【七十七丁目】「当ったり前だ、バカヤロウ!」
ベースキャンプは本当にすぐ近くだった。
僕…十乃 巡は、この「絶界島」と呼ばれる孤島へ一緒に潜入した仲間達…即ち、三池さん(猫又)、釘宮くん(赤頭)、沙牧さん(砂かけ婆)、柏宮さん(機尋)と一緒に、先導役である神無月さん(紙舞)につき従って、とうとう目的へと辿り着いた。
道中、正気を失い襲撃を仕掛け、神無月さんの妖力によって無力化された弓弦さん(古空穂)と相馬さん(馬の足)は、昏倒したままだったので、ベースキャンプの中にある仮設住宅の一つに寝かしつけることにした。
双方の怪我の具合が気になるが、医師を買って出た特別住民も狂暴化してキャンプを脱走してしまったそうで、診る者が居ない状況らしい。
一応、簡単な応急処置はしたので、あとは二人の妖怪としての頑強さに賭けるだけだ。
同様に沙牧さんによって無双された海棲妖怪の皆さんも釘宮くんが運び込んでくれた。
こちらは全員意識がないだけで、大きな怪我はなさそうだ。
「『活かさず、殺さず』が売りですから♪」
とのたまわったのは、ドS系薄幸の未亡人(偽)の沙牧さんである。
「それは…私も…保証します…」
目の前で行われた一方的な蹂躙劇を前に、一時「砂怖い!」「助けてお母さん…!」と、うわ言を繰り返し、壊れかけていた柏宮さんが、身震いしながらそう追従する。
…本当に、以前どんな目に遭わされたのだろうか…?
いずれにしろ、上陸してからようやく一息つけた僕達は、しかし、そこで衝撃の事実を知る。
「本当か、それは」
残っていた妖怪の一人から報告を受けた神無月さんが、無愛想な顔の眉間にしわを寄せて、少し離れた場所で休憩を取っていた僕達の元にやって来た。
「…良くない知らせがある」
いつもの不機嫌そうな声が、更に不機嫌なものになっている。
顔を見合わせる僕達に、神無月さんは淡々と告げた。
「貴様達が探していた一反木綿と針女が、ベースキャンプから消えたらしい」
「ど、どういう事ですか!?」
砂地獄のショックにあった柏宮さんが、一瞬で正気に戻り、立ち上がる。
釘宮くんが、不安そうに聞いた。
「まさか…飛叢兄ちゃんや鉤野姉ちゃんも、正気を失って!?」
「すまんが、それは俺にも分からん。おかしくなった連中は、大暴れして逃走した者もいれば、誰にも何も言わずに姿を消した者もいるからな。ちなみに、件の二人は後者のケースのようだ。他の誰もが、姿を消したのに気付かなかったと言っている」
「そ、そんな…」
僕は最悪の結果を思い浮かべて、目の前が真っ暗になりそうだった。
茫然となる僕達に、神無月さんが告げる。
「そう気を落とすな。僅かだが、まだ希望はある」
「希望?」
聞き返す三池さんに、神無月さんは頷いた。
「少なくとも、接近する貴様達の船を見付けて、その調査の為に俺がここを発った時は、二人ともまだ正気だった。それが約二時間前。その間に、二人が一度に正気を失い、その後、同じタイミングで姿を消したとは考えにくい」
ポークパイハットの鍔を押さえて、神無月さんは瞑目した。
「となれば恐らく、どちらかが正気を失い、ここを出た事に気付いたもう片方が追跡に動いた可能性もある」
つまり…飛叢さんか、鉤野さんか。
そのどちらかは、まだ正気を保っている可能性があるってことか。
「疲れていると思うが、追うなら今しかない…どうする?」
新しい本を小脇に抱えながら、神無月さんがそう尋ねると、柏宮さんが頷いた。
その様子から、彼は二人を探しに行く気なのだろう。
「勿論、行きます!社長を追うなら、この蛇帯が必要でしょうし」
柏宮さんが、迷いなくそう言い放った。
「僕も行くよ!」
続いて、釘宮くんが元気よく立ち上がる。
肉体労働が続くのに、全く弱音を吐かない姿に、僕は改めて感服した。
沙牧さんは、しばし思案した後、
「では、私はここに残って、キャンプの守備に当たりましょう。幸い、この周囲は砂浜です。余程の事がなければ、持ち堪えてみせます」
そして、懐からスマートフォンを取り出し、続けた。
「それにちょうどいい機会ですし、陸にいる余さんに連絡を入れてみます。もしかしたら、何か進展があるかも知れませんから」」
いけない。そう言えば忘れていた。
こうしている間も、余さん(精螻蛄)は「K.a.I」のサーバーを覗き続けており「プロジェクト・MAHORO」の詳細を探っている筈だ。
一応、定時連絡を入れる事にはなっているので、確かにここがいいタイミングだろう。
すると、三池さんが手を上げた。
「じゃあ、私も美砂姉と残るわ。飛叢さんとお静さんの事は気掛かりけど、早矢っちゃんとか怪我人も居るから、何かあったら動けるメンツは多い方がいいでしょ?」
「異存は無い。任せよう」
頷いてそう言った神無月さんは、僕に向き直った。
「人間、貴様はどうする?」
