【百四十三丁目】「妖怪なら、二人共僕の大事な仲間なんですよ!!」
「そこを動くんじゃねぇ!!」
飛叢さん(一反木綿)のその言葉と共に放たれたバンテージが、白い光線と化し、山本さん(山本五郎左衛門)へと伸びる。
その先端が瞬時に捻じれ、錐の鋭く尖った。
その様はまさに槍のようだった。
飛叢さん自身の持つ妖力【天捷布舞】は、空中浮遊・高速飛行と共に腕に巻かれたバンテージを自在に操る力を有する。
それが成せる業だった。
鋭利な白い槍は、狙いを違うことなく山本さんの胸元に吸い込まれ、貫通する。
その瞬間、刺さった衝撃に山本さんの身体がくの字に曲がった。
ガハッ!
山本さんの口から、紅の飛沫が飛散する。
血だ。
地面に散らばったそれが、赤い華を咲かせた。
「山本さんっ!!」
飛叢さんに突き飛ばされ、倒れ込んでいた僕は目を見開いた。
そして、思わず絶叫した。
「飛叢さん、一体何を!!」
飛叢さんを見やると。
そこには今までに見たことも表情を浮かべた飛叢さんがいた。
まさに鬼のような形相だった。
今まで、何度か飛叢さんが喧嘩をしている場面に出くわしたことがある。
その時も闘争心剥き出しの表情で暴れまわっている姿を見てはいるが、今回は違った。
どこか追い詰められたような、切羽詰まったような…執念にも似た表情がそこにあった。
まさか…さっき、山本さんに手も足も出ず敗北した事を引きずっていたのか…
振り返ってみれば、ここしばらくは飛叢さんの様子もおかしかったし、人知れず思い詰めた気持ちを秘めたまま勝負に臨んで敗北した。
そこに来て、山本に叩きのめされたことは、喧嘩百戦錬磨の彼にとって、耐え難いほどのショックだったのかも知れない。
だから。
山本さんとの勝負が決着したことを知っても、逆恨みして彼の事を…
身を起こすと、僕は後先考えずに駆け出していた。
ダメだ!!
そんな事で、飛叢さんに誰かを傷付けさせるなんて!!
絶対に間違ってる…!!
「止めてください、飛叢さん!!」
そう言いながら、僕は飛叢さんにタックルするように飛びついた。
「もう勝負はついたんです!いくら返り討ちにされたからって…傷付けられたからって、相手を傷付けるなんてダメです!!」
虚を突かれたのか、飛叢さんが驚いたように僕を見やる。
「巡!?馬鹿野郎、お前は離れてろ!」
「嫌です!山本さんも飛叢さんと同じ妖怪じゃないですか!?それに…」
僕を引き剥がそうとする飛叢さんに、必死で抵抗しつつ、僕は叫んだ。
「妖怪なら、二人共僕の大事な仲間なんですよ!!」
思いの全てを込めて絶叫する。
後で思い返してみたけど。
そう叫んだその一瞬だけ。
何故か、誰もが静まり返った気がしたのは…僕の気のせいだったんだろうか…?
「このバカ!何を勘違いしてんだ!?よーくアレを見やがれ!」
そう言うと、飛叢さんが空いた左手で僕の首根っこを引っ掴み、山本さんの方へ突き出した。
…
……
………
え?
ええ…!?
何だ…?
何なんだ、アレは!?
