【六十九丁目】「…つくづくここは気に食わねぇ」
民間企業「mute」主催の特別住民向け人間社会適合セミナー「Knowledge and Innovation」(知識と革新)…略して「K.a.I」と呼ばれるセミナーは、降神町市街地のとある高層ビルの中で催されていた。
中層階8フロアにも及ぶ広い面積を惜しみなく使用し、最新の機材と教材を揃え、一流のスタッフによるバックアップを実施。
講義は分かりやすく、自由にカリキュラムを選択でき、ステージをクリアしていけば就職斡旋も行っている。
また、知識だけでなく、肉体面でのケアも充実しており、定期健診や身体検査のほか、メンタルチェックや妖怪専用のリラクゼーション設備も完備されているのだから、まさに申し分なし。
加えて受講料も格安で、有料とはいえ、役場の無料セミナーを遥かに凌ぐ充実した内容に、訪れた妖怪達からの評価は極めて高かった。
「すっごーーい!無料エステにスパまであるって!これ全部タダよ、タダ!信じらんなーい!」
これでもかと行き届いたサービスの数々に、三池 宮美(猫又)は興奮の色を隠せなかった。
無理もない。
目の前には、彼女が知り得る限りでは最高の娯楽施設が並んでいるのだ。
しかも、それらがほぼタダ同然で使い放題ときた。
「あ、あの高級リゾートにしかないと言われるサービスの数々が、こんな地元にあるなんて…にゃんてコト!」
あまりのショックに、よろめく三池。
それに飛叢 隼人(一反木綿)が退屈そうに鼻を鳴らす。
「フン…俺は全く興味が沸かねぇな」
「な、何言ってるのよ、飛叢さん!?これ全部タダよ、タダ!私達が必死になって働いても、これの十分の一も体験できないのばっかりなのよ!?」
「別に体験なんざしたくはねぇよ。大体何だよ、スパってのは?風呂なんざどこで入っても大して変わらんだろうが。わざわざこんな所で入らなくても『亀の湯』あたりで沸きたての熱い風呂にでも入りゃあいいんだよ」
ちなみに「亀の湯」とは、町内にある老舗の銭湯の事だ。
そんな飛叢の言葉に、
「あらあら。貴方はここで一回、その野蛮な脳みそごと熱湯で洗濯してもらうといいのかも知れませんね」
そう忌憚ない言葉を吐いたのは、和装美人の沙牧 美砂(砂かけ婆)だ。
上品に着物の袖で口元を押さえながら、ニコニコ笑っていつもの毒舌を展開する。
「ついでに真っ当な仕事先も斡旋してもらってはいかがです?そうすれば、家賃滞納から解放されて、私も余計な手間をかけなくてもよくなりますし」
「あんたこそ、そこのエステでその砂まみれの肌を何とかしてもらったらどうだ?」
飛叢のその言葉に、キン、と場の空気が張り詰める。
目こそ合わせないものの、両者の間に殺気が渦巻きだすのを見て、ガイド役になっていた柏宮 千尋(機尋)があたふたと言った。
「リ、リラクゼーションフロアはこの辺でいいですよねっ!?次はセミナーフロアに行きましょう、セミナーフロアに!」
中学生くらいの体躯ながら、ピッチリとOLスーツに身を包んだ柏宮は、飛叢達の知己である鉤野 静(針女)が経営する服飾メーカー「L'kono」の社員である。
同時に降神町役場が主催する人間社会適合セミナーの卒業生で、飛叢達とも面識があった。
更に言うと、鉤野と親友である沙牧にしてみれば、日頃よく顔を合わす間柄でもある。
そんな柏宮が何故ここにいるのか。
実は、今回「K.a.I」に体験入学をしたいという希望を沙牧が彼女に伝えたところ「では、私が案内します」と立候補したのである。
聞けば、協賛企業である「L'kono」の社員である柏宮は「K.a.I」へ自由に出入りできるとのことだった。
勿論、ここに所属する正規の担当者を通じても良かったのだが「mute」の情報を得るために潜入した飛叢達としては、知り合いの顔パスで自由に動ける方が都合が良い。
かくして、柏宮には目的を内緒にするようにし、三池・飛叢・沙牧の三人は無事「K.a.I」内部へ潜り込むことに成功した。
が、その施設の全容を知り、改めて「K.a.I」の規模に舌を巻いた三人だった。
これだけの規模の施設や人員を展開されては、いくら無料とはいえ役場のセミナーなどまさに子供騙しに等しい。
