【番外地】「…それでも見送ってくれるか?」
降神町役場特別住民支援課。
役場の一角に設けられたこの課に、威勢のいい挨拶が響く。
「ちわーっす!巡の奴、戻ってますかー?」
そう言いながら入ってきたのは、巡の同期にして幼馴染み、七森 雄二だった。
持ち前の威勢のよさとムードメーカーとしてキャラクターゆえに、なかなかに名の売れた新人である。
「こんにちはー!」
「お、お邪魔します」
その後ろには、同じく同期の織原 真琴と早瀬 水愛(コサメ小女郎)が女子コンビが続く。
「あーん?巡ならまだ帰ってねぇよ」
だるそうにそう返したのは、間車 輪(朧車)だ。
椅子の背もたれに身を預けつつ、頭の後ろで手を組みながら暇そうにボヤく。
その傍らでは、砲見 摩矢(野鉄砲)が愛用の猟銃の手入れをしていた。
野生動物さながらの張り詰めた雰囲気も今は鳴りを潜め、まるで盆栽の世話でもしている老人のように静かに没頭している。
この二人が気が抜けたようになっている原因は一つだ。
巡の不在である。
新年早々開催された「妖サミット」に、町長である御屋敷 俚世(座敷童子)の補佐役として指名された巡は、サミット開催以降、役場に姿を見せていない。
課内では一番の新人にしてごく普通の人間ではあるが、巡には不思議な存在感があった。
何故なら日頃、誰よりも「人妖共生」のために奔走しており、周囲がその勢いに引っ張られていたからだ。
その巡が長く留守にしているせいなのか、今の特別住民支援課には、どこか覇気のないぼんやりとした空気が漂っている。
それを察した雄二は苦笑した。
「…お二人共、巡がいないだけで妙に覇気が無いっすねー」
「るせー。仕方ねぇだろ、こちとら、あいつの留守中ほぼ開店休業に近いんだしよ」
そう言いつつ、生欠伸を噛み殺す輪。
真琴が不思議そうに首を傾げた。
「あれ?でも、サミットって確か今日で終わりですよね?十乃君、まだ帰って来られないんですか?」
「市長が来賓同席の晩餐会に出るらしい」
銃身を磨きながら、摩矢が説明する。
「で、巡はそのお共に誘われたって聞いた」
「……マジすか……?」
それを聞いた雄二が不意に動きを止める。
「どうしたの、七森君?」
雄二の様子に気付いた水愛が、不思議そうに尋ねた。
しかし、雄二は顎に手を当てて考え込んだままだ。
皆が顔を見合わせる中、輪が雄二の顔を覗き込んだ。
「何だよ、急にマジな顔になって」
「いや、あの…でも…その…大丈夫…だよなぁ…?」
ハッキリと口にしないまま、最後はまるで自分に言い聞かせるように呟く雄二。
その意味が分からない女子四人が、再び顔を見合わせる。
「ねぇ、一体どうしたのよ七森君?」
「何か悪いものでも食ったのか?」
「私が煎じた気つけ薬、飲む?すごく苦いけど」
「何か心配な事でもあるんですか?」
四者四様の反応に、雄二は恐る恐る尋ね返した。
「あの、晩餐会って、当然酒も出るんすよね?」
「そりゃあ出るだろ、酒ぐらい」
雄二が漏らした奇妙な確認に、輪がそう答える。
それに雄二は顔を片手で覆って、天を仰いだ。
「やっぱ出ますよねー…」
「お酒出ると、何かマズいの?」
摩矢がそう尋ねると、雄二は唸ってからおもむろに口を開いた。
「う~~ん…マズいというか…ヤバいというか…」
「さっきから煮え切らねぇな。一体何だっていうんだよ!?」
イラついたように輪がそう言うと、雄二は重い口を開いた。
