【百四十六丁目】「この町は…きっと君を受け止めてくれる場所だよ」
Giyaaaaaaaaoo!!
「うわわわわーーーーーっ!!」
真っ黒な体色にボサボサの長髪。
鋭い牙が並んだ大きな口に、四本の腕に光る三本の爪。
そんな凶悪な外見をした怪物…通称“木偶”の群れに追い回されながら、僕…十乃 巡は釘宮くん(赤頭)をおんぶしたまま、全力で逃げ回っていた。
幸い、木偶達は数は多いが、そう素早いわけではない。
人間の僕が釘宮くんをおんぶしても、何とか逃げ延びられるくらいだ。
しかし、逃げる先々に木偶が湧くので、正直体力がもちそうにない。
その時…
「オラァァァァッ!!」
僕と木偶との間に割って入るように、飛叢さん(一反木綿)が飛び蹴りを放ちつつ助けに来てくれた。
そして、群がる木偶達を素手で叩き伏せていく。
つ、強い…!
飛叢さんって、妖力を使わなくてもこんなに強かったのか…
さすがは「喧嘩馬鹿」とか言われていることだけのことはある。
彼の戦い方は訓練された「格闘技」というより、何でもありの荒っぽい「喧嘩殺法」だ。
パンチに背負い投げ、頭突きにラリアート、回し蹴りに喧嘩キックと、押し寄せる木偶達を次々と一人で蹴散らしていく。
「生きてるか、巡、釘宮!?」
「は、はひ…何とか…」
「ありがとう、飛叢兄ちゃん!」
息を切らせる僕と、背中の釘宮くんに飛叢さんは続けた。
「礼は後だ!とにかくお前達は何とか逃げ回ってろ!見ろ、この程度じゃ連中、くたばりゃしねぇ!」
飛叢さんの視線を追うと、彼に叩きのめされた木偶達はダウンこそすれ、しばらくすると再び起き上がってこっちに迫ってきている。
げ。
それほど強くはないのに、何て耐久力だ。
復活してくる木偶達を見ながら、飛叢さんは歯噛みした。
「くそっ!妖力さえ使えたら、こんな雑魚ども一瞬で仕留められるのによ…!」
そうなのだ。
いま、飛叢さんをはじめ僕に同行してくれた特別住民のみんなや御屋敷町長(座敷童子)、そして大妖の六名全員が妖力を封じられてしまい、百体近い木偶達に取り囲まれているのである。
故に、釘宮くんがただの人間で戦えない僕に背負われて逃げ回っているのは、妖力によって発動されるのその怪力を封じられてしまったからだった。
本来、彼らがその身に宿る妖力を発揮すれば、いくら多くても木偶程度の相手なら簡単に撃退できるはずなのだが…
「フッ…そろそろ観念するか、飛叢?」
僕達の窮地を楽しむように、この事態を招いた犯人…太市君(鎌鼬)が薄く笑いながらそう言う。
彼は「大妖六番勝負」の終了と共に突然現れ、木偶達を召喚。
挙句、この場にいた妖怪達全員の妖力を封じてみせた。
驚くべきは、神にも近い実力を持つ大妖達も、彼によって妖力を封じられてしまった点だ。
しかも、何故かこの練武場「破天」からの脱出も出来ない。
これも太市君の仕業だと思うが、どうやら、結界のようなものが張られているようで、内外の行き来が完全に封じられていた。
ということは、外部からの増援…大妖達の警護に控えていた部下や、会場の警備にあたっている「木葉天狗衆」の皆さんもここに入って来ることが出来ないということになる。
完全に手詰まりになった僕達を、余裕の笑みのまま傍観している太市君。
それが癇にさわったのだろう。
飛叢さんは、再度押し寄せる木偶達を素手で蹴散らしつつ吠えた。
「うるせぇ!それより太市、テメェ一体何を企んでやがる!?」
飛叢さんの怒号に、優雅に前髪を払って見せる太市君。
「お前にいちいち説明する義理はない…が、一つだけ教えてやろう」
そう言うと、太市君は少し離れた場所で奮闘している大妖達を見やった。
「今回用があるのは、あっちの連中さ」
視線の先では、六人の大妖達が僕達と同じように無数の木偶を相手にしていた。
違うのは、妖力を封じられているのにも関わらず、いずれも互角以上に木偶の群れと戦っている点だろう。
さすがにこういう修羅場の場数を踏んできただけあって、いずれも手錬ぞろいだ。
特に山本さん(山本五郎座衛門)、小源太(隠神刑部)、勇魚さん(悪褸)は、大胆にも積極的に肉弾戦に応じていた。
「ホラホラ!こっちだ、ノロマ野郎ども!」
得意の変化術を封じられた小源太っだが、その身軽さを活かして木偶達を翻弄していた。