「…僕も追跡組に入れてください」
僕のその言葉に、神無月さんはスッと目を細めた。
「…いいのか?場合によっては、戦闘になるかも知れんぞ?」
僕は頷いた。
「はい。行っても足手まといでしょうが、二人は大切な仲間です。放ってはおけません」
「…つくづくお人好しだな、貴様は」
呆れながらも、神無月さんは少しだけ笑っていた。
だが、すぐに元の仏頂面に戻り、
「では、行こう。手遅れにならんうちにな」
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「いた!」
夜の帳が薄らぎつつある中、飛叢は視界の悪い森の中に、ようやく探し物を見付けた。
場所は、ベースキャンプから歩いて30分程の地点だ。
上空から暗い森を探るのは、なかなか至難の業だったが、対象が目立つ着物姿だったのが幸いした。
同時に移動速度もそれ程でなかったのも不幸中の幸いだった。
「あのバカ、手間掛けさせやがって…!」
一人愚痴を吐き、目標の前に降下する飛叢。
突然現れた飛叢の姿を認め、目標…鉤野が目を見張った。
「何やってんだ、こんな所で!」
思わず飛叢が怒声を上げると、鉤野はビクッと身を震わせた。
「…飛叢さん」
「『…飛叢さん』じゃねぇよ!お前、いまこの島がどうなってるのか、分かってんだろう!?こんな所でフラフラしてんじゃねぇ!」
真剣な顔で怒る飛叢に、鉤野は力なく項垂れた。
「すみません…」
いつもなら怒鳴り返してきてもおかしくない相手だが、当の本人は小声でそう呟くだけだった。
そんな鉤野の様子に、飛叢が少しバツの悪い表情になる。
「くそ真面目なお前のこった。どうせ『いまの状況は、全部私のせい。自分一人でも、皆を連れ戻す』なんて考えてるんだろう?」
「…」
図星なのか、無言のままの鉤野に、飛叢は溜息を吐いた。
「ったく。何でそうなるん…」
「私のせいですわ」
飛叢の台詞を遮り、鉤野が口を開く。
「『妖怪達のために』と思って『mute』に協力したのはいいものの、まんまと利用されて、こんな計画に他の妖怪達を招き入れてしまいました…最初から『mute』には怪しい部分がありましたのに…」
俯いた鉤野の身体が、細かく震えていた。
「『K.a.I』への参加も同じですわ。良かれと思ってやった事が、結果的に貴方や十乃さん、釘宮さんを裏切る事になってしまいました。そんな自分が、皆さんに顔向けできる訳がない…だから、全部自分で何とかしようと思った結果が、こんな…」
不意に。
鉤野が嗚咽を漏らす。
泣いているのか、と思った飛叢は、一歩近付こうとして、その足を止めた。
気のせいか。
鉤野の嗚咽が、低い笑い声の様に聞こえる。
「お、おい…大丈夫か?」
得体の知れない感覚に、飛叢の声が強張る。
すると、鉤野はゆっくりと顔を上げた。
その顔は、泣きながら笑いを浮かべる、美しくも凄惨なものになっていた。
飛叢が歯噛みする。
(くそ!こいつも呑まれたのか!?)
『貴方、誰…?』
針女としての本性を剥き出しにした鉤野が、飛叢へ目線を流す。
ほつれた髪が数条、その朱色の唇に咥えられ、ゾクリとする様な色気を見せていた。
『貴方は、こんな私を愛してくれる…?罪に汚れた身体でも、一緒に居てくれる…?』
その美しい黒髪の先が、鉤状に変化する。
黒い不吉な蛇の様に鎌首をもたげる鉤毛針が、飛叢へと向く。
『ねぇ…何故答えてくれないの…?』
飛叢は答える代りに、右腕を振るった。
巻かれたバンテージが数条に分かれ、宙を薙ぐ。
『貴方も…私を一人にするの…?』
「…」
『そうなのね…貴方も、私を…』
鉤野の目が鋭くなった。
『なら、無理矢理にでも連れて行くわ…!』
「俺はどこにも行かないし、お前は一人じゃない」
鉤野の視線を真っ向から受けながら、飛叢が鉤野に向かってゆっくりと歩き出す。
「バカな事言ってないで、とっとと正気に戻れ」
『黙りなさい…!』
鉤野の鉤毛針が飛叢に向けて放たれる。
それを飛叢のバンテージが迎撃し、弾き返す。
「どうした?こんなもんか?」
『おのれ…!』
更に幾つもの鉤毛針が、飛叢へと殺到する。
そのことごとくを、飛叢は防ぎきった。
『おのれ!おのれ!おのれぇぇ…!』
「それで本気か!?いつもの方が数倍は速いし、鋭いぜ!?」
飛叢の言葉通り、鉤野の鉤毛針は普段であれば高速戦を得意とする飛叢でもかわすのに苦労する程である。
が、今の鉤野が繰り出すそれは、いつもの精彩がなかった。
本能が前面に出たため、凶暴性や攻撃力は向上しているようだが、それだけである。
理性が薄い分、その攻め方は単調で読みやすい。
妖怪としての能力は、決して本能だけに基づくものではないのである。
しかし。
飛叢は一定距離まで近付くと、不意にバンテージを収めた。
それを見た鉤野の目に喜色が浮かぶ。
『捕らえた…!』
ズバッ!