「いやあの、巡の奴なんですけどね…アイツ、下戸じゃないですか」
それを聞いた女子達が「なーんだ」というように緊張を緩めた。
「そういうことか。それなら知ってるって」
「課の飲み会の時、言ってた」
「あ、同期の飲み会でもソフトドリンクだけでしたよ。反対に水愛はザルだったよね」
「そ、そんなことないよ」
そんな女子達を前に、雄二は真剣な表情を崩さない。
「…ただの下戸なら、ここまで心配しないんですけどね」
雄二のその一言で、全員が静まり返る。
「…何だよ?何か問題があるのか?」
輪がそう聞くと、雄二は少し考え込んでから、肩を竦めた。
「いえ…ま、アイツ自身、十分に心得ているから、たぶん大丈夫ッス」
そう言うと、雄二は打って変わって明るい表情で言った。
「それより、巡の奴がいないなら、お二人共俺らと飲みに行きませんか?実はあいつの『お疲れ様会』を開いてやろうと思って来たんですけど、いないなら仕方ないし」
「ああ、そういうことか…でも、あたしらが混ざっても良いのかよ?」
「全然いいですよ!賑やかな方がいいですし」
真琴が笑顔でそう言うと、雄二がだらしない顔で頷く。
「そうそう!たまには俺もきれいなお姉様方に囲まれてみたいし♡」
「…」
背後で剣呑な眼光を放つ水愛にも気付かない雄二だった。
輪は摩矢に視線を向けた。
「…だってさ。どうする摩矢っち?」
「私、特に予定ない」
それに片目をつぶって見せる輪。
「なら決まりだな!いいぜ、ちょうどヒマしてたし、可愛い後輩のためにも乗ってやるよ!」
「ウェーイ!やったね!」
「じゃあ、勤務時間が終わったら正面玄関に集合ってことで!」
「宜しくお願いいたします」
そうして、五人は和気あいあいとお喋りを続けた。
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「妖サミット」最終日。
会場である「宵ノ原邸」では、来賓である大妖達と一部の政府関係者や高官、降神町役場上層部や町内の名士の皆さん参加の晩餐会が催された。
で、僕…十乃 巡も御屋敷町長の付き添い役として出席をすることになったのだった。
ひとまず、ここまでの経緯をザッと説明しよう。
まず、大妖の六人は無事に晩餐会に出席した。
太市君(鎌鼬)に率いられた“木偶”達の大群に襲われたものの、大きな怪我もなく、いずれも負ったのはかすり傷程度で、全員がケロッとしていた。
さすが大妖を名乗ることだけのことはある。
ただ一人、阿久田さんこと骸世さん(塵塚怪王)のみは「儂ぁ、華やかな場が苦手なんですわ」と晩餐会を欠席した。
僕自身、彼の正体を知った時はとても驚いたものだ。
まさかあの小さな老人が名高い「古王」だったなんて、一体誰が想像できるだろうか。
山本さん(山本五郎左衛門)が教えてくれたが、骸世さんは幽世に居点を構える他の大妖達とは違い、昔から人間界で生活する珍しい大妖らしい。
何でも、人間界の居心地を気に入ったようで、人間に成りすまして清掃会社を経営しているとのことだった。
「黙っていたのは謝ります。でも、サミットに出席する前に十乃さんと出会ったのは偶然ですし、この会場で片付ける仕事があったのは本当ですじゃ」
正体を知り、呆気にとられる僕の肩を叩きながら、骸世さんはニッコリと笑って言った。
「そうそう、墨田さんの蕎麦、美味かったですよ。いつか、十乃さんともご一緒したいですな」
