【百五十一丁目】「…な♪」
一発の銃声が、森の中に木霊する。
迫り来る弾丸を、男は身を伏せて奇跡的にかわした。
「ったく、しつこいぎゃ!」
奇妙な男だった。
等身は幼児サイズで極端に低いのだが、頭だけはれっきとした成人サイズだ。
剃り込みのある短髪に傷のある強面は、サングラスでさらに迫力を増している。
その矮躯の肩に茶色の半纏を引っ掛け、サラシを巻いたその姿はまんま「昭和のヤ○ザ」だ。
手にした杖で生い茂るしげみを打ち払いつつ、男は再び逃走し始める。
その後を追うのは、これまた小柄な少女だった。
マタギか忍者のような恰好をし、猟銃を手にした少女である。
マタギ少女…砲見 摩矢(野鉄砲)は、猿のように木から木へと飛び移りつつ、小柄な男の背後へと迫った。
ここは降神町郊外の山の中。
人里からやや離れたこの山中で、摩矢はある男を追い掛けていた。
摩矢は、降神町役場の「特別住民支援課」に身を置いている。
特別住民支援課は、特別住民達が人間社会に適合し、共存できるようにサポートするのが主な業務だ。
そして、特別住民達のサポートを始める上で重要なのが「第一次接近遭遇」である。
元から人里に近い場所にいた特別住民は、人間やその文化に理解があり、人間社会に馴染むのも早い。
が、深山大海のような人里から離れた土地に棲む特別住民は、逆に人間達への理解度も低い傾向がある。
そうした特別住民達には、特別住民支援課の職員が人間社会の代表として出向き、自らが主導する「人間社会適合セミナー」の受講を勧めることになるわけである。
その交渉は「渉外担当」の業務とされ、課内では巡などが担当していた。
一方、摩矢が受け持つ「保護担当」はそれとはやや毛色が異なる。
接触を図った特別住民が、渉外担当の言葉に耳を貸さず、害意を持って手を出してきたり、犯罪に手を染めそうな場合、保護担当はこれを牽制したり、時には無力化することを任務としているのだ。
そのため、保護担当には任意で武装することが許可されている。
ちなみに摩矢は、古くから使用してきた猟銃を愛用していた。
猟銃といっても特別製で、実弾を撃つこともできるが、使用者の妖力を弾丸に変換し、発砲することもできる。
また、その殺傷力も極限まで抑えること可能で、直撃してもせいぜい気を失う程度で済むようになっていた。
「意外に素早い…まずは足を止めるか」
すばしっこく逃げ惑う男の背中を見ながら、摩矢は呟いた。
自らも移動しながら摩矢は器用に猟銃を構え、狙いを定める。
直後、発砲音と共に妖気の弾丸が放たれた。
それは男が逃げる先の地面に命中した。
「おぎゃっ!?」
行く手を塞がれた形になった男が、思わずたたら踏む。
「ほーるどあっぷ」
その目の前に着地した摩矢は、猟銃を構えたままそう言った。
手にした杖を取り落として、男が慌てて両手を上げる。
「わ、分かったぎゃ!降参するぎゃ!」
「最初からそうしてくれたら話が早かった」
淡々とした口調の摩矢に、男は目を剥いた。
「んなこと言っても、現れるなり狙撃してきたのはそっちじゃないぎゃ!?」
「ええと、名前は…」
男の抗議を軽く無視し、摩矢は懐から取り出した書類へ目をやった。
「男木家…ゴウキュウ?」
「『号泣』じゃないぎゃ!『剛久』ぎゃ!」
「まあ、どっちでもいい」
摩矢の目が冷淡に光る。
「聞くけど、この辺で誰彼構わず抱きついている変態っていうのは君?」
「誰構わずとは失礼ぎゃ!」
憤慨しながら、男…男木家が喚く。
「儂はちゃんと若くてきれいで、ボインバインなお姉ちゃんしか相手にしてないぎゃ!」
「…それ、誰彼構わずよりずっと悪質」
チャキ、と猟銃を構え直す摩矢。
「上からは穏便に説得し、無抵抗ならセミナー受講の交渉に入れって言われてる…だから話し合いでカタをつける」
「ちょっと待て!いまルビがおかしな変換になってなかったぎゃ!?」
「問答無用」
摩矢の指が引き金を引こうとしたその瞬間。
「ええい!そっちがその気なら、こっちにも考えがあるぎゃ!」
そう言った男木家の目尻に涙が浮かぶ。
そして、辺りをはばからずに号泣し始めた。
「ほんぎゃあああああああああああああっ!!!!!」
「!?」
不意に足元の地面に異変が起きる。
摩矢の獣並みの感覚は、その異変をすみやかに捉えた。
「…地震…?」
「おんぎゃあああああああああああああっ!!!!!」
男木家が駄々っ子のように地面に寝そべり、手足を振り回しながら泣き声を上げ続ける。