ザシュッ!
幾重もの鉤毛針が、飛叢の身体を切り裂き、拘束する。
苦痛に顔を歪め、鮮血にまみれる飛叢。
鉤野は昂りを抑えきれぬかのように哄笑した。
『ホホホホ…ようやく捕まえたわ…!さあ、私と共に参りましょう。二人だけの世界へ…!』
鉤野の髪が引き戻されていく。
が、飛叢は鉤状の毛先が肉に食い込み、血が溢れるのも構わずに、抗った。
そして、一歩ずつ自分の足で鉤野へと近付いて行く。
凄惨極まるその姿に、鉤野の笑いが止まる。
『あ、貴方…何を…』
「なーにが…『二人だけの世界』だ…!」
一歩。
「お前は…そんなみっともねぇ姿で泣きじゃくって…一体何がやりてぇんだ…?」
一歩。
「『全部私のせい』?ああ、そうだな。手前で勝手に我慢し続けて、結果はこのザマだ…けどな、お前なりに悩んで、考えて…突き進んでここまで来たんじゃねぇのかよ…?」
また一歩。
「だったら…!」
『あああああっ!!』
近付いて来る飛叢の姿に堪え切れなくなったように、鉤野が鉤毛針を一筋放つ。
飛叢は拘束が緩んだ左腕を振るい、それを血染めのバンテージで弾き返した。
返された鉤毛針は、鉤野の首を掠めた。
遂に鉤野の目の前に到達した飛叢は、血まみれになったまま、鉤野を見下ろした。
その血染めの姿は、理性が薄れ、本能が剥き出しになった鉤野も怯む程だった。
そんな彼女の前で、飛叢は拘束力を失いつつありながら、身体に絡まる鉤毛針を、肉が裂けるのも構わずに引き抜いた。
「めそめそ泣かないで、胸張って堂々としてやがれ…!」
『あ…ああ…」
鉤野の頬に、赤い飛沫が僅かにかかる。
それと共に、鉤野の目に正気の光が戻っていった。
「あ…わ、わたくし…私は…一体何を…?」
夢から覚めた様に、鉤野が頭を振る。
そして、眼前に立つ飛叢の姿に、大きく目を見開いた。
「ひ、飛叢さん…!貴方…!?」
ぐらつく飛叢の身体を、血に汚れるのも構わず抱き止める鉤野。
鉤野は、その身体に刻まれた傷跡を目の当たりにし、全てを察した。
自分が何をしたのかを。
どんな状態にあったのかを。
「気にすんな…こんなもん、かすり傷だ」
「で、でも…でも、これは…この傷は…まさか…私が…!?」
「…うるせぇ」
「…こんな…こんな事になるなんて…私は…もう、皆の所へは…戻れな…」
「うるせぇってんだよ…!」
ダン!と、飛叢が傍らの木の幹に拳を打ちつける。
鉤野が口をつぐむと、飛叢は静かに告げた。
「お前、それ本気で言ってんのか?」
「…」
「俺や十乃!釘宮に三池!沙牧も!柏宮も!余さえ!そう考えてると…俺達がお前を拒むと…そう思ってんのか!?」
飛叢は、先程以上に本気で怒っていた。
「見くびるんじゃねぇ!!俺達はそんなしみったれた理由で仲間を切り捨てたりはしねぇんだよ!!」
「飛叢さん…」
「ああもう!いい機会だから、どこまでもくそ真面目で、堅物のお前に『正解』を言ってやらあ!いいか!お前は俺達の仲間だろ!?」
飛叢が、下を向きかけた鉤野の胸ぐらを掴み、その顔を上げさせる。
真剣な表情の飛叢に、鉤野は気圧されるようにおずおずと頷いた。
「なら、こういう時はな!俺達に『助けてくれ』って、ただ一言言えばいいんだよ!!」
鉤野の目が大きく見開かれる。
そして、自身のその胸のうちで張り詰めていた何かが、断ち切れるのを感じた。
自分は、何を意固地になっていたのか。
何故「それ」を見失っていたのか。
会社の発展や地位の向上よりも。
題目のように掲げていた「妖怪のため」という使命感よりも。
とても大切にしていた「それ」が、すぐ傍にあったではないか。
だが、自分は何にも代え難い「それ」を、いつの間にか置き去りにしていた。
ありふれた日常の中で、ごく当たり前のように光を放っていたもの。
あの降神町役場のセミナーで、過ごしていた、ごく普通の「大切な時間」