大妖狸“隠神刑部”の名前らしからぬ猿のような身のこなしで、相手の攻撃を次々と掻い潜り、逆にカウンターを見舞って打ち倒していく。
「しっかし、コイツらのしぶとさときたら!本当にキリがないねぇ!」
そう吠えたのは勇魚さんだ。
船上暮らしが長い彼女は、持ち前のバランス感覚や足腰の強さを活かし、片っ端から木偶達を蹴り飛ばし、ブン殴りまくっていた。
「とりあえず、今はこの場を凌ぐことに専念しろ!それしかねぇ!」
山本さんがそう檄を飛ばす。
彼は迫る木偶をいぶし銀の技量でいなし、合気道のように打ち倒しながら、時折、当て身や蹴りを繰り出し、冷静に木偶達を圧倒していく。
先程まで召喚されていた「稲生物怪録」の妖怪達は、山本さんの妖力が封じられると共に消失してしまったが、さすがは「魔王」を名乗るだけのことはある。
大妖中の大妖としての貫禄がそこにあった。
どうやら、この三人が自然と攻撃側に回っているようだ。
では、残りの三人はというと…
Gyo!?
giiiiii…!?
「うんうん。間近で見れば見るほどいいカンジね、貴方達♡」
華麗に舞うように、追いすがる木偶達を幻惑しているのは神野さん(神野悪五郎)である。
彼は自分のブッ飛んだ美的センスを満足させるためなのか、寄ってくる木偶達をマジマジと観察する余裕すら見せていた。
その挙動に、逆に木偶達の方が戸惑っているようにさえ見える。
「やっぱし、神野はんの美的センスはついていくことはできまへんなあ…」
そう独り言をぼやきながら、手にした扇で木偶達を退けるのは玉緒さん(天狐)だ。
彼女も舞を踊るように木偶達の攻撃をかわし、隙を見ては足を掛けて転ばしたり、同士打ちをさせたりして変幻自在に動き回っている。
さすがは妖狐達の頂点に位置する存在だ。
体術においても、相手の裏をかく方法には長けているようである。
「まさか、貴女にこの背中を預けることになるとは…!」
「あらあら、ずいぶんと不服そうですね?」
そう笑う沙牧さん(砂かけ婆)に、背中合わせになっていた紅刃さん(酒呑童子)がヤケクソ気味に怒鳴る。
「不服も不服、大不服ですわ!この今の状況の方がもっと不服ですけれども…!」
そう言いながら、紅刃さんはオートマチック銃をひとしきり連射しつつ、弾倉を取り換えた。
酒を飲めば飲むほど強くなる彼女も、その妖力を封じられてしまったせいか、手持ちの火器で木偶達を退けている。
もっとも、連中には近代火器があまり通用しないのか、ダウンはさせられてもしばらくすると起き上がってくる。
まるで、ゾンビのようで不気味だ。
一方、接近してきた木偶は、たすき掛け姿の沙牧さんが、柔術のような体さばきで打ち倒していた。
正直、僕は彼女があんな格闘術を会得していたなんて知らなかった。
初めて目にしたが、彼女自身、過去に裏社会でエージェントをしていたというから、この程度の技術を身につけていてもおかしくはない。
そんな二人の背後に匿われているのは、御屋敷町長に鉤野さん(針女)、余さん(精螻蛄)の三人である。
三人とも肉弾戦が得意ではないし、妖力を失ってしまうと戦う手段が無くなってしまうから仕方がない(余さんは元々戦闘向きの妖力の持ち主ではないが)。
「美砂…!」
「鉤野よ、もっと下がっていないと危ないぞ?」
「鉤野殿、ここは辛抱でござる!今、某達がしゃしゃり出ても、何もできないでござるよ!」
御屋敷町長と余さんにそう引き止められ、鉤野さんは悔しそうな表情を浮かべた。
正義感が強い上、太市君とは特に浅からぬ因縁がある彼女のことである。
きっと、親友に頼りっぱなしになっている今の自分の無力さが歯痒いに違いない。
ともあれ、一連の様子を見ると、神野さんと玉緒さんが陽動、沙牧さんと紅刃さんが守備側に回っているようだ。
互いに対立する立場にある彼らだが、このピンチに自然と攻守と陽動が噛み合っているのはさずがといったところか。
それは飛叢さんも同感だったのか、不敵に笑った。
「へっ、連中の首を狙ってたなら残念だったな!あいつらはこんな雑魚相手じゃ音を上げるようなタマじゃねぇぜ?」
しかし、それに太市君はやはり笑みを崩さなかった。
「別に首が目的というわけじゃないさ。でも…」
パチンと指を鳴らす太市君。
すると…
Gyoooooo…!!