それに連動するかのように、地面がグラグラと揺れた。
摩矢が瞠目する。
「まさか…こいつの妖力…!?」
妖力【轟泣響地】…“子泣き爺”である男木家が有する妖力だ。
その伝承から「相手にしがみついて重量を増す」という部分に目が行きがちの“子泣き爺”だが、他にも「一本足で現れたら地震が起きる」というものがある。
それを再現したのがこの妖力だった。
発動すると、男木家の妖力がこもった泣き声と増加した体重により特異な共鳴現象を発生。
それは周囲にも伝播し、局所的な地震を引き起こすのである。
「ふんぎゃあああああああああああああっ!!!!!」
思いもよらぬ男木家の抵抗に、さすがの摩矢もバランスを崩す。
揺れる足元のせいで、立っているのがやっとだ。
樹上に逃れようと思ったが、周囲の木々も激しくしなり、とてもではないが飛び移れる気がしない。
しかし、何より…
「…うるさい…!」
男木家の泣き声は、辺りをはばかることなく響き渡っている。
人よりなまじ五感が鋭い分、そのガン泣きは摩矢には実に煩わしいものだった。
思わず猟銃を取り落とし、両耳を塞ぐ摩矢。
それを目にした男木家が、内心ほくそ笑む。
(ククク…このワシを甘く見たぎゃ、マタギ娘!これでも“ガン哭きのタケ”と言えば巷でも有名な実力者だぎゃ!)
我慢しきれず、いよいよ摩矢が実弾の使用を決意しかけたその時である。
シャラン
突然、清らかな鈴の音が鳴り響いた。
そして、それにも勝る清廉とした声が、祝詞にて場に神気を満たし、言祝ぐ
「とふかみえみため かんごんしんそんりこんたけん はらいたまひきよめいたまう」
シャラン…シャラン…
特殊な神楽鈴を打ち鳴らしつつ、木立の影から現れたのは、五猟 沙槻だった。
鈴の音色が響くたびに、男木家の放つ泣き声が打ち消され、地震も収まっていく。
全ては、最強の退魔師“戦斎女”である沙槻の力によるものだった。
彼女が手にした神楽鈴は、祝詞の奏上に反応し、打ち鳴らせば大気を清め、魔を払うことも可能だ。
その音色が男木家の妖力がこもった泣き声を無力化しているのである。
「沙槻」
そう呼び掛ける摩矢に、沙槻はにっこりと微笑んだ。
「ごぶじですか、まやさま」
鈴を打ち鳴らしつつ、そう尋ねる沙槻。
摩矢は頷いて見せた。
「ないすたいみんぐ。やっぱり、念のために控えてもらってて正解」
沙槻から男木家に目と向け、摩矢は続けた。
「もうちょっとで、こいつを撃ちコロすところだった」
「お前、公務員じゃなかったぎゃ!?」
沙槻に妖力を無力化され、呆然としていた男木家が喚き散らす。
摩矢はフイと顔を逸らした。
「銃器に暴発事件はつきものだし」
「こ、こいつ…!」
「まあ、おちついてくださいませ。わたしたちはおだやかなはなしあいをのぞんでおります」
苦笑しながら取りなすようにそう言う沙槻を見た瞬間、男木家の頭上に雷(心理描写)が落ちた。
同時に、その体がワナワナと震え出す。
「…な…な…何てこっぎゃ…」
まるで夢遊病者のように呟く男木家。
それに沙槻が微笑んだまま小首を傾げる。
「はい?」
「お、お嬢ちゃん…いや、美しき巫女…貴女のお名前は…?」
声まで震わせ、男木家が尋ねる。
すると、沙槻は楚々と一礼した。
「わたしは『ごりょう さつき』ともうします。まやさまとともに『おりがみちょうやくば』からまいりました。どうぞよろしくおねがいいたします」
しとやかなその佇まいと仕草に、男木家の目が一瞬でハートマークに変わる。
(五猟 沙槻…何という清楚で美しい響きだぎゃ…ワシはいまだかつてこれほどまでに美しい女子を見たことがないぎゃ…)
固まったまま身動きしない男木家に、沙槻は戸惑った表情になる。
「まやさま、このかたはいったいどうなさったのでしょうか…?」
無垢な質問をする沙槻に対し、男木家の心中におおよその見当がついた摩矢は、呆れたように肩を竦めてみせた。
「たぶん、何か悪いものでも食べたんだと思う」
「まあ、たいへん!わたし『はじゃのれいやく』なら、もっていますが、あいにくとおなかのおくすりは…」
「ソレを飲ませてやればいいと思う。いっそ存在そのものを浄化するほど強烈なのが、気つけになっていいんじゃないかな」
半ば投げやりに言う摩矢に、沙槻は笑顔で頷いた。
「でしたら、この『れいやく』はうってつけでございます。これならどんな“ふじょう”もたちどころに“じょうか”できるとおもいます」
