2、怨念
とあるT字路。
そこには脳天から鋭利な刃物で両断され、真っ二つとなって絶命している男性の遺体があった。
今は付近の住民から通報を受けた警察が訪れ、遺体の調査が行われている。
「杉本祐太郎二十五歳。例の高校の出身です」
現場担当の警部、岡村長介の元へ、神内良太警部補が情報を届ける。
「やっぱりか。ここ最近似たような遺体がよく見つかるから、もしかしてとは思ったが……」
「もうこれで二百人目ですよ。あまりに多すぎます」
この二年、真っ二つにされたり、首を斬り落とされたり、細切れにされたり、そんな死体が多く見つかっている。
状況から見て、使用された凶器は鋭利な刃物。それも日本刀と本部では推測されていた。
「あの噂、本当なんですかね?」
「……斬也くん、か……」
死体が発見されるようになってから、巷で囁かれている都市伝説、斬也くんの噂。
信用するに値しない、バカが考えた眉唾物の与太話。岡村は最初、そう思っていた。
だが被害者が全員、件の藤宮桐也が通っていた高校の関係者である事を考えると、その与太話が段々と信憑性を帯びてきたのだ。
「藤宮桐也の両親がやった可能性は?」
「ないな。刑務所で最初の遺体が発見されたのと同時期に、親戚に至るまで全員殺されている。日本刀でな」
「となると、まさか本当に、藤宮桐也の怨霊が……」
「そんなもんないとは思ってたが、こんなのを度々見せられるとな……両親や親戚以外でこんな事をやるとしたら、本人だけだろう。友達や親しい人間は、誰もいなかったって聞いてる」
岡村の話が本当なら、桐也には友人が一人もおらず、家族にすら疎まれていたという事になる。味方が誰もいない。周りには敵だらけ。一体、どんな気持ちだったろうか。
「……それにしても、ちょっと被害者の数が多すぎませんか? まるで、学校の生徒や教師を全員殺そうとしているかのような……」
「そのつもりでいるんだろう。全校集会の時、例のいじめグループに壇上に引きずり出されて、リンチにされた事があるらしい。親に何かされるのを怖がって、生徒も教師も誰も止められなかったそうだからな」
公開処刑にされ、見殺しにされた。つまり、生徒と教師全員が、桐也から恨みを買う事はしているのである。
「ひどいですね、それ。警察には通報しなかったんですか?」
「例の政治家は、総理大臣に一番近いところにいたらしくてな、警察にも圧力を掛けられるんだと」
それを聞いて、良太は絶句した。桐也には、警察さえも味方出来なかったのだ。
「可哀想にな……普通なら自殺してる状況だろうに、それでも懸命に生き抜いて、最後はいじめ殺されたんだ。浮かばれないわな、そりゃ。怨霊にもなるって。俺なら、化けて出てやるね」
岡村は舌を出しながら、幽霊の真似をした。
「とは言うものの、さすがに怨霊の仕業ですなんて報告を上にするわけにはいかねぇ。情報を集めながら、次に狙われそうな人間に目星をつけて、警護してやってくれ」
「は!」
良太は礼をすると、現場検証に戻った。
住職はかなり取り乱していたが、しばらくしてこの寺の巫女が二人現れ、住職を落ち着かせた後、佐紀達を寺の中に通した。
「先程は失礼しました。ですが、あなた方の目的はわかります。除霊の依頼に来られたのでしょう?」
住職はかなり落ち着いていたが、沈痛な面持ちをしている。両脇の巫女も、緊張した様子で佐紀と成治を見ていた。
「同じ事を言うようで申し訳ありませんが、あなた方に取り憑いている怨霊は強すぎる。私どもの力ではとても祓えません」
「そんな……何とかして下さい!」
住職にすがり付いて頼み込む佐紀。成治は尋ねた。
「桐也くんは、私の娘にも取り憑いているのですか?」
「ええ。娘さん、怨霊と接触しましたね? その時に、とても念入りに印を付けられているのです。放っておけば、この子も取り殺されてしまうでしょう。ですが深く刻まれすぎていて、私どもでは取り除く事は……」
やはり、佐紀も斬也くんに取り憑かれていた。正確には、相手の居場所を常に把握しておく為の目印である。命の危険がある事に変わりはないが。
「私は、ある教団と交流があります。とても強い、霊能力者達の教団です。連絡先をお教えしますので、彼らを頼ってみて下さい」
住職は紙とペンを取ってくると、その教団の住所と電話番号を記入し、成治に渡した。
「あと意味はないかもしれませんが、こちらでも応急措置程度の事はしておきましょう。気休めには、なると思いますから」
そう言うと、住職は巫女に命じて、数珠と札を二つずつ取ってこさせ、佐紀と成治に渡す。
「万が一の時は、これらが身代わりになってくれます。もっともこれらで出来るのは、僅かな時間稼ぎ程度ですので、すぐに逃げて下さい。では、始めましょう」
住職と巫女二人は、佐紀と成治を仏壇の前に座らせ、経を唱え始める。
お祓いが、始まった。
佐紀と成治は合掌し、頭を下げている。
一体どれだけの時間、そうしていただろうか。
一分かもしれないし、十分かもしれないし、一時間座りっぱなしだったかもしれない。
(お願いします!! 私とお父さんを助けて下さい!!)
