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妖しい、僕のまち 〜妖怪娘だらけの役場で公務員やっています〜  作者: 詩月 七夜
第八章 暁に風哭きて、君独り去り行きし ~砂かけ婆・機尋・紙舞、遠く鎌鼬~
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【番外地】「おかえりなさい」

 「絶界島トゥーレ」でのテストプロジェクトが終了して数日後。


 民間企業による特別住民ようかい向け人間社会適合セミナー「K.a.I

 その本部ビルの廊下で呼び止められた鉤野こうの針女はりおなご)は、振り向いた先に見知った顔を認めた。

 株式会社 MEIAメイアの若社長だった。

 同じ「K.a.I」の顧問同士ながら、あまり言葉を交わした事のない相手だ。

 「やり手の二代目」として辣腕らつわんを振るう若者は、鉤野に追い付くと、肩を並べて歩き出した。


「突然すみません」


「いいえ」


 人当たりの良い笑みを浮かべる若社長に、鉤野が微笑み返す。

 楯壁たてかべほどの美青年ではないが、その穏やかな振る舞いは好感が持てる相手だった。

 それに「MEIAメイア」は、社員に妖怪の採用枠を多く持つ企業である。

 この若社長の代になると、更にそれが顕著になったと聞く。

 太市たいち鎌鼬かまいたち)の姉、華流かるの話のように、人間社会全体が妖怪を快く思っている訳ではない。

 そんな中、この若社長のような経営者は、稀有な存在である。

 鉤野は妖怪の一人として、そうした点でこの若社長の方針に尊敬の念すら抱いていた。


最後・・に話をしたかったんです」


 若社長は横を歩く鉤野の顔をチラリと見た。


「やはり、本気で『K.a.I』の顧問をお辞めになる気で…?」


「ええ」


 鉤野は静かに頷いた。


「先程の顧問会議でも報告しました通り、一身上の都合で大変申し訳ないのですが…」


 そう言いながら、鉤野は僅かに唇を噛み締めた。

 つい先刻まで行われていた顧問会議の中で「K.a.I」総責任者である烏帽子えぼしから「絶界島トゥーレにおけるテストプロジェクトの失敗」が顧問一同に正式に報告された。

 テストプレイヤーとして送り込まれた鉤野以下20名ほどの妖怪たちのうち、数人を残してほぼ全員が意識不明。一部に負傷者も居た。

 幸い、死者や行方不明者・・・・・は出なかったが、最悪の結果に、会議は紛糾した。

 顧問一同が原因の説明を求めると、烏帽子は「突発性火山性ガス発生による集団幻覚・錯乱によるもの」という発表をした。

 その証拠の調査結果データも手際よく披露し、その上で烏帽子は深々と頭を下げて謝罪したのだった。


「島の気候や設備の整備に気を取られ、地質調査を怠った私共のミスです。弁解のしようもありません…」


 必要以上にしおらしくそう告げる烏帽子に、顧問一同は口を閉ざした。

 れっきとした証拠もある上、自然現象が絡む部分については予測のつけようがない。

 そんな感情が働いたのだろう。

 負傷した妖怪達も記憶の混濁・・・・・はあるものの、手厚い看護を受け、全員が回復したという。

 最悪の結果ながら、被害が最小という事もあり、顧問達の追及はそれほど激しいものにはならなかった。


「マスコミへの対応も、ここにいる顧問の皆様や他の受講生の皆さんにご迷惑をかけないよう、私達の方で入念に行わせていただいております」


 抜かりのないそんな烏帽子の対応に、顧問達はかえって信頼度を高めた様にも見える。

 そんな中、ただ一人鉤野だけは唇を噛み切らんばかりの勢いで感情を抑えていた。


(この女、よくもまあいけしゃあしゃあと…!)


