【五十二丁目】「お、にい、ちゃん…?」
「失礼。どなたかいらっしゃいますか?」
血の様な空の紅さが不気味な夕刻。
暑さしのぎに庭先でホースを使って打ち水をしていた私…十乃 美恋は、そう声を掛けられ、振り向いた。
見れば、門先に一人の女性が立っていた。
烏の濡れ羽色の長い黒髪に、黒いビジネススーツが一部の隙も無くキマっている。
スラリとしたモデル体型に、抜群のプロポーション。
眼鏡越しに切れ長の目が、真っ直ぐに私を見ていた。
水を吹き続けるホースを片手に、私は固まった。
「げっ!ラ、ラスボス…!?」
「は…?」
怪訝そうな顔になる女性…黒塚 姫野(鬼女)。
おっと…いけない、いけない。
突然「最強の敵」と目する女性が出現したせいで、思わず取り乱してしまった。
「いえ、失礼しました。何でもありません」
私はいつもの冷徹な真顔でシラを切る事にした。
「うちに何かご用でしょうか?」
「突然お邪魔してしまって済みません。私は降神町役場特別住民支援課の黒塚と申します。十乃さんの上司に当たる者です」
礼儀正しく一礼する黒塚 姫野。
こちらは彼女の顔やら素性やら調査済みなので、自己紹介をされるまでもない。
だが、私は白々しく驚いた様な顔をした。
「兄の職場の方でしたか。大変失礼しました。私は妹の美恋と申します。兄がいつもお世話になっております」
ホースの水を止めてから、深々と一礼する。
すると、黒塚さんは恐縮した様に言った。
「いえ、こちらこそいつも十乃さんには助けられております」
そして、神妙な顔つきになる。
「美恋さん…その、本日、ご両親はご在宅ですか?」
「両親ですか…?」
思いもよらぬワードに、今度は素で驚く私。
職場の上司が、部下の両親に何の用なのだろうか?
まさかとは思うが…「巡君を私にください!」とか言いに来たのか!?
よろしい。
ならば戦争だ…!
脳内で、家の台所に豆が残っていたのを思い出す。
ふっふっふ…出方によっては、季節外れの節分と洒落込んでくれるわ…!
私は、そんな思惑をおくびにも出さずに答えた。
「生憎と両親は遠方の親戚の結婚式に呼ばれていて不在です。今日も帰らないと思いますが…」
「他にご家族は?」
「祖父母がいますが…何でも知人が入院したとかで、少し前に隣りの町の病院に出掛けました。いつ帰宅するかは分かりません」
「…そうですか」
溜息を吐く鬼女。
憂いの表情が、人外の美しさを際立たせる。
だが、結婚の申し入れに来たにしては何やら様子が変だ。
私は言いえぬ胸騒ぎに襲われた。
「あの…もしかして、兄に何かあったんですか…?」
そう尋ねると、黒塚さんは沈痛な表情で門先を振り返った。
?
誰か居るのだろうか?
覗き込むと、門柱の影に誰かが居る。
背は私と変わらないくらいだが…誰だろう?
「早く来なさい」
「は、はい…」
そう応じる声がする。
女の子の声?
初めて聞く声だが…でも…今の声はどこか知っている様な…
怪訝そうな顔になった私の前に、一人の少女が姿を見せる。
男の子の様な短髪に、だぶだぶのYシャツとスラックスを身に付けた可愛い女の子だった。
女の子は、おどおどとした感じで、私を見ている。
「あ、あはは…どうも」
その瞬間。
私の第六感に稲妻が走った。
この愛想笑い。
この服装。
この靴。
全て見覚えがある。
まさか…
まさか、まさか…!
