【六十一丁目】「行かないで…!」
記憶が。
記憶が。
記憶が。
衝動となる。
目の前には一人の鬼女が居た。
刀の様な出刃包丁を両手に持ち、凄まじい力と速度で振り回している。
その一撃一撃が重い。
それを受けながら、彼女は違和感を感じた。
自身の身体が重い。
力も普段より出ない気がする。
鬼女はそんな彼女を追い詰めていく。
間合いをとって仕切り直したいが、そうはいかない。
ここは動けない。
動く訳にはいかない。
自分の背後には■■■■がある。
だから、退くことなど出来る訳が無いのだ。
そんな決死の思いで、彼女は力を振るう。
だが、先程周囲一帯を薙ぎ払った力も、何故か万全に振るえなかった。
それでもどうにか鬼女を退けると、今度は天狗が襲い掛かって来た。
燃え盛る剣を振るいつつ、羂索で彼女の動きを封じようとする。
加えて、三体の死霊が彼女の周囲に展開した。
そして、天狗と共に彼女へ肉薄し、追い詰めようとする。
先程まではそれなりにあしらっていた相手だが、いま相手にすると三人が三人共桁はずれの連携を見せた。
動きも力も、先程の比ではない。
彼女の周囲にはまだ敵が居た。
バイクという機械に跨り、高速で移動する二体の妖怪。
時折、炎の飛礫を放ったり、大胆にも体当たりを繰り返してくる。
更に、その合間には銃による狙撃や砲撃が彼女を襲った。
(何で…?)
彼女は思案する。
何故、この者達はここへ来るのか。
何かの力が働いていたのか、不思議とここは長く人が通わない場所だった。
だから、彼女もひっそりと時を送る事が出来た。
変化が生じたのは、ここ最近だ。
いつもの様に花々の手入れをしていた彼女は、麓からやって来る何者かの存在を察知した。
やって来たのは人間。
そして、何故か妖怪も一緒だった。
彼女は首を捻った。
人間と妖怪は互いに相容れぬ存在の筈だ。
それなのに、何故一緒になってこんな場所に現れたのか。
人間も妖怪も、久しく目にしていなかった彼女は、接触して来た彼らにここから去る様に言った。
が、言葉は通じなかった。
それは仕方が無い事だった。
何故なら、彼女は「本当の事」を言えなかったから。
それに困惑する人妖に、彼女は苛立ちを覚えた。
自分は静かに過ごしたいだけなのに。
何故、この連中は自分をそっとしておいてくれないのか。
なおもしつこく語りかけてくる彼らに、彼女は遂に我慢の限界に達した。
久しく使わなかった力を開帳し、彼らを沈黙させた。
人間は残らず眠らせた。
妖怪は全て手勢に取り込んだ。
これで、再び安穏な時間が訪れる。
そう思っていた。
そう思っていたのだ。
だが、穏やかな時間は、いま目の前にいる妖怪達によって再び破られることになった。
「ここから消えなさい、虫けら共!」
彼女は牙を剥いて猛る。
ここは■■■■。
彼女にとって大事な場所。
誰にも汚されたくない「聖地」なのだ。
例え数で不利でも。
力を抑え込まれ、攻め押されても。
彼女は悲痛な思いと共に、立ち塞がる。
「ここから先へは、絶対に行かせない…!」
刃を受け、炎に焼かれ、傷付いても、彼女は退かなかった。
幾度も押し寄せる敵の攻勢に、怯むこともなかった。
ただ、一つの思いだけが彼女を支えていた。
「姐さんの安達ヶ原に取り込まれてるってのに…マジでしぶとい奴だぜ!」
蒼い陽炎を纏い疾走する妖怪が、そう言いながら睨んでくる。
それだけではない。
周囲を取り囲む敵意。敵意。敵意。
彼女は、自らを覆い尽くそうとするそれらに吼えた。
「この程度で退くものか!妾は“天毎逆”…毎に天に逆するものなんだから…!」
視界が滲む。
全身を疲労が襲う。
気力が萎えそうになる。
それでも。
それでも彼女は立つ。
かつて、神代に君臨した「神霊」の威厳と誇りをもって、笑みを浮かべる。
「さあ、早く来なさい!全員まとめて常世に送ってあげるわ…!」
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『“塚”を調べろ』