 真相を知っている鉤野としては、今すぐに烏帽子や「muteミュート」の黒い企みを糾弾したかったが、神無月かんなづき紙舞かみまい)に諭された事を思い出す。

 ここで事実を洗いざらい吐けば、烏帽子の嘘は追及できるが、同時に十乃とおの達の立場が危うくなるのは確実だ。

 神無月の言う通り、烏帽子もその点は承知の上だろう。

 もしかしたら、十乃達が関わったという証拠を握っている可能性すらある。

 正義感の強い鉤野だったが、それに固執し、仲間を犠牲に出来る程の気質は無かった。

 結局、テストプロジェクトは状況検分や分析が済むまで当分の間凍結されることとなり、「プロジェクト・MAHOROマホロ」自体も頓挫とんざする形となった。

 鉤野達にとって、それだけは唯一の戦果といえる。

 だが「muteミュート」の本質を実際に目にした鉤野は、最後の反抗を試みたのだった。

 それが「K.a.I」顧問の辞職だった。

 元よりこれ以上連中に協力するつもりは無かったし、向こうも真実を知る自分を放置はすまい。

 このまま連中の下に身を置いていれば、遅かれ早かれ謀殺される事になるだろう。

 そのため、鉤野は「一身上の都合」に加え「テストプロジェクト引率者としての責任を取る」ことを示唆し、顧問の辞職を名乗り上げたのだった。

 これには楯壁をはじめとする各顧問が驚いて引き留めを行ったが、鉤野は頑として折れず、烏帽子も(表面上は)熱心に引き留めはしたものの、最終的にやむを得ず受理する事を決定した。


 それが先程まで繰り広げられていた会議の経緯だった。


「そうですか…」


 若社長は、そう言うと前を見た。


「その…先のテストプロジェクト失敗ですが…あの結果については、仕方が無いものと思いますが…」


「ええ。ですが、妖怪達に被害が出たのは事実ですし、例え形式上でも、誰かが責任を取るのが筋でしょう。幸い、私は元々、企業のトップである特別住民ようかいの一人として、アドバイザー役に顧問を引き受けただけ身です。今の『K.a.I』」は、もう私の声が無くても十分にやっていけると思いますし」