こちらに乗り換えようという特別住民の気持ちも分からなくはない。
(…だけど、何か気に入らねぇんだよな)
セミナーフロアへと繋がるエレベーターの中で、飛叢は壁に寄りかかりながら腕を組む。
日頃、こうした華やかな環境には縁がないせいかも知れないが、飛叢自身は得も知れぬ違和感を感じていた。
まず、過剰なまでに妖怪を厚遇する姿勢が何とも胡散臭い。
日本政府が推進する「妖怪保護」は知ってはいるが、ここまで手取り足取り妖怪に配慮する目的が読めない。
巡の話では、国からも補助金が出ているそうだが、それだって元をただせば人間達の血税だ。
現代の人間は政治に無関心な者が多いというが、いくら国が「妖怪保護」を謳っていても、こんな税金の使い方をしている事が広まれば、どこからか反発がきてもおかしくは無いだろう。
「着きました。ここがセミナーフロアです」
柏宮の先導で、三人はエレベーターを降りた。
そのフロアは先程回ったリラクゼーションフロアよりはだいぶシンプルな構造のフロアだった。
天窓から差し込む日差しに照らされた白い壁がまぶしい回廊の様なフロアだ。
見渡すといくつもの個室が連なっている。
「このセミナーフロアには二十以上の講義用の教室があり、それぞれ専門分野のエキスパートの皆さんが教師を務め、妖怪の皆さんに向けてセミナーを開講しています。セミナーは自由選択が出来て、それぞれ一定のの単位を修める事でより高いステージに進級できるようになっています」
「自由選択できるの?でも、こんなにあると逆に迷っちゃいそう…」
分野ごとにオールラウンドな時間割を定め、小学校形式をとっている役場のセミナーと比較する三池。
確かに自分で選択する自由は有難いが、どのセミナーを受けたら効果が高いのかは本人次第となる。
「大丈夫よ、みやみー。そんな方の為に、進路指導を前提とした受講ガイダンスもあるからね。将来、自分が人間社会でどんな職業に就いたらいいのかとか、担当スタッフに相談するだけで、受講すべきセミナーを選んで組んでくれるから」
柏宮がそう説明する。
そして、付け加える様に言った。
「でも、みやみーの言うように悩む妖怪は多いみたい。ほぼ全員がそうやってカリキュラムを組んでもらってるよ」
「成程。大体の妖怪が、ね…」
沙牧がそう呟く。
その時だった。
「あ、貴方達!?」
不意に驚きの声が響く。
見ると、遥か彼方の廊下に一人の女性が立って、こちらを驚いた様に見ている。
珍しくタイトスカートのスーツに身を包んだ鉤野だった。
傍には見知らぬ男性が一人連れ立っている。
「あ、お静さんだ!こんにちは~、お静さん。お久し振り~!」
三池が手を振ると、鉤野は瞬間移動に近い速度で飛叢達の前にやって来た。
そして、物凄い形相で三人をねめつける。
「三池さん、飛叢さん、美砂まで!?な、何で貴方達がここにいますの!?」
「えっ?い、いやまあ、ちょっと、色々あって…」
「社長、皆さんは『K.a.I』の体験入学に来ているんです」
詰め寄る鉤野の剣幕に気圧されつつ、三池が仰け反りながらしどろもどろになると、柏宮がそう説明した。
すると一転、鉤野が訝しげな表情になった。
「体験入学?貴方達がですか…?」
「う、うん」
おずおずと頷く三池。
「…飛叢さん、貴方もですの?」
「まあな」
懐疑的な視線を向ける鉤野に、飛叢も視線を逸らし、そう答える。
最後に沙牧をジロリと睨む鉤野。
沙牧はニッコリを笑って、首を傾げた。
「美砂…これは、貴女の差し金ですの?」
「そうですよ。何か妙な事でもあるかしら?こんな素敵なセミナーが開講されているんですもの。特別住民なら興味の一つくらいは持って当然よね?」
そこで沙牧は袖で口元を隠して続ける。
「親友がそこで頑張っているなら、尚のこと…でしょう?」
「…美砂、貴女…」
「失礼。何かトラブルですか、鉤野さん?」
突然。
そう割り込んできた声があった。
見れば、先程鉤野に連れ立っていた男性だった。
高価そうなスーツに身を包んだ、長身の男性だ。
しかも、飛叢に負けず劣らずのイケメンである。
野性的でラフな魅力を漂わせる飛叢とは真逆に、穏やかさと爽やかな雰囲気をかもし出すその男性に、三池が思わず溜息を吐いた。
(うわあ…スンげぇイケメン…!)
