【百三十九丁目】「私の前に立てる幸運を噛み締めなさい…!」
明けて翌日
「妖サミット」は、早くも三日目を迎えた。
初日の来賓出迎え。
二日目の「大妖六番勝負」の一~三勝負。
そして本日、残りの勝負が執り行われる。
僕…十乃 巡は、昨晩の疲労を抱えつつ、会場となる「百喜苑」の入場を果たした。
その先で、飛叢さん(一反木綿)達と合流。
今日、最初の会場になる資料館へと向かう。
「これまでも、妙ちくりんな勝負が続いていたけど…」
資料館へと向かう道すがら、三池さん(猫又)が、おもむろに口を開く。
「今日の勝負の場所が博物館?だっけ?」
「正確には『資料館』ね」
鉤野さん(針女)が、そう訂正しつつ、続けた。
「何でも、設立者の趣味で集めた美術品や骨董品が収蔵されているそうだけど…」
「まあ、どっちでもいいんですけど…」
三池さんが溜息を吐く。
「何か、今日も妙ちくりんな勝負が待ってる予感がするわね…」
そう言う三池さんは、第一勝負で小源太(隠神刑部)との「肝比べ」(実質は変化合戦)で勝利に貢献してくれた。
当人はその破天荒な内容に、精神的に相当疲弊した感じだったので、残りの三番勝負にも警戒感を持っているのだろう。
まあ、恐らく彼女だけに限らず、全員が抱えている警戒感なのだろうが。
「もしそうなら、楽しみですわね♪」
そう言いながら、ころころと笑う沙牧さん(砂かけ婆)。
…前言撤回。
やはり、この人だけは別格だ。
「チッ、お気楽なこと言ってくれるぜ。分かってんだろ?勝負方法は妙ちくりんでも、奴らの実力は俺達とは次元が違う。今日だって、昨日のように上手くいくか分からねぇだろうが」
それに、幾分目を細める沙牧さん。
「あら、らしくないですね。いつも勝負事には無鉄砲な貴方が、そんな弱音を吐くなんて」
「うるせぇな。弱音じゃねぇ。俺は現実ってのを見てんだよ。お気楽なあんたと違ってな」
そう悪態をつく飛叢さん。
昨日、何故か元気が無かった彼の事は気にかかったが、今朝もこうして姿を見せてくれたことにひとまず安心した。
が、やはり普段に比べると少し様子がおかしい気がする。
今のやり取りだって、いつもならもっと過激な言い返しがあるはずだけど。
何というか、どこか思い悩んでいるような…そんな印象を受けた。
「まぁまぁ。飛叢殿の言いたいことも分からなくないでござるよ。何せ、残った面子が面子でござるからな」
すかさず、そうフォローを入れたのは余さん(精螻蛄)だ。
彼も、昨日行われた玉緒さんとの第二勝負「知恵比べ」(実質はクイズ野球拳)で助っ人として活躍(?)してくれた。
「ええと…確か、七代目酒呑童子に神野悪五郎、山本五郎左衛門だっけ?」
そう指を折ったのは、釘宮くん(赤頭)である。
彼も昨日、第三勝負「根競べ」(実質は水上アスレチック)で助っ人を務めてくれた。
強敵だった勇魚さん(悪樓)相手に、小さな身体で頑張ってくれたことは、感謝してもし足りない。
それに鉤野さんが頷いて見せる。
「ええ。いずれも名だたる大妖にして、生粋の武闘派ばかりですわ」
「ですから、余計楽しみです」
にっこり微笑む沙牧さんの発言に、鉤野さんがこめかみを押さえる。
「飛叢さんではありませんが…美砂のそういう楽天的な思考にはついて行けませんわ。親友ながら」
「あら、静ちゃんってば『大妖達が十乃さんの後ろ盾になってくれるために全力を尽くしましょう!』って、昨日はあんなに張り切っていたのに」
それに鉤野さんが、一転表情を引き締める。
「それは…そうですわね。気後れしてる場合ではありませんでしたわね」
そうなのだ。
今回、沙牧さんが大妖達に吹っ掛け、急遽開催されたこの「大妖六番勝負」には、僕達だけが目指すある目的があった。