そう言うと、躊躇うことなく霊薬を片手に男木家に近付く沙槻。
降神町役場に出向になり、現代社会に慣れてきたとはいえ、さすがは世間ズレが著しいポンコツ娘である。
冗談がまったく通じないのは相変わらずだ。
いくら何でも、このまま男木家が浄化されるのを見て見ぬふりは出来ない。
仕方なく、摩矢が沙槻を止めようとした矢先だった。
「ずいぶんときれいな髪をしているわね、お嬢さん」
不意に頭上から降ってきたその声に、摩矢と沙槻は弾かれたように目を向けた。
そこには一人の女がいた。
長いしなやかな黒髪に、赤いダンスドレス。
同じく赤いハイヒールに、血のような真紅の口紅。
透けるような白い肌と切れ長の目が二人をくぎ付けにする。
しかし、何よりも二人の気を引いたのは、恐ろしく長くしなやかな手足とその気配だった。
かたや獣並みの鋭敏な感覚を持つ摩矢。
かたや“戦斎女”としての実力を有する沙槻。
その二人をもってしても、女の接近には気が付かなかったのである。
「…君、誰?」
取り落としていた猟銃を足先に引っ掛けて、ひと動作で手元に戻しつつ、摩矢がそう尋ねる。
すると、女はニッコリと笑った。
「私は…そうね。『冴囉』とでも呼んでくれると嬉しいわ」
妖しく笑う女…冴囉。
沙槻が目を細めて、彼女を見上げた。
「さらさま、ですか…では、さらさま、このようなばしょでなにをなさっておいでで?」
表面上はいつもと変わらない風を装いつつ、沙槻は静かに袂へと手を差し入れた。
そこには愛用の大幣がある。
いざとなれば、一瞬で霊力をみなぎらせ、術の行使が可能となる。
沙槻の問いに、冴囉は優雅にドレスの裾をつまんで一礼した。
「実は降神町役場の皆様に、ぜひ一舞踏お付き合いいただこうと思いまして」
言うや否や、冴囉は樹上でクルリとスピンをした。
かなり細いにもかかわらず、彼女が乗った枝は微動だにしない。
そのただならぬ身のこなしを目にした摩矢と沙槻が、互いに目配せし合う。
先程、気配を感じさせなかったことといい、二人とも明らかに油断していい相手ではないと踏んだのだ。
「…悪いけど、いま仕事中。踊りは間に合ってるから他を当たって」
猟銃を手にしたまま、摩矢がそう言うと、冴囉は気を悪くした風も無く答えた。
「そうおっしゃらずに…ぜひ私と踊ってください…」
そこまで言うと、冴囉は思い切り仰け反るように後方宙返りをしつつ、宙に身を躍らせた。
「…な♪」
成すすべなく落下すると思われたその身体が、何とその枝先に茂った一枚の葉先に着地する。
摩矢と沙槻は目を剥いた。
薄い葉一枚で全体重を支えるなどとは、常識では考えられない程の身軽さである。
加えて、ある種の緊迫感が摩矢たちの背筋を走る。
それは、二人にとってある意味馴染み深いものだった。
即ち…敵意である。
(こいつ…間違いなく仕掛けてくる気だ)
そう確信した摩矢の視線の先で、冴囉はおもむろに言った。
「Un…」
着地した直立姿勢から一転、ぐにゃり、と関節が無いかのように軟体的な構えをとる冴囉。
その様はまるで獲物に飛び掛かろうとする蛇にようだ。
「Deux…」
周囲に張り詰めた緊張感が満ちる。
摩矢の指が猟銃の引き金に掛かり、沙槻は大幣を取り出した。
「Trois…!」
宙に身を躍らせた冴囉が、凄まじいスピードで落下する。
地上に降り立った冴囉に素早く狙いをつけた摩矢は、彼女の背後に沙槻の姿を認め、思わず舌打ちした。
(こいつ…あえて私と沙槻の間の直線状に…!)
百発百中の腕前を自負する摩矢ではあったが、それでも仲間がいる方向に向けて発砲することには躊躇いはある。
笑みを浮かべたまま、冴囉はその一瞬の隙を突いて、舞い踊るように摩矢との間合いを詰めた。
「Ecarte Derriere」(※バレエで『右斜め前を向き、右足が右肩の方向にある状態』)
声と共に、その長い右足で鋭い前蹴りを放つ冴囉。
間一髪、後方に跳び退りながら、蹴りを躱した摩矢は妖気を練り、猟銃の弾倉へと送った。
「舞え【暗夜蝙声】…!」
複数の銃声が轟く。
妖気の弾丸は三発。
それぞれが不規則な弾道を描き、冴囉へと迫った。
どれも実弾ではないが、命中すれば身動きできなくなる衝撃力は持っている。
それぞれ前方、真横、後方から迫る妖気弾に対し、冴囉は足を振り上げた。
「En croix」(※バレエで足を前、横、後ろの三方向に次々と出す)
チュイン!