くの字に前のめりになった山本さんの背後…ちょうど死角になって見えなかった場所に、得体の知れない「何か」がいた。
例えるなら、全身真っ黒の“ずんべら坊”だ。
“ずんべら坊”は顔の無い妖怪だが、そいつも同様で、無貌だった。
だが"ずんべら坊"てはない。
彼らは人を襲うような妖怪ではないからだ。
一方のその黒い怪物には長い髪があり、四本の腕がある。
鋭い爪を持ち、それが今まさに山本さんの背中に突き立てられようとしているところだった。
が、それを押し止めていたものがあった。
今しがた、飛叢さんが放ったバンテージの槍だ。
それが得体の知れない黒い怪物の心臓部分に突き刺さり、串刺しにしていた。
「ぐっ…」
山本さんが更に前のめりになって、膝をつくと、バンテージの槍は彼の身体を抵抗なく透過した。
まるで、飛叢さんが山本さんに攻撃を仕掛けた緒戦の一幕の再現だ。
結果、バンテージの槍は黒い謎の怪物のみを刺し貫く形となった。
「分かったら、お前はどいてろ!!」
呆然となった僕を、まるで子猫でも放るように脇へ投げ放つ飛叢さん。
そして、
「何だか知らねぇが、その山本は俺の獲物だ。それを背後から掻っ攫おうなんざ、百年早えんだよ…!」
そう言い放つと、飛叢さんは怪物を刺し貫いたまま、バンテージを手元へと引き絞った。
それだけで怪物は山本さんを飛び越え、飛叢さんの方へ引っ張られる。
「失せやがれ、顔黒野郎!」
そう言うと、飛叢さんは左手を一閃した。
すると、左腕のバンテージがピーンと張りつめ、まるで刀剣の様に握られる。
そして、引き寄せられた怪物を、飛叢さんは頭から一刀両断にした。
Giugeyaaaaaaa…!
耳を覆いたくなるような絶叫と共に、怪物が真っ二つになる。
そして、地に落ちると、みるみる形を失い、黒い染みのようになって消えた。
それを見届けると、飛叢さんは両手を振るってバンテージを収めた。
「…おい、いい加減三文芝居は止めな、魔王さんよ」
膝をついて身を屈めて苦悶している山本さんに、飛叢さんがジト目でそう告げる。
すると…
「ありゃ、バレてたか。割と真に迫った演技だと思っていたのに」
突然苦悶するのをやめ、ひょいと身を起こす山本さん。
そして、悪戯がバレた悪ガキのような表情を浮かべた。
…え?
芝居…?
一体…どうなってるの!?
頭の中が「?」だらけになっている僕をよそに、飛叢さんが呆れ顔で腕を組んだ。
「ったく、最初からバレバレだってーの。あんた、さっき俺のバンテージを避けもせずに身体を貫通させて、すり抜けたろうーが」
「あちゃあ、ネタバレしてたか。もう少し凝った風にした方が良かったかよ」
頭を掻きながら、苦笑する山本さん。
いや、待って。
まだ、僕の理解が追い付かないんだけど。
「さ、山本さん…大丈夫なんですか?」
恐る恐る僕がそう問い掛けると、山本さんは自分の胸を指し示した。
「見りゃ分かるだろ?これこの通り、傷一つねぇよ」
「で、でも…さっき…飛叢さんの攻撃を受けて…たくさん血を吐いて…」
そう言いながら、地面に飛び散った血の跡を目で追うと…
「無い!?」
「だから、いまこのオヤジが言ったろ?演技だって。血吐いて見せたのも、どうせ幻術か何かだろうさ」
飛叢さんが呆れ顔で、山本さんを見やる。
「俺は、最初っからこのオヤジの背後に忍び寄ってた、あの得体の知れねぇ黒い奴を狙ったんだよ。さっき見た通り、こっちの攻撃はどうせ効かねぇと思ったから、面倒だし山本ごと串刺しにしてやったんだ」
…
…何というか。
…それって、かなり物騒な賭けのような気がする…
そんな僕の気も知らず、飛叢さんは溜息を吐いた。
「そしたら、このオヤジが悪ノリして、効いたフリをしやがったのさ。わざわざ血を吐く演技までしやがって」
「フッ、盛り上がるかと思ってな」
…
…何というか。
…やっぱり、大妖というのは変わり者揃いだ…
「さあて、諸々の種明かしも済んだところで…そろそろ本題に入るか」
一転、山本さんは鋭い視線で黒い怪物が消えた地面を見やった。
「あの黒い奴だが…ありゃあ、何だ?」
「お館様、大丈夫ですかい!?」
慌てた風に、山本さんの配下の妖怪達が駆け寄ってくる。
それを見ながら、飛叢さんは山本さんに尋ねた。
「あの連中はあんたの手下か?」
「そうだ」
頷く山本さんに、飛叢さんは鼻を鳴らした。
「なら、手下共とグルだった訳でもなさそうだな…いや、待てよ。まさか、連中のあの慌てぶりも演技じゃねぇだろうな?」
「当たり前だ。そんな事をしても意味がないだろうが」
そこで、山本さんは薄く笑った。
「それに手下一匹殺されたとなりゃあ、今頃お前は生きてられねぇよ」
「フン…まあ、信じてやらあ。さっきの黒いの、アンタに敵意バリバリだったのは明白だしな。と、なりゃあ…」
「ああ、どっかに黒幕がいるって訳だ」
山本さんは頷いた。
く、黒幕って…
山本さんを狙ってる誰かがいるってことか…!?
