【八十三丁目】「お前も…本気で俺を殺せ」
太市君(鎌鼬)の腕から生えた鎌が、凶悪な光を放つ。
僕…十乃 巡は、自らに振り降ろされようとしているそれを、魅入られた様に身動きせずに見詰めていた。
「太市、テメエ!」
「十乃さん…!」
「止せ…!」
飛叢さん(一反木綿)がバンテージを放つよりも早く。
鉤野さん(針女)が僕を庇おうと走り出すよりも早く。
凪(磯撫で)が制止の手を伸ばすよりも早く。
太市君の足元から、不意に凄まじい砂柱が立ち昇った。
完全に虚を突かれた太市君の身体が、噴火の様な砂柱に飲み込まれ、上空へと舞い上がる。
そして、そのまま受け身も叶わず、地面に叩きつけられた。
更に追い打ちをかけるかのように、吹き上がった大量の砂が彼の上に降り注ぐ。
「あ…が…!」
あれだけの量の土砂が落下してきたのだ。
その衝撃も凄まじいだろう。
それを物語るかのように、苦鳴を上げ、痙攣する太市君。
茫然となる一同の眼前で、砂柱は徐々に勢いを弱め、遂には人の大きさをとる。
その中から、際どい着物姿の沙牧さん(砂かけ婆)が、髪の毛を整えながら姿を見せた。
「ふう…危ない所でした」
そう言いながら、いつもの柔和な笑みを浮かべる沙牧さん。
それを見た鉤野さんが、ワナワナと手を震わせて沙牧さんを指差す。
「み、美砂…あ、貴女…生きて…?」
「ええ、勿論」
「あ、いや…え…?だ、だって…貴女さっき、真っ二つに…!?」
「【砂庭楼閣】・第六楼“砂偽喪”のことですか?」
小首を傾げる沙牧さんに、鉤野さんの肩がカクンと落ちる。
「は?すなぎも…?」
「ええ。私の妖力によって砂で造ったダミーです。いわゆる空蝉の術的な」
ニッコリ笑う沙牧さんに、ヘナヘナと崩れ落ちる鉤野さん。
…何というか。
もはや何でもありだな、この女性は。
脱力した鉤野さんから、沙牧さんは僕へと向き直った。
「お怪我はありませんか、十乃さん?」
「あ…は、はい…助けていただいてありがとうございます」
「良いんですよ、お礼なんて。逆に丁度いい餌になってくれて助かりました。太市さんってば素早いから、捕まえるのに苦労しそうだったし。貴方にヤマを張っていて正解でした♪」
え、餌…
この人、やられたフリして、最初から太市君を捕捉する為に砂地に潜んでいたのか。
そう言えば、太市君に真っ二つにされた死体もいつの間にか無くなっているし、今考えれば、血の一つも吹き出た形跡がなかったよーな…
衝撃的な光景だったから、誰一人そうした矛盾には気付かなかった…
「あ、貴女!だったら、早く教えなさいな!人がどんな思いでいたか…!」
柳眉を逆立てた鉤野さんが、抗議の声を上げる。
「敵を騙すには、味方をそれ以上に騙しておく…それが目くらましの極意ですから」
「ほう…心得ていらっしゃいますね、ご婦人」
「あら、ご賛同頂けて嬉しいですわ」
鏡冶さん(影鰐)が感心した様に賛辞を述べると、それに嬉しそうに笑う沙牧さん。
ともにトリッキーな妖力の持ち主だけあって、何か意気投合したようである。
(おいおい、鏡冶と気が合うなんて、あの女、きっととんだ曲者だぞ)
(しっ、声が大きい!さっきのを見たろう?俺は巻き添えは御免だからな)
篝(牛鬼)がそう耳打ちすると、凪が真顔で注意する。
一方の鉤野さんは深い溜息を吐いた。
「まったく…どこまでも人騒がせな…」
「それはそうと、今はあちらを何とかする必要があるのでは…?」
沙牧さんは、大怪我を負った釘宮くん(赤頭)の方を見ながらそう言った。
そうだ!
柏宮さん(機尋)のマフラーを使って辛うじて止血はしたものの、彼の容体が気に掛かる。
三池さん(猫又)に膝枕をされたままの釘宮くんは、大量の血を失ったせいか青白い顔でピクリとも動かない。
一刻も早く医者に診せる必要があるだろう。
「十乃さん、これを」
そう言うと、沙牧さんは胸元から小さな小瓶を取り出し、僕に手渡した。
「これは?」
「“河童”の軟膏です」
「かっぱって…えええええっ!?」
ほ、本物!?