そう黒塚主任(鬼女)に言われた僕は、沙槻さん(戦斎女)と二人で前線を後にし、乙輪姫(天毎逆)に気取られないよう、大きく森の中を回り込んで移動した。
そうして丁度、墓所と思われる塚を挟み、皆が乙輪姫と交戦している真反対側にたどり着く。
ここからはお互いが死角になっているため、乙輪姫も僕達の姿に気付くことはない筈だ。
白い花園は塚の真後ろとなるこちら側にも広がっていた。
周囲で目を引くものと言えば、古びたお堂が一軒建っているのみ。
そして、もう一つ。
「とおのさま、あれを…!」
沙槻さんの指差す方を見れば、塚の側面に小さな出入口があるのが目に入った。
女性の身体になって、小柄になったのが幸いだ。
今の僕なら屈んでようやくだが、入ることが出来そうである。
どうやら、主任の推理は当たっていたようだ。
やはり、この塚の下には“何か”がある。
「中を調べます。沙槻さんも一緒に来てくれますか?」
「はい。どこまでもおともします」
一瞬、別の意味にも聞こえて怯む僕。
だが、今は一刻を争う。
どうか、罠なんかありませんように。
「せ、狭いなぁ」
隧道を抜けて進んでいくと、程なくして広い空間に出た。
古墳でいう玄室だろう。
ひんやりとした部屋の内部は、石を積み上げられて作られた、明らかに人工的なものだ。
考古学には詳しくない僕だが、相当古いもののように思える。
そして、特筆すべきは室内の明るさだった。
ヒカリゴケか何かなのか、室内全体が仄かな光に包まれている。
外の花園もそうだが、この玄室も幻想的な美しさだった。
「あれ…?」
ふと、僕は室内の中央に置かれたものに気付いた。
石でできたテーブルの様なものだ。
近付くと、細長い立方体の岩石だった。
「せっかん…ですね。やはり、ここはだれかのおはかのようです」
「石棺!?」
沙槻さんの言葉によく目を凝らすと、確かに岩の上部が蓋の様になっている。
人一人なら余裕で横たわれそうな大きさといい、石棺という見方はあながち間違ってはいないだろう。
「すると、中には人が…?」
「おそらく」
僕の言葉に頷くと、沙槻さんはとんでもないことを言った。
「さっそく、あけてみましょう。とおのさまはおさがりください」
「ええっ!?開けるの!?コレを!?」
「はい。なかに“あまのざこ”をふうじるための『ひんと』があるかもしれません」
「で、でも…」
僕は重そうな石棺の蓋をチラリと見た。
「…罰当たりじゃないかな…?」
「だいじょうぶです」
言うや否や、祝詞を唱え、大幣を一閃する沙槻さん。
驚いたことに、それだけで相当な重量がありそうな石棺の蓋が浮き、地響きを立てて傍らに落ちた。
「たとえ、あいてがばけてでても、わたしがはらいます」
振り向いて、ニコッと笑う沙槻さんに、僕は声も出せなかった。
…根はおしとやかで、清純な娘なのだが、時々こうした過激な面が出るのは、如何なものだろう…?
とりあえず、開けてしまったものは仕方がない。
僕と沙槻さんは、石棺の中を恐る恐る覗いてみた。
肝っ玉が太い方ではない僕としては、遺体を直視するのは避けたいところなのだが…
しかし…
予想に反して、石棺の中は空っぽだった。
長年降り積もった塵以外は、何もない。
呆気ない結果に、僕は溜め息を吐く。
「空っぽか…となると、後は外にあったお堂しか…」
「…これは…」
僕の言葉を遮り、沙槻さんが声を上げる。
そして、棺の中から何かを取り上げた。
それは小さな白い石だった。
その形状には見覚えがある。
確か、勾玉というやつだ。
この石棺の中にあったということは、相当古いものなのだろうが、勾玉の表面はきれいに磨かれ、新品そのもののように見える。
「ここにあったってことは、誰かの遺品かな?」
「おそらく…」
ヒカリゴケが放つ仄かな光を受け、白い勾玉は自身が発光しているようにも見えた。
「ですが…これは…」
「どうしたの?」
考え込む様に押し黙る沙槻さん。
やがて、静かに告げる。
「かすかですが…これから“あまのざこ”のようりょくにちかいはちょうを感じます」
乙輪姫の妖力の波長?
すると、これは彼女に由縁のある品物なのか…?
