【八十一丁目】「怪物」
「オオオオオオオオオオオオっ!!」
地を揺るがせる雄叫びが響き渡る。
同時に篝(牛鬼)の頭に鬼の角が生え、両腕が肩まで変色する。
妖力【狂角牛王】により、身体の一部を硬質化させたのだ。
「ぃいくぜぇぇぇぇぇぇ!!」
ドン…!
ひと蹴りで膨大な砂煙が上がり、篝の巨体は砲弾の様に突進した。
【狂角牛王】が発動したいま、彼女の脚力は初速で最高速度を弾き出す。
その一瞬の猛加速に、太市君(鎌鼬)は目を剥いた。
無理もない。
女性ながら、篝は180センチ以上はある身長と筋肉質の外見から、一見鈍重そうなイメージがある。
その彼女が、瞬き一つで目の前に迫って来るなんて、予想も出来ないだろう。
「迅…!」
両腕から大きな鎌を生やした太市君が、水平に交差させるように腕を振るうと、耳が痛くなるような感覚と共に真空の刃が生まれた。
妖力【無血斬刃】…相手に痛みを感じさせない程の鋭い切れ味を誇る真空の刃を起こし、自在に操る妖力だ。
その性質から、心優しい太市君向けではあるものの、結果、相手を傷つけるため、彼自身滅多に使用しない妖力だった。
“鎌鼬”は「カマイタチ現象」の名でも知られる通り、非常に有名な妖怪である。
その伝承は中部・近畿を中心に全国に伝わっているが、多くは山間部に出現し、風の中に潜んで、人を襲い、出血や痛みを伴うことなく傷を付けていくという。
伝承の中には三人一組の形で伝わるものもあり、その通りに太市君には姉妹が一人ずついる。
彼らは三人一組で行動し、まず姉が人を転ばせ、太市君が切り裂き、妹が薬を塗るというフォーメーションを得意としていた。
太市君は、その性分から「二番手(=斬り役)」を躊躇っていた節がある。
しかし、彼は自らその位置に収まっていた。
以前、彼が話してくれたその理由は「姉と妹にやらせるのは忍びないから」というものだった。
本当に、どこまでも優しい心の持ち主だった。
しかし…
そんな彼がいま、牙を剥きだす勢いで篝へその凶刃を向けた。
その首には、例のセンサーが付けられたままだ。
やはり…あのセンサーが原因で、彼も凶暴化しているのか…
「こンなもん…!」
迫る真空の刃に、何と篝は硬質化した自らの右拳で殴りかかった!
無茶だ…!
鎌鼬の刃は凄まじい切れ味を誇る。
しかし…
ガキィィィィン!!
衝撃波と共に金属に何かがぶつかった様な音が巻き起こる。
そして、もうもうと上がる土煙をかき分け、篝が突進してきた。
「へ、へへーん!痛くない!痛くないぜ、こんなの!」
殴った右拳を抑えながら、涙目で笑う篝。
…痛かったんだろうな、あれは。
とはいえ、恐るべきは篝の防御力だ。
ノーダメージとまではいかなかったようだが、太市君の刃を防ぎきったのには驚かされた。
思い出したが、彼女の【狂角牛王】は“戦斎女”である沙槻さんの攻撃にも耐えた事がある。
そこから考えると、妖力を発動させた彼女を傷付けるのは、かなり難しいのかも知れない。
「おらぁっ!」
「チッ」
眼前に迫る篝の攻撃から、宙へと逃げる太市君。
そこに篝が叫んだ。
「鏡冶!」
「分かっています」
篝の声に応じて、鏡冶さん(影鰐)が足元の陰に手を添える。
「【転影錨牙】」
声と共に、鏡冶さんの姿が影の中に沈む。
そして、その姿は一瞬にして着地した太市君の背後に現れた。
「何…!?」
「その影、いただきますよ。切り裂きジャックさん」
太市君が気配に気付いて振り向く前に、鏡冶さんは両掌を合わせ、まるで鮫の顎の様に開く。
そして、その両掌を太市君の影へと突き入れた。
すると、振り向きかけていた太市君の動きがピタリと止まる。
鏡冶さんが太市君の影に飲み込まれていた両掌を引き抜くと同時に、太市君の影はきれいに消失した。
鏡冶さんは、船乗りの影を食らい、死に至らしめたという妖魚“影鰐”である。
彼の妖力【転影錨牙】には、伝承どおり相手の影を食らい、殺さないまでも、その身体の自由を奪う事が出来るのだ。
彫像と化した太市君に、鏡冶さんが微笑みながら手を振る。
「ごちそうさまでした。では、良い空の旅を」
ブォン!
突然、見えない大きな手に連れ去られたかの様に、太市君の身体が宙へと持ち上げられる。
見れば、その体に幾重にも黒い髪が巻きついていた。
更に、外れないように大きな釣針がフックされている。
「御苦労、鏡冶!後は任せろ…!」
そう言いながら、凪(磯撫で)が、歌舞伎の鏡獅子の様に、頭を振る。
それに合わせて、太市君の身体が凄まじいスピードで振り回された。
いつの間に…!?
確かに凪の【潜波討艪】は、その長い髪先を大きな釣針に変え、大気に溶け込ませて、相手の不意を突いて襲撃する奇襲戦法だ。
しかし、今回は放った初動すら、僕は気付けなかった。
過去に偶然かわした事はあったが…我ながら、よく無事だったと思う。
「いくぞ、これでフィニッシュだ!」
振り回していた首を止め、両手で自分の長髪を掴んで手元へと引き絞る凪。
ドォン!
