【三丁目】「妖怪は寂しがり屋なんだろう」
「…という訳です」
三池さんに関わる一連の報告の後、僕はこっそり黒塚主任の顔色を伺った。
降神町役場・特別住民支援課。
さほど大きくもない町の、さほど大きくもない役場の中の、さらに狭い一角に設けられた場所にある課だ。
市民課や福祉課、防災課など市民の生活に密着し、公共サービスを提供する行政組織の中に在って、ことさら異質な存在感を有するこの課は、全国でも類を見ない特性を持つ。
その主な職務は、特別住民…即ち、妖怪の人間社会への適合化である。
独自の住民記録の作成、人間社会に慣れるための無料定期研修会の開催、各種公共サービスの整備・施行準備、悩み相談窓口の開設etc.etc…
とにかく「人間と妖怪の垣根を極力薄くし」かつ「お互いの主張を敬い、絶妙のバランスで両者の共存を目指す」部署である。
…分かっている。ツッコミどころは満載だと、自覚はある。
しかし、この降神町では、いつの頃からか「妖怪」なる新種族の存在が明らかになり、それと共存しようという方針が生まれていた。
当初「妖怪が実在した」と判明した時、当然と言えば当然だが、日本中が大騒ぎになった。
そりゃあそうだろう。昔話や怪談の中の存在が、実在したと分かったのだから。
そして、これも当然だが、排斥に動く人間も出た。
そりゃあそうだろう。妖怪に中には人間にあだ為すものもいる。
それを押し留めたのは、人と変わらない容姿をした妖怪たちと、彼らの持つ希少性や超常的な能力。
そして、爆発的な妖怪ブームによる保護の機運だった。
…時々「日本人は平和的すぎるんじゃないか」と思う。
ともあれ、妖怪たちにしても、かなりの妖怪が人間社会との融合を望んだため、妖怪は市民権を得るに至った。
そして、降神町は日本政府からの支援を受けつつ「妖怪保護特区」となったのだ。
これが、ここ20年程の主な出来事である。
「ご苦労だった」
“鬼の黒塚”こと、黒塚姫野主任は、いつも通り言葉少なに、僕を労ってくれた。
黒塚主任は、この特別住民支援課のエースであり、最前線で指揮を採る才媛である。
烏の濡れ羽色といっても差し支えない、長い黒髪。白磁の肌。切れ長の瞳。噂ではスタイルも抜群で、憧れる男性職員(主に人間)は多いという。
堅実で公正な人柄と、厳しくも温かな指導力に上司・部下問わず、人望を寄せられる女性だ。
そんな女性なのだが…。
「で、アレをどうする気だ?」
キラリと眼鏡越しに睨まれ、僕は思わず息を呑んだ。
蛇に睨まれた蛙の心境は、間違いなく「生きてる間に味わいたくないものベストテン」に入ると思った。
そして、主任の言う「アレ」は、課内の応接セットでくだを巻いていた。
「らからね~、あらしはいったろよ。そんらおとこはぁ…ひっく…やめろけってぇ。ねえ~、聞いれるろ~!?」
「あー、はいはい。聞いてる聞いてる」
「そりゃあ、その通りよねぇ。分かる分かる」
摩矢さんの濃縮マタタビエキス弾とやらを食らった三池さん(猫又)は、猫からトラになっていた。
絡まれているのは、対妖怪カウンセラー兼相談窓口担当の二弐さん(二口女)。慰めと叱咤、本音と建前を絡めた絶妙なトークで、老若男女・人妖問わず人気の職員である。
そんな彼女も、泥酔した三池さんにはさすがに手を焼いているようだ。
スミマセン、二弐さん。もう少し耐えてください。
「えーと…どうしましょう?」
「聞いているのはこちらの方だ」
「…はい、スミマセン」
「私は対象の保護は指示したが、酒に溺れさせろとは言ってなかったと思うが?」
黒塚主任の眼光は、未だ鋭いままである。
気のせいか、頭から二つの角が…いや、実際に角が生えていた。
黒塚姫野…かつての異名は“安達ヶ原の鬼婆”という。
そう、何を隠そう、かの鬼婆伝説の「鬼女・黒塚」その人である。
残虐非道の食人鬼だった彼女が、いかなる経緯で復活し、こんな小さな地方都市で役場勤めをしているのか…僕はまったく知らない。知らない方がいい気がする。
