1、接触
あなたは誰かがいじめられていた時、自分の全てを捨ててでも守る事が出来ますか?それとも関係のない他人だと、見捨ててしまいますか?
「ねぇねぇ。斬也くんの噂って、知ってる?」
丸山佐紀は、友人御子柴木葉から、そんな話を持ち掛けられた。
「……なに? また都市伝説か何か?」
「そうそう!」
木葉は昔から、怪談や都市伝説といった類いの話が好きで、よく佐紀には話してくる。佐紀はこの手の話が苦手なので、正直やめて欲しいと思っているが。
「……いいよ。どんな話?」
言ったところで聞きはしない。こういう時は適当に喋らせて、飽きるのを待つ。これに限る。
「そうこなくちゃ!」
木葉は喜び、都市伝説を語り出した。
話題に挙がっている斬也くんという少年だが、本名は藤宮桐也というらしい。
彼は生まれつき、両目の瞳が血のように赤かったのだそうだ。それが原因で、幼少期から度々いじめを受けていたらしい。
そのいじめが本格化したのは、高校生になってから。常日頃から他者をいじめて遊んでいた不良グループに、運悪く目を付けられてしまったのだ。
いじめは日を追う毎にエスカレートしていき、最終的に桐也は殺されてしまった。
「殺された?」
「誰も来ないような廃屋に連れていかれて、いじめグループのリーダーが自分の家にあった日本刀で斬り殺したんだって」
「ひどい……どうしてそんな事したの?」
「何でもそのリーダーってさ、親が政府の上役で、悪い事しても揉み消してもらってたんだって。それで、人殺しをしても揉み消してもらえるか、試してみたくなったらしいよ」
なんとも、理由がふざけている。ふざけすぎている。
当然殺人を揉み消してもらえるはずなどなく、リーダーは逮捕され、刑務所にぶち込まれたそうだ。限界まで親が働きかけ、懲役五年まで刑罰を減らしてもらったそうだが。
「話はここからよ。殺人が起きてから五年。遂に釈放されるって時に、事件が起こったの」
その日はたまたま、警察が押収された凶器を整理する日だったらしい。
だが、一つだけ凶器が消えていたそうなのだ。
いじめグループのリーダーが桐也を殺す時に使った、あの日本刀である。
そして、リーダーの死体が発見された。
死体はまるで鋭利な刃物で斬られたかのような傷が出来ており、リーダーの顔も恐怖に歪んで、この世のものとは思えない表情をしていたという。
「牢屋に設置してあった監視カメラに、リーダーを斬り殺す一人の人間が撮影されてたんだって。それは間違いなく、リーダーに殺された藤宮桐也だったんだってさ!」
それから間もなく、日本各地で刀に斬られたような死体が発見された。殺されたのは、桐也をいじめていた不良グループのメンバーだったという。
「藤宮桐也は、怨霊になって蘇ったの。でも、まだ終わりじゃなかった。今度は自分がいじめられていたのに助けてくれなかった先生や、クラスメイトを殺して回ってるんだって」
いじめグループのメンバーが殺されて以来、あちこちで日本刀を引きずりながら夜の町を徘徊する桐也の目撃情報が後を断たないらしい。
「日本刀で斬り殺すから、斬也くんってわけ?」
「そうそう。目的を達成するまで、ひたすら日本刀片手に復讐する姿から、畏怖を込めて斬也くんって呼ばれてるんだって。どう? 怖い?」
「怖いっていうか……可哀想」
佐紀の胸に去来したのは、怖いという感情よりも、哀れみの感情だった。
瞳が赤い。自分では変えようもないただ一つの異常のせいでいじめ抜かれた挙げ句殺され、復讐の為に歩き回るなど、可哀想と言うより他ない。
「……でさ、この話を聞いた人のところに、斬也くんが来るらしいよ。お前も僕をいじめるのか! ってね」
「えっ!? ちょ、ちょっとやめてよ木葉!」
「冗談冗談。だって本当だったら、あたしが無事に済むわけないでしょ? これも聞いた話なんだから」
確かに。聞いた人間を訪問してくるというなら、木葉が生きているはずがない。冗談だろう。
「ったくもう……」
心臓に悪い冗談を言われて、佐紀は呆れた。
「すっかり遅くなっちゃった……」
友人や先生からいろいろと頼み事をされ、それを片付けているうちに外は暗くなってしまった。
『この話を聞いた人のところに、斬也くんが来るらしいよ。お前も僕をいじめるのか! って』
夜道を歩くうちに、佐紀は今朝木葉から聞いた話を思い出した。
「そんなわけないよね……」
幽霊だの怨霊だの、存在するわけがない。怪奇現象など、全てヤラセだ。そう自分に言い聞かせて、しかし早足になり、家路を急ぐ佐紀。
その時だった。
「うわあああああ!!」
突然目の前のT字路の右から、眼鏡を掛けた男性が飛び出してきた。
驚いた佐紀は、思わず近くの電柱の陰に隠れてしまう。幸い、かどうかはわからないが、男性が佐紀の存在に気付いた様子はない。
「頼むよ……許してくれ!! 俺はお前に何もしてないじゃないか!! せめて……せめて話を聞いてくれ!!」
どうやらこの男性は、誰かに追われているらしい。
男性は、その誰かの名を呼びながら、許してくれるよう懇願した。
「桐也!!」
(……えっ!?)