爆発したように土煙が舞い上がる。
強烈な遠心力のベクトルが変化し、太市君はなすすべなく大地へ叩きつけられた。
す、凄い…
飛叢さんの話では、先の逆神の浜でも凪達三人は沙槻さんと一進一退の攻防を繰り広げたという。
その連携もそうだが、個々の実力も相当なものだ。
凶暴化しているとはいえ、さしもの太市君も、これでは…
「伏せなさい、凪さん!」
不意に。
鉤野さん(針女)が警告を発する。
それを受けた凪は、迷う事なく咄嗟に身を伏せた。
一瞬遅れて、その頭上を真空の刃が通り過ぎる。
「…バカな」
凪が驚愕の表情で、刃が飛んできた方向を見た。
その先に、太市君が立っていた。
土煙が収まる中、彼の身体に巻きついていた凪の髪が、その足元に切断されて落ちていた。
「少し痛かったよ」
首を鳴らしながら、太市君がニヤリと笑う。
し、信じられない…
あんなスピードで地面に叩きつけられたのであれば、いくら妖怪でも重傷は免れないだろう。
しかし、彼は少々傷を負ってはいるものの、無傷だった。
こんな事があるのか…!?
今まで釘宮くん達が相手にしてきた妖怪達は、凶暴化によって理性を奪われた状態だったが、その能力が大幅に強化されてはいなかった筈だ。
だが、今の攻防から見ても太市君の様子は、他の凶暴化した妖怪とは何かが違うように思える。
それ以前に、会話が成り立っている時点で、彼には理性が残っているように見える。
僕はそれに混乱した。
彼に理性が残っているなら、今まで彼が見せていた穏やかな部分は、どうなってしまったのか。
いま目の前にいる彼の言動とは、あまりにもかけ離れたものに見えて仕方がない。
「前に飛叢から聞いた話を思い出したよ…あいつが言っていた『夏の合宿旅行で知り合った逆神の妖怪』ってのは、あんた達のことか?」
「そうだ」
太市君の問いに、凪が頷く。
その表情は、いつになく厳しい。
太市君は鼻を鳴らした。
「ここは逆神の浜じゃあないし、俺達はあんた達の浜を侵すつもりもない…なのに、何でしゃしゃり出てきた?」
「逆神の妖怪ってのは、義理堅いんだ。仲間を助けるためなら、何時でも何処でも駆けつけるのさ」
ゆっくりと立ち上がる凪。
「それ以前に十乃達には借りがある。そいつを返すのは当然だ」
それを聞くと、太市君は嘲笑めいた笑みを浮かべた。
「おめでたい連中だ。それで命を落としては割に合わないだろうに」
「何だと…!?」
「こちらの敗北が決定事項ですか…なら、貴方も相当におめでたい」
激昂する凪の肩に手を置き、鏡冶さんが並び立つ。
その目は冷静に太市君を見据えていた。
「…何やら怪しげな術で身体を強化しているようですが、それで私達に勝てるとお思いで?」
さすが、鏡冶さん。
太市君の異常なまでの耐久力に、何かを察したようだ。
その言葉に太市君の笑みが消える。
「強化じゃない。むしろ進化と呼んで欲しいね」
「進化?」
「そう。俺はもう妖怪というカテゴリーには居ない。言うなれば、怪異を超えた魔…『妖魔』とでも名乗るべきかな」
「妖魔」…!?
「怪異を超えた魔」…!?
「太市さん、貴方、何を言っているんですの…!?」
「口で言っても分からないだろうね…いいよ、お静さん。俺の全力を見せてあげるよ」
そう言うと、太市君は牙を剥き出して吠えた。
「ウオオオオオオオオオオォォォ…!!!!」
その瞬間。
大気の鳴動と共に、彼の長い黒髪が白く変化していった。
腕だけでなく、両肩・背中・踵からも鎌が生え、その眼が金色に変化する。
同時に、額には赤い文字の様なものが浮かび上がった。
「何て妖気だ…!」
その変化を目の当たりにした篝が、思わず一歩後ずさる。
勝気で気の強い彼女にしては珍しい。
が、見渡せば鉤野さんや凪達妖怪全員が、驚愕の表情を浮かべていた。
僕は妖気を感じ取れる訳ではないが、どうやら今の姿の太市君からは、相当な妖気が発せられているようだ。
「遅かったでござるか…」
不意に背後からそんな絶望的な声がする。
振り向いた僕の目に、地面にへたりこんだ余さん(精螻蛄)の姿が映る。
「あ、余さん…!」
「十乃殿…取り敢えず無事で何よりでござる」
そう言う彼の視線は太市君に釘付けになっていた。
「けど、これはもう手遅れのようでござるな…」
「手遅れ?」
そう言えば…余さん、さっきも何か気になる事を言っていたような。
そう。
確か彼はこう言っていた。
「その島には、いまヤバい奴がいるのでござる!」と…
…まさか。
いや、そんな…
「某が、わざわざ凪達に頼み込んでここまで来たのは『アレ』の事を伝える為でござった」
余さんの顔には、すごい汗が浮かんでいた。
急いだせいだけではないだろう。
妖怪である彼も感じているのだ。
太市君の変貌に「何か」を。
「『アレ』は某達の手に負えるようなモノではござらん」
「余さん、何を知って…いや、何を見たんですか…?」
僕はそう問い質す。
彼は「K.a.I」のサーバーを監視していた。
その中で何かを見たのだろう。
「怪物」
余さんは、一言そう告げた。
そして…
「『アレ』は妖怪を超えた、一種の生物兵器でござる…!」