「すみません…僕の段取りミスです」
「彼女もあのザマでは、すぐにカリキュラムへの復帰は難しいだろう。よしんば正気に返ったとして、どう説得する気だ?」
と、そこで主任は溜息をついて、角を引っ込めた。
「…まあ、いい。もともとムラッ気のある受講者だったし、聞けばお前だけの責任でもないようだ。砲見にも追加装備を使用する際は、事前に打ち合わせを行うように厳命しておく」
「すみません…」
僕は素直に頭を下げた。今回の保護作戦は、渉外担当の僕が、うまく三池さんを説得できるかどうかで、だいぶ違う結果になったはずだ。
…まあ、あと一歩のところで、余計な横槍が入ったせいもあるが…
よほどしょげている僕が可笑しかったのか、主任はクスリと笑い、
「胸を張れ、新人。代わりに、お前が責任を持って三池氏を説得しろ。彼女が無事にカリキュラムに復帰し、人間社会に旅立てるか否かはお前次第だ」
「わ、分かりました。頑張ります」
「…なあ、十乃」
主任は眼鏡を外し、卓上で手を組むと、顎を乗せた。そんなちょっとした仕草に、思わずドキリとさせられる。
「はい」
「我々妖怪はな、本来人間と共存するなどあり得ない存在だ。何故だか分かるか?」
「ええと…それは、お互いに相反する考えを持っているからですか?」
俗に人間は進化を、妖怪は懐古を基本理念とする。
科学の発展により、古きものから、より新しい高みを目指す人間。
古き慣習を是とし、それを守ろうとする妖怪。
一概には大別できないが、それぞれそういった属性を内包するのが両者だ。
妖怪たちは自然に立ち止まろうとするが、かつてそこにいた人間は、自然を後にしようとしているのを見れば、その構図は、よりはっきりとする。
「そうだな。それもある。だが、理由はもっと簡潔だ」
主任の目が鋭く変わる。先刻とは違う悪寒が身を刻む。
主任から発せられる雰囲気が、全く変質していた。
“安達ヶ原の鬼婆”…今更ながらに、自分が何の前に立っているのか、思い知った。
慄く僕に、主任は続ける。
「人間と妖怪は“恐怖”で結ばれていたからだ。人間の恐怖が、我々を生み、育んだと言っても過言ではない。そして、古来から妖怪は人間を抑制する存在だった。闇夜に我々を思い浮かべ、禁忌という境界で共存していたんだ」
闇を恐れる人間。
闇に潜む妖怪。
そして、闇を恐れるあまり、いつしか人間は人工の光で闇を暴きたてた。彼らの領域を侵し始めたのだ。
闇夜の恐怖を失った人間は、今日という日まで霊長の王として、繁栄を謳歌している。
「妖怪は…人を恨んでいるんですか?」
ふと、僕がそう問い掛けると、主任はキョトンとしてから笑い始めた。呆気にとられた僕に、主任が答える。
「恨む?恨むか、いやいや、それは無いだろう。なら、妖怪共が人間社会に迎合しようとする訳がない。我々の仕事は全くの無駄になるぞ」
「はあ…」
主任は「人間と妖怪は相容れない」という。
では、今になって、何故妖怪は人間社会に馴染もうとするのか?
「これは持論だが…」
主任はいたずらっ子みたいに笑った。
「妖怪は寂しがり屋なんだろう」
「ふえっ?」
思いもよらぬ単語に、僕は間抜けた声を上げた。主任は微笑んだまま、続ける。
「恐怖というマイナスの感情でつながっていたとはいえ、永く側にいた相手がどんどん先に行ってしまうんで、寂しくなったのさ。だから、追い掛けて来たんだ」
遥かな昔。
逢魔が刻を境に、人妖は同じ世界を見ていた。
いつしか、人間がその世界の手を加え、側にいた存在を忘れた。
忘れられた妖怪は、また一緒の世界が見たくて、追い掛けて来た。
それなら。
もしかしたら。
人間と妖怪は、また…
「主任も…」
「うん?」
不思議そうな顔の主任に、思わず問い掛ける。
「主任も…そうなんですか?」
すると、主任は面食らった顔になった後、
「そうだな。私も寂しがり屋なんだろう」
そう言って、伝説の鬼女は遠くを見詰め、苦笑した。
ちょっぴりシリアスなお話になりました。
ご感想、お待ちしております。