そんな…一体誰が…!?
「黒幕に心当たりは…?」
飛叢が声を押さえてそう尋ねると、山本さんも低い声で言った。
「ある…っていうか、お前ももう分かってるんだろ?」
「えっ!?」
意外な言葉に、僕は思わず飛叢さんを見やった。
それに、飛叢さんは少しの無言の後、切り出した。
「巡…悪い。お前や鉤野達に黙っていた事がある」
そう言ってから、飛叢さんは僕を真正面から見詰めた。
「三日前…ここいる大妖達が、この『百喜苑』にやって来たあの夜に、俺と余も百喜苑にいたんだ」
衝撃の発言に、僕は驚いた。
「そんな!?あの時、この中は大妖の皆さんと関係者の一部以外は立ち入り禁止で、飛叢さん達は入れなかった筈ですよ!?」
飛叢さん達に配布された入場許可証が有効なのは二日目からである。
だから、大妖の皆さんをお出迎えしたあの日だけは、飛叢さん達は入場しようとしても出来なかった筈なのだ。
「そこはまあ、色々あってな…ともかく、ここに邪魔してた訳だが…」
「…余さんですね…?」
僕がジト目で、割り込むように推理の結果を述べると、飛叢の視線が盛大に泳ぎ始める。
…まったく、つくづく仕方のない人である。
あの余さんのことだ。
大方、女妖の皆さんを盗撮でもしようとしたのだろう。
それに何故か飛叢さんが一枚噛んだ訳だ。
まったく…もし、警備担当の「木葉天狗衆」に見つかっていたら、どう申開きをするつもりだったのだろうか。
「と、とにかく…!」
飛叢さんは再び真剣な顔で続けた。
「あの夜、俺達はこの会場の中で、偶然、このオヤジと取り巻き連中が襲撃を受けているところに出くわしちまったのさ」
「そ、それって…!」
あの「かん口令」が敷かれた「謎の大妖襲撃事件」!?
僕も詳細は知らされない程の事件で、大妖の中で誰が襲撃されたのかはまったく分からない。
幾分事情に詳しそうだった颯さん(木葉天狗)ですら、口をつぐんでいて、教えてもらうことは出来そうになかったのだ。
驚いた。
まさか、襲撃されたのが「魔王」として恐れられる山本さんで、しかもその現場に飛叢さんと余さんが居たなんて…
「…待ってください」
ある事に気付いた僕は、二人に合わせて声を潜めつつ尋ねた。
「じゃ、じゃあ、飛叢さん達は襲撃者の正体を見たんですか!?」
それに飛叢さんは無言で頷いた。
更に驚愕する僕。
「だ、誰なんです、犯人は!?」
そこで、飛叢さんは視線を反らした。
そして、足元を見ながら告げた。
「…太一だ」
「…え?」
「襲撃者は…太一だった」
今度こそ。
僕は絶句した。
太一君は飛叢さん達と仲が良かった特別住民の一人だ。
穏やかで、姉や妹を大事にしていた心優しい"鎌鼬"
しかし…
「K.a.I」が絡んだ「絶界島」での一件で謎の力を得て、妖怪を越える「妖魔」を名乗り、僕達を追い詰めた。
そして…姿を消した。
それ以降、僕は飛叢さん達と彼の行方を密かに追っていたのだが…
「…そ、そんな…太一君が…どうして山本さんを…!?」
自分の声が震えるのを感じる。
あの優しい太一君が、大妖である山本さんを襲うなんて信じられなかった。
いや…信じたくはなかった…
「絶界島」で因縁のある僕達をつけ狙うなら、まだ分かる。
しかし、無関係の筈の山本さんを、何故彼が襲わなければならないのだろう…?