「そんなご謙遜を」


「謙遜ではありませんわ。貴方の様な人もいらっしゃいますし『K.a.I』も安泰でしょう」


「…本気でそうお考えで?」


「えっ…」


 若社長は真剣な表情になると、声を幾分潜めて続けた。


「烏帽子さんの…いえ『muteミュート』の発表を鵜呑みにしている者だけではないという事です」


「…」


 鉤野は無言だった。

 この若社長の真意が計りかねたのだ。

 そういえば「プロジェクト・MAHOROマホロ」の推進に、この若社長は「待った」をかけていた。

 楽観的な考えで見れば、鉤野以外にも「muteミュート」に対して疑念を持っていた人物がいた事になる。

 戸惑う鉤野に、若社長はうって変わって笑顔で告げた。


「僕は彼らの動向を見定めるために、今後も『K.a.I』に留まろうと思います」


 そう言って立ち止まると、若社長は右手を差し出した。


「貴女とは違うステージで、妖怪達を守る方法を模索していきますよ」


「…一つお伺いしてもよろしいでしょうか?」


 差し出された手を見詰めてから、鉤野は若社長の視線を真っ直ぐに受け止めた。


「何でしょう?」


「何故、そこまで妖怪わたくし達に肩入れしてくださいますの…?」


 会社の方針や今の彼の言葉を信用するなら、この男は妖怪に親愛の情を持っている事になる。

 鉤野は、目の前の男がそこまで妖怪に肩入れする理由が知りたかった。

 若社長はにっこり微笑んだ。


「実は…僕は妖怪に命を救われた事がありましてね」


「命を…?」


「ええ。恥ずかしながら、失恋をしてそのまま橋から飛び込み自殺を図ろうとしまして…」


「…それは…何というか…」


 何度も男性にフラレている鉤野にしてみれば、同情を禁じ得ない話だ。


「その時、一人の妖怪の女の子に助けられたんです」


 そう言うと、若社長は苦笑した。


「その子は就職で失敗してばかりいたそうで。でも、そんな不幸の中にあっても、彼女は屈託のない笑顔を絶やさなかった。いわば、彼女の有りように僕は救われたんです」


「では、その恩返しを…?」


「そういうつもりはなかったのですが…結果的にそうなっていますね。妖怪達のために僕が彼らと一緒に何が出来るか…いま、それが僕の中にある気がします」


 若社長は続けた。


「それに、付き合ってみると味があって面白いんですよ。妖怪あなた達って」


 イタズラ小僧の様な無邪気な笑みを浮かべる若社長に、鉤野はクスリに微笑むと、差し出されたままの手を握った。


「とても良い話を有り難うございます。今後の励みとさせていただきますわ」


 その瞬間、何処からともなくけたたましい女性の笑い声が響いてきた。

 目を丸くする鉤野に、若社長が苦笑する。


「失礼。いま話題にしていた僕の秘書・・です。どうやら、また悪い癖が出たようだ」


 そう言うと、若社長は片手を上げて、鉤野に挨拶をする。


「鉤野さん、またゆっくりお話ししましょう」


「ええ。また」


 慌てて駆け出す若社長の背を、鉤野は見えなくなるまで見送った。


「内緒話はお済みですか…?」


 そんな声に鉤野が振り返ると、優しげに笑う楯壁が立っていた。

 鉤野は内心の動揺を隠す様に、髪を掻き上げながら楯壁に向き直る。


「盗み見の次は盗み聞きですの?」


「失敬。でも、折角貴女と話す機会を狙っていたのに彼に先を越されてしまった…下らない男の嫉妬と笑って流してくださると嬉しいんですが」


 苦笑する楯壁に、笑い返す鉤野。


わたくしごときに過分なお言葉…としてお受けしますわ」


「意地悪だなあ。『美人は意地悪』って本当なんですね」


 笑い合った後、無言になる二人。

 お互いに見詰め合うその距離は、いつか二人で並んで歩いていたそれよりも少し遠かった。


「…考え直すおつもりは?」


「ありませんわ。残念ですが」


 楯壁が浮かべる自分を思いやるかのような眼差しに、鉤野は胸の内にチクリとした痛みを覚えつつも、ハッキリとそう告げる。

 見た目だけでなく、その人間性にも彼に異性の魅力を感じていた。

 が、それだけに彼には真実を語る事は出来なかった。

 もし全てを語れば、彼は鉤野を守り、共に戦ってくれるだろう。

 が、それは同時に彼の立場を危うくする結果になりかねない。

 この人の良い青年を、自分達の戦いに巻き込む訳にはいかないのだ。

 楯壁は寂しそうに聞いた。


「これからどうされるおつもりで…?」 


「戻ります。私のいるべき場所に」


「…」


「こんな私でも『帰って来い』って言ってくださる仲間がいますので」


 そう言うと、鉤野はゆっくりと微笑んだ。

 それを見た楯壁は、ハッとなってから再び苦笑した。


「やっぱり…敵わないなぁ」


「?」


「いえ、ただのやっかみ・・・・ですよ。お気になさらずに」