桐也。この男性は、間違いなくそう呼んだ。
(ま、まさか……)
本当は今すぐ逃げ出したかったが、もう少し様子を見てみる事にする。
「そうだ。お前は僕に、何もしてくれなかった」
男性の懇願のすぐ後から、声が返ってきた。それと同時に、カラカラカラ、と、何かを引きずるような音も聞こえてくる。
「僕があいつらにいじめられてるのを、目の前で見てたのに、お前は僕を助けてくれなかった」
ようやく、佐紀は何者かの姿を視認する事が出来た。
「お前は僕を見殺しにして、あいつらに味方したんだ」
見えたのは、ボロボロの学ランを着た、佐紀とそう歳の変わらなそうな男の子だった。
その学ランは血にまみれており、右肩から左腰にかけて、大きな裂傷が入っている。切り口は赤黒く変色した血で塗られていた。
次に目に入ったのは、右手に握られた日本刀だった。その刃は、全体が学ランと同じ色の血液に彩られている。
最後に目に入ったのは、顔だった。所々殴られたような青アザがついていて、口からは血が溢れている。
だがそれ以上に印象的だったのは、男の子の両目だった。
瞳が赤い。赤くて赤くて、とても赤い。男の子はこの上なくおぞましい姿をしているのに、佐紀にはその瞳が、まるで宝石のように見えた。
そして確信する。この男の子が、今朝木葉が話していた都市伝説の人物、藤宮桐也、怨霊・斬也くんなのだと。
「あいつらの味方は、僕の敵だ」
それは、あまりにもわかりやすい敵意だった。
それは、男性にとってあまりにもわかりやすい死刑宣告だった。
「う、うわあああああああああああああ!!!」
恐ろしさに逃げ出す男性。
だが、無駄だった。
斬也くんの姿が消えたと思った次の瞬間、斬也くんは男性の目の前に移動しており、男性を脳天から斬りつけたのだ。
血まみれの日本刀は、お世辞にも切れ味がいいように見えない。だがその切れ味は恐ろしく鋭く、男性は真っ二つになり、右半身と左半身に泣き別れした。
即死。絶命。確かめるまでもない。脳天から真っ二つにされて、生きている人間などいないからだ。
「っ!」
その恐怖の光景を見た佐紀の口から、小さな悲鳴が漏れた。
当然、斬也くんがそれを聞き逃さないはずがない。斬也くんがこちらを見た。
「!!」
逃げ出す佐紀。しかし、目の前に斬也くんがいた。さっきの男性の時と同じ、瞬間移動だ。
斬也くんは左手で佐紀の胸ぐらを掴む。首が絞まる。苦しくてもがくが、斬也くんの左手は振りほどけない。
「……お前、あいつの娘か」
そう言うと、斬也くんは自分の額を佐紀の額に押し付けた。
佐紀は怖くて逃げたかったが、動けなかった。
「見つけた」
少ししてから呟いた斬也くんは、佐紀を乱暴に投げ捨てる。
「少しだけ生かしておいてやる。簡単には殺さない」
咳き込む佐紀に告げる斬也くん。
佐紀が再び斬也くんを見た時、もう斬也くんはそこにいなかった。
どうにか立ち上がる事が出来た佐紀は、一目散に家に帰った。
「お父さんお母さん!!」
それから今起こった事を、一部始終漏らす事なく、両親に伝えた。
「あなた。それって……」
「……」
やはり、二人は斬也くんの事を知っていた。
佐紀の父、成治は躊躇いながらも、それを話す。
「もう八年も前の話になるんだが、父さん、学校の先生をやってたんだ」
「えっ……」
その話は、前に何回か聞いた事がある。成治は高校の教師をしていた事があり、佐紀は時々宿題を手伝ってもらっているのだ。
「父さんが担当してたクラスじゃないんだが、仕事上、どうしても前を通らなきゃいけない教室があってな……」
成治は、当時を思い出す。
それは赴任してきたばかりで、初めてその教室の前を通った時の事だった。
「やめて!! 痛い!! やめて!!」
何かがぶつかる音と、男の子の悲鳴を聞いて、成治は足を止めた。
窓から見てみると、一人の男子生徒が、別の男子生徒から箒で叩かれていたのだ。その周りには何人か男子生徒がいて、叩かれている男子を押さえつけている。
驚いた成治は、そのいじめをやめさせようと、中に入ろうとした。
だが、いつの間にか来ていた別の男性教師に止められた。このクラスの担任だった。
「何するんですか! あれはいじめですよ!? やめさせないと!」
「駄目です!」
教師は成治の手を引き、物陰で話す。
