【三十一丁目】「SEPTENTRION…」
「確か、ちょうど一週間前でした」
バー「Kreuz」店内。
最近、密かに発生しているという連続失踪の手掛かりを求め、この店にやって来た僕…十乃 巡と妖怪“朧車”こと、間車さんは、情報提供者のバイカー達の席に移動し、話を聞いていた。
「俺達がいつものようにここで飲んでいると、お二人が探してる娘が、この店に飛び込んできましてね…まあ、えらく血相を変えて、何かに脅えているような感じでした」
「その娘、本当に京塚 美沙樹に間違いないんだろうね?」
そう確かめる間車さんに、金髪のバイカーは頷いた。
京塚 美沙樹…降神高校に通う女子高生だ。
僕の妹、美恋のクラスメイトで、夏休みに入る直前、突然失踪したという。
「間違いないですよ。あの娘、結構前からちょくちょくここに来てましたからね。名前も覚えますよ」
「ちょくちょく?」
「そうっスね…一週間に何日かは」
僕が聞くと、今度はモヒカン頭のバイカーが口を開いた。
「俺らも昔はそうだったから他人のことは言えねぇんスけど…彼女、だいぶ随分荒れてる感じでした。さっきのチンピラみたいな柄の良くねぇ連中とつるんで、よく夜中まで騒いでましたよ」
今朝、美恋から聞いた話を思い出す。
確か、家庭環境が原因だと言っていた。
まだ、十代の少女が家に帰りたくないという理由が、僕には思いつかない。
だが、そんな荒んだ状況に陥るほど、彼女は追い詰められていたのかも知れない。
「で…?」
間車さんが、先を促す。
「そん時の彼女は、店内を見回して、誰かを探しているようでした。たぶん、いつもつるんでいる仲間を探してたのかも。で、居ないと分かると、来た時と同じ勢いで飛び出して行ったんです」
今度はスキンヘッドのバイカーが引き継ぐ。
「でも、どうにもただ事じゃない様子だったんで、俺らで後を追ったんスよ。もし、ヤバい事に巻き込まれてて、何かあったら寝覚めが悪いスから」
強面の割に、親切な方々である。
先程、若者四人組から助けてくれたのも、単に僕らの名前を知っていたからという理由だけではないのかも。
「で、店を出た所に彼女が立ってましてね。何か、通りの方を見て青ざめてたんですが…その…」
「何だい?」
先を言い淀むスキンヘッドに、間車さんがじれったそうに聞く。
「…何て言ったらいいのか…こんな真夏なのに、急に辺りが肌寒くなって…周囲の街灯やらネオン看板やらが、こう、点いたり消えたりして暗くなって…で、俺らが気が付いたら、彼女が消えていたんです」
薄気味悪そうに、頬を掻くスキンヘッド。
他のバイカー達も、その時のことを思い出したのか、全員無口になる。
「その時のこと、他に何か覚えてませんか?どんな些細なことでもいいんです」
僕がそう言うと、考え込み始めるバイカー軍団。
「…そう言えば」
金髪が何かを思い出したように、仲間を見回した。
「変な音がしたよな?」
「音?」
僕がそう問いただすと、
「あ、俺も聞いたッス」
「おお。何か、金属が打ち合うような…」
「そうそう『シャラン』って感じのやつだったよな?」
他のバイカー達も騒ぎ出す。
どうやら、全員同じ音を聞いていたようだ。
しかし…金属の音?
その音が京塚さんの失踪と関連があるのだろうか?
それに、バイカー達が体験した、奇怪な現象は何を意味するのだろう?
「…あ、あの…」
騒ぐバイカー軍団の中、一人の男が恐る恐るといった感じで手を挙げる。
「どうしました?」
バンダナを頭に巻いたそのバイカーは、名乗り出たはいいが、何かを言い淀んでいるようだった。
「何だよ。知ってることがあるなら、言えって」
仲間の金髪がそう言う。
バンダナは、目に見えて顔色が悪くなっていた。
「し、信じてもらえないかもしれないんスけど…俺、見ちまったんです」
「…な、何をです?」
異様な雰囲気にのまれ、僕はゴクリとつばを飲み込み、尋ねた。
「…お化けッス」
「お…化け…?」
「ええ…京塚って娘が見ていた方向に…こう何体か、手に何かを持った変な服を着た連中が居て…こっちに近寄って来てたんです」
そこまで言うと、バンダナは気持ち悪くなったように口を押さえた。
「…俺、実は結構霊感強くて、たまにヤバいの見ちゃうんスよ…でも、アレはそんなのじゃねぇ…」
静まり返る中、バンダナはついに耐え切れなくなったように、僕の肩を掴んだ。
「ありゃあ、ハンパなくヤバい奴らッス!きっと…きっと、あの娘はあのお化け達に追われてたんスよ…!」
「…巡」
不意に呼び掛けられ、振り向く僕。
見ると、間車さんが虚空を睨んで、険しい顔をしている。
「店を出るぞ」
「え?何です、急に…」
「いいから来い!摩矢っちに何かあったかも知れねぇ…!」
その一言で僕は思い出した。
今日の情報収集では、治安が悪い場所に赴くということもあって、支援役に“野鉄砲”の摩矢さんも同行してくれている。
彼女と間車さんは同じ妖怪ということもあり、もしもの時は互いの妖気を感知し、その気配を把握することが出来るのである。
間車さんの様子から、外で待機している摩矢さんに、何らかの異常があったようだ。
大変だ、こうしちゃいられない…!
