【百五十三丁目】「で、花子氏はいまどこに?」
「花子に会いに行くじゃと?」
そう言うと、手にした書類に目を通していた御屋敷町長(座敷童子)が顔を上げた。
降神町役場町長室。
立て続けに起きた「都市伝説」による襲撃事件解決のため、黒塚主任(鬼女)は「都市伝説」の中でも最古クラスの存在である“トイレの花子さん”への接触を提案した。
“トイレの花子さん”は、もはや説明不要なくらいに有名な存在である。
学校の怪談ではもっとも有名な存在といってもいい。
彼女は主に学校の女子トイレに出現する。
特定のトイレの個室のドアをノックし、その名を呼ぶと返事とともに姿を見せる(呼び出し方には諸説あり)。
姿としては赤い吊りスカートをはいた、おかっぱ頭の女の子がポピュラーで、呼び出したらトイレに引きずり込まれたり、追い掛け回されたりするとされる。
割と近代に誕生した「都市伝説」の走りといってもいいくらいの存在だ。
そんな彼女と接触するというその報告に、僕たちはこうして御屋敷町長の元へとやって来たのだ。
ちなみに、僕…十乃 巡と主任以外には、部長と課長も同席していた。
「我々の検証の結果、一連の事件には『都市伝説』…それも比較的現代に芽吹いた存在が関わっているものと思われます」
凛とした姿勢のまま、黒塚主任は続けた。
「ここは彼らの中でも最も有名な花子氏と接触し、情報収集に努めることが最善と判断しました」
「ことは一刻を争うと思います」
「生真面目一本鎗」で知られる歌多根部長が追従した。
見た目からして堅物で融通が利かなさそうだが決断力はあり、部下の意見も無碍には扱わない傑物である。
最近、交通事故で危篤状態に陥り、みんなで心配したものだが、今はも見事復帰して元気そのものだ。
歌多根部長は真剣な顔で続けた。
「現状で事件発生の証拠が無い上に立証が難しいため、警察が動くことは望めません。そうこうしているうちに特別住民たちへの襲撃が再発したら、自衛手段を持たなかった場合、彼らに被害が及ぶ可能性があります」
「その懸念はもっともじゃ」
そう言いながら、御屋敷町長は顎に手を当てた。
「しかし、花子めが一連の事件に通じておるか、儂は確信が持てん。果たして、あの究極の引きこもりが世事に気を配っているかどうか」
「あの…“トイレの花子さん”って、引きこもりなんですか?」
おずおずと僕は尋ねた。
「いまの世の中、引きこもりなど数多かろうが、あ奴程の筋金入りの引きこもりはそうおらんじゃろうよ」
そう言いながら、御屋敷町長は肩を竦めた。
「あ奴の妖力はもはや自分でも制御不能なレベルでな。あ奴の潜むトイレの個室そのものが、もはや『幽世』といってもいいレベルになっておる」
「それは…確かに凄まじいですね」
思わず息を飲む僕。
「幽世」とはいわば「異界」のことだ。
この現世と隔絶され、こちらの世界の法則が異なる空間でもある。
以前、とある一件で僕が足を踏み入れた幽世も、夜明け間際の時間が永遠と続き、不思議な燐光が飛び交い、妖気が充満する異世界だった。
それを自身の妖力で形成し、しかも制御不能になってまで維持し続けているなんて、一体どうやったら可能なんだろう?