それは、特別住民達に良からぬ企みを持ち、暗躍する謎の外資系企業「mute」及びその下部組織「K.a.I」に対抗するため、今回の勝負に打ち勝ち、大妖達に僕達の実力を認めさせることである。
大妖達が僕達を認めてくれ、その後ろ盾になってくれれば、目下、放置状態の両組織に対して、強力な牽制にもなるし、いざという時に助力を乞うことも見込める。
妖怪達の間でも一目置かれる彼らの助力を得られる意義は、とても大きい。
本来、ただの随行者で終わるはずの釘宮くんや飛叢さん達が、助っ人として奮闘してくれているのは、そういう訳があるからだ。
「そうはいっても、皆さん、無理はしないでくださいね」
僕はそう言った。
正直、飛叢さん達の気概は嬉しく思う。
だが反面、皆に過大な負担はかけたくない。
皆が「K.a.I」のような得体の知れない相手と関わりを持つようになったのは、ほとんど偶然に近い成り行きなのだ。
特別な力を持つ特別住民ではあるものの、皆はこの降神町の「一般市民」でもある。
懇意にしている間柄とはいえ、本来、こういうヤバい案件に関わらせることは、公務員である僕自身が止めなければいけない。
でも、皆の厚意に今日まで甘んじてしまっている。
はぁ…本当にこのままでいいのかなぁ。
そんな漠然とした不安と自身の決断力の弱さを引きずる僕の目の前に、勝負の場となる資料館が見えてきたのだった。
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「私の前に立てる幸運を噛み締めなさい…!」
資料館内にある大広間。
古今東西、無節操に収集されたという美術品や骨董品が並ぶ中、神野さんがそう言いながら、扇子を手に「ヲホホホホ」と高らかに笑う。
来訪初日の烏帽子に狩衣姿といった雅な姿とは異なり、今日はゆったりとした薄手のニットのセーターにスラックスといった、現代的かつカジュアルな格好だ。
美しく長い黒髪を自然に流したその中性的な美貌は、まさに「リアル光源氏」といった感じである。
そのまま街中を歩けば、男女問わず目を奪われるだろう。
加えて、今日はその傍らにもう一人の美男子を従えていた。
女性的な容貌の神野さんとは対照的に、筋骨隆々とした美丈夫である。
筋骨隆々と言っても、夷旛さん(鬼熊)や海尊さん(貝吹き坊)みたいな大柄な巨漢ではない。
俗にいう「細マッチョ」で、スポーツマンタイプの男前だ。
白いカッターシャツにジーンズでバッチリ決めた、神野さん同様、ラフな格好である。
そのワイルドな美貌に三池さん達が目を輝かせる。
彼は初見だが、恐らくは神野さんの従者か何かなのだろう。
「さて、今回の勝負は『美比べ』となっておるが…」
六番勝負の審判役も務める御屋敷町長(座敷童子)が、手にしたメモから神野さんへと目を向けた。
「儂にも内容を要約して説明せい、神野よ」
「ルールはそう難しくはないわ」
神野さんは手にした扇を閉じてから、艶やかに笑った。
「この神野を唸らせるほどの『美』を見せて頂戴。それだけよ」
全員が顔を見合わせる。
「えらく抽象的だのう。あと、そもそも定義はないのじゃが、何故勝負する基準が『美』になるのじゃ?」
御屋敷町長がそう尋ねると、神野さんは肩を竦めた。
「やぁね、決まってるじゃない。この世において『美』を本当に理解しえる者は『至高の美』の具現者たる私以外にいないでしょ?」
「…まったく答えになっとらん」
「処置なし」とばかりに頭を抑える御屋敷町長。
「僭越ながら意訳させていただきます」
不意に、神野さんの傍らに控えていた細マッチョが口を開いた。
「お館様の全ての価値基準は『美』にございます。故にお館様自身がご納得される程の『美』を提示しえた者こそをお認めになる…ということでございます」
深みのある落ち着いた声で要約する細マッチョ。
それに御屋敷町長は頷いた。
「うむ。丁寧な説明ご苦労じゃ、朱闇」
朱闇…?