だが佐紀は必死に祈り続けていたので、時間の経過も、足の痺れも、全く気にならなかった。
(お願いしますお願いしますお願いしますお願いしますお願いしますお願いします……!!)
ひたすら祈り続ける佐紀。
祈りに夢中になりすぎていたせいで、佐紀も成治も気付くのが遅れた。
住職と巫女達が、経を唱えるのを、やめているのだ。
二人が顔を上げて見てみると、心なしか、三人が震えているように見えた。
次の瞬間、三人は、バッ!! と、こちらを振り向いた。
いや、見ているのは佐紀と成治ではない。その後ろだ。二人の後ろを見ながら、三人は顔を真っ青にして震えている。
一体どうしたのか。自分達の後ろに、何がいるのか。二人は恐怖しながら、振り向いてみる。
そこにいたのは、ボロボロの学ランを身に纏い、血で赤黒く染まった日本刀を持つ少年だった。
その少年を見たとたんに、成治の恐怖が爆発した。
「うわあああああああああああ!!!」
成人男性なのに、情けない悲鳴を上げて腰を抜かす成治。だが佐紀は、そんな父を責める気にはなれなかった。
「斬也くん……!!」
昨日の夜見たあの怨霊が、まるであの出来事は夢ではないと告げるかのように、そこにいたのだ。斬也くんは赤く染まっている目で五人を見つめ、血とアザだらけの口で、顔で、不敵に笑っている。
住職達が再び経を唱え始めた。一刻も早くこの怨霊を退散させようと、必死に声を張り上げ、経を唱えている。
それに対して斬也くんは、不敵な笑みをより一層深め、そんなもの、何の意味もないとでも言うかのように、日本刀を引きずりながら、ゆっくりと歩いてきた。
「かぁぁぁーーつ!!!」
住職は片手を斬也くんに向けて一喝する。
斬也くんは一瞬揺らいで立ち止まったが、また歩き始めた。
「喝!! 喝!! かぁぁぁーーつ!!!」
住職は何度も唱えるが、少し身体を揺らす事が出来るだけで、もう歩みを妨害する事は出来ない。
それでも諦めない住職。
「か――」
「うるさい」
斬也くんは日本刀を振り上げた。
鬱陶しい虫を払うかのようなその動作で、住職は左腰から右肩へと真っ二つにされ、息絶えた。
「「住職!!」」
「お前らもだ」
斬也くんは次に右の巫女の前に瞬間移動すると脳天から真っ二つにし、最後に左の巫女の前に瞬間移動して胴体を輪切りにした。
瞬殺だった。住職も巫女も、斬也くんに一瞬で殺されてしまった。
「お前にああ言っておけば、こういう行動に出ると思ってたよ」
それから、佐紀に向かって言う。
斬也くんは、二人がお祓いに来る事がわかっていたのだ。
「お前達が来たところを狙って、あいつらを殺す。苦しみと絶望が深まっただろ? 少しはわかったか? 助けて欲しかったのに助けてもらえなかった人間の気持ちが」
それは、二人により深い苦痛と絶望を与える為だった。
「でも、僕が味わった苦しみと絶望は、こんな生ぬるいものじゃなかったよ。何せ、僕は殺されたんだからさ」
「き、桐也くん……!!」
成治は震えている。目の前に、あの桐也がいるのだ。あの桐也が、八年前と寸分違わぬ姿で、ここにいる。ボロボロになっているのを除けば、だが。
「ほら、逃げろよ」
ニヤニヤと笑いながら、斬也くんは二人に、なぜか逃げるよう言った。
「どこに逃げても無駄だよ? もう目印がつけてあるから。でも逃げたら逃げた分、苦しむ時間が増える。僕はお前らに、苦しんで欲しいんだ」
確かにその通りだ。絶対に逃げられない相手から逃げたところで、苦しむだけである。
だが、今はまだ殺されるわけにはいかなかった。
成治は勇気を奮い起こし、佐紀の手を掴んで立ち上がり、駆け出した。
「そうだ。逃げろ逃げろ。僕はお前らを、どこまでも追いつめてやる。そしてたっぷり苦しんだら――」
斬也くんはそれを追いかけず、二人の姿が見えなくなってから、
「殺してやるよ」
愉悦に微笑んだ。
ほうほうの体で、二人は家にたどり着いた。
「あなた! 佐紀ちゃん! どうだった!?」
迎えた奈美子が、早速結果を尋ねてくる。
「駄目だった。それどころか、住職さん達まで殺されて……」
「……そう……」
佐紀から結果を聞いた奈美子は、残念そうにしていた。
「……これからどうするの?」
「住職さんから、駄目だった時の為に、とても強い教団の連絡先を紹介してもらった。今からそこに行こうと思う」
「よかった……じゃあすぐに行きましょう!」
三人は早速、準備を始める。
住所から場所を突き止め、ルートを割り出し、それから急いで車に乗り込んだ。
学校。
「先生。あの、佐紀はどうしたんですか?」
隣の席に座っていない佐紀の事が心配になった木葉は、先生になぜいないのか理由を尋ねる。
「ああ。何でも、突然風邪を引いたらしい」
「風邪……?」
木葉は妙に思った。昨日見た時は元気そのもので、具合を悪くしているようには見えなかったからだ。
(どうしたんだろう? あとで電話してみようかな……)
普通ではない。何か嫌な予感がした木葉は、休憩時間になったらケータイで電話してみようと思った。