「お、にい、ちゃん…?」
「た、ただいま、美恋」
最愛の兄は。
よりにもよって、姉になって帰って来た。
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時間は遡る。
降神町北部…雉鳴山に突如顕現した神霊級の霊的存在に接触すべく、僕達降神町役場特別支援課の一行は国家機関「特別住民管理室」と協力し、山頂にある古い神社で、遂にターゲットに接触を果たした。
そうして、出会ったターゲット…『NG』は、何とJKギャルそのものの姿をした妖怪神“天逆毎”だった。
“天逆毎”…その名は決してポピュラーではないが、似たニュアンスの単語なら、誰にでも連想できる。
そう“天邪鬼”である。
一般的に天邪鬼は「ひねくれ者」という語彙を有するが、実はその起源は彼女…“天逆毎”にある。
そもそも“天逆毎”は古く日本神話に起源を持つ、女神だ。
その誕生は、あの大魔龍“八岐大蛇”退治で有名な「素戔男尊」に由来する。
伝承では、彼女は素戔男尊が体内にたまった猛気を吐き出し、それが形を成すことで誕生したという。
その姿は人間に近いものの、顔は獣のようで、高い鼻、長い耳と牙を持つとされている。
また、物事が意のままにならないと荒れ狂い、その力は例え強力を持つ神でも千里の彼方へと投げ飛ばし、どんな武器でもその牙で噛み壊すほど。
何より、物事をあべこべにしないと気の済まない性格で、前のことを後ろ、左のことを右などと言ったとされている。
そのため“天逆毎”は“天邪鬼”の祖とされているのである。
「んー、まあ大体分かったっつうかー、ぶっちゃけどうでも良いっつうかー、どうせ妾ヒマだしー、別にいいよー?」
雄賀さんと打ち合わせた通り、僕…十乃 巡と沙槻さん(戦斎女)が日本政府の代理として、彼女…乙輪姫の説得を終えると、彼女はネイルを気にする女子高生の様に、自分の爪を見ながらそう答えた。
彼女に告げた内容は、大まかに言うと以下の通りである。
①こちらが誘導を行うので、大人しく指定の滞在地に移動すること
②道中、混乱を起こさないように自重すること
③先に派遣された調査隊の安否の確認及び彼らの身柄を引き渡すこと
内容は一方的なものだが、何しろ相手は妖怪に近いとはいえ神様なので、そこは過剰なくらいに丁寧な言葉で伝えたつもりだ。
乙輪姫は、僕の話を詰まらなそうにだが一応全部は聞いてくれた。
その上で彼女はそう口にしたのである。
内心、ホッとなる僕。
周りで警戒を続けている間車さん(朧車)や秋羽さん(三尺坊)達も、少し緊張が解けた様だ。
気掛かりなのは、先程の何者かに憑かれ、僕達に襲い掛かって来た天狗衆の様子だが…
何故か、一人絶望的な表情で乙輪姫を見ている。
「では、早速ですが我々にご同行願えますか?」
秋羽さんが一歩進み出てそう言う。
乙輪姫は頷いた。
「いいよー。別にー」
「ご協力感謝します」
では、と秋羽さんが先導しようとした時だった。
「あ、その前にさー、ちょっとこっち見てー」
乙輪姫が全員にそう呼び掛ける。
その瞬間、洗脳を解かれ、脅えていた敵天狗衆が声を上げた。
「見てはなりませぬ!」
その一瞬で何が起こったのか。
僕には全く分からない。
ただ、全員が乙輪姫を見て、その後、秋羽さんと配下の木葉天狗衆全員が硬直した。
「あきはさま?」
様子がおかしい秋羽さん達に、沙槻さんが声を掛ける。
その瞬間。
ザン…!
神速の疾さで抜刀された秋羽さんの剣が、沙槻さんの髪をひと房、斬り落とした。
何が起こったか分からないまま、立ち尽くす沙槻さん。
更に剣を振りかぶった秋羽さんは、それを沙槻さん目掛け振り降ろそうとして、即座に眼前の何かを払った。
何かが弾かれる音が響いた後、秋羽さんがやや後ろに跳躍、間合いを取る。
見れば、銃を構えた摩矢さん(野鉄砲)が、その銃口を秋羽さんへと向けていた。
「ま、摩矢っち!?」
突然味方に発砲した摩矢さんに、間車さんが驚きの声を上げる。
摩矢さんは、見た事も無い鋭い目つきで、秋羽さんを睨んでいた。
「沙槻、秋羽から離れて」
「まやさま!?いったい、なにを…」