…え?
ええええええええええ!?
朱闇って…初日に神野さんが乗ってきた、あの巨大な“土蜘蛛”だよね!?
す、すると…こ、この人があの"土蜘蛛"の正体!?
あの恐ろしげな姿からは、想像も出来ない…!
「して、汝が定義する『美』というのは、どんなものを指すのじゃ?」
御屋敷町長がそう尋ねる。
しかし、神野さんは肩を竦めた。
「ウフフ…それを教えてしまっては意味が無いでしょ?」
そして、艶やかに微笑み、
「代わりと言っては何だけど、今回の勝負、私は審査員に徹するわ」
「審査員じゃと…?」
「ええ。私がいきなり『至高の美』を提示して圧勝するのは決まっているわけだし、それじゃあ詰まらないでしょ?だから、今回は『競い合う』というよりは『合否を問う』形式にさせてもらうわ」
そう言うと、山本さんを見やる神野さん。
「それくらいの形式の変更ならいいわよね?山本の」
それに山本さんは頷いた。
「ああ。小源太の時も多少のルール変更はあったし、俺達は一向に構わん。あとは、坊主達が納得するかだが…?」
そう振られ、僕は思わず背後の飛叢さん達を見やる。
皆が顔を見合わせる中、沙牧さんが頷いた。
「問題ないと思いますよ。少なくとも、物理的な負担はなさそうですしね」
正直、一抹の不安はあったが、沙牧さんの言うように、これまでの勝負みたいに体を張った展開はなさそうだ。
何よりも、初対面の時のように神野さんの独創的な美的センスを提示され、僕達の反応が薄かった場合、再び彼がキレる可能性もある。
そうなれば、僕達だけではなく、この降神町…いや、下手をすれば日本そのものが危ない。
そう考えて、僕の腹も決まった。
「…分かりました。こちらもその勝負形式で構いません」
「決まりね…で、そっちの助っ人は誰かしら?」
神野さんが笑いながら、そう尋ねてくる。
僕は再度飛叢さん達を見やり、その中の一人に目を止める。
「…鉤野さん、お願いできますか?」
指名された鉤野さんは、一瞬驚きつつも、すぐに表情を引き締めて頷いた。
「分かりましたわ」
「決まりじゃな。では、早速始めるぞ」
御屋敷町長が警笛を口にくわえる。
「それでは第四番勝負、始め!」
ピー!
そうして勝負が始まると、僕は駆け寄ってきた鉤野さんと顔をつき合わせ、早速小声で作戦会議を始めた。
(あの、十乃さん?何故私をご指名に…?)
そう尋ねてくる鉤野さんに、僕はウィンクをして見せた。
(残りの三人のうちで、鉤野さんの『審美眼』が一番優れているからですよ)
実際、鉤野さんは服飾ブランド「L'kono」を経営する女性社長なので、社交界の付き合いもあり「一流」に接する機会も多い。
なので、その美的感覚は、このメンツの中では最も洗練されている。
何よりも、彼女自身、服飾デザインや制作に長じており、業界でもその評価は高い。
鉤野さんが会社の起業に成功したのも、そうした彼女自身のセンスや才能に依るところが大きいと思う。
僕の言葉に、鉤野さんは微笑みながら得意気に髪を掻き上げた。
(さすがは十乃さん。この私の事をよく分かっていらっしゃいますわね)
自らのセンスを褒められたので、上機嫌になる鉤野さん。
こういうおだてに弱いのは、この際ご愛嬌である。
(それで、何かプランはありますの?)
(ええ…こういうのはどうでしょうか?)