 不思議そうな顔をする鉤野に、楯壁は告げた。


「ご健闘をお祈りしておりますよ」


「ありがとうございます。本当にお世話になりました。私も楯壁さんのご活躍をお祈りしておりますわ」


 深々と頭を下げる鉤野。

 そして、彼女は一度も振り返ることなく彼の前から遠ざかっていった。


「…まあ、敗北宣言でもないんだけどな」


 去りゆくその背中を見送っていた楯壁のスーツの胸ポケットで、不意に軽やかなメロディが鳴り響く。

 取り出したスマホの画面に映った「Octoberオクトーバー」の文字をを確認すると、楯壁は受信ボタンをフリックした。


「どうも」


『俺だ。いいか?』


 スピーカーから無愛想な男の声が聞こえてくる。

 楯壁はさり気なく周囲に人がいない事を確認すると、


「ええ。どうぞ」


『先日言った報告書だが、指定通りの場所へ届けておいた。後で目を通すがいい』


「早いですね。流石はその筋で名の知られた探偵さんだ」


『ただの“便利屋”だよ…で、くだんの顧問会議はどうだった?予定では今日だった筈だが』


 電話の向こう側の声の主に、楯壁は会議の結果をかいつまんで報告する。

 声の主は、全てを聞き終えると僅かに溜息を吐いた。


『そうか…連中が用意した報告資料の周到さから見て、やはり、こちら側・・・・はモニタリングされていたと見るべきだな』


彼女・・、頑張って耐えていましたよ」


『そうアドバイスしたからな。あの気質だから、暴発してないか心配だったが杞憂で済んで何よりだ』


「僕は不満ですけどね。お陰で一緒に仕事が出来なくなってしまった」


 唇と尖らせる楯壁に、声の主は呆れたように、


『仕事に色恋を持ち込むのはどうかと思うが』


「ご心配なく。たった今、仕事に絡める気はなくなりましたから」


『…何を企んでいる?』


「内緒です♪」


 その場に居ない声の主の、何ともいえないしかめっ面を想像しながら、楯壁は人差し指を唇に当てた。


『まあいい…で、これからどうするんだ?』


「どう…とは?」


『トボケるな。ここ・・までが依頼だった筈だ』


「ああ、そうでしたね」


 楯壁はスッと目を細めた。


「じゃあ、延長で。僕としては消えた“彼”と、その経緯が気に掛かります」


『…了解した。では後日、必要経費の請求書を送る』


「宜しくです…ああ、それと」


『何だ?』


 楯壁はふと微笑んだ。


「お疲れ様でした、神無月かんなづきさん」


『…ふん』


 声の主は不機嫌そうにそう鼻を鳴らすと、一方的に通話を終了した。 


-----------------------------------------------------------------------------


 「今日もこれだけか」


 降神町おりがみちょう役場、特別住民ようかい向けの人間社会適合セミナーの教室に集った数名の妖怪を見ながら、飛叢ひむらさんがそうぼやく。

 室内には彼以外に釘宮くぎみやくん(赤頭あかあたま)、三池みいけさん(猫又ねこまた)、あまりさん(精螻蛄しょうけら)、沙牧さまきさん(砂かけ婆)のほか、数名の妖怪が始業前の準備をしている。

 今日の授業は今里いまざと先生の料理教室である。

 人気の科目ではあるが、受講者の数はめっきり減ってしまった。

 今も人気の「K.a.I」へ転属する妖怪が後を絶たないためだ。

 授業の補佐をする僕…十乃とおの めぐるは苦笑した。


「仕方ないですね…でも、どんなに少なくなっても受講生が居る間は、僕達も全力でサポートしますから」


「やっぱり納得いかないよ!」


 三池さんが不満そうに言った。


「昨日もテレビのニュースで見たけど、例のテストプロジェクトの失敗も何か『muteミュート』の肩を持つものばっかりだし!」


「連中はマスコミとも深い繋がりがあるのかも知れませんね」


 沙牧さんが持ってきた新聞を見せる。


「新聞各紙も記事に取り上げてはいるものの、さしたる問題提起はしていません」


「ネットも同様でござるよ」


 余さんが続ける。


「どのサイトでも連中に同情的なコメが多いでござるな」


「やっぱり『本当の事』は誰も知らないんだね…」


 大怪我を負ったものの、沙牧さんが用意した“河童かっぱ”の軟膏なんこうで回復した釘宮くんが、しんみりとそう言う。

 誰もが無言になった。


 あの日。

 全てが終わった後、僕達は当初から「絶界島トゥーレ」にテストプレイヤーとして来ていた飛叢さん、鉤野さん、神無月さん(紙舞かみまい)が「K.a.I」が迎えに寄越した船に乗るのを見届け、密かに島を後にした。

 全員一緒に帰ってもの良かったのだが、神無月さんが「貴様達はこの島に居なかった事になっている。ここは俺達も何も無かった振りをして、当初の設定どおりに別々に帰るべきだ」と主張し、全員が折れた形となった。