そう言い残すと、彼は悠然と一人去って行った。
続いて、飛叢さん(一反木綿)達だが、こちらも全員が無事だった。
妖力を封じられた際は大ピンチに陥った彼らも、妖力を取り戻した途端に反撃に移り、木偶達を退散させた。
その功績が認められてというわけではないだろうが、みんなもサミット関係者として晩餐会に出席することになったのである。
三池さん(猫又)、鉤野さん(針女)、沙牧さん(砂かけ婆)は、鉤野さんの配慮もあり、それぞれにドレスアップし、宴に華を添えていた。
釘宮くん(赤頭)、飛叢さん(一反木綿)、余さん(精螻蛄)達男性陣も、それぞれ正装を着て参加し、楽しんでいたようだ。
途中、無断撮影をしていた余さんが警備員に摘み出されそうになっていたが…まあ、それはご愛嬌というところだろうか。
みんな、太市君の一件で動揺はしていたと思う。
しかし、それを忘れようとしているかのように、妙にはしゃいでいた。
特に飛叢さんは、したたかに飲み、かなり酔っぱらっている。
太市君との確執が強い彼にしてみれば、色々と思うところがあったんだと思う。
その太市君による襲撃事件だが…これは内々に処理され、表沙汰になることはなかった。
これは大妖達と御屋敷町長の判断である。
特別住民が絡んだ事件であることが世間に大々的に公表されると、パニックが起こりかねない。
ましてや、その事件の首謀者が役場のセミナーの元受講者と知られれば、他の受講者達の周辺にも影響が出るかも知れない。
そこで、大妖の皆さんが口裏を合わせて事件そのものを強引に揉み消したのだ。
警備を統括し、聴き取りにも参加した秋羽さん(三尺坊)は微妙な顔付きだったが、何とか誤魔化すことには成功したようだ。
太市君が張った謎の結界も、大妖達の悪ふざけという事になり、全ては闇に封じられた。
最後に僕だが…現在のところ、太市君に切断された右腕は元通りにくっついた。
これは、沙牧さんの持っていた「河童の軟膏」のお陰もあるが、神通力に長けた玉緒(天狐)の治療術によるところが大きい。
今のところ、普段通りの感覚で腕を動かすことができ、御屋敷町長のお伴として、晩餐会にも出席できた。
みんな心配してくれたが、何の異常もないし、滅多にない機会でもある。
それぞれドレスアップし、政界や町の要人と和やかに過ごす大妖のみなさん達を見ていると、ようやく平穏が戻ったことを噛み締めることができた。
それと同時に一抹の寂しさもある。
この「妖サミット」は、毎年開かれるものではない。
本来は、大妖達が数十年、あるいは数百年に一度しか開かない宴みたいなものだ。
次に開催されたとしても、この降神町ではないどこかになるだろうし、僕自身もこの世に居ないかも知れない。
そう思うと、慌ただしかったこの数日間が無性に懐かしく思えてくるのだった。
僕はそっと瞼を閉じる。
個性豊かな大妖達との出会い。
突拍子もなく始まった「六番勝負」
そして…太市君の襲撃事件。
どれも驚天動地の出来事ばかりだ。
こんなドタバタな経験は、そう出来るものではないだろう。
そして、それは同時に、大妖のみなさんや飛叢さん達も同じなんだろう。
……だから、こんな騒動になっているのだ……
「いいか!?いくぞ…レディ、ゴー!!」
小源太(隠神刑部)の合図と共に、釘宮くんと勇魚さん(悪樓)の両拳がガッチリと組み合った。
「ぬおおおおおおお!!」
「えい」
ずだーんっ!