「あの、み、皆さん、ありがとうございました!ちょっと用事があるので、ここで失礼しますね!また今度!」
バーテンダーにお金を渡しながら、僕は呆然としているバイカー軍団に礼を告げた。
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無数の弾丸が闇を裂く。
だが、そのいずれにも摩矢は手応えを感じなかった。
確かに命中している筈なのに、だ。
(こいつ、何だ?)
摩矢は、油断なく猟銃を構えながら、目の前の闇を観察する。
先程まで泣き喚いていた男は、失神した末に目の前の闇の中に呑まれてしまった。
そこから何の反応も起きない。
ただ、闇は摩矢を観察するように、じっと漂っていた。
夜目が効く摩矢の眼でも、その中は見通せない。
妖怪としてそれなりの時を生きてきた摩矢だが、こんな相手は初めてだった。
「…!」
攻めあぐねていた摩矢の前で、闇が変化を始めた。
その濃度が薄れ、中から三つの影が浮かび上がる。
一人目は体型からして男…引き締まった体躯が目を引く。
二人目も体型からして男…こちらは中肉中背だ。
三人目は女…女性特有の丸みを帯びた身体のフォルムから判断できた。
いずれも手には金属の棒…いや、錫杖を持っている。
先程の金属が打ち鳴らされる音は、その頭に付いた金輪の音のようだ。
「…怖」
思わずそう呟く摩矢。
というのも、三人が揃いも揃って無貌だからだ。
顔が無いと言っても、摩矢が知る妖怪“ずんべらぼう”や“のっぺらぼう”の類とは違う。
顔自体が漆黒の闇が固まったように輪郭を成すだけで、目鼻口の凹凸も無い。
しかも奇怪なことに、男女の差はあれ、全員が揃いの軍帽・軍服のような黒い衣装を身に付けているのである。
『…』
『…』
『…』
三人の男女は、身動き一つせず、摩矢を見ている。
いや、無貌である以上、その表現が正しいのかも定かではない。
「…君ら、何?」
「誰?」とは聞かない。
目の前の三体から、おおよそ生命の脈動が感じられないのだ。
だから、生物ではない。
そもそも、こんな生物がいる訳がない。
摩矢には命を持たない、何か異質な「事象」そのもののように感じられた。
例えるなら、自分の足元から伸びる影に向かって話し掛けているような感覚だ。
『…』
『…』
『…』
無貌の三体は返事もしない。
口が無いから、話すことも叶わないのだろうか、と摩矢は考えた。
シャラン…
錫杖が鳴る。
目の前の三体からではない、どこか違う場所から響いた。
それは合図だったのか。
目の前の三つの無貌が、滑るように散開する。
奇しくも、先程、美恋が相手をした若者達の様に、摩矢を取り囲んだ。
「…そう。戦るんだね」
猟銃を背に負う摩矢。
狙撃用の銃で、一度に三体を相手にするのは難しいからである。
ジャラ…!
摩矢の右手に回り込んだ中肉中背の男…仮に「無貌B」とする…が、動いた。
袖に隠していたらしい鎖分銅を腕の一振りで展開、即座に摩矢目掛けて投げ放つ。
それに気付き、真上への跳躍でかわす摩矢。
分銅は、無貌Bの対面にいた女…「無貌C」としよう…に誤爆。
…と、思いきや、無貌Cは手の錫杖で分銅を無造作に弾き上げた。
「!」
弾いた分銅が、空中の摩矢に的確に襲い掛かる。
偶然ではない。
無貌Cは、摩矢の動きを見極め、瞬時に分銅が摩矢に向かうよう、計算して弾いたのである。
(何て連携)
間一髪、空中で仰け反り、それをかわす摩矢。
が、振り仰いだ摩矢は、自分の直上に跳んでいた一つの影を認め、目を見開いた。
それは、残りの一人、引き締まった体躯の男…「無貌A」としよう…だった。
(こいつ、いつの間に私の上へ…!?)
ギィン!