 飛叢さん達も、本心を言えば、これ以上「K.a.I」の世話になるのは業腹ごうはらだったに違いない。

 しかし、状況報告や怪我を負った妖怪達の事もある。

 やむなく、神無月さんの指示に従う事になったのだ。

 そして、出航した港に戻った僕達は、なぎ磯撫いそなで)、かがり牛鬼うしおに)、鏡冶きょうやさん(影鰐かげわに)とも別れた。


「何かあったら次こそ声を掛けろよ。何時でも駆け付けるぜ」


 別れ際にそう言うと、凪は固い握手を交わしてくれた。


「今度は沙槻さつきも連れておいでよ!美味い魚をご馳走するからさ…!」


「状況は大団円という訳ではないでしょうが…是非息抜きにでもお越しください。歓迎しますよ」


 篝と鏡冶さんも笑顔でそう言ってくれ、他の皆も名残惜しそうにしていた。

 本当に。

 彼らと出会えた事を改めて嬉しく思った。

 そして、別れ際に、


「十乃、俺達は改めてお前を『妖怪の仲間』として受け入れよう…それと、あまり一人で背負い過ぎるなよ。お前自身が言ったように、人間と妖怪が共存できる世界は『俺たちで作る』んだからな」


 凪のその一言に、篝と鏡冶さんが頷いて見せる。

 僕はそれにしっかりと頷き返した。

 一緒に過ごした時間は短くても、こんなにも僕達は分かりあえた。

 それを再確認できただけでも、今回の旅には大きな意味があったように思う。


 そんな物思いに耽っていると、三池さんが溜息を吐いて言った。


「神無月さんもああは言ってたけど、何か悔しいよね…」


「そう言えば、あの後、神無月殿はどうなったでござる?」


 余さんの疑問に、飛叢さんが肩を竦める。


「それが全然だ。あいつ、俺や鉤野の代わりに『K.a.I』の連中と色々話したり、手続きをしてたようだけど、怪我してた連中を病院に入れたらそれっきりさ。どこに行ったのか、さっぱり分からねぇ」