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「いかがでしょうか?」
そう言いながら、鉤野さんは神野さんと朱闇さんの前に、ズラリと並んだ数々の衣装を誇らしげに指し示した。
そこには美しい着物や高価そうなスーツ、きらびやかなドレスの数々が並んでいた。
そのどれもこれもが「L'kono」オリジナルの製品だった。
これらは元々、この「妖サミット」の最終日に企画されていた「晩餐会」において供されるはずだった衣装である。
今回出席する大妖だけでなく、列席する政界や降神町の名士・その夫人などが着る予定のものを「L'kono」が用意することになっていたのを思い出し、鉤野さんに頼んで、この場に早出ししてもらったのだ。
しかも驚くべきことに、中にはこの勝負のために自社用ヘリで急遽空輸されてきた新作も混ざっていた。
「い、いずれも…当社の…じ、自信作…でございます…」
制限時間内に新作の衣装を運び込むよう、社長自らの特命を受けた柏宮さん(機尋)が、青息吐息でそう付け加える。
トレードマークである愛用のマフラー共々ぐったりとなっているのは、降って沸いた無茶ぶりに全力で応えた代償だろう。
勝負のためとはいえ、鉤野さん、なかなかのワンマン振りである。
ううむ、誉めすぎちゃったかな…?
「ふぅん…見事なものね」
感心したように、そう呟く神野さん。
実際、ファッションには疎い僕が見ても、豪華絢爛かつ美麗な衣装の数々である。
そんな衣装を前に、神野さんは扇子をあおぎながら、一着ずつ吟味するように見定めていった。
それに鉤野さんと柏宮さんが付き従い、衣装のコンセプトなどを丁寧に説明していく。
二人共、完全にビジネスモードである。
まあ、神野さんほどの大妖ともなれば、所有するその資金力も相当なものだろう。
今後のことを考えると、上客として唾をつけておくには申し分ない相手だ。
「なかなかいいじゃない」
きらびやかな衣装の数々を気に入ったのか、満足げに頷く神野さん。
それに鉤野さんの表情が明るくなる。
「で、では…」
「でも、ダメね。全部不合格よ」
「…えっ?」
一転、絶句する鉤野さんと柏宮さんに、神野さんは薄く笑った。
「人間だけではなく、妖怪が着ることを考えた素材の選出。洗練されたデザインに織り込まれた、さりげない配慮…確かに宴や華燭の典の衣装としては秀逸ね。『美』としても、なかなか高レベルで気に入ったわ」
「な、なら、何故不合格なのですか…?」
縋るような鉤野さんの問い掛けに、神野さんは開いていた扇子をピシリと閉じた。
「『至高の美』とはね、もっと孤高で…もっと苛烈なものなのよ」
言葉の意味をはかりかねて、ポカンとなる僕達の前で、神野さんはおもむろに展示された一枚の着物の前に立った。
淡い桜色がベースの、清純なイメージの着物である。
「これなんかいいわね」
神野さんが呟くと、鉤野さんが説明した。
「え、ええ。それはこの前のコンテストで入賞したもので、私自らがデザインしたものです」
「成程ね。じゃあ、やり甲斐があるわ」
そう言うと、神野さんは自らの美しい髪の毛を一本引き抜き、一振りした。
それだけで、髪の毛が鋭い針に変化する。
次に神野さんは、傍らに控えていた朱闇さんに言った。
「朱闇、糸を」
「御意」
そう応じると朱闇さんは、ふぅっと息を吐いた。
すると、その口からきらびやかな七色の糸が吐き出される。
その端を掴むと、神野さんは眼前の着物を鋭く見やった。
「見ていなさい」
言うや否や。
神野さんの手が残像を残しつつ、目まぐるしく動き始めた。