しかも、彼は「K.a.I」から追われている身だ。
事情は知らないが、先の夜光院の一件の際に「絶界島」で協力し合った特別住民の一人、神無月さん(紙舞)がもたらしてくれた情報では「K.a.I」の実行部隊が太一君の行方を追っていると聞いた。
にも関わらず、大妖の襲撃者として姿を現すなんて…
一体、何が起こっているんだ…
「残念だが、奴の目的の真意は分からねぇ」
飛叢さんがどこか沈痛な表情で言った。
「でも、例の一件であれだけの事を仕出かした奴のこった。「K.a.I」絡みの何かが、また起ころうとしてるのかも知れねぇ」
「飛叢さん、それは…!」
僕は思わず山本さんを見ながら声を上げた。
「K.a.I」と僕達の関係は、表沙汰には出来ない事が多すぎるから、絶対秘密にしているのだ。
「安心しな、坊主。"鎌鼬"にちょっかいかけられた夜、この若いのとあそこの太っちょから簡単に事情は聞いてる」
それまで黙っていた山本さんが、小声で続けた。
「俺は人間共のいざこざに首を突っ込むつもりはねぇよ。余計な事も話すつもりはねぇ」
「山本さん…」
僕はそれで合点がいった。
ここ最近、飛叢さんの様子が変だったのは、例の襲撃事件と太一君や「K.a.I」の事を山本さんにバラしてしまった事を後ろめたく思っていたのだろう。
しかも、奇しくも大妖六番勝負で、当の山本さんと相対することになってしまったのだ。
その心境は複雑だったろう。
「すまねぇ、巡…騙すような真似をしちまって」
「飛叢さん…」
「お前が大事なサミットに臨む前だったし、まさか大妖達との勝負が始まるとは思いもしなかったからよ…お前の重荷になっちまうかと思って、黙ってたんだが…」
そして、飛叢さんは珍しく僕に向かって姿勢を正すと潔く頭を下げた。
「すまねぇ…こんなんじゃ仲間失格だな、俺」
僕はそれを見て、少しの無言の後、笑った。
「顔を上げてください、飛叢さん」
その言葉に、飛叢さんはおずおずと顔を上げる。
それに僕は指を一本立てて告げた。
「役場の食堂で、墨田さんの『高級蕎麦 百万石御膳』を一週間オゴリで」
「…へ?」
「あと、釘宮くんや鉤野さん達のも」
「お、おい?」
「勿論、余さんと折半で構いません」
僕はそこで、戸惑う飛叢さんにウインクして見せた。
「それでチャラです。はい、終了」
「巡…」
何か憑き物が落ちたようになる飛叢さん。
彼のそんな顔を見たのは、久し振りのような気がする。
飛叢さんは静かに呟いた。
「…すまねぇ」
「もう!『終了』って言ったでしょ?だから、今はもうその話は無し!それよりも…」
僕は顎に手を当てた。
「問題は太一君の方です。この状況で再び山本さんを狙ってきた目的は一体…」
「そいつは、本人に直接聞いてみる方が早いだろうぜ」
突然、山本さんがそう言い出す。
顔を見合わせる僕と飛叢さんの前で、山本さんはスタスタと練武場の壁際に移動して行った。
そして、一同が見守る中、壁に掛けて合った一振りの木刀を手にする。
「俺をつけ狙うなら、その結果を間近で見てる必要かあるだろ?」
そう言いながら、木刀を槍投げのように構える山本さん。
「なあ?鎌鼬の!」
瞬間。
ミサイルのごとき勢いで、山本さんが放った木刀は、練武場の外に生えていた大木目掛けて飛来した。
そして、轟音を上げて大木の上半分を破砕する。
す、凄まじい事をしてのけるな!
が、それよりも。
僕達は破砕された大木の影にいた人物を見て、驚愕の声を上げた。
「た、太一君…!?」
「久し振りだな、十乃…それに皆」
純白に変わったままの長い髪をなびかせながら。
風の妖魔は不適な笑みを浮かべた。