確か、人間はそれを「絆」と呼んでいた。
鉤野の目にみるみる涙が溢れ、頬を伝う。
悲しい時に流れる涙は、冷たい。
だが、いま自身の頬を濡らすそれを、鉤野はとても温かく感じた。
「…す…けて…」
微かに、言葉を刻む。
涙は、止まらなかった。
飛叢は鉤野から手を放し、彼女の言葉を待っている。
だから、しゃくりあげながらも、鉤野は思いの全てを口にした。
「助けて…ください…皆を…私を…!」
「当ったり前だ、バカヤロウ!」
鉤野の頭に手を置き、飛叢が怒鳴るように応じる。
それで。
全てが事足りた。
そして、鉤野の言葉に応じるかのように、近付いてくる足音があった。
「飛叢さん!鉤野さん!」
懐かしい声に、二人は振り向く。
そこには、いつもの仲間達がいた。
唖然となる二人へ、彼らは駆け寄る。
「社長!本当にもう!心配したんですよぉぉぉぉ!!」
涙ぐみながら、柏宮が鉤野へと抱きつく。
「大丈夫!?飛叢兄ちゃん!」
傷だらけの飛叢を見て、心配そうに、釘宮が走り寄って来る。
「どうやら最悪の事態は避けられたようだな。ふん…手間をかけさせるな、まったく」
いつもの無愛想な顔のまま、神無月がぼやく。
そして…
「遅くなりました、飛叢さん…鉤野さん…!」
巡は、いつものように笑った。
「巡…お前」
「…何故、貴方まで…」
ボロボロの飛叢と涙も乾かない鉤野が、それぞれそう口にすると、巡は一瞬キョトンとなった。
そして、
「やだなぁ。忘れちゃったんですか?二人とも」
呆れ顔になった巡が続ける。
「チームでしょ、僕達。なら、助けに来るのは当たり前じゃないですか」
そう言うと、巡は何の変哲もない笑顔を浮かべたのだった。
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ここで時間は、再び遡る。
巡達が「絶界島」へと辿り着く少し前のこと。
「…何でござるか…これは…!?」
巡達を見送った港町の喫茶店。
その店内の片隅で、持参したノートPCの前で、情報収集のためにひとり陸に残っていた余は、その画面に映し出されたモノを前に、思わずそう呻いた。
画面内には「プロジェクト・MAHORO」に関する情報を得るため、余自身が「K.a.I」のサーバー内から引き出した「ある情報」が表示されている。
「こうしちゃいられないでござる…!!」
すぐさま自身のスマートホンを取り出し、巡の携帯番号へとかける余。
しかし…
『お客様がご利用になられました番号は、現在電波の届かない場所にいるか、電源が入っていないか…』
聞こえてきた不通のメッセージに舌打ちし、再度かけ直す。
が、結果は同じ。
しかも、巡以外の全員の連絡先が圏外になっていた。
「何ででござる!?さっきは通じた筈でござるが…」
珍しく焦った表情で、スマートフォンを睨む余。
(マズいでござる…マズイでござるぞ、これは!何とかこれを十乃殿や他の皆に伝えなくては…!)
だが、その手法がない。
電話は通じず、無線もない。
あとは、急いで巡達を追い掛けるしかないが…
「肝心の船が無いでござるぅぅぅぅぅぅぅ!」
頭を抱えて床を転がる余。
他の客や店員が、危ないものを見る目でヒソヒソと囁き合う中、余は危険な光を目に宿して立ち上がった。
「…仕方がないでござる。奥の手でござったが、ここは傑作選『議員先生との内緒話~お主も悪よのぅ編~』で、五稜氏と大至急交渉を…」
「さっきから何してんだ?あんた」
不意に。
そんな若い男の声に、余が振り向く。
そして、その目に驚きが浮かんだ。
「床を転がってたら危ないだろ。踏み潰されても知らないよ」
これは若い女性だ。
「おや?貴方は確か…」
別の若い男が、余を見て驚いたように言った。
余は、躊躇わずにその男女に両手をついた。
「方々、お願いがあるでござる…!」