「早く…!」
鋭い叱咤に、沙槻さんが慌てて秋羽さんから距離を取る。
秋羽さんは、それを無表情に見ていた。
いや、秋羽さんだけではない。
配下の木葉天狗衆全員が、秋羽さんの背後に集結する。
皆、一様に無表情だった。
「おいおい!何の真似だよ、こいつは!」
間車さんが秋羽さんに噛みつく。
が、秋羽さんは無反応だ。
「つかれています」
沙槻さんが、真剣な表情で大幣を構えた。
「さきほどのてんぐしゅうとおなじです…なるほど。どうりで…」
「どういう事だい!?」
妃道さん(片輪車)も秋羽さん達に対峙する様に、距離をとりながらそう尋ねる。
沙槻さんは、乙輪姫に目を向けた。
「“あまのざこ”は“あまのじゃく”のそせんといわれていますが、どうじに“てんぐ”のそせんでもあるのです。おそらく、それをりようして、さきのてんぐのみなさんとおなじく、かのじょもなんらかのじゅつをかけられたのではないかと…」
成程。
状況から推測するに、先程の「乙輪姫を見る」という行為に、なにか仕掛けがあったのだろう。
そもそも“天邪鬼”と“天狗”は、仏教では共に衆生を惑わす「仏敵」とされ、忌み嫌われる存在に位置づけられる。
祖たる“天逆毎”の神性…「真逆の事をする=反逆する」という連想から、仏の教えに背くものとされたためだ。
確かにそういった連中もいる様だが、天狗でも秋羽さんの様に神格を得て、崇められる場合もある。
“天邪鬼”にしても、単に思考がひねくれているだけで、進んで人に害を成す者ばかりではない。
ただ、いずれにしろ両者の起源となる“天逆毎”が、彼らに大きな影響を有する事はあり得ない話ではない。
それにしても…神に近い存在である秋羽さんですら、その影響を受けるのだから、恐るべき力である。
「あららー、たいへーん」
当の乙輪姫は、秋羽さん達に守られる様に鳥居の上から僕達をニヤニヤしながら見ていた。
「テメエ、どういうつもりだ!?」
吠える間車さんに、乙輪姫は小首を傾げた。
「えー?何がー?」
「トボける気かい!?アンタ、さっきあたし達に同行するって言ったろうが!あれは嘘だったのかい!?」
妃道さんも声を荒げる。
そう。
確かに、乙輪姫は僕達に同行することを了承した。
だが、ここに至って、僕は彼女の翻意の理由が分かりかけていた。
そもそも、僕達は交渉を始めた時点で、決定的な見落としをしたのだ。
何しろ…
「だって妾ー“天逆毎”だしー?」
悪びれもせず、ケラケラ笑う乙輪姫。
相手は、物事をあべこべにする事を好む“天逆毎”だ。
「同行する」という言葉は、即ち「同行なんかしない」という意味なのである。
つまり、彼女は最初から僕達の交渉に応じるつもりは無かったということになるのだ。
くっ…これは予想以上にやりにくい相手だ!
「まずいですね」
沙槻さんが唇を噛む。
乙輪姫一人でも厄介なのに、天狗神“三尺坊”の秋羽さんと二十人程の“木葉天狗”まで敵に回ってしまった。
いずれも瞳の光彩エフェクトが軒並み消え去っているのを見れば、乙輪姫の手先になってしまったのは一目瞭然だ。
対するこちらは降神町役場特別住民支援課+妃道さんの五人。
明らかに分が悪い。
「けあっ!」
不意に、一人の天狗衆が沙槻さんに襲い掛かる。
その手にした六角棍を、沙槻さんは大幣で防いだ。
さすがは“戦斎女”だ。
体格差もものともせず、天狗衆の一撃を受けきっている。
(…失礼ながら、御身は“五猟の巫女”とお見受けいたす)
組み合ったまま、天狗衆がそう呟く。
沙槻さんをはじめ、近くにいた僕達にしか聞こえないくらいの小声だ。
よく見れば、いま襲い掛かって来たのは、先程僕達を襲撃し、洗脳を解かれた天狗衆だった。
いまの乙輪姫の術をどうやって防いだのか分からないが、彼はその目に正気の光を宿していた。
沙槻さんも、それに気付いたのだろう。
無言で頷く沙槻さんに、その天狗衆は続けて囁いた。
(今から、我が目くらましを施します。その隙に、お仲間と離脱なされよ…!)
(ですが…)
(もはや一刻の猶予もありません。どうか、彼奴めが我の演技に気付く前に…宜しいか?)