釘宮くんの掛け声一つで、勇魚さんの手の甲がテーブルに叩きつけられた。
腕相撲の決勝戦の結果に、周囲で飛叢さんや大妖達が途端に喝采を上げる。
勇魚さんが悔しそうに頭をかきむしった。
「ちくしょー、参った!」
「勝者、釘宮!んでもって、優勝ー!」
小源太に片手を上げられつつ、ニコニコと笑う釘宮くん。
声援に応えるその顔はほんのりと赤い。
釘宮君だけでない。
レフェリー役の小源太、対戦相手の勇魚さん、そのほか皆が赤ら顔だ。
ここは宵ノ原邸にある大広間の一つ。
晩餐会も終わり、他の来賓が帰った後だったが、例の襲撃事件に関わった全員が何となく集い、なし崩し的に二次会が始まっていた。
しかも、ほぼ全員が酔っぱらっていたせいか、余興合戦が勃発。
今しがた「カラオケ歌合戦」に続き「妖怪腕相撲大会」の決勝戦が終わったところである。
…正直に言おう。
もはや、ただのドンチャン騒ぎだ。
最初のうちこそ神妙な話し合いもあったが、それも追加のお酒と料理が運ばれてくるなり、すぐに片隅へ追いやられた。
飛叢さん達は大妖相手など関係なしに肩を組んだり、じゃれ合ったりしているし、大妖のみなさんも同様である。
彼らも自分達を打ち負かした飛叢さん達を余程気に入ったのか、無礼講もいいところだった。
飛叢さんと釘宮くんは、それぞれ山本さんと勇魚さんに配下へのスカウトを受けている。
彼らは、二人の度胸や腕前を高く評価しているようだった。
三池さん、鉤野さん、沙牧さんは、玉緒さん、紅刃さん(酒呑童子)との女子トークに華を咲かせている。
そこに何故か神野さん(神野悪五郎)が加わっていたが、容姿のせいか違和感がない。
一方、余さんは小源太に「秘蔵のコレクション」とやらを見せており、猥談で盛り上がっている。
…あ、でも、鉤野さんや玉緒さん達に見つかったようだ。
二人揃ってド突きまわされ始めた。
もう滅茶苦茶だ。
「楽しんでおるか、坊」
そう言いながら、御屋敷町長が声を掛けてくる。
手には甘酒が入ったお猪口。
ほんのり顔が赤いのは、やはりそれのせいだろう。
釘宮くんや小源太も含めて、外見が未成年の彼女だが、実年齢は僕より上だし、飲酒しても法には触れない。
そして、妖怪は総じてお酒に強い。
下戸の僕には到底真似できない飲み方をしている。
見ているだけで酔ってしまいそうだ。
「ええ、まあ」
僕は曖昧に笑った。
実は太市君の襲撃事件のせいで、御屋敷町長にはこってり絞られた。
事件の後、事のあらましを追及された僕達は結果的に「K.a.I」や「絶界島事件」の詳細まで白状することになったのである。
案の定、町長はカンカンに怒った。
当然だろう。
表沙汰にはなっていないとはいえ、数々の違法行為をしてしまったのだから。
本来なら懲戒免職ものかも知れなかったところだが、そこは鉤野さんをはじめみんなが弁護に回ってくれた。
その結果、太市君の襲撃事件をひっくるめて、全てを秘匿することになったのである。
正直、町長にとっては政治生命を脅かしかねない一件だ。
しかし、深慮した彼女はそういう決断を下したのだ。
全ては特別住民達のためだろう。
「本当に色々あったのう。今回の会合は」
「そう言うにはまだまだ早そうですけど…」
周囲の騒ぎを見つつ、苦笑する僕。
それに御屋敷町長はクスリと笑った。
「ふふ…しかし、本当に大したタマじゃな、坊は」
「僕が…?」
「うむ。正直なところ、儂は汝がここまで大妖共の心を掴むとは思わなんだ。知っての通り、連中はあんなに陽気に見えても、腹の底では何を企んでおるか分からん曲者ぞろいじゃ。単なる興味だけで坊を見物に来たわけではなかろうよ。あわよくば、自分の手駒や傀儡にしようという腹づもりの奴らもおったと思うぞ」
「そ、そうなんですか?」