呆気にとられ、立ち尽くす僕達の目の前で、着物にどんどん装飾が縫い付けたされていく。
ややもすると、着物は見違えるような出来栄えに生まれ変わった。
「…こんなものかしらね」
糸を噛み切り、長髪を掻き上げる神野さん。
その視線の先に。
「美しい着物だったもの」があった。
「…」
「…」
「…」
僕や鉤野さん、柏宮さんが凍りついたように立ち尽くす。
そこには、もはや原形をとどめないくらいまで破壊し尽された「美」があった。
エリマキトカゲのようにギザギザになった襟。
両袖にはフリンジのようなヒラヒラ。
両肩には巨大なエビの飾りがシャチホコみたいに座り。
帯からはクジャクの尾羽のような、きらびやかなモサモサとした飾り羽がそびえたち。
腰から裾にかけては「美来斗利偉 神野悪五郎」と深紅の刺繍が刻まれている。
はっきり言って。
世間一般で認識される「美」とは、あまりにもかけ離れたものだった。
その在り様は、もはや「美」への冒涜と言ってもいいレベルである。
しかし。
「妖王」こと稀代の大妖である神野悪五郎本人は、こうしたズレにズレまくった美的センスを、唯一無二のものとして誇る「美の破壊者」なのだ。
「…こ、これは…さすがにありえな…んぐっ!?」
唖然としたまま、そう呟きかけた柏宮さんの口を、超音速でふさぐ僕。
目を白黒させる柏宮さんを尻目に、恐る恐る神野さんを見やると、その耳がゾウのように巨大化していた。
今の柏宮さんの言葉を聞いていたのか、その目元には不穏な影が落ちている。
ま、まずい…!!
「『さすがにありえない』…?」
うって変わった低い声でそう呟く神野さん。
僕は柏宮さんの口をふさいだまま、慌てて弁明した。
「いやあのっ!『こんな見事な着物は存在するなんて』という枕詞がですねっ!感動のあまり、因果地平に吹っ飛んでしまったというっ!つまりはそういうことでしてっ!」
「ふが!?ふんがふががふんふんが!(いや、そんなことは言ってません!)」
「『色合いやデザインなど、実に奇抜…いや苛烈なデザイン』と彼女は言っています!ね!そうですよね!ね!」
色々と追い込まれ、切迫した僕の表情に、ようやく何かを察したのか、柏宮さんがおずおずと頷く。
それを確認してから、僕は彼女の口から手を離した。
「…ふふん♪そう。そういうこと。まあ、こんなにも完成された『美』を目の当りにしたら、凡人ならさすがに取り乱すわよね♪」
一転、目元の影を晴らし、満足気に頷く神野さん。
朱闇さんはそれを無言で…いや、どこか諦めたような目で見ている。
「ふふ…審査員に徹すると言った手前、出しゃばるのはどうかとは思ったのだけれど…」
神野さんは長い髪を掻き上げながら、妖艶に笑った。
「『美の体現者』として、凡百に『至高の美』の何たるかを示さずにはいられなかったのよ。御免なさいね♪」
「は、はぁ…そうなんですか」
「でも、そちらのお嬢さんには少しばかり刺激が強かったようね」
そう言いながら、何かを顎で指し示す神野さん。
その視線を追った先では、硬直したまま立ち尽くす鉤野さんの姿があった。
よくよく見れば。
彼女は魂が抜け出してしまったかのように、半気絶状態だった。
「鉤野さん!?」
「しゃ、社長!お気を確かに…!」
僕と柏宮さんの呼び掛けも届かないのか、焦点の定まらない目のまま、何やら「私の着物が…」とか「渾身のデザインだったのに…」などと、ブツブツと呟いている。
自分が作成した着物を完膚なきまで否定された挙げ句、悪質極まりない魔改造まで施されのが余程ショックだったのだろう。
神野さんが造り上げた、あまりにも破壊的な美的センスは、彼女の繊細な感性までも完全に破壊してしまったようだ。
