【三十九丁目】「…優しくしてね?」
「はぁ…疲れた~」
抜けるような青空。
さざめく蒼い海。
広がる白い砂浜。
行きかう水着姿の人々。
それらに囲まれ、キラキラとした真夏の日差しが降り注ぐ中、僕は蚊の鳴くような声で弱音を吐いた。
ここは、降神町南部に広がる海辺の地区である。
田舎の一都市である降神町だが、その面積はちょっとしたものであり、同じ町内に険峻な山があれば、ここの様なリゾート風の海岸もある。
実に節操のない地理状況だが、地方にあるが故、この海岸には有名どころの海水浴場によく見られるイモ洗い状態はなく、程よく空いている点が売りだ。
しかも、近海には大小様々な島が点在し、驚く程白い砂浜と切り立った山々が周囲を囲む美しいロケーションが広がる、正に穴場だった。
僕達、降神町役場特別住民支援課職員及び人間社会適合セミナーの受講者の面々は、目的地であるここ「白神海水浴場」へ少し前に無事に到着した。
途中、思い出したくもないスリリングかつテリブルなアクシデントが多発したが、どうにか事なきを得て、宿へと辿り着いた。
「遠い所、お疲れさんでした」
馴染みになっているらしい民宿のお婆ちゃんが出迎えに出て、そう労ってくれる。
僕は入庁して二年目のため、今年初めての顔合わせになるが、腰が曲がっているものの、しっかりとした足取りの優しそうなお婆ちゃんだった。
この民宿「しおさい」は、このお婆ちゃんとその孫娘が二人で切り盛りしており、この地区でも相当な老舗らしい。
建物は海水浴場から少し離れた小高い丘の上にあり、古民家風で敷地は広く、離れもあったりする趣きのある民宿だった。
造りは古いが、避暑地としては最高で、今年の猛暑でも丘の上の建物の中は海風が抜けて快適だ。
何より、昔ながらの造りが、特別住民の皆さんにも評判が良く、役場でも合宿旅行でここに来る度に宿に指定しているという。
宿に荷物を置き、少し休んだ後は、いきなり自由行動になる。
とはいっても、ほとんどの参加者が海水浴を満喫するが通例で、僕達職員も必然的にその同伴者になる。
で、僕は一人場違いなワイシャツにスラックス姿で、この浜辺に立っている訳だ。
「十乃兄ちゃん、大丈夫?」
気遣うように、釘宮くんが声を掛けてくる。
一見、五歳くらいの赤毛の男の子だが、これでも立派な成人だ。
彼は“赤頭”という妖怪で、可愛い外見に反して、とても力持ちである。
通り過ぎて行った水着のお姉さん達に手を振られ、赤面しているのを見れば分かることだが、そのあどけなさにマッチした、純真で素直な子だ。
「うん、大丈夫だよ…ちょっとハードなドライブに、心身ともに大幅にすり減って、眩暈・動悸・息切れが止まらなくて、胃が痛いだけさ」
「…それって、大丈夫な部類になるの…?」
乾いた笑いを浮かべる僕に、釘宮くんが一層心配そうな表情になる。
「こんな炎天下で、んな暑苦しいカッコしてるからだろ。脱いじまえよ、巡」
そう言ってきたのは、サングラスをかけた飛叢さんだ。
見た目は俳優かと思われる程のイケメンだが、口を開けば荒くれ者そのもの。
おまけに喧嘩ジャンキーである。
彼は“一反木綿”という妖怪で、高速で空を飛び、腕に巻いた木綿のバンテージを操ることができる。
本人は「ウゼェから」と言って、逆ナン防止にサングラスをかけてはいるが、それでも付近の女性達が熱い視線を送ってくる。
無理もない。
スラリとしたスマートな体つきもそうだが、サングラス越しにも分かる美男子ぶりは、浜辺の恋に敏感な乙女達の興味を引くには十分な効果がある。
実に好対照の二人だが、それぞれの分野で女性達を魅了していた。
はぁ…同じ男として、自信をなくすなぁ…
「そうはいきませんよ。僕達職員は、一応仕事で来てますからね。こうして同伴するのも、皆さんがトラブルに巻き込まれないように、サポートするためです」
「相変わらず固ぇな、お前。そんなんじゃ、彼女もできねぇぞ」
「ぐ…!ひ、飛叢さんだって、彼女いないでしょ?」
「『できない』と『作らない』には、大きな違いがあるでござるよ、十乃殿」
そう言ったのは、ずんぐりむっくりの体型をした眼鏡の男性だ。
彼の名は余 見三。
釘宮くんや飛叢さんと同じくセミナーの受講者で、今回の合宿旅行でも数少ない男性参加者である。
彼は“精螻蛄”という妖怪である。
精螻蛄は正体不明の妖怪で、鋭い爪を持ち、庚申待の夜、天井から人家を覗きこむとされる。
彼は独特の口調で会話し、カメラオタクで、どんな時も携帯している。
今も、周囲を伺いながら、時折シャッターを押していた。
「お前、また盗撮してんのか?」
飛叢さんが呆れたように言うと、余さんは心外だという顔になった。
「盗撮とは酷いでござるな、飛叢殿。せめて『刹那の芸術作品』と言って欲しいでござるよ…おおっ!あの娘なんか今日一番の…デュフフフフフ…」
この上なくいかがわしい笑い方をする余さん。
よく見ていると、彼がレンズを向けているのは、水着姿の若い女性だけだ。
今も際どい水着姿で通り過ぎる女性のお尻にレンズを向けている。
僕は慌ててレンズを押さえて言った。
「余さん、問題行為は駄目ですよ!」
「むぅ…仕方ないでござるな。ここは本番のために、バッテリー節約を兼ねて、自重するでござるよ」
渋々カメラをしまう余さん。
「本番」?