「不思議な人だったよね。何か色々知ってるみたいな感じだったし」


 釘宮くんがそう呟く。

 確かに不思議な感じの人だった。

 風貌もそうだが、彼の言動や判断は何と言うか…ああいう事件の中でも場馴れしている感じがした。

 僕にも彼が一般の特別住民ようかいには思えなかった。

 そう思っていると、かれこれ開講五分前になっていた。

 そろそろ講師の今里さんが教室に来る頃だろう。


「さあ、皆さん。今日もしっかり勉強しましょう」


「今日は何だっけ?」


 三池さんがそう言うと、余さんが答えた。


「確か『筑前煮』と『たけのこご飯』でござる」


「かーっ!何かしみったれたメニューだな。やる気が失せるぜ」


「じゃあ、飛叢兄ちゃんは何が良いの?」


 釘宮くんがそう聞くと、飛叢さんは思案した後、


「そうだな…焼きそばとかお好み焼きとか、たこ焼きとか?」


「全部、お祭りの屋台で作ってそうなものばかりですね」


「うるせーな。美味きゃいいんだよ、美味きゃ」


 沙牧さんの突っ込みに、そう返す飛叢さん。

 すると…


「まったく…だから『馬鹿舌』とか言われるんですのよ、貴方は」


「誰が馬鹿だ、誰が!…って、お前…!?」


 横から入った無遠慮な言葉に振り返った飛叢さん…いや、全員が目を丸くする。

 そこには、割烹着に袖を通し、身支度を整える鉤野さんの姿があった。


「鉤野姉ちゃん!」


「おしずさん、どうして…?」


 思わずそう尋ねる三池さんに、鉤野さんはニッコリ笑う。


「あら、知らなかったんですの、宮美みやみちゃん。私、和食は得意分野ですのよ」


「い、いや、そうじゃなくて…」


「『K.a.I』の顧問は辞めました」


 突然の報告に驚く一同へ、鉤野さんは悪戯っぽく笑う。


「こっちの方が性に合ってますしね。それに…」


 じろっと飛叢さんを見る鉤野さん。


「貴方が授業の足枷あしかせにならないか心配で、おちおち仕事も手につきませんわ」


「ああ!?何だ、やんのかコラ!大体、料理くらい屁でもねぇ!」


「威勢が良いのは結構ですが、煮物は奥が深くてよ?」


「ケッ!そっちこそ一人暮らしの自炊技能を舐めるなよ?」


 睨み合う二人に、僕は自然と笑みが浮かぶ。


「鉤野さん」


 僕の呼び掛けに、鉤野さんが視線を向けてくる。

 僕は笑いながら言った。


「おかえりなさい」


 鉤野さんは、一瞬意表を突かれた様な表情になった後、


「はい…ただいま戻りました」


 とびっきりの笑顔でそう答えた。

 そして、


「でも、戻ったのは私だけではありませんわ」


「え?」


 今度は僕が呆気にとられる。

 同時に教室のドアが威勢よく開かれた。


「ここか?美味いものが食えるっていう教室は!?」


 髭モジャの巨漢が、鼻をクンクンしながら乱入してくる。

 その後に、


夷旛いば殿、行儀が悪いですよ。それにまだ調理前です」


「は、早矢はやっちゃん!?」


 いつもの胴着に鉢巻き姿の弓弦ゆづるさん(古空穂ふるうつぼ)の 姿を認め、三池さんが驚きの声を上げた。

 微笑みながら丁寧に一礼する弓弦さん。

 その背後から、続いて面長の顔がひょこっと現れる。


「皆さん、お久し振りでーす。今日の調理メニューは煮物と聞いたので、美味しいCarrotニンジンを持ってきましたヨー♪」


相馬そうま兄ちゃんも!?」


 釘宮くんが、ニンジンをたくさん抱えた相馬さん(馬の足)を見て、目を輝かせた。

 それだけではない。


「満漢全席…!」


「いやあ、そんなに出ないと思うよ…あ、どーも、突然失礼します」


 僧形の大男(貝吹き坊)に変身前の大入道おおにゅうどうが続く。

 更に、


「料理なら、俺達の愛の炎の出番ジャン!」

「中華!やっぱり中華がいいじゃん!中華は火力が全てじゃん!」


「だから、今日は和食ですってば…あ、どうもー。前に十乃さんに誘われたので、社長公認で息抜きに来ちゃいました!」


 相変わらず騒々しいジャン男にじゃん子(じゃんじゃん火)をたしなめながら、柏宮かしみやさん(機尋はたひろ)が続いて入って来る。

 その後にも、ぞろぞろと続く妖怪達の姿。

 中には「K.a.I」に鞍替えした筈の妖怪達もいる。

 途端に賑やかになった教室を見回し、僕は唖然と呟いた。


「み、皆さん、どうして…?」


「どうにも気が収まらなかったので、逆に『K.a.I』から引き抜いてきてやりました」


 鉤野さんが、得意気に胸を張る。


「ここの魅力を、私自ら存分に話して聞かせました。あと、十乃さんの事も」


「え?僕の事を…?」


 鉤野さんは頷いた。


「ええ。そうしたら、皆『そんな変わり者がいるなら、是非会ってみたい』って」


 た、確かに。

 妖怪達の中には興味深そうに教室を見回しつつ、僕の事をチラチラと見ている者もいた。

 鉤野さんは笑いながら続けた。