「当然じゃろ。普段、奴らは互いに覇権争いに興じておるような連中じゃ。他を出し抜くことしか考えておらぬわ。じゃが、見てみいあの様子を」
町長の視線を追うと、そこには相変わらずのドンチャン騒ぎがある。
どうやら、今度は「飲み比べ大会」が始まったようだ。
「どいつもこいつも子供みたいに騒ぎおって…ふふ、これも全部、坊のお陰じゃな」
僕は首を横に振った。
「それは買い被りすぎですよ。僕は飛叢さん達に助けてもらうばかりで、活躍らしいことなんて何もしてませんてば」
「そうかのう?大妖達との勝負で見せた機転もそうじゃが、太市めに襲撃された時も汝は骸世めを動かしたじゃろ?あ奴はいわば妖怪の『世捨て人』みたいな奴じゃ。それが人に興味を示し、手助けに駆け付けるなぞ、万年に一度の奇跡じゃよ」
そう言うと、御屋敷町長はちびりとお猪口をあおった。
「まったく『夜光院』の連中が、汝を認めて夜行珠輪を預けるわけじゃな」
そう言うと、町長は僕の右手に光る腕輪念珠を見やった。
それは昼間、太市君に襲撃を受けた際、突然現れた三ノ塚さん(舞首)に奪われたものだ。
しかし、どういった手際だったのか、沙牧さんがこっそりと取り返していたという。
「彼女が持ち去ったのは、私が砂で偽装した偽物とすり替えてありますわ」
そうにこやかに言ったのは、沙牧さん本人である。
相変わらず、抜け目がないというか、油断も隙もないというか…
とにかく、お陰で大事な預かり物を奪われずに済んだ。
だが、二つの問題点がある。
一つはこの夜行珠輪の所在をリークしたのが、僕達と「絶界島事件」で共闘した神無月さん(紙舞)かも知れないということ。
そして、もう一つは。
三ノ塚さんがこの夜行珠輪を「鵺の卵」と呼んでいたことである。
果たしてそれは本当なのか?
本当だとしたら、何で北杜さん(野寺坊)は僕にそんな大事なものを託したのか?
それを確かめるには、北杜さんに真意を問いたださなければならない。
「坊よ」
「はい?」
「…汝はこの先どうする?」
思いがけぬその問い掛けに、僕は思わず町長を見た。
町長はかつて見たことがないくらいに真剣な表情だった。
「気の毒じゃが、汝はもう後戻りができん道筋にまで来ておると思う。じゃが、今ここからなら全てを捨てれば引き返すことはできるじゃろう。そして、それを誰もが咎めはせん。いや…この儂がさせぬ」
静かだが強い意志を込めた声で町長は続けた。
「汝は普通の人間じゃ。そして、これはよくあるチートな英雄譚ではない。そなたが縋ることのできる特別な力なぞ存在せんのだ。故にこのまま進めば、今日以上に酷い目に遭うことになるやも知れぬ」
一呼吸置くと、町長はやや俯いて続けた。
「…それこそ次は腕一本では済まぬかも知れぬのだ」
それを聞き、僕はゴクリと息を飲んだ。
町長はきっと大袈裟なことは言っていない。
その言葉はまったくもって真実だろう。
実際に昼間に味わった窮地と鮮血にまみれたあの瞬間を思い起こすと、背筋が凍りつく思いだ。
ここは町長の言葉に従った方が、絶対に正解だろう。
全部を忘れて、後は町長やみんなに任せれば…
…
……
………
「なら、進みますよ」
僕のその台詞は、何故か独りでに口を突いて出た。
驚く町長に、僕は笑った。
「僕は決めたんです。特別住民と向かい合うって。だけど、まだそこまで達してません」
そして、僕は治癒した右腕に触れた。
「彼にもまだそれを伝えてないですし、ね」
「愚か者」
町長が鋭い声で言った。
「それで命を落としたらどうする?腕を治すのとはわけが違うぞ!?」
「なら、余計みんなのそばにいた方が安心ですね」
そう言って僕が笑うと、町長は何故か目を見開いて固まった。
そして、愕然と呟く。
「…汝…どうして…その言葉を…」
「?」
首を傾げる僕。
…何だろう?
僕、何か変なことを言ったかな…?