何やら、不穏な単語を聞いた気がするが…
「それはそうと、十乃殿もお年頃でござろう?そろそろソッチの方も、真剣に考えた方がいいでござるよ?」
分厚い眼鏡をくいっ、と押し上げ、余さんが僕を見上げる。
「そういや、お前は彼女いたんだっけな」
「えっ!?」
飛叢さんの言葉に、思わず驚きの声を上げてしまう。
余さんは、癖っ毛を掻き上げ、
「ま、女性の事についてなら、いつでも相談に乗るでござる。多少のアドバイスも出来るでござるよ?デュフフフフ…」
自慢げに笑う余さん。
くそう。
僕だって、好きで一人身なんじゃないんだけどな。
だが、己の身を省みれば、女の子と接する機会は少ない方だ。
休日は、釣りばっかしてるし…
…何か、段々泣けてきた。
「でも、せっかく海に来たんだし、ちょっとくらいは羽根を伸ばしてもいいんじゃない?」
どよん、と落ち込む僕を見て、話題を変えようとしてくれているのか、釘宮くんがそう言う。
本当にいい子だなぁ…
「うーん。まぁ、そうかも知れないけど…」
そう言い淀んでから、僕は笑った。
「やっぱり止めておくよ。この合宿旅行は、皆さんのために企画されたものだから、僕達はあくまで裏方に徹しなきゃ。この合宿旅行で、皆さんが人間社会の事を学んで、楽しい思い出を作ってくれれば、僕達だって嬉しいからね」
「十乃兄ちゃん…」
釘宮くんは、何か感慨深げな眼差しで、僕を見上げている。
「あー、感動的なコメントをご披露してるとこ悪いんだが…」
僕の背後を見ながら、飛叢さんが続けた。
「そう考えてる職員は、お前だけみてぇだぞ?」
「…え?」
振り向くと同時に、水着姿の女性陣の姿が目に飛び込んできた。
先頭にいた間車さんが、手を振ってくる。
「悪い悪い。待たせたな、巡!」
「更衣室、混んでた」
見れば、隣りにいる摩矢さんもちゃっかり水着を着ていた。
「十乃、何でそんな暑苦しい格好をしている?水着を忘れたのか?」
“二口女”の二弐さんと一緒に、自分の車で現地入りした“鬼女”の黒塚主任が、僕を見ながら、珍妙な生き物を見る目でそう言う。
主任と二弐さんも、バッチリ水着に身を包んでいた。
硬直する僕の肩を、飛叢さんが気の毒そうに叩いた。
「水着売ってるとこ、途中にあったぜ?」
「…案内、お願いできます?」
うう…
みんなの裏切り者ぉ!
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結局、僕も水着を購入し、着替えることにした。
果たして、公務員として良いのかどうか分からないが、ともかく水着に着替えるだけなら大した問題はあるまい。
釈然としないものはあったが、一人拗ねていても仕方ない。
「なにブツブツ言ってんだ?早く来いよ、巡!」
はじける笑顔で、“朧車”の間車さんがそう言う。
その表情に、ドキッとなる僕。
いつもは、パンツルックに身を包んだボーイッシュでラフなスタイルの間車さん。
そんな彼女の水着姿は、初めて目にした。
間車さんの水着は、青空によく映える群青色のハイレグワンピースだ。
元々、均整のとれたプロポーションに背もスラリとしている間車さんは「基本的にどんな服も着こなせる」と、二弐さんがかねてから羨ましがっていたのを思い出す。
まるで、森を駆ける牝鹿のような瑞々しい美しさが、印象的だった。
「早く早くぅ♪」
そう言って手を振ってくるのは三池さん。
彼女は普段からお洒落な服装をしているが、今日は可愛いピンクのフリルが付いたタンキニに身を包んで、はしゃいでいる。
“猫又”である彼女は、基本的に水は苦手らしいが、開放的なロケーションが気に入ったのか、いつも以上に明るく、楽しそうだ。
セミナーでもサボリ魔で悪名高い彼女だが、今日はその不安はなさそうである。
美少女を地でいく彼女も、メリハリのあるプロポーションで周囲の男性を魅了している。
…変なナンパに引っ掛からねばいいが。
「…で、どっちがいいんだ?」
「え、ええ…正直どちらも…って、何の話です、飛叢さん!?」
二人の艶姿に見とれていた僕は、いつの間にか忍び寄った飛叢さんの囁きに、無意識に答えそうになり、我に返る。
飛叢さんはニヤリと笑い、
「かたや生きのいい職場の先輩。かたや文句なしのネコミミ美少女…どっちもグッと来るだろ?」