Jyaaaaaa…!!
「取れるなら、取っておくのも悪くないな」
ニヤリと笑う太市君。
う、嘘だろ…
また、木偶が増えた…!!
次々と地面から這い出てくる木偶の群れ。
それを僕と釘宮くんは絶望的な気持ちで見つめていた。
「まだ出てくるのかよ…!」
再び飛叢さんが歯噛みする。
個々では大したことがない連中でも、こんな数で押され続けたら持ちこたえるのだって難しい。
いまは互角以上に渡り合っている大妖達だって同じである。
まずい…
このままじゃ、ジリ貧だ。
外からの増援も望めない以上、いつかは全員に限界が訪れ、そして…
「太市君!もう止めるんだ!」
耐えきれず、僕は叫んだ。
「十乃…」
笑みを消し、僕を見つめる太市君。
僕は背負っていた釘宮くんを下ろすと、太市君に近づいた。
「…『絶界島』で君から聞いたことは忘れていないよ」
続けながら、僕はさらに太市君へ近付いた。
それを見た飛叢さんが叫ぶ。
「馬鹿野郎!下がれ、巡!」
それに笑顔で応え、僕はまた一歩近付いた。
「それに…君が『K.a.I』に追われていることも僕は知ってるんだ」
太市君の目がわずかに見開かれる。
この情報は「夜光院」での一件の最中、「絶界島」で行動を共にした神無月さん(紙舞)からもたらされたものだ。
太市君は無言だった。
「あれから僕はずっと君を探してたんだよ」
「…何故だ?」
「決まっているだろ?君を助けるためだよ」
「俺を…助ける?」
太市君が意外そうな顔になる。
「十乃、お前は『絶界島』での一件を覚えていると言ったな。なら、俺がお前や皆にしたことだって忘れてないだろう…?」
今度は僕が無言になる番だった。
忘れることなんて出来ない。
彼は…太市君は、あの場に居合わせた仲間の特別住民達を傷付けたのだ。
それこそ…殺す気で。
「そこにいる釘宮だって、俺のせいで大怪我を負ったんだぞ?そんな事をした俺をまた助けるのか?」
「風峰兄ちゃん…」
それを聞き、複雑な顔をする釘宮くん。
事実、太市君の攻撃から僕を庇った釘宮くんは、あわやといった重傷を負った。
あの時、沙牧さんが「河童の軟膏」を所持していなかったらと思うと、今でもゾッとする。
「でも、釘宮くんはこうして無事だった。誰も失うことにはならなったし『K.a.I』のセミナーに行ってしまった皆だって、全員じゃないけどあの後戻ってきてくれたんだよ」
僕はまた一歩、太市君に近付いた。
正直、身がすくむ。
今の太市君が危険な存在だっていうのも、身に染みて分かっている。
…でも。
『十乃、俺はここで生きていけるかな?この町は、俺達が居てもいい場所なのかな…?』
遠いあの日。
薄暮の中、太市君と二人きりで交わした会話の中で、彼の口から出たその問い掛けに、僕は答えることが出来なかった。
けれど「絶界島」での一件から、僕はその答えをずっと考えてきた。
「太市君…あの日の君の言葉に、いま答えるよ」
そう言うと、僕は彼に右手を差し伸べた。
「この町は…きっと君を受け止めてくれる場所だよ」
その言葉に、再び太市君が目を見開く。
僕は続けた。
「人間と妖怪…確かにまだまだ溝は深いよ。君達の権利を奪おうとしたり、憎悪する人だっている」
白神の地で、凪達「逆神の浜」の特別住民達と対立した五稜さん。
特別住民に偏見を持ち「K.a.I」と共に夜光院に襲撃を仕掛けてきた黒田さん。
いずれも、まだ分かり合える距離には居ない。
しかし、何かが変わったのは確かだ。
いずれの事件も間近で見てきた僕にはよく分かる。
小さいけど、着実な一歩…それは、人と妖怪の距離が少しだけでも近付いた確かな証だった。
あの特別住民嫌いの二人が変わることができた。
ならば、僕達人間は特別住民達のことを理解していけば、もっと変わっていけると信じたい。