「よう、なにシケた顔してんだよ、巡!」
と、そこに上機嫌で酔っぱらった飛叢さんが文字通り飛んで来た。
驚きつつ、僕は顔をしかめた。
「うわ、お酒くさい!」
「んだよ、酒飲んでんだから当たり前だろ?」
そう言いながら、一升瓶を片手に僕の肩に腕を回す飛叢さん。
「…巡…俺ぁ決めたぜ」
「な、何をです?」
目が据わったままだった飛叢さんが、一瞬真剣な横顔を見せた。
「俺は山本のおっさんの所へ行く」
「…え?」
驚く僕に、飛叢さんは続けた。
「釘宮も勇魚の姐さんの下にしばらく厄介になることにしたとよ」
「ちょ、ちょっと待ってください!どういうことです!?」
突然の告白に慌てる僕。
だが、飛叢さんの目は本気の光を宿していた。
「二人で話し合ったんだ。このままじゃあダメだってよ」
「一体何のことです!?」
「分かってんだろ?お前ならよ」
「…」
僕は肯定するように沈黙した。
飛叢さんが言わんとしていることは十分分かる。
彼は…いや、彼と釘宮くんは感じているのだ。
自分達と太市君の間にある圧倒的な力の差を。
それを少しでも埋めるべく、彼らは道を選んだ。
それは大妖達の下で己を高めようということに他ならない。
特に決定的な差を感じている飛叢さんは、それが最善と考えたんだろう。
「きっと、しばらくはみんなに会えねぇ」
そう言うと、肩に回された彼の腕の力が僅かに強まった。
「…それでも見送ってくれるか?」
真剣なその問い掛けに、僕は呆気にとられていた顔を笑顔に変えた。
「ええ…二人がそれを望んだんなら、僕は全力で応援します」
「…そうか。そっかそっか…!」
バンバンと僕の背中を叩いた後、飛叢さんは俯いた。
「じゃあ、祝ってくれや!」
「もごっ!?」
言うや否や。
飛叢さんはニンマリ笑いながら、手にした一升瓶を僕の口に躊躇うことなく突っ込んだ。
目を白黒させながら。
僕は喉元を流れ落ちていくお酒の感触に。
意識を…
失った。
※作者より※
良い子も悪い子も絶対真似をしないように!
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「ちょっと、何をしてますの!?」
その異変に感づいた鉤野が、最初に叫び声を上げる。
その声に全員が巡の方へと視線を送った。
「何と!?」
「あらあら、まあまあ」
「と、十乃君!?」
見れば。
飛叢が強引に巡に酒を飲ませているではないか。
それも一升瓶まるごとだ。
あってはならない一気飲みのその光景に、鉤野が慌てて駆け寄る。
「ちょっと飛叢さん!貴方、何て事を!?」
「うるへー!いいだろ、俺達の旅立ちの祝い酒なんだからよー!」
「何を訳の分からないことを!ちょっと飲み過ぎですわよ!そんなことをしたら、十乃さんが…ああっ!?」
鉤野の視線の先で、一升瓶を飲み干してしまった巡が、ぐにゃりと倒れ伏す。
さながら、まるで糸が切れた操り人形のようだった。
「あーもう!酔うとホントにロクなことをしないんですからっ!」
自分の髪で飛叢をグルグル巻きに縛り上げた後、傍らに放り捨て、鉤野は慌てて巡を抱き起した。
「十乃さん!しっかりなさってくださいまし!」
「巡兄ちゃん!」
「十乃君、大丈夫!?」
心配した釘宮や三池が集まってくる。
「何だぁ?一発で伸びちまったぞ、巡の奴」
小源太が呆れたようにそう言うと、余が説明した。
「確か、十乃殿は下戸でござるゆえ、一口でもお酒を飲むとノックダウンするでござるよ」
「何でぇ、情けねぇなぁ」
呆れたような口調の小源太に、鉤野が声を張り上げた。
「そんなことより、早く水を……え?」
不意に手を掴まれ、鉤野は巡を見やる。
見れば、うっすらと目を開けたところだった。
それを見て、ホッとする鉤野。
「十乃さん!良かった、目が覚め…」
「美しい」
「………………は?」
思いもしない巡の言葉に、硬直する鉤野。