「はじめは新規の妖怪だけに話をしていたんですが…どうやら、私の話を聞いて、ここに在籍していた皆さんもこちらが懐かしくなったようで」


 飛叢さんにからかわれながら、照れ笑いを浮かべる妖怪達を見つつ、鉤野さんがすまし顔になる。


「どうです?これで少しは溜飲が下がりまして?」


「ええ。満点です、しーちゃん」


 珍しく沙牧さんが鉤野さんを褒める。

 余さんは、カメラを片手に早くも新顔の女妖チェックに余念がない。


「あらあら」


 不意に。

 そんな声を聞いた僕は、後ろを振り返る。

 そこには教室の入り口で立ち尽くす今里先生の姿があった。

 今里さんは教室いっぱいの妖怪達の姿を見回すと困った様に、そして…とても嬉しそうに笑いながら頬に手を当てた。


「材料、足りるかしら…?」


-----------------------------------------------------------------------------


「待たせたかしら?」


「いいえ」


 「K.a.I」本部ビル最上階にある支部長室。

 室内に戻った烏帽子は、応接セットのソファに腰掛けていた女性にそう声を掛けると、その対面に着座した。

 変わった風貌の女性だった。

 肩で切りそろえた黒髪と同じ色のスーツはいいとして。

 その両目は紫色の目隠しで覆われていた。

 そして、その目隠しには、白く単眼の紋様が縫い込まれていた。

 確か名前はつぶら れんといったか。

 烏帽子達の協力者の立場をとる「あの男」の繋ぎ役を名乗る女性だ。

 圓は烏帽子の元に「話がある」と不意に訪れた。

 今回の一連の騒動で、何かと多忙だった烏帽子だったが、色々と聞きたい事もあったので、彼女の来訪は逆に望むところだった。


「お忙しそうですね」


「お陰さまでね。それに、誰かさんが仕掛けた『ビックリ箱』のせいで、うちのスタッフが泡食って情報収集に奔走してるわ」


 協力者ではあるが、無表情な圓の顔を見ていると皮肉の一つも言いたくなる烏帽子だった。


「…で、話って何かしら?」


「単刀直入に申します。今回得たそちらの成果・・を、当方にご提供いただきたいと思います」


「…ごめんなさい。よく聞こえなかったわ」


 何の感情も交えず、事務的な口調でそう言った圓に、烏帽子は口を付けたティーカップを置いてから、ゆっくりと続けた。


「私には、うちが『K.a.I』やテストプロジェクトを通じてわざわざ手に入れた特別住民ようかい達のデータを寄越せ…って聞こえたんだけど…?」


「聴力に異常はなさそうですね」


「ふざけないでもらえるかしら」


 烏帽子の声が一段低くなる。


「貴方達とは確かに協力関係にあるけど、そんな一方的な取り引きには…」


「『muteミュート』総帥も承諾されています」


 烏帽子の言葉を、圓の無機質な声がそう遮った。

 烏帽子の目が僅かに見開かれる。


「…確認する時間が欲しいわね」


「ええ。待ちます。ですが、お早めにお願いします」


「努力はするわ。あと、条件があります」


「…何でしょう?」


「“鎌鼬かまいたち”の『彼』のデータと交換しましょう」


 圓が沈黙する。

 烏帽子は身を乗り出した。


「今更カマトトぶるつもりはないわ。あの島で起きた事は、こちらでも逐次モニターしてあります。『彼』の変身、能力の向上…どれも興味深いものだったわ」


「やはり、覗いてらしたんですね」


「覗くのは貴女の専売特許じゃないってことよ」


 烏帽子は艶やかな笑みを浮かべた。


「貴方達が『彼』をテストプレイヤーにねじ込んできた理由…それはズバリ『彼』の性能テストってとこかしら…?」


「否定はしません」


 あっさり肯定する圓。

 もう少しシラを切られるかと思っていた烏帽子は、内心拍子抜けした。


「こちらで計測した『彼』は、明らかに既存の妖怪のそれとは一線を画していたわ…すごく興味があるわね」


 実際、烏帽子は計測した『彼』のデータを見て、スタッフと共に驚愕した。

 『彼』の残した妖力の値だけでも、化け物じみている。

 一個の妖怪が持ち得る妖力の強さとしては、大海の水を一個のコップに収納したくらいあり得ない性能スペックだった。

 その原理や方法が入手できるなら「muteミュート」としては今回得たデータすべてと引き換えにしてもお釣りがくるだろう。


「…部分的な開示なら、考慮しましょう」


「OK。商談成立ね」


 烏帽子は満面の笑みを浮かべて立ち上がった。

 そのまま、圓に手を差し出し、握手を求める。


「今後もこういう風にスマートな商談成立を望むわ」


「善処します」


 感情のない声のまま、圓は冷たいその手を握った。

 

 


  





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