“河童”は、今更語るべくもない有名な水棲妖怪だ。
彼らは一族に代々伝わる秘伝の軟膏…塗り薬の作り手である。
その効果は抜群で、打ち身だけでなく切り傷にも効果がある。切り傷の場合、この軟膏は傷口を塞ぎ、造血作用を付加する、正に万能薬なのだ。
聞いた話では、簡単なすり傷程度なら半刻もあれば痕が消えるとまで言われている。
だが“河童”の軟膏はその材料となる薬草が希少な上、河童にしか作れないため大量生産ができず、それだけに非常に高価であり、少量でもとんでもない値がつく。
恐らくこの小瓶一つで、マンション一つくらいなら余裕で建てられるだろう。
驚く僕に、沙牧さんはクスリと笑った(別にシャレではない)。
「万が一に備え、事前に準備しておいたのです」
あ。
そうか。
この島に来る前に、沙牧さんが「私は独自で準備したい事があります」と言っていた。
それがコレだったのだ。
恐らく沙牧さんは、僕達の身を案じて、極めて入手困難なこの軟膏を手に入れるために奔走していたに違いない。
その労力は、普通に買出しに出ていただけの僕のそれなぞ及びもしないだろう。
僕は深々と頭を下げた。
「沙牧さん…大変だったでしょう。本当にお疲れ様でした」
すると、
「いいえ、別に。家賃滞納していた河童の一人を追い込んで、三日三晩徹夜で作らせただけですので」
「…そですか」
しれっとそう告げる沙牧さんに、僕は改めて戦慄した。
名も知らない河童さん、同情申し上げます。
-----------------------------------------------------------------------------
刈り取られた意識の裏で“彼”は運命の日となったあの夜を思い出す。
「“力”が欲しいですか…?」
男がそう問い掛ける。
(誰だ、あんたは…?)
失意の底にあった“彼”の問い掛けに、男はニッコリと笑った。
「味方ですよ。貴方のね」
(味方…?)
「そう。実は私、こういう者でして…」
男は懐から“何か”を取り出した。
それを自らの顔に重ねる。
それを見た“彼”は、男の正体に気付いた。
(あんたは…!)
「…私も、貴方に似た考えを持っていましてね」
男は語る。
「その為に、いま色々な協力者を必要としているんですよ」
(…)
「私は、貴方もその一人になって欲しいと思っています」
にこやかな顔をする男の声は、しかし真摯だった。
“彼”の心に僅かなさざ波が生じた。
「代わりといっては何ですが…私に貴方の手助けをさせて頂きたい」
(手助け…?)
「気丈なお姉さん。可愛い妹さん…その両方を助ける事が私には可能です」
“彼”の目が大きく見開かれた。
「約束しましょう。貴方が力を貸してくれれば、必ず二人をお助けする…と」
“彼”は僅かな沈黙の後、口を開いた。
(…何をすればいい?)
男の笑みが深くなる。
それは亀裂の様な深い笑みだった。
-----------------------------------------------------------------------------
「…う…」
小瓶に残った最後の一塗りを太市君の胸に塗り終わると、程なくして彼は静かに覚醒した。
全身打撲に擦過傷、ところどころに骨折した個所もあった。
が、神霊に近い力を持ったせいなのか、早くも回復しつつある傷もある。
河童の軟膏により、その速度は更に増しているようだ。
いずれにしろ、重症だった彼の容体は完全に持ち直していた。
「大丈夫かい、太市君?」
そう呼び掛けると、彼は苦痛に呻きながらも、上体を起こした。
「ここは…」
「動いちゃダメだよ、まだ傷は塞がっていないんだから」
「十乃…俺はどうして…」
「沙牧さんの妖力を受けて、気を失っていたんだよ」
僕がそう言うと、記憶が混濁していた太市君はハッとなった。
「そうだ…突然、足元から砂が吹き上がって…」
「そういう事です。何せ私、砂地では無敵ですから」
ころころと笑う沙牧さん。
先程、太市君に言われた一言を上手く返したのだろう。
太市君は、僕を見た。