そんな彼女の目の前で、やおらムクリと起き上がる巡。
そして、鉤野の手を両手で包むと、頬を赤らめて告げた。
「何て美しいんだ…結婚してください、この僕と」
「「「「はあああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!?」」」」」
一同に驚きの声が広がる。
突然のセンセーショナルな宣言に、硬直したままの鉤野。
しかし、それにも構わず、巡はズズイと攻め寄せた。
「お願いします。絶対に幸せにしますから!」
「は?え?ちょ?なっ?待っ!」
完全に想定外の事態に、思わず傍らの飛叢を見やる鉤野。
しかし…
「んがー…」
したたかに酔った飛叢は、完全に夢の世界に旅立った後だった。
「この役立たずーーーーーーー!」
思わず怒鳴る鉤野。
そこに割って入ったのは三池だ。
「ちょっとぉ!今の本気なの、十乃君!?」
「…」
ふと立ち上がると、詰め寄った三池を躊躇うことなく抱きしめる巡。
またまた起きたアクシデントに、一同が再びどよめいた。
「勿論本気だよ、可愛い子猫ちゃん♡」
「ふにゃあああああああああッ♡」
一転、両目をハートマークにして奇声を発する三池。
その表情は完全に夢心地であった。
そうして抱擁を解くと、まるで液体になったかのように崩れ落ちる三池。
すると、くるりと向きを変えた巡。
今度は傍らの釘宮に目線を合わせるように跪いた。
「え、ええと…あの…巡兄ちゃん?」
「ずっと好きだったよ」
「「「「「どええええええええっ!?」」」」」
三度訪れた衝撃に、今まで以上の悲鳴が上がる。
「き、キタ!BL展開、遂にキター!!!!!」
ひたすら興奮しまくる玉緒の傍らで、紅刃が鼻血を拭きながら興奮気味に指示を出す。
「し、白菊!早く動画を!動画の準備を!」
「ハイっ!!!!」
神速の速さでハンディカムを回し始める白菊(茨木童子)。
そんな中、巡はにじにじと釘宮に近付いていく。
「あ、あの、巡兄ちゃん…ダメだよ、そんなの…僕達、男の子同士だし…」
真剣な表情で近寄ってくる巡に、何故か必要以上に顔を赤らめる釘宮。
遂にその両肩を掴まれると、覚悟したようにギュッと目をつむる。
「おおおおおおっ!イケッ!やれッ!」
「くはあああ!何なんですの、この胸の奥から湧き立つ衝動は!?」
「お静かに、お嬢様!音声にノイズが入ってしまいます!!」
完全に興奮の坩堝と化す女大妖勢。
しかしその時、
「正気に戻れい、このうつけが!」
巡の背後に立った俚世が、その脳天にチョップを下す。
その衝撃で、前のめりに倒れる巡。
しかし、それもつかの間、巡はムクリと起き上がると俚世に近付きお姫様抱っこに抱え上げた。
「うひゃああ!!いきなり何ぞ!?」
「さ、どこで式を挙げようか?」
「はあ!?な、何を…」
「赤ちゃんは何人がいいかな?」
「やや子じゃと!?何を言っておるじゃ、汝!?」
顔を真っ赤にする俚世に、優しく微笑みかける巡。
「大丈夫。きっと君に似た可愛い子が生まれると思うよ」
「な、何を…何を言っておるのじゃ…」
思わず恥じらいの表情になる俚世。
そこに巡の顔目掛けて水がぶっ掛けられる。
思わず俚世を取り落とすも、それを咄嗟に受け止めたのは、水を掛けた当人…沙牧だった。
「大丈夫ですか、町長?」
「お、おお、沙牧か!助かったぞ!」
「まあ、あのままだと法律に触れそうな展開でしたしね…それとも余計なお邪魔でした?」
「ななな何を言っておるのじゃ、汝は!」
真っ赤になって喚き散らす俚世を地に下ろすと、沙牧はある異変に気付いた。
「…十乃さんがいない?」
その瞬間。
背後に生まれた殺気に、沙牧は飛び退いた。
しかし…
「照れ隠しに悪戯するなんて、お茶目さんだね」
飛び退いた瞬間に抱き止められ、沙牧は戦慄した。
(そんな馬鹿な…気配も感じさせないなんて!)