チュイン!
チュイン!
立て続けに鳴り響いた音と共に、妖気弾がかき消される。
神速の蹴りを放った態勢のまま、冴囉は優雅に一礼して見せた。
「どう?私の舞踏は」
妖艶な仕草で髪を掻き上げ、摩矢に笑い化掛ける冴囉。
「ご自慢の狙撃も、当たらなければどうということもないわね?」
「勝ち誇るのは少し早いと思う」
摩矢の言葉が終わらないうちに、冴囉の背後に沙槻が迫った。
「つちのかみはにやまひめのみこと」
手にした大幣を一閃し、冴囉の足元を指し示す。
すると祝詞の奏上に応え、大地が変化した。
しかし…
「これがどうかして?」
「!?」
沙槻は驚いた。
自分の霊力により、土の女神“埴山姫命”に助力を乞い、大地を軟泥化させたはずだ。
結果、冴囉は足を泥に取られ、身動きできなくなるはずだったのだが…
何と、彼女は何事も無かったかのように、軟泥の上に立っていたのである。
(何という身軽さ…!)
「次は貴女と踊りましょ♪」
言うや否や、回転しながら沙槻に迫る冴囉。
足元の悪さをものともせず、華麗にターンをしながら沙槻に向かって鋭い蹴りを繰り出す。
何発かはかわした沙槻だったが、速度を増す蹴りのスピードに押され、遂に大幣で受け止めざるを得なくなった。
「はやい…!」
間断なく繰り出される四次元的な蹴りを捌きつつ、沙槻は思わず呟きを漏らした。
速いだけでなく、受けた衝撃で手に軽い痺れも残る。
その威力は推して知るべしだ。
一方、距離を取った摩矢も瞠目していた。
“戦斎女”たる沙槻とここまで拮抗する相手は、あの“天毎逆”である乙輪姫以来だろうか。
さすがに冴囉は神霊級の存在ではないだろうが、身軽さとスピードだけなら一線を越える相手だ。
おまけに、先程から沙槻を援護しようとするも、うまく位置取られ、狙いがつけにくい。
下手をすれば、沙槻に命中しそうである。
(こいつ、思ったより狡猾。一体何者?)
予告なく現れ、一方的に仕掛けてきたが、ここまで冴囉の目的や正体は一切が不明である。
敵意を放っているところを見ると、摩矢たちに害を成そうという点は間違いなさそうだが…
「さすがに噂に聞く“戦斎女”…この程度では貫けないないわね」
そう言うと、冴囉は一度間合いを取った。
「ちょっとだけ、本気のPirouette(※バレエで『旋回』の意)をお見せしましょう」
「…!」
身構える沙槻に、再びドレスの裾をつまんで一礼する冴囉。
そして、薄く笑みを浮かべて見せる。
「【絢爛妖舞】」
その肢体が疾風のように飛び出す。
が、その時だった。
「ほんぎゃあああああああああああああっ!!!!!」
耳をつんざく泣き声が響き渡る。
摩矢と沙槻はもちろん、完全に不意を突かれた冴囉も、大きくバランスを崩した。
「何事!?」
両耳を抑えつつ、顔をしかめる冴囉。
その視線の先では、今まで蚊帳の外になっていた男木家が、地面に寝転がって泣き叫んでいた。
凄まじい泣き声に加え、激しく揺れる地面により、さすがの冴囉もバランスを崩す。
「“子泣き爺”か…!」
忌々し気に呟く冴囉。
それにガン泣きしながら男木家が叫ぶ。
「ふんぎゃあああああああっ!!沙槻ちゃんをイジメるなああああああああっ!!」
どうやら、沙槻の窮地を見てとった男木家が、妖力を発動させたようだ。
横槍を入れられた形となった冴囉は舌打ちした。
「…こんな無粋なBGMでは踊る気にもなりませんね」
そう言うと、冴囉は鮮やかに後方へと宙返りし、再び樹上へと降り立つ。
梢から一同を見下ろしつつ、冴囉は目を細めた。
「今日のところはここまでにさせていただきます。改めてまたお会いしましょう」
「待って」
猟銃を下ろしつつ、摩矢は鋭い視線を冴囉へと向けた。
「君の目的は何?何故、私達を襲ったの?」
それに冴囉は妖花ののように笑った。
「私達の目的は…特別住民の根絶」
そう言うと、冴囉は森の奥へと姿を消した。
「そして、現代の闇を支配する私達の存在を世に知らしめることよ」