(あらあら…これは何という…)
沙牧も男性の優雅な外見に目を見開いた。
ハッとなった鉤野は、軽く咳払いをし、男性に振り向く。
「楯壁さん…いいえ、何でもありませんわ」
先程の剣幕はどこへやら。
上品に微笑む鉤野だった。
「顔見知りに出会ったものでしたから、つい」
「では、皆さん鉤野さんのご友人でしたか。これは失礼」
丁寧に頭を下げる楯壁。
「僕は楯壁。楯壁 守弥と申します。以後お見知りおきを」
そして、白い歯を輝かせ、爽やかな笑みを浮かべる楯壁。
それを見るや否や、三池の目がたちまちハート型になる。
「あ、ああああたしっ!三池 宮美っていいます!もち独身!早速ですが楯壁さんは犬派!?猫派!?」
「沙牧と申します。しーちゃん…いえ、鉤野さんがお世話になっております」
「…飛叢だ。まあ、よろしくな」
沙牧は楚々と、飛叢はぶっきらぼうにそう名乗る。
それぞれに爽やかな微笑を向けると、楯壁は鉤野に向き直った。
「鉤野さんのご友人という事は、皆さん特別住民ですね。こちらの受講者ですか?」
「い、いいえ。彼らは皆、体験入学中です」
それを聞くと、楯壁はポンと手を打った。
「それは丁度いい。でしたら、僕達と一緒に回りませんか?こう見えても僕と鉤野さんはこのセミナーの顧問です。多少の案内は出来ますよ?」
「いや、生憎だがガイド役は間に合っ…」
「ぜひお願いしますッ!!」
「ええ。どうぞよしなに」
飛叢の台詞を三池と沙牧が即座に遮る。
楯壁はにこやかに頷くと、一同を誘うように手を差し伸べる。
「さ、どうぞ。このセミナーフロアでいちいち中を見ていては日が暮れてしまいます。上のエクササイズフロアにでも参りましょう」
そんなさりげない仕草に気品と優雅さが漂う。
鉤野もそんな楯壁を眩しそうに見ている。
三池は勿論、沙牧もイケメンのエスコートに悪い気はしないようだ。
飛叢は疲れた様に溜息を吐いた。
「どうやら用済みのようだな、お前」
「…ふぁい」
半分涙目になる柏宮の頭をポンと叩く飛叢だった。
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一同が案内されたのは、様々な運動施設があるフロアだった。
体育館の様な多目的ホール。
最新の機器が並ぶトレーニングルーム。
広々としたプールまである。
いずれも妖怪用に調整されたものだ。
現在も何組かの妖怪達が、各施設で身体を動かしている。
それらを見下ろす事が出来る見学用の通路を進みながら、三池と沙牧は楯壁から説明を受けていた。
そこから少し離れて歩く飛叢と柏宮に歩調を合わせ、鉤野が小声で聞いてくる。
「…一体何を考えていますの?」
「何の事だ?」
「しらばっくれるのはお止しなさい。宮美ちゃんや美砂ならともかく、貴方が役場のセミナーからホイホイと鞍替えしてこちらに参加するなんて思えませんわ」
そして、鋭い視線で飛叢を見上げる。
「正直に話しなさい。何が目的でいらしたんです?」
「…バレちゃあ仕方ないな」
ニヤリと笑う飛叢。
「『mute』ってのはどういう会社なんだ?知ってる事を教えてくれよ」
一瞬顔を強張らせた鉤野は、視線を飛叢から外す。
「最近日本でも展開を始めた新興企業ですわ。外資系の企業で、日本での実績作りに特別住民絡みの事業に手を伸ばしているようですわね」
そこで一息つく鉤野。
「それと貴方がここに居る事に何の関係があるんですの?」
「…巡の奴が心配してるぜ」
「十乃さんが…?」
「ああ。あいつはお前が妙な会社に関わって、酷い目にあうんじゃないかって心配していたよ」
鉤野は沈黙した。
そんな二人のやり取りを、柏宮が不安そうに見ている。
「…それは余計なお世話というものですわ」
「だな。でも、巡はそういう奴だ。てめぇんとこのセミナーの客足の心配よりも、セミナー自体の存続の事よりも、お前自身の心配をしている」
「…」
沈黙する鉤野に、飛叢は続けた。
「逆にこっちから聞きたいんだがよ…お前、一体何を隠してる?」
鉤野の足が止まる。
飛叢はその横を通り過ぎた。
「さっき、お前は俺が役場のセミナーから鞍替えするのが信じられねぇって言ったな。なら、言わせてもらうが、俺はお前が『こんな事』のために役場のセミナーを休み続けてるのが信じられねぇ」
「それは…勿論、会社のためですわ!私の夢だった『L´kono』をより大きな企業にするために、実績を積む必要があるのです。『K.a.I』に協賛したのも、顧問になったのも、その一手段に過ぎません!」
飛叢の足が止まる。
だが、振り返ることは無かった。