「でも、そんなところも魅力的だよ、ハニー♡」
「あ、あら?あららららら?」
まるでバレエのようなポーズで抱き止められ、完全に姿勢を制御されてしまった沙牧が、珍しく動揺する。
「さあ、覚悟してね、ハニー♡」
「熱烈な告白は嬉しいのですが…今はご遠慮願います」
「そんなつれないことを言わないで」
「そこまでッ!」
不意にそう鉤野が叫ぶ。
同時に放たれた鉤毛針が、二人を捉えた。
グルグル巻きになって倒れる二人。
「ふう…危ない所でしたわね、美砂」
「助けてもらって何ですけど…まだ危機は去ってませんわよ?」
「へ?」
見れば。
鉤毛針に捉えられているのは沙牧一人だ。
「そんな!十乃さんはどこへ!?」
驚く鉤野にチョイチョイと明後日の方向を指差す沙牧。
その先を視線で追うと…
「よいではないか♡よいではないか♡」
「あ~れ~♡」
玉緒の帯を引っ張り、くるくると回している巡の姿が映る。
同時に派手にズッコケる鉤野。
「な、なななな何て破廉恥な真似を!」
再び鉤毛針を放つも、巡は人ならざる動きでヌルリとくぐり抜けた。
呆気にとられる鉤野。
「なっ!?何ですの、あの体裁きは!?」
「ほう…なかなかいい動きをするな、あの坊主」
「うふふ、芸術性もビンビンに高いわね」
「お二人とも呑気に解説してる場合ですかッ!?」
いつの間にか酒を飲みながら高見の見物を洒落こんでいる山本と神野に、思わず牙を剥く鉤野。
それに肩を竦める山本。
「いやあ、だって面白いもんなぁ。あと、巻き込まれたくないし」
「あたしも衆道には興味はないわ」
「え、嘘だろ」
「何よ!?山本、アンタあたしをどういう目で見てたの!?」
一方では、
「むぅ!あれこそは十乃殿の『泥酔モード』!」
劇画調の顔つきになった余に、傍らの小源太が同じく劇画調の顔つきで尋ねる。
「知っているのか、余?」
「うむ。聞いたところによると、十乃殿は激烈な下戸ゆえ、お猪口一杯で酔い潰れるものの、一定以上のアルコールを摂取すると押さえられていた『妖怪愛』が暴発し、神霊級を凌ぐ潜在能力を発揮するとかしないとか…」
「何と!?…では、あれが奴の秘められた力……!」
「そんな馬鹿な…」
そんなやり取りに鉤野が頭を抱えていると、
「ああっ♡いけません、いけませんわ♡このような場所で♡」
「じゃあ、二人きりの場所に行きましょうか」
見れば、壁際に追い詰められた紅刃に壁ドンしたまま、巡が熱っぽい声で言い寄っているではないか。
傍らでは、牙をガチガチと鳴らしつつ、白菊が動画を撮っている。
おそらく、紅刃の命令なのだろう。
言い寄る巡に殺意満々ながらも、辛うじて主人の様子を撮影している。
鉤野はたまらず頭を抱えて絶叫した。
「あーもう!誰か何とかしてくださいな!!!!!!」
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その頃、宵ノ原邸の外。
「…む?」
警護のために控えていた七重(大百足)は、ふと空を見上げた。
「どうした?」
そう声を掛けてきたのは、同じく館の警護役に就いていた朱闇(土蜘蛛)だ。
七重は上げていた顔を下した。
「いや…何か助けを求めるような悲鳴が聞こえたような気がしたが…気のせいだろう」
「そうか」
そう言うと、朱闇は星がきらめく夜空を見上げた。
そして、おもむろに呟く。
「寒いな」
「ああ。そして静かな夜だ」
と、七重は白い吐息を両手に吐きかけたのだった。