再度、分銅を弾く無貌A。
これ以上避けようのない態勢だった摩矢の左腕に、分銅を巻きつかせた。
そのまま着地する摩矢と無貌A。
その瞬間を狙い、無貌Bが鎖を引き絞る。
バランスを崩しつつも、引き倒されないように、摩矢は慌てて踏ん張った。
小柄で軽量の摩矢には、それが精一杯だった。
『…』
『…』
『…』
無貌達は相変わらず一言も発しない。
勝ち誇るでもなく、殺気を放つでもなく、機械的に摩矢を取り囲む。
それが一層不気味だった。
いずれにしろ、三対一の上、片腕を封じられた摩矢は、圧倒的に不利といえる。
恐らく、個別の体術やスピードでは摩矢が勝るだろう。
しかし、相手はそれを連携で補うことができる。
(このままじゃ、ジリ貧)
一瞬の思案の後、摩矢は左手に絡まった鎖分銅を外そうと思い切り引っ張った。
無貌Bが、そうはさせじと鎖を引く力を強める。
だが、摩矢はその力を逆に利用し、地を蹴って無貌Bに突進した。
一瞬で目の前に到達すると、そのまま空中で回し蹴りを叩きこむ。
それは避ける間もなく、無貌Bの腹部を直撃…せず通り抜けた。
「!?」
珍しく動揺する摩矢。
その一瞬の隙に、無貌Bが手にした錫杖を片腕で振り抜く。
重い一撃をまともに受け、摩矢の身体は軽々と吹き飛ばされた。
「…く」
空中で身を捻り、着地する。
横薙ぎにされた相手の錫杖を咄嗟に蹴り、自ら跳ぶことで勢いを殺したのだ、
しかし、まともに受けていたら結構なダメージを受けていたかも知れない。
摩矢は、改めて無貌Bを見やった。
自分の蹴りは、確かに相手を捉えていたのに、まるで実体が無いかのようにすり抜けてしまった。
決して高速でかわされた訳でもない。
まるで虚像を攻撃したように通り抜け、無効化されたのだ。
なのに、相手の攻撃はこちらに届くのである。
相手の異常性に、摩矢の背中を冷たい汗が伝った。
確かめてはいないが、恐らく他の二体…無貌A、C共に同様の力を持っているのだろう。
(接近戦、不利)
距離を取ろうと思った瞬間、またもや左腕を捕えたままの鎖分銅が邪魔をする。
そこに左右から無貌AとCが突進してきた。
それを見るや、摩矢は残った右腕を懐に入れる。
取り出した手には、一つの数珠が握られていた。
その鉄製の珠を繋ぐ糸を、歯で素早く噛み千切り、片方を口に咥える。
「はへ(舞え)」
残った右手を使い、珠を指弾の要領で連射。
狙いはつけない。
摩矢にとって「投げる」「放つ」という行為が、既に「狙う」と同義だ。
「はんひゃへんへえ(【暗夜蝙声】)」
摩矢の眼が妖しく光る。
同時に無造作に放った無数の珠が、空中であり得ない軌道を描き、迫る無貌AとCに殺到する。
例えるならそう、正に回転式多銃身機関銃の一斉射の如き洗礼だった。
降り注ぐ珠の直撃を受ける無貌AとC。
両者とも、耐え切れずガクリと膝を折った。
(今度は効いた…?)
それに微かな違和感を覚えるが、今は構っている間はなかった。
幾つかの指弾を左腕の鎖分銅に誘導・集中させ、鎖を断ち切る。
同時に後方へ跳躍し、空中で背中の猟銃を構えた。
最早、残すは無貌Bのみ。
手持ちの最大火力で狙撃すれば、決着がつく。
構えと標準合わせを、空中の一動作で終了。
後は引き金を引くのみだ。
シャラン…
突然。
背後。
出現。
四人目。
「!?」
頭の中を目まぐるしく浮かんだ単語。
それらの理解した瞬間、摩矢の身体は地上へと叩きつけられた。
「がっ…!」
絶息し、堪らず呻き声が口を突いた。
混濁する意識を必死に繋ぎとめ、状況を確認しようとする。
シャラン…
シャラン…
シャラン…
無傷の無貌B。
立ち上がる無貌A、C。
その周囲に、新たに四つの影が浮かび上がる。
(新…手…か)
ぼやけていく視界。
佇む黒い七つの影。
その中に、金色の色彩が生まれる。
「ふむ…日本のGespenstか」(※Gespenst…ドイツ語で妖怪・化け物の意)
若い女の声。
なのに、鋼鉄のような響きだと、摩矢は思った。
一瞬だけ、視界に焦点が戻る。
摩矢の眼に、六体の無貌とそれを従えるように立つ、金髪の女性が映った。
黒い軍帽と軍服に映える白磁の肌。
古い片眼鏡の奥から、翡翠の眼が摩矢を見つめている。
「たまには実戦訓練を…と思ったが、存外やるな」
黄金の滝のような長い金髪を払い、女が玲瓏と笑う。
まるで、月光が凍ったような、美しく冷たい微笑だった。
「…き、み…だれ…」
再びぼやけていく視界の中で、摩矢がそう問うと、女は答えた。
「SEPTENTRION…」
そして、意識を失う瞬間、摩矢は確かに耳にした。
「貴公には|“Sieben geists”…いや“SHICHININ-MISAKI”と名乗った方がいいかも知れんな」
謎の七人組「SEPTENTRION」
その目的は果たして…?
また、次回でお会いしましょう