「悲劇よね…やはり、私が魅せる『至高の美』は、凡百が理解するには程遠い高みだった…というわけかしら」
勝手に自己陶酔し始める神野さんを横目に、僕は頭を抱えた。
「参ったな…今回ばかりは、もうどうにもならないか…」
洗練された鉤野さんの美的センスなら、あるいは神野さんのそれに抗することも可能かも知れない…と考えての人選だったのだが。
神野さんの独創的な美的センスの方が、遥かに強大だった。
すると、
「何を言っているの、小猿ちゃん。まだ、貴方がいるでしょ」
「え?」
キョトンとなる僕に、神野さんは鉤野さんを見やった。
「彼女自身の『美』は魅せてもらったけど、貴方の『美』はまだ魅せてもらってないじゃない」
「ええっ?ぼ、僕の…ですか!?」
思いがけない言葉に、狼狽える僕。
神野さんが頷く。
「そうよ。それに彼女は助っ人でしょう?私の本命は貴方の方よ」
そう言うと、ねっとりとした視線を向けてくる神野さん。
「初めて会った時、私の演出を誰よりも早く理解した坊や…その美的センス、なかなかに見どころがあるわ」
僕は硬直した。
サミット初日のあの悪夢のような出来事が、走馬燈のようによみがえる。
あの時は、御屋敷町長の咄嗟のフォローがあったので、何とか事なきを得た。
が、どうやらその時の対応が、神野さんにいらぬ誤解を与えてしまったようである。
「さあ、貴方はどんな『美』で私を魅せてくれるのかしら?」
「あ、あう…」
僕は全身から嫌な汗が流れ出るのを感じた。
鉤野さんを当てにしていたので、こういう展開はまったく予想すらしていなかった。
ど、どうする!?
僕自身が体現できる「美」なんて、そんなものが簡単に出てくるはずがない…!
「さあ…!」
神野さんの熱い視線が突き刺さる。
そこには、誤解の上に生まれた途方もない期待感が含まれていた。
う、ううう…
どうしたらいいんだ…?
ここまで何とか順調に来たけど、ここいらが年貢の納め時というやつなのか?
「さあ…!!」
さらに煽ってくる神野さん。
も、もう駄目だ…
これ以上、何とか出来るという光明も見えてこない。
折角、みんなが頑張ってくれたのに、僕はそれに応える力がない…
半分以上諦めかけていたその時。
僕の目に、心配そうにこちらを覗き込む柏宮さんの姿が映る。
そして、その瞬間、あるものが脳裏に閃いた。
「柏宮さん!」
「えひゃいっ!?」
僕にガシッ!っと両肩をつかまれた柏宮さんが、目を白黒させる。
「その首のマフラー、借りてもいいですかっ!?」
「え?え、ええ…いいです、けど…?」
「ありがとうございます!」
怪訝そうな顔の柏宮さんから、白いマフラーを受け取ると、僕は神野さんに向き直った。
僕の決意の表情から何かを感じ取ったのか、神野さんの笑みが消える。
「神野さん『美』とは何か…その僕なりの回答を今からお見せします…!」
「…」
ゴクリと喉を鳴らす神野さん。
僕はフリンジのついたマフラーを一旦広げると、素早く三角形に畳み直した。
「はい、おにぎり!」
手に乗るくらいに畳まれた白いマフラーを白飯に、取り出した自分の黒っぽいハンカチを当てて海苔に見立てる。
その場に居合わせた全員の空気が、一瞬で硬直したのが分かった。
が、まだまだ!
「はい、イカ!」
今度はマフラーのフリンジが一端に集まるように畳み、反対側を三角形に折る。
それでフリンジをイカの足に、三角部分をヒレに見たてる。
次!
「はい、キャンディー!」
マフラーを織り込み、変則の蝶結びにする。
かわいいキャンディーの出来上がりである。
よし、このままどんどん行くぞ!