僕の周囲には沙牧さんの他にも飛叢さん、鉤野さん、神無月さん(紙舞)、三池さん、余さん(精螻蛄)、柏宮さん、そして意識を回復した釘宮くんと凪、篝、鏡冶さんの逆神の浜三人衆がいる。
いずれも油断なく太市君を包囲し、即座に動ける様に身構えていた。
それを確認してから、太市君は自分の全身に巻かれた包帯と軟膏に目を落とした。
「巡に感謝するんだな」
いつでも動けるようにバンテージを展開したまま、飛叢さんが太市君に告げる。
「俺達全員で反対したけど、巡が強情にお前の手当てをするんだって、どうしても聞かなかったんだからよ」
「…」
「あ、でも、包帯代わりのバンテージは飛叢さんの提供だよ」
「うるせー!余計な事言うんじゃねぇよ!」
僕の言葉に、飛叢さんは不機嫌そうにそっぽを向いた。
「…何で」
不意に太市君が呟く様にそう言った。
「何で助けたんだ、俺を…」
疲れたような表情で、そう尋ねる太市君に、僕は少し考えてから言った。
「…とある男の子の話をしてもいいかな?」
戸惑った顔になる太市君。
僕は、彼以外のこの場に居る妖怪達全員にも聞かせる様に続けた。
「昔、どうしても君達妖怪に会いたくて、山に入った一人の男の子がいてね…その子は、必死になって妖怪達の痕跡を求めて、山々を駆け巡った。でも、そんなものは見つからず、呆気なく迷子になってしまった」
遠い日の記憶を手繰る。
いつもは遊び場になっていた山の中。
その更に奥に「きっと妖怪がいる」と信じた。
「帰り道も見失い、途方に暮れていたその男の子は、突然開けた見たことも無い草原で、この世のものではない“何か”に会った…でも、それが何だったのかは分からない。何故なら、彼はその時の記憶を失ったものの、無事に麓で救助されたんだよ」
「その“何か”が男の子を助けた…?」
太市君の言葉に、僕は笑った。
「分からない。でも、こうして生きているから、たぶん助けてもらったのかも知れない。そして、僕はあれは妖怪だったと今も信じてるよ」
太市君の顔に、軽い驚きが浮かんだ。
「だから…いま妖怪達を助けるのか…?お前を殺そうとした俺を、そんな曖昧な記憶の為に…?」
僕は苦笑した。
「そうなるのかな。でも、理由はもう一つあるよ」
全員を見回すと、僕は少し照れながらも、思い切って言った。
「好きだからだよ。君達、妖怪の事が」
太市君の目が僅かに見開かれる。
他の皆も、目を丸くする者、咳払いする者、穏やかに笑い掛ける者…反応はそれぞれだった。
でも、全員が僕の言葉をちゃんと聞いてくれていた。
僕は鼻の頭を掻きながら続ける。
「あの日の記憶は曖昧だけど、いまの僕はこうして大好きな妖怪と共に生きている…それだけは確かな事だし、この絆を大切にしたいと思うんだ」
「人と妖怪の共存…」
太市君は、消え入りそうな声で問い掛けた。
「叶うのか、そんなものが」
「叶えるんだよ。僕達でね」
「…やっぱり変な人間だな、お前は」
ほんの僅かに。
太市君がそう言いながら微笑んだ。
それは、あの二人だけで語り合った、夕暮れの教室で見た優しい笑みだった。
そして次の瞬間、
「…!」
僕は太市君に突き飛ばされた。
それを凪が咄嗟に受け止めてくれる。
「太市…!」
「太市さん…!」
全員が即座に身構える中、太市君は風を纏って空へ舞い上がった。
夜明けを迎えた暁の空に、風の音が軋むような声を上げる。
輝きを増す朝日に目を向けてから、太市君は地上の僕達を見下ろした。
「俺は…もうお前達の元へは戻れない…家族の元へも…」
首についたままのセンサーを引き千切りながら、彼は続けた。
「だが、これは俺が選んだ道だ…後悔はしていない」
朝日を受けた彼の白い髪が、その表情を隠しているせいで、いま彼がどんな顔をしているのかは誰にも分からなかった。
「十乃…次は必ずお前を仕留める。だから…」
静かに、しかしはっきりと彼は告げた。
「お前も…本気で俺を殺せ」
そう告げると、彼は風に溶ける様に姿を消した。
残された風が哭いていた。
ひょうひょうと、悲鳴を上げて慟哭する。
浮かびゆく朝日に照らされた僕達は、それをひどく寂しい気持ちで聞いていた。
いつまでも。
いつまでも…