「とおのさま、いぜん“さかがみのはま”でみた、かあさまののこしたかいがらをおぼえておいでですか?」
不意に沙槻さんがそう問いかけてくる。
僕は頷いた。
忘れもしない。
少し前、僕達は、とある海岸をめぐる人と妖怪の争いに関わった。
それは僕と沙槻さんは出会ったきっかけにもなった出来事だった。
その時、争いの幕引きになったのが、彼女のお母さんが遺してくれた貝殻だった。
その貝殻には、彼女のお母さんが未来に生きる人と妖怪達に向けたメッセージが記録されていたのである。
「あまれているじゅつはちがいますが、これはあのかいがらににた、いっしゅのきろくそうちのようにおもいます」
「記録装置って…じゃあ、あの時みたいに再生可能なの!?」
「じかんがかかるかもしれませんが、かのうでしょう」
沙槻さんはそう断言した。
「沙槻さん、お願いできますか?」
「やってみます」
…と、そこで突然、沙槻さんは虚空を睨んだ。
「…あなたはだれです?」
「えっ?」
その視線の先を追うが、何もない。
しかし、沙槻さんは誰かに語りかけるかのように続けた。
「…それは…ほんとうですか…?」
「さ、沙槻さん?」
「…わかりました。では、おねがいします」
そう言いながら頷くと、沙槻さんは僕に向き直った。
「とおのさま、どうやらほんとうにあいてがばけてでてきたようです」
へ…?
化けて出てきたって…
誰が…?
呆ける僕に、沙槻さんが祝詞を唱え出す。
「いまから、ここにみえるのは、はるかしんだいのきろく…あるじょせいとここにねむるひとりのだんせいがみた、ひびのできごとです」
その言葉と共に、勾玉が強く発光した。
そして、僕達の周囲に見たこともない景色が広がる。
「うわあ…凄い」
言うなれば、360度に広がる立体映像の劇場だろうか。
見渡す限り美しい山野が広がり、傍らには澄んだ小川が流れている。
その中で、数多の獣達が生き生きと生命を謳歌していた。
「待って、待ってくれ」
ふと、そんな声と共に一人の若者が現れた。
年は僕とそう変わらない、二十歳くらいの男性だ。
穏やかで、純朴そうな顔立ちの人懐っこそうな若者だった。
若者は白い貫頭衣に身を包み、白い勾玉の首飾りをし、蔓で編んだ篭を抱えていた。
身なりはまんま古代日本人の衣装である。
「ほら、早く!こっちよ、ヤクモ」
もう一つの声がする。
振り返った僕の目に、一人の美しい少女の姿が飛び込んできた。
瑞々しい黒髪に、しなやかに伸びた手足。
飾り気のない白い貫頭衣は若者と同じだ。
そして、弾けるような輝く笑顔が、少女が幸せの最中にいることを示している。
若い二人は、まるでじゃれ合い、慈しみ合う二頭の鹿の様に、美しい草原を駆けていく。
それは、誰が見ても微笑み、羨むであろう睦まじさだった。
「早くしないと、太陽が落ちてしまうわよ、ヤクモ」
からかう様にそう言う少女。
しかし、一歩先を行きながらも、決して若者から離れようとせず、待っている。
若者は苦笑しながらも、舞い踊る蝶の様な少女の足取りを追う。
「まだ、日は高いから大丈夫だよ。それよりまだ遠いのかい?その薬草が生えている場所は」
「あと少しよ。だから、早く行きましょう、ヤクモ。また色んな薬草の煎じ方を教えて上げるから」
少女が笑う。
ああ。
本当に何て幸せそうな顔だろう。
この世界の全てを愛し、信じているかのようないい笑顔だ。
若者が手を伸ばす。
その意図を察したのか、少女がその手を引いた。
二人の手が、絆そのものの様に結ばれる。
「少し休まないか、姫」
「仕方ないわね。人間って本当に弱いんだから」
そう言いながらも、腰を下ろした若者の傍へ、寄り添うようにしゃがみこむ少女。
「仕方がないさ、僕達人間と君は違うんだから」
遠い目をする若者。
その横顔にほんの少し寂寥の影を滲ませる少女。
しかし、それも束の間だった。
少女は元気に立ち上がる。
「違わないよ、私も貴方も!」
クルリと振り返り、若者を見下ろすと、少女は澄んだ青空一杯に手を伸ばした。
「だって、少なくとも今はこうして一緒に生きてるもの。山や川や獣に鳥…皆同じ時間を生きているの!この世界の中で一緒にね!」
若者は微笑みながら、眩しそうに少女を見上げた。
「ハハハ…姫には敵わないな」
すると、少女は頬を膨らませ、両手を腰に当てた。
「んもう、だから“姫”はやめてって言ってるでしょう?それは私の名前じゃないし、第一、柄じゃないし!」
「ああ、そうだったね」
若者は微笑んだまま、続けた。
「次から気を付けるよ、乙輪」
…んん?
