関係ないと、思い直した。あの時だって斬也くんは別の人間を追いつめていて、偶然出くわしただけだ。
だから、木葉は関係ない。木葉を恨むのはやめようと、佐紀は思った。
それより、今自分を襲っている問題だ。住職は、確かな力を持つ教団を紹介してくれたようだが、本当にそれで何とかなるかどうかは、まだわからない。
「……絶対に生きて帰ってやるんだから」
だがそれでも、斬也くんの怨念から逃れてみせる。生きて帰って、木葉と一緒に卒業するのだと、佐紀は心に誓った。
「またか……」
佐紀達が訪れた寺。
付近の住民から通報を受けた岡村と神内は、妙な胸騒ぎを覚えてここに来た。
その胸騒ぎは見事に的中し、寺では三つの死体が発見されたのだ。
「この三人には、例の高校との繋がりはありません。それなのにどうして……」
「いや、無関係と決めつけるのは、まだ早いぞ」
「えっ?」
「この事件の被害者は、あの高校の関係者だけだ」
関係者なら、斬也くんの噂については知っているはずである。怨霊の仕業だと思った関係者が、ここにお祓いを受けに来たのだとしても不思議はない。
「それで除霊に失敗して、逆に殺されたと? その割りには、除霊に来た当人の遺体がないのはおかしいですよね?」
「逃げられたのかもしれない。とにかく、最後にここを出入りした人間が誰か、探ってみよう」
「は」
それから一時間ほどかけて聞き込みをし、二人は情報を集めた。
「丸山佐紀と丸山成治ねぇ……」
その結果、佐紀達が最後に寺に入ったのを見たという人間を発見した。
「ですが、あんな遺体を作れるような凶器を持っているようには見えなかったそうですね」
いずれも真っ二つになっている死体だ。そんな死体を作るには、日本刀のような大きな刃物が必要になる。そんな凶器は隠しておけないから、持ち歩くしかない。持ち歩けば絶対に目立つ。
だが聞いた情報では、二人は完全に丸腰で、日本刀などを持っているようには見えなかったそうだ。無論寺の中からも、あの死体を作れそうな凶器は見つからなかった。
「この二人は犯人じゃなさそうだな。こりゃますます、怨霊が犯人って線が強まってきたぞ」
「や、やめて下さいよ警部。俺、この手の話苦手なんですから。本当は今だって外して欲しいって思ってるのに……」
神内は怪奇現象やら都市伝説やら、そういうオカルト系の話を苦手としている。
本当なら今回の事件に関わりたくなどなかったが、もういい大人なのだし、怖いからという理由で現場から外れるわけにもいかない。
二人が調査を続けていた時だった。
「あっ、ちょっと! 立ち入り禁止ですよ!」
鑑識の声が聞こえた。
見ると、岡村と神内の二人に向かって、一人の男性が駆け寄ってきていた。
「あんたがここで一番偉い人!?」
「ん? ああ、そうだが――」
「助けて下さい!! 俺このままじゃ、桐也に殺される!!」
男性は岡村にすがりつき、助けを求める。
「……詳しい話を聞こうか」
二時間ほど車を走らせ、丸山一家はパーキングエリアで休憩していた。
「あ」
と、佐紀のケータイに木葉から電話がかかってくる。こちらがかけ直すより、向こうから再度電話する方が早かったようだ。
「もしもし」
「よかった、繋がった! あんた大丈夫!?」
佐紀が電話に出ると、スピーカーの向こうからやけに慌てた様子の木葉の声が返ってきた。
「うん。風邪ならかなり落ち着いて……」
「ウソね。あんたウソついてる。ホントは風邪なんかが原因で休んでるんじゃないんでしょ? 全部あたしに話して。切っても無駄よ。ちゃんと話すまで、何度でもかけるから」
佐紀は悩んだ。昔から木葉は、やけに勘が鋭い。隠したところで、必ずわかってしまう。
本当は巻き込みたくなどなかったが、真実をきちんと話すまで彼女は納得してくれないだろう。
仕方ないので佐紀は、昨日斬也くんに遭遇した事。父が昔桐也が通っていた高校の教師で、彼を見捨ててしまった事。今自分は父共々、斬也くんに命を狙われているという事。除霊に失敗して、ちゃんと除霊してもらえる場所に向かっているという事を、包み隠さず全て話した。
「そんな……あたしのせいだわ! あたしが斬也くんの話をしたせいで……」
「違う! 木葉がしてくれた話は、全然関係ないよ。全部、偶然」
木葉は自分を責めた。だが、それは佐紀に否定される。今起こっている出来事は、偶然が重なっただけだと。
「でも、変な巡り合わせだよね。自分に関係ないって思ってた話が、実はすごく関係ある事だったなんて」
実際に斬也くんを見るまでは、タチの悪い噂だと思っていた。だが、そうではなかったのだ。