「それでも…僕達は一緒に生きている。この町で同じものを見て、同じ時間を過ごして、同じように変わっていってるんだ。だから…」
思いを込めて、僕はまた一歩太市君に近付いた。
「一緒に…行こう」
「十乃…お前は」
やや俯いてから、太市君は顔を上げた。
「甘いよ」
キン
不意に。
鋭い風鳴りが耳に響く。
それは。
小さくか細い悲鳴のようだった。
「巡っ…!!」
「十乃兄ちゃーーーん!!」
「十乃さんッ!!」
飛叢さん、釘宮くん、鉤野さんの叫び声が重なった。
同時に。
差し出されていた僕の右腕が、ボトリと地面に落ちる。
「…え?」
何も理解できずに声を上げる僕。
そして、視界を赤いものが覆い尽くした。
その向こう側で、腕から大きな鎌を生やした太市君が、冷たい目で僕を見つめている。
同時に、右腕に生まれる灼熱感。
「う…あ…」
視界を覆った赤いものが、僕自身の右腕から飛び散った血であることにようやく気付く。
血を見た吐き気とショックで、一瞬で視界が暗くなり、僕はへなへなと地面に座り込んだ。
そんな僕を見下ろしながら、太市君は淡々と告げた。
「『絶界島』で言っただろう?『次は必ずお前を仕留める』と」
「ああ…あああああああ…」
僕の意識は、地面に流れ落ちる自分の血にただ吸い寄せられていた。
斬られた。
僕の。
右腕。
無くなって。
落ちてる。
遠くから、飛叢さんの怒号と鉤野さんの悲鳴が。
それと何か。
近付いてくる轟音も。
ドカァァァァァァァン!!
不意に爆発のような衝突音がした。
同時に、練武場の壁面を突き破って、中に一台のトラックが侵入してくる。
トラックは居並ぶ新手の木偶達を次々と跳ね飛ばし、ようやく停止した。
「ふぃぃ…いやいや、乱暴な真似をしてすんませんね」
そう言いながら、運転席から一人の小柄な老人が姿を見せた。
太市君は虚を突かれたように老人を見やった。
「お前は…誰だ?」
「どうも津雲清掃です。まあ、ただのゴミ回収業者です、はい」
老人…阿久田さんがニッコリと笑う。
彼は確か、昨日出会った清掃会社の老社員だ。
阿久田さんは頭をポリポリと掻きながら、
「実は本日、この施設のゴミ回収を承ったんですが、おかしなことに中に入れませんで。仕方なくこうして入らせてもらったんです、はい」
そこまで言ってから、阿久田さんは練武場の中を見回すと、苦笑を浮かべた。
「はは…こりゃあ、ずいぶんと散らかっているようですなぁ」
「お前…」
太市君の目に剣呑な光が宿る。
「あの結界を、通り抜けたというのか…?」
それに阿久田さんは首を捻った。
「はて、よう分かりませんが…無理矢理入ろうとしたら、何とか入れましたんです、これが」
「ふざけるな」
鋭い目つきのまま、太市君が一歩踏み出す。
「無理矢理で…そう簡単に入れるものか!」
瞬間、太市君の姿がかき消える。
そして、阿久田さんの真後ろに出現した太市君は、腕の鎌を振り上げた。
「ゴミ回収が望みなら、お前をゴミと共に回収させてやろう」
その刃が阿久田さんに迫ったその時、
ガシャアアアアアア!!
突然、トラックの荷台に積まれた山のような粗大ゴミが生き物のように合体し、巨大な腕を形作った。
そして、そのまま太市君を掴み上げてしまう。
「なっ…!?」
驚く太市君に向かって、阿久田さんは背中越しに振り向くとニッコリ笑った。
「すみませんが、片付けるまで少しどいていてくださらんか」
巨腕が太市君を高々と掲げるにつれ、荷台に積まれたゴミが更に合体していき、巨大な人型となる。
いわば、粗大ゴミで出来た巨人だ。
太市君が牙を剥き出しにして叫んだ。
「お前、人間じゃないな!?何者だ…!?」
「ですから、ただの清掃業者ですじゃ」
そう言いながら、阿久田さんは好々爺の笑みを浮かべながら続けた。
「古い名前は、『古王』…塵塚怪王って言うんですけどね」