ほんの僅かに頷く沙槻さん。
それから、僕達にも目線で合図する。
その刹那、天狗衆は乙輪姫と秋羽さん達に振り向いた。
「方々、目を閉じられよ!」
素早く手で刀印を結び、縦横に切り結ぶ天狗衆。
「臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前…『九字印護身法』 !」
瞬間。
目映い光の奔流が彼の結んだ印から生じ、周囲を埋め尽くす。
思わず、目を押さえ怯む天狗達の中、乙輪姫は口角を釣り上げて笑った。
「何それ!紫外線はお肌の大敵なんですけどー!」
言いながら、彼女の手に凄まじい猛気が収束する。
妖気とか霊気など、一切関知することが出来ない人間の僕ですら、その密度を感知できる。
「逃がさないよー!【万象反転】ー!」
猛気が放たれる。
標的は…沙槻さん!?
「!?」
その一瞬は、僕の眼にはコマ送りの様に映った。
迫る猛気に対し、沙槻さんは反応が遅れた。
僕達の内で、最も近い距離で強い光を浴びたせいだろう。
いつもなら、対応できた筈のその一瞬の遅れが、今回は致命的なものとなった。
恐らく、彼女は間に合わない。
そう考えた瞬間。
「とおのさまっ!?」
僕は迫る猛気と彼女の間に割って入った。
誰も制止できなかった。
「うぐっ!?」
猛気の直撃を受けた瞬間、僕は全身を襲う未知の衝撃に意識を失ったのだった。
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「…で、何とか離脱して、意識を取り戻したら女の身体になっていた、と…?」
十乃家の客間。
グラスに汗を浮かばせる冷たい麦茶を前に、私は兄…いや、姉か?
…あーもう!
兄でいいや!
中身はまごうこと無き十乃 巡なんだし!
とにかく。
兄から事の顛末を聞き終えると、そう言った。
「う、うん」
正座したまま、シュン、と項垂れる兄。
見た目が可愛い女の子なので、普通なら慰めたくもなるのだろうが…
こっちはそれどころではない。
私は盛大に溜息を吐いた。
黒塚さんが居なかったら、取り乱し抜いて詰め寄っていただろう。
「呆れた…そんなの自業自得だわ。お父さん達が帰ってきたら、どんな顔するかしら」
全精神力を使い、あくまで冷たい妹の仮面を取り繕う私。
そんな私に、黒塚さんが兄への助け船を出した。
「美恋さん、あまり彼を責めないでください。今回の任務に彼に選んだのは私です。そういう意味では、私にも責任の一端はあるのです」
「では、貴女はどう責任をとるんですか?」
私は真っ向から黒塚さんを見た。
我ながら意地の悪い言い方だとは思ったが、こちとら兄と一緒に歩む筈だった人生設計を大きく狂わされたのだ。
誰かに厭味の一つも言いたくなる。
「美恋!主任にそんな…」
声を上げる兄を手で制し、黒塚さんは静かに告げた。
「十乃さんの身体は、私達が責任を持って元に戻します」
「できるんですかっ!?」
思わず身を乗り出す私。
黒塚さんは頷いた。
「彼の身体は、天逆毎の放った神としての力…我々は『権能』と呼称していますが…それにより、性別を逆転にされてしまった可能性が高いのです」
「何でそんな…」
「神霊と言う種族については謎が多いのですが…恐らく『物事を真逆にする』というのが、天逆毎という神霊の存り方そのものだからでしょう。つまり、彼女の持つ『権能』は言うなれば『反転』『反逆』といったカテゴリーに括られるのではないかと」
そこで兄に目を向け、
「…であるなら、考えようによっては、もっと悲惨な結果になっていたかも知れません」
「どういうことです?」
私の問いに、黒塚さんは目を伏せた。
「…『生』が反転すると何になるかは、想像がつくでしょう?」
つまり…「死」
乙輪姫と言うJK女神は、殺す気でそんな権能を放ったかも知れない訳か。
「そんなの食らって、よく生きていたわね」
私は兄をジロリと見た。
全く。
私の知らないところで、危ない真似をしないで欲しいものだ。
「多分『天霊決裁』が上手く守ってくれたんだと思う」
「『天霊決裁』?」
「僕みたいな人間の職員専用の御守りみたいなもんかな。天逆毎と同じ、神霊が作ってくれた物なんだけど…完全に防ぐ事は出来なかったらしくて、こんな姿になっちゃったみたいだ」
苦笑する兄。
ホント、何も知らない人が見れば、典型的な「ボクっ娘」である。
「そうであるなら、方法はただ一つ」
黒塚さんはキラリと眼鏡を光らせた。
「彼女を…乙輪姫を沈黙させるだけです」