「大丈夫だよ。絶対にお祓いを成功させて、帰ってくるから。あんなのに殺されるなんてごめんだし」
「……あたしも行くわ」
「えっ?」
「あたしも行くって言ったの! 例の教団の住所、あたしにも教えて!」
「ちょっ、私の話聞いてなかった!?」
佐紀は驚く。木葉も来るつもりだ。
斬也くんの噂は真実であり、下手を打てば木葉まで殺されかねない。
「しっかり聞いてたわよ。でもね、あたしは親友を見捨てるような、薄情な人間じゃないの」
「木葉……」
「あっ、やばっ……ごめん、またあとでかけ直すわ! 住所はその時に教えて!」
スピーカーの向こうからチャイムが聞こえて、木葉は電話を切った。
巻き込みたくなんかない。でも、佐紀は嬉しかった。ここまで自分に対して、親身になってくれる木葉の存在が。
「佐紀。そろそろ出発するぞ」
「あ、うん」
そこへ成治が佐紀を呼びに来て、佐紀は車に乗り、再び出発した。
車に揺られながら、佐紀は思った。
(木葉みたいな、自分の命を捨ててでも味方になってくれる人がいてくれたら、桐也くんは斬也くんにならなくて済んだんじゃないかな……)
そう思うと、斬也くんの事が不憫でならない。彼には本当に、誰も味方がいなかったのだ。もし一人でも彼を助けてくれる人間がいたなら、怨霊などにはならなかっただろう。
だが、桐也は怨霊になってしまったのだ。とにかく今は、対処を考えなくてはならない。
佐紀達は目的の場所へと急いだ。
一人の女性が、息を切らせて走っていた。
逃げなければ。とにかく、人の多い所へ。
「昼間なら幽霊は出ないって思ったのかな? 残念ながら、僕に限っては時間帯なんて関係ないよ」
もう少しで人通りの多い所に出られる。そう思っていた時、目の前に斬也くんが瞬間移動で現れた。
「ダメじゃないか、他の人を巻き込んだりしちゃ」
「お願い許して!! 私だって怖かったの!!」
この女性もまた、八年前に桐也を見捨てた人間の一人だ。
腰を抜かして座り込む。
「じゃあ僕が死んでもよかったの? 他人が死んでも構わなかったってわけなんだね?」
「そ、そんなつもりじゃ……」
「つもりだったじゃないか。現に僕は死んでる」
あの男が全てを牛耳っていた。逆らえば、今度は自分がいじめられる。それが怖くて、桐也を助けられなかった。助けたかったが助けられなかったと、女性は懸命に許しを乞う。
「助けるつもりがあったって、助けられなかったら意味なんてないよ。結果がなかったら思ってなかったのと同じだ」
しかし斬也くんは、女性を許さない。
「その点僕は違う。殺すと決めたら必ず殺す。あの時顔見せだけに留めたのは、僕の事を思い出してもらう為と、苦しんでもらう為だ。見逃したんじゃない」
斬也くんは二日前に、彼女の前に現れている。だが、現れただけで何もしなかった。
しかしそれは、彼女を許したわけではなく、己の存在を思い出させ、苦しませる為だったのだ。
「ごめんなさい……許して……!!」
「ヤダよ。本当はすぐ殺したかったのに、二日も待ってやったんだ。じたばたせずに死を受け入れろ」
女性は涙を流して謝るが、それでも斬也くんは許さない。その程度の事で、彼の中の怨念は消えない。
「そもそも、死なない命なんかないんだ。どうせ死ぬなら僕の中の……怨念っていうの? それを晴らす役に立って死ねっていうんだよ。それが――」
言いながら斬也くんは、日本刀を振り上げ、
「お前みたいな自分の事しか考えない人間にはお似合いの末路だ」
愉悦に歪んだ笑みを見せながら、振り下ろした。
真っ二つだ。即死だ。女性は断末魔を上げながら、斬也くんの手で殺された。
「いいなぁ、すっごく気分がいいよ」
憎い相手が、死の直前に上げる絶叫。その衝撃が、斬也くんの中を駆け巡る。最高に、気持ちが良かった。
「でも、まだ僕の怨念は消えないよ。もっともっとたくさんの断末魔が聞きたい」
しかし、斬也くんの怨念を完全に晴らすには至らなかった。それどころか、さらなる断末魔を、死を望んでいる。
「次は誰を殺そうかな?」
斬也くんの姿が消える。次の標的を殺しに行ったのだ。
それは斬也くんが既に姿を見せた相手か、まだ見せていない相手かは定かではない。
しかし、次に彼が赴いた先では必ず誰かが死ぬ。
彼の怨念を消し去る事が出来る者は、いないのだから。
少なくとも今は。
「着いたぞ」
隣のさらに隣の町へ行き、町の中を走り回ってようやく見つけた。
そこにあったのは、巨大な寺院。
日本最大の宗教団体、照命宗の寺院である。