「そ、そんな…僕は別に…」
「何やってんだよ、野郎二人で」
飛叢さんに掴まった僕に、間車さんが不思議そうな顔で聞いてくる。
飛叢さんは、ニヤニヤしながら、
「いやあ、巡の奴によ、あんたと猫又娘のどっちが好みか、聞いてたんだよ」
瞬間。
何故か、空気が張り詰めた(気がした)。
間車さんと三池さんの視線がぶつかり、空中に激しい火花が散る(のを見た様な感覚があった)。
「フッ…そんな野暮な事を聞いては駄目よ、飛叢さん」
緊迫した空気の中、三池さんが挑発的に笑う。
「十乃君が職場に居づらくなっちゃうでしょ」
「…そいつはどういう意味だ?」
間車さんが低い声で問い返す。
な、何だか…嫌な予感がする…
「十乃君は優しくて正直だから…ね?」
僕の腕を取り、抱え込む様に寄り添う三池さん。
腕に柔らかい感触が押し当てられ、僕は真っ赤になった。
「…」
それを氷点下の視線で見ていた間車さんが、不意に僕に近付いてきた。
そのまま、同じ様に反対側の腕を取り、三池さんを引き剥がす。
「行くぞ、巡。んな、色ボケ猫の戯言なんかいいから、ボディボードでもやろーぜ」
「は、はぁ…でも、僕、やったことないですよ?」
「あたしがちゃんと教えてやるよ」
そこで、チラリと三池さんを振り返ってから、腕を絡めてくる。
「二人っきりでな」
思いもよらぬ艶っぽい声で囁かれ、僕はドギマギした。
すると、呆気にとられていた三池さん、ハッと我に返り、慌てて追いかけて来た。
今度は間車さんを引き剥がし、僕の胸に飛び込んでくる。
柔らかい身体の感触に、僕は全身が沸騰したように上気した。
「ねぇ、十乃君♪そんなのいいからぁ、オイル塗ってくれないかなぁ?」
しなだれかかり、指で「の」の字を書いてくる三池さん。
「は?え!オ、オイル、ですか!?」
しどろもどろになる僕に、潤んだ目で見上げてくる三池さん。
「…優しくしてね?」
「な、なmmjっすきお?」
予想もしない展開に、声に誤変換すら生じてしまった。
フリーズした僕を挟んで、二匹の妖怪が火花を散らす。
白い渚に、西部の荒野に吹くような乾いた風が吹き込んだ。
鬼気迫る視殺戦の中、三池さんがあっかんベーをする。
「へへん、だ。十乃君だってそんな貧相な身体より、あたしみたいなセクシーボディの方が好みに決まってんでしょ?」
「何だと、この泥棒猫が!」
ビキ!と間車さんのこめかみに怒りの四つ角が浮かぶ。
背後にも「ゴゴゴゴゴ…!」なんて音文字が浮かんでいた。
「お前みたいな贅肉の塊に、巡が欲情するわけねーだろ!」
「ぜ…贅肉、ですって!?」
一転、三池さんの方がエキサイトし始める。
「言ったわね、オンボロ車!」
「うるせぇ、ブタネコ!」
一色触発。
その時だった。
「止さんか、バカ者ども!」
鶴の一声が響く。
見れば、黒塚主任が仁王立ちになっていた。
「ここは公の場所だぞ!二人とも、みっともない真似をするな!」
「だ、だってよ、姐さん!こいつがあたしの身体が貧相だと…か…」
「あたし、ブタじゃない…も…ん…」
二人の声が小さくなっていく。
双方の視線が黒塚主任に注がれていた。
ああ…
無理もない。
「何だ?言いたいことがあるなら、言ってみろ」
今日の黒塚主任は、いつものビジネススーツ姿ではなく、黒のビキニ姿だった。
特筆すべきは、そのプロポーションの良さ。
豊満なバスト。
くびれた腰。
引き締まっていながら、豊かさを誇るヒップ。
パリコレモデルも裸足で逃げ出しそうな均整のとれた肢体に、周囲の男性も身を乗り出している。
そんな主任の姿に、二人とも気勢を削がれたのだろう。
加えて、その背後に控える二弐さんだ。
こちらもそのグラマラスなプロポーションを白いビキニに包み、惜しげもなく晒している。
し、しかも二弐さんは…Tバック!?
「あらあら、喧嘩はダメよ~」
「せっかくの旅行なんだし、仲良くね」
いつものほんわか笑顔とそのセクシーな姿のギャップに、二人は一瞬で戦意喪失したのだった。
「…はい」
「…すんませんでした」
本日「妖しい、僕のまち」投稿開始一周年の今日、無事に更新できました!
お付き合い頂いている皆さん、今後ともよろしくお願いします