いま、この人、何て呼んだ?
乙輪…
…姫?
「って、えええええええええええええええええええええええええええッ!?」
僕は思わず声を上げた。
そう言えば、目の前の幻像の少女と、あの妖怪神を比べれば面影があるが…
いや、しかし…
この少女がどうして、ああなった!?
混乱する僕の目の前で、二人の仲の良い様子は四季折々の中で続けて流れていく。
共に学び、共に歌い、共に笑う…そんな幸せな日々が続いて消えていった。
しかし…
「やめて!行かないで、ヤクモ…!行っちゃだめ…!」
降りしきる雨の中で、少女…乙輪姫が叫ぶ。
雷鳴が轟き、その叫びを切り裂いた。
「行かないで…!」
悲痛な声が届いたのか、背を向けていた人影…ヤクモさんが振り向く。
その顔には、悲壮な覚悟が浮かんでいた。
「すまない、乙輪…だけど、感謝するよ。君が教えてくれた場所に行けば、母さんを救うための薬草が手に入る…そうすれば、母さんは助かるかも知れないんだ…!」
「そうかも知れない…でも、あそこは本当に危険なの!私でもほとんど行ったことがないのよ!人間の貴方ではきっと生きて帰れない…!」
必死の表情で追い縋り、ヤクモさんの腰に抱きつく乙輪姫。
それを苦痛の表情で見下ろすヤクモさん。
「すまない…それでも、母さんを助ける方法があるなら、僕は行くよ」
「なら、私も行く!一緒に連れていって!」
「乙輪!?何を言い出すんだ!?」
「お願い、一緒に連れていって!ヤクモを死なせたくないの!」
ヤクモさんは、涙にくれる乙輪姫を抱き締めた。
その表情はとても穏やかだった。
「…ありがとう。乙輪…でも、それはできないよ」
その言葉に、乙輪姫が顔を上げた瞬間、彼女の表情が歪んだ。
抱きついていたヤクモさんの腰に、掴まるように脱力していく。
「な…に…これ……?」
「さっきの夕食に混ぜたんだ。大丈夫だよ、ただの眠り薬さ」
そこで、謝罪するかのように目を閉じるヤクモさん。
「…但し、例え神族でも数日は眠らせることが出来る程強いものだけど」
「な…ぜ…!?」
睡魔に抗いながら、乙輪姫がヤクモさんへと必死に手を伸ばす。
その手は、彼の首に下がっていた白い勾玉の首飾りを掴んだ。
それを見ながら。
ヤクモさんは少し困ったように優しく微笑む。
「…君なら、きっと『僕と一緒に行く』って言い出すと思っていたから」
その言葉に、乙輪姫は目を見開いた。
恐らくヤクモさんは、最初から彼女を置いて一人で行くことを決意していたのだ。
「いや…!おいて…行かないで…!おね…がい…お願い…だか…ら……!」
「すまない…卑怯な僕を許してくれ、乙輪…」
「ヤ…ク……モ……」
雨が降っていた。
だから、二人の頬を濡らすのが、雨粒なのか涙なのか…僕にも分からなかった。
ヤクモさんは、名残惜しそうに乙輪姫の濡れた黒髪に顔を埋める。
「でも、君に出逢えて、僕は本当に幸せだった…ありがとう、乙輪」
「…ヤク…モ…わ…わた…しは……」
そして。
乙輪姫の手が落ちる。
偶然だろうか。
その拍子にヤクモさんの首に下がっていた首飾りの紐が解けて外れた。
その手に、白い勾玉を握りしめたまま、乙輪姫は深い眠りに落ちた。
彼女を抱き抱え、家に戻り床に横たえると、ヤクモさんは再び優しく微笑んだ。
「…必ず帰るよ」
そう告げると、彼は一人、雨の中へと飛び出した。
呼び止めるように、雷鳴が再び鳴り響く。
だが、その背は一度も振り返ることはなかった。