「しかし“トイレの花子さん”とは懐かしいですな。私が子どもの頃に流行った怪談ですよ」
額の汗をハンカチでぬぐいつつ、小太りの課長が言った。
特別住民支援課をまとめる身として、黒塚主任の進言に付き合う形で今回顔を見せている。
人が良いことで知られており、僕以上の平和主義者だ。
それだけに何かとトラブルが絶えないうちの課でも一番の苦労人であり、そのせいか頭髪の薄さにそれがにじみ出ている。
僕は課長に尋ねた。
「課長の子どもの頃って…昭和の初めですか?」
「そうだね。大体、二十年頃になるかな。当時は相当騒がれてね。興味本位で女子トイレに男子が入ろうとしてはよく叱られたもんさ」
苦笑した後、課長は思い出したように続けた。
「そういえば、私が育った昭和の初めは色々な怪談・怖い噂が多かった時代でね。花子さん以外にも『口裂け女』や『怪人 赤マント』といった存在は恐怖の的だったよ」
「いずれも『都市伝説』の黎明期に誕生した存在じゃな」
御屋敷町長が頷きつつ言った。
「儂たちに比べれば、まだまだ新参者じゃが、それなりに世を騒がせた存在であるのは間違いないの」
その言葉に、僕はふとあることに疑問が湧いた。
「あの、一ついいでしょうか?」
「何じゃ、坊?」
「よく区別がつかなかったんですが…そもそも『妖怪』と『都市伝説』って、何が違うんでしょうか?」
それを聞き、黒塚主任がジロリと僕を見やった。
「何だ、十乃。知らなかったのか?特別住民支援課に配属されているくせに」
「す、すみません。不勉強でした」
「よいよい。いい機会じゃから教えてやろう」
お茶をすすると、御屋敷町長は語り始めた。
「汝ら人間の世では『妖怪』と『都市伝説』には、多くの考え方があってこれという区別はない。せいぜい、古い・新しいくらいの認識じゃろうよ。が、儂ら『妖怪』の世界ではちゃんとした区別がされておる」
御屋敷町長はやや目を細めた。
「まず、坊が愛してやまぬ『妖怪』は元をただせば『正体不明な何か』が根源にあるのじゃ」
「『正体不明な何か』…ですか?」
「例えば“べとべとさん”じゃ。無論、坊は知っておろう?」
僕は頷いた。
“べとべとさん”は妖怪の一種で、夜道に現れる。
暗い夜道を一人で歩いていると、自分以外にもう一つの足音がついてくるのが聞こえる。
だが、振り返っても誰もおらず、気のせいかと思ってもついてくる足音は止まない。
これが“べとべとさん”という妖怪の仕業とされた。
「“べとべとさん”は、今でこそ実在する特別住民じゃが、科学も何もなかったいにしえの世では、れっきとした『正体不明な何か』じゃった」
確かに御屋敷町長の言う通りだ。
当時の人間には『夜道でついてくる足音』や『やまびこ』などが『音の反響』などとは考えもつかなかった現象のはずだ
御屋敷町長は指を一本立てた。
「では、問題じゃ。汝ら人間はこうした『正体不明な何か』に恐怖を抱き、それを克服するためにあることを試みた…それは何じゃと思う?」
少し考えた後、僕はおずおずと答えた。
「『妖怪』として『姿形』『名前』を生み出した…でしょうか?」
「大当たりじゃ。さすがじゃの」
満足そうに頷く御屋敷町長。
部長と課長も感心したように僕を見る。
黒塚主任は…いつもの真面目な表情だったが、どこか嬉しそうだ。
「さて、かくして儂らは『妖怪』として成った。汝ら人間が恐怖を克服するために考え出した『名前』と『姿』が『正体不明な何か』を進化させたのが儂らなのじゃ」
「成程」
「一方『都市伝説』はその出自や成り立ちが異なってくる」
指を組み、顎を乗せると、御屋敷町長は意味深な表情で続けた。
「彼奴らは、科学が芽吹き、神秘が薄れた近代から発生した。これが儂ら『妖怪』とは決定的に異なる部分といえる」
「…そうか!」
歌多根部長が何かに気付いた表情で言った。
「『都市伝説』は人間が望んだ恐怖から芽吹いたというわけか」
「どういうことですか、部長」
課長がそう尋ねると、歌多根部長は眼鏡のブリッジを持ち上げた。
「先程、君が懐かしんでいた様々な怪談や怖い噂…それらは『妖怪』の根元である『正体不明な何か』ではないし、それに対する恐怖を克服しようという心から生まれたものじゃないんだ。むしろ、私たち人間が好奇心や興味本位で生み出し、自発的に流布させた恐怖といえる。いわば『求められた恐怖』なんだよ」
「そういえば…当時、そうした怪談などは新聞などでも騒がれ、噂が勝手にどんどん膨らんでいきましたな」
課長が思い出したように言う。
それに御屋敷町長が頷いた。
「うむ、歌多根部長の言う通りじゃ。古来『正体不明な何か』に向けられた恐怖やそれを克服しようとする人間の心は『妖怪』を生み出した。が、近代になって『正体不明な何か』が失せた時、人間は自らそれに代わる恐怖を欲し、生み出し、広めていった。それこそが『都市伝説』なんじゃよ」
僕は唖然となった。
御屋敷町長の言う通りなら、僕たち人間はどれだけ「怖いもの」が好きなんだろうか。
「妖怪」を生み出すことで、せっかく克服した恐怖。
なのに、いままた「都市伝説」を新たに生み出し、恐怖を拡散させている。
こんな矛盾があるだろうか。
「ふむ…しかし、お主らと話していて、少しだけ『都市伝説』の連中の思惑が分かった気がしてきたぞ」
そう呟くと、御屋敷町長はニンマリ笑った。
「いいじゃろう。花子への接触を許可する。人選は黒塚、お主に任せるぞ」
「分かりました」
黒塚主任が背筋を伸ばして頷く。
「で、花子氏はいまどこに?」
「うむ。花子めはいま…」
窓の外、ある方角を見やる御屋敷町長。
そして、遠くに見えるある建物を指さした。
「降神高校におる」