「あの箒を持ってる子、政治家の息子なんです。それも、政界の深くに入り込んでる結構な大物」
「えっ!?」
「……これまでも、あの子は大勢の人間をいじめてます。問題行為も、数えきれないほど……それをやめさせようとした教師は、全員クビにされてます」
その理由は明白だ。父親が学校に圧力を掛け、無理矢理辞めさせているのである。どうやらあの不良の父は、よほどの重役のようだ。
「でもだからって!!」
「あなた、娘さんの費用が大変だって言ってましたよね?」
その一言で、成治は黙った。黙ってしまった。
「私もです。何回も何回も面接に落ちて、やっと仕事が軌道に乗ってきたんです。お互い、今辞めるわけにはいかない。それが嫌なら……」
「……見てみぬふりをしろ、と?」
今度は男性教師が黙った。だが、すぐまた言葉を紡ぐ。
「そうです」
そのすぐ後にいじめられていた生徒の名前が桐也であると知り、リーダーは最近彼を集中していじめていて、このままでは殺されてしまうかもしれないと言われていた事を知った。
それでも結局、成治はリーダーに対して、一度も手を出す事が出来なかった。
しばらくして、桐也がリーダーに殺されたという連絡が届いた。
桐也の死を知った成治は、精神状態が限界になり、学校を辞めたのだ。
「じゃあ、斬也くんはお父さんを恨んでるって事?」
「あいつが刑務所の中で斬り殺されたって知った時、真っ先に桐也くんの仕業だと思った。桐也くんが怨霊になって、復讐したんだってな」
怨霊など非科学的だ。幽霊など、存在するはずがない。
しかし、成治はどうしても、桐也が怨霊になったとしか思えなかった。
「あいつの両親や、いじめのグループが全員斬り殺されて、いじめに加わっていない生徒や先生まで殺され始めたって知った時、桐也くんは自分を助けてくれなかった人間にまで復讐してるってわかった。それから思ったんだ。いつか必ず、俺の番が来るって」
成治の話を聞き、佐紀は斬也くんに殺された男性の事を思い出す。
あの男性は、いじめていないと言っていた。成治が言っていた自分を見殺しにした者まで復讐しているというのは、本当の事なのだ。
「そうか……とうとう、この時が来たのか……」
諦めたように呟く成治。いつか必ずこの日が来ると、覚悟していたのだ。
「あなた……駄目よ、諦めないで!」
「そうだよお父さん! 私、お父さんが死ぬなんて絶対にやだ!」
妻の奈美子と佐紀は、必死に諦めないよう言う。
「俺だって死にたくなんかないさ。でも、あの子はもっと死にたくなかったに違いない。これは、俺が受けなきゃいけない罰なんだ」
成治はあの時桐也を見捨てた事を、ずっと後悔していた。いつか罰を受ける時が来たなら、必ず受けようと思っていた。それが来た。成治にとっては、そうでしかないのだ。
「やだ!! だからってお父さんが殺されていい事になんかならないもん!!」
「じゃあどうするっていうんだ。助かる方法なんて……」
「こういう時は、お寺に行くの!!」
佐紀は提案する。
相手は幽霊だ。幽霊が相手なら、しかるべき手段を取る必要がある。寺に行って、除霊してもらう。それしか方法がないと、佐紀は思っていた。
「明日行こう? 私も一緒に行くから、ね?」
「お前、学校は……」
「学校には、私から連絡を入れておきます。佐紀ちゃんの事も心配だし」
佐紀は、斬也くんと直に接触したのだ。絶対に悪い影響を受けている。ついでに佐紀も除霊してもらえばいいと、奈美子は思ったのだ。
「……わかった。除霊、してもらうよ」
こうして二人は、除霊を受ける事になった。
翌日。
学校は休むと、奈美子に連絡してもらった。除霊に行くからなどと言うわけにはいかないので、風邪という理由だ。
「行くよ、お父さん」
「……ああ」
二人は近所にある寺の前に立ち、石段を登る。
一番上にたどり着いた時、そこには寺があった。
いや、寺の前に住職がいる。住職はとても驚いた顔をして二人を見ており、次の瞬間二人に向かって叫んだ。
「一体何から恨みを買ったのですか、あなた達は!?」
どうやら住職には、何かわかるらしい。
詳しい事情を説明しようと近付く二人。
「来ないで下さい!!」
だが、住職は二人が近付いた分、後退りして遠ざかってしまう。
そして住職は、再び叫んだ。
「あなた達に憑いている怨霊は、ここでは祓えません!!」