「はい、ヌンチャク!」
「はい、トイレットペーパー!」
「はい、ホワイトスネーク、カモン!」
次々とマフラーで折り紙を繰り出す僕。
小学校の時、暇に任せて極めつくした、年季の入った小ネタだが、今も衰えてはいない。
誰も一言も発しない、耐え難い空気を振り切るように、僕は熱気を込めて最後の折りを繰り出した。
「ラスト、キッチンペーパー!」
「いや待て!それはトイレットペーパーと同じじゃろうが!」
思わず入る御屋敷町長のツッコミ。
僕は暴れる息を抑えつつ、神野さんを見やった。
そんな僕を、神野さんは呆気にとられた顔で見つめている。
僕は構わずに言い放った。
「どうです?これが僕が表す『至高の技』にして『至高の美』…名付けて『マフラー折り紙』!」
「「「いや、まんまだな、オイ」」」
その他全員が声を揃えて一斉にツッコんだ。
が、僕は構わず胸を張って続けた。
「またの名を…『降神折り紙』!」
「…ひ、ひでぇオヤジギャグ」
この場における当面きってのオヤジ…山本さんが呻くように言った。
一方、僕の目の前で身動きしなかった神野さんは、ワナワナと身体を震わせていた。
見開かれたその目には、明らかに「信じられない」という驚愕が浮かび。
強く食いしばられた口許には、今にも溢れそうな激情を無理矢理押さえ込んでいる様子が見て取れる。
そして、ひと呼吸置いた後、神野さんはやおら片膝を地につけた。
「…か、完敗だわ…」
「「「「「「オイオイオイオイッ!!」」」」」」
全員が総ツッコミを入れる中、僕は内心ホッとなった。
山本さんが言ったように、技もネーミングセンスも確かに酷い。
そして、あらゆる意味で芸がない。
大して面白味も新鮮さもない、誰が見ていても「絶対にウケない」レベルの小手先の技だ。
そう。
普通の感覚を持つ人にとっては。
だが「普通の感覚を持っていない」神野さんには、覿面に効いた。
つまり、彼にとって「ズレた美的センス」は、ただ単純に破壊的であり、相手にとって脅威ではあるものの、それはそのまま、彼自身のウィークポイントにもなっていたのである。
まるで甲子園の負け投手のように両手をついた神野さんが、薄く笑った。
「み、見事よ、小猿ちゃん。一連の技術といい、ネーミングセンスといい…貴方の示したのはまさに『至高の技』…そして、まごうことなき『至高の美』を備えていたわ…!」
「…ありがとうございます」
素直に頭を下げる僕。
自分から繰り出しておいて何だが…この勝負、早く全てを終わらせたい気分で一杯だった。
出来ることなら、このまま永遠に早退したいくらいだ。
僕は審判役の御屋敷町長を見やる。
それに気付いた町長が警笛を鳴らした。
「理解に苦しむ内容じゃったが…勝者、十乃!」
複雑な表情の御屋敷町長にそう告げられ、ようやく僕は脱力した。
ある意味。
今までの勝負の中で最も過酷で、最も疲れる勝負だった。
「改めて、貴方のそのセンスに敬意を払わせてもらうわ」
清々しい表情を浮かべながら、手を差し出す神野さん。
おずおずとそれを握り返しつつ、僕は笑顔を浮かべた。
ただし、平静を取り繕うのに必死だったので、だいぶ引きつった笑顔だったかも知れない。
「こ、こちらこそ。素晴らしい『美』を学ばせていただきました」
それに首を横に振る神野さん。
「それは私の台詞よ。今回の勝負、色々と勉強になったわ。『至高の美』の道は、まだまだ奥が深いようね」
そう言ってから、微笑する神野さん。
「次は負けないわよ、小猿ちゃん」
「…いや、マジで俺のライバル名乗るの止めてくれねぇかな、神野の」
「…わ、私の…着物の肩に『エビ』が…『美』って…『エ美』ってことなんですの…!?じゃあ『エ』って何…!?」
「社長、しっかり!…誰か!お医者様を早く…!」
その背後で、山本さんがゲンナリした顔でそう呟き。
茫然自失のままの鉤野さんを、柏宮さんが必死に介抱している。
本当に。
最初から最後まで混沌な勝負だった。