「…成程な。そいつが本音なら立派なもんだ。巡が気にやむから、俺はこの前『鉤野が何をしてようと気にはしない』とは言ったが…」
飛叢の声が固く響く。
「そのためなら仲間が築いてきたものも踏み台にするってのか…?」
「貴方に何が分かりますの!?根なし草で、その日暮らしの貴方に、会社を背負うという事がどういうことなのか、分かる訳ありませんわ!」
「ああ分からねぇ。ついでに言やぁ、仲間を蔑ろにするくらいなら、分かりたくもねぇ」
立ち止まったままの鉤野。
それを置き去りにして再び歩き始める飛叢。
離れていく二人の距離が、ひどく遠いものに柏宮は感じた。
「『働き過ぎでお身体を壊さないように』」
立ち尽くしていた鉤野が、柏宮のその言葉に振り返る。
柏宮はニッコリと笑った。
「十乃さんからの伝言です。社長に伝えて欲しいって」
「千尋ちゃん…」
「あと、こうも言ってました…『いつでも帰ってきてください。皆で待ってます』」
鉤野は俯いた。
長い髪に隠れて、その表情は見えない。
その細い肩が少しだけ震えていた。
柏宮はそんな鉤野の手を取った。
「行きましょう、社長。大丈夫、私は社長を信じてます!」
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鉤野達の前を行く楯壁は、三池と沙牧を相手に丁寧な説明を続けていた。
「…で、こちらが武道場です。ここも妖怪用に作られていて、そんじょそこらの妖怪が暴れた程度ではビクともしません」
「へぇ~、スゴイんだぁ。りっくんが全力出しても平気なのかな…?」
「楯壁さん、少しいいでしょうか…?」
施設を一通り見た沙牧が、そう尋ねると、楯壁は頷いた。
沙牧はスッと目を細めると、
「ここが妖怪専用の人間社会適合セミナーである以上、リラクゼーションフロアやセミナーフロアがあるのは、まあ分かります。でも、何故こんな運動施設まで…?」
すると、楯壁は通路に張られた強化ガラスの窓に近付いた。
丁度、下に見える武道場では、妖怪達が個々に鍛錬をしている。
但し、鍛錬と言っても人間の武闘家達が行うトレーニングではない。
ある者は激しく組み合い、本気さながらの勝負をしている。
ある者は身体の一部を刃にし、標的である藁束を次々に断ち切っている。
炎を吐き、爪で切り裂き、牙で貫く者もいた。
まるで、それぞれが本能の赴くままに、妖力を振るっている。
それを見下ろし、楯壁は静かに話し始めた。
「ここに集った妖怪の皆さんは、人間社会に適合する事を目標としていますが『人間そのものになる』という目標は持っていません」
「…」
「そして、妖怪でいる以上、彼らはその本能を人間社会の中で常に抑圧され続けています。それは自覚がなくても、妖怪の皆さんにとっては静かに積っていくストレスとなる」
妖怪は、人が未知のものに抱く怖れによって生まれた存在だ。
それは如何に無害な妖怪であっても変わらない。
そのため、彼ら妖怪の行動原理も「人の怖れ」を招く事に集約される。
そんな彼らが、人間社会に組み込まれる以上、その行動には抑制が必要となるのである。
つまり…
人を驚かせてはいけない。
人を惑わせてはいけない
人を殺してはいけない。
そんな人としては当たり前の道徳観念が、妖怪達にとっては時にフラストレーションの原因となっていく。
楯壁はにっこりと微笑んで、続けた。
「ここは妖怪の皆さんの運動活動を補助する場所でもありますが、そうしたストレスのはけ口を提供する場でもあるんですよ」
「成程。それは素晴らしいですね」
沙牧が感情のない声でそう答える。
三人に追いついた飛叢は、ガラス窓に近付き、眼下の武道場を見た。
(あれは…太市の奴か…?)
彼の視線の先には、一人の青年がいた。
役場のセミナーで何度も顔を合わせ、馬鹿話で盛り上がったり、熱心に講義を聞いていた“鎌鼬”の青年だ。
最近役場のセミナーに姿を見せなくなった常連の一人である。
ここにいるという事は、彼もまた「K.a.I」に参加することを決めた一人なのだろう。
複雑な視線を送る飛叢には気付かず、太市は両手から生やした鋭い鎌を閃かせ、正に風の如きスピードで藁束の間を駆け抜けた。
数瞬遅れて、藁束は鮮やかな断面を見せて床に落ちる。
「…」
飛叢は見た。
セミナーでは朗らかで、人懐っこかった太市。
風と化し、人を切り裂く妖怪でありながら、それを良しとしなかった優しい青年だった。
だが…
今、藁束を切断してのけた彼の顔には。
一瞬だったが明らかに獣性が浮かんでいた。
妖怪としての本性を剥き出しにしたその一瞬の笑みに、飛叢は一人舌打ちをした。
「…つくづくここは気に食わねぇ」




