【百二十九丁目】「俺か?俺は魔王だ」
「百喜苑」
その一角にある森の中を、不思議な一団が進んでいた。
一見すれば、昔の大名行列か何かのように見える。
一団は、豪奢な駕を守るように、槍、長刀、狭箱、長柄、傘などを手にした徒士や小者、そのほか30人程だった。
いずれも着物に袴といった、古風ないで立ちである。
そして、その先頭には、一頭の黒毛の馬に乗った武者がいた。
年の頃は十代後半。
随所に橙色の縁取りが施された、黒光りする鎧兜を身に付けた凛々しい若武者だ。
若武者は、日に焼けた肌に屈強な体躯を馬に揺られながら、周囲を警戒しつつ進んでいく。
「…止まれ!」
突然、若武者が後続の従者達にそう告げる。
従者達がそれに従うと、若武者は顔を空に向けた。
「七重様、如何なされました…?」
近くにいた従者の一人が、怪訝そうにそう尋ねると、若武者…七重は、空を見上げたまま、目を細めた。
「風がおかしな動きをしよる…」
そう呟いた瞬間、周囲を一陣の突風が吹き抜けた。
直後、七重が叫ぶ。
「全員抜刀!何かおるぞ!」
号令一喝、戸惑うことなく従者達はそれぞれの武器を手にする。
よく訓練された動きで、一瞬で全員が臨戦態勢になった。
「何者か!?姿を見せよ!」
大きな声で誰何する七重の耳に、小さな笑い声が聞こえて来たのはその時だった。
弾かれたように頭上を見やった七重は、樹上に一人の若者の姿を認めた。
自分より少し年上の、白い長髪の若者だ。
体に密着した、奇妙な衣服を見に付け、こちらを見下ろしている。
額に浮かんだ赤い神代文字が、七重の目を引いた。
「見つけた」
若者…風峰 太市(鎌鼬)がそう呟いてから、宙に身を躍らせる。
そのまま、重力を無視した速度で、ふわりと地上に降り立った太市を見て、七重は表情を険しくした。
(この者…ただものではないな)
武器を構えた従者達に周囲を取り囲まれても、表情一つ変えない太市。
それに七重が問いただす。
「我らに何か用か?」
「君達には用は無いよ」
太市は薄く笑い、七重の背中越しに駕を見やった。
「用があるのは、あちらのご仁さ」
「…貴様」
七重の声が殺気を帯びる。
周囲を取り囲む従者達も、それに呼応するように手にした武器を握り直した。
「よもや、神野の手の者か…?」
殺気漂う七重の問いに、しかし、太市は首を横に振った。
「そう思われても仕方ないけど、彼とは会ったこともないよ…もっとも」
スッと右手を前へ差し出す太市。
一瞬の後、その腕から凶悪な光を放つ大鎌のような刃が生えた。
それを一閃し、太市は不敵に笑った。
「後で、彼も仕留めなくちゃならないんだけどね」
それを聞いた七重が叫ぶ。
「こ奴は曲者だ!生かして帰すな!」
七重の声と共に、数名の従者達が若者へ襲い掛かる。
その他の数名が、一斉に下がり、駕を守るように取り囲んだ。
(へえ、流石にいい動きだ。さすがは音に聞いた魔の軍勢)
内心、そう呟く太市。
烏合の衆なら、勢いに任せて、数で押し切ろうとするだろう。
しかし、彼らは攻守に役目を持ち、統率の取れた動きで、各々の務めを堅実に果たそうとしている。
「たった一騎で、我らに勝てるつもりか!」
「下郎が!お館様には、指一本触れさせん!」
太市が反撃する間を与えないように、タイミングをずらしながら、攻撃を重ねる従者達。
その攻撃も、十分に精錬されていた。
下手をすれば、個々の実力も、先程の木葉天狗より上かも知らない。
しかも、従者達は互いの連携の中で、徐々に駕から太市を引き離そうとしているようだった。
言葉も交わさず、そうした動きを見せる従者達に、太市は再度胸の内で感嘆した。
「でも…遅い」
一端退いた太市の姿が、陽炎のようにぼやける。
それは、凄まじい速度で加速した太市が残した残像だった。
一瞬で従者達の間を駆け抜ける太市。
それを追おうとし、逆に当身を食らった従者達が、風に吹き散らされた木葉のように吹き飛び、次々と大木の幹に叩きつけられて絶息する。
「おのれ…!」
あり得ない光景を目の当たりにし、七重の闘志に火が付いた。
馬上から跳躍し、佇む太市へ襲い掛かる。
しかし、奇妙なことに七重は素手だった。
「素手で、この俺の刃を受ける気かい?」
笑いながら、右腕の鎌を身構える太市。
が、七重も飛び掛かりながら笑みを浮かべた。
「馬鹿め。この身こそ我が刃なのだ…受けよ!【斬山鎧装】!」
そう言いながら、妖力を開放する七重。
すると、その両手の手甲が、幾重もの節を生み、一瞬で鞭のように変化して伸びる。
「はあああっ!」
目を剥く太市目掛けて、右の手甲鞭を振るう七重。
咄嗟に腕の大鎌で受け止めるも、激しい火花を散らし、太市は後方へと押し切られた。
「まだまだ!」
着地しざまに、今度は左腕の手甲鞭を打ち振るう七重。
黒い蛇のように襲い掛かる手甲鞭が、太市の頬をかすめる。
大きく距離を取ると、太市は頬を流れる血をぬぐった。
「面白いね、それ。それに威力もなかなかだ。今のは腕が痺れたよ」
「その無駄口、いつまでたたけるかな?」
手甲鞭を元のサイズに戻しつつ、七重が不敵に笑う。
「いつまでもたたくさ。確かに威力は大したものだけど、そんな大道芸、当たらなければどうってことない」
その言葉に、七重は自分の頬を指してみせた。
「ほう…だが、いま少しかすったぞ」
「思ったより射程が長くて、ミスっただけさ。こんなの、大したダメージじゃ…」
そこまで言うと、不意に太市はぐらついた。
「な…に」
初めて動揺の表情を浮かべる太市。
同時に、全身に不可解な痺れが走っていく。
ふらつくその身体を満足そうに見ながら、七重は右手を再度、手甲鞭へ変化させた。
「俺の【斬山鎧装】の本領は、この伸縮自在の手甲が持つ破壊力だけではない」
打ち振るった手甲鞭の横から、突然、七支刀のような枝分かれした刃がいくつも飛び出す。
その様は、まるで巨大なムカデの足ようだ。
刃から滴る黄色い液体を見せつけながら、勝ち誇る七重。
「この“大百足”の七重が精製した毒…それこそが我が妖力の神髄。この毒は、かすっただけでも、即座に五体を侵す…どうだ、もうまともに動く事も叶うまい?」
「…くっ」
何とか態勢を保ちつつ、太市は七重を睨んだ。
「まさか“大百足”とは…ね…さすがだよ…どえらい手下を…飼っているな…」
“大百足”の伝承は、かの平将門を討った、藤原秀郷の若き日の武勇を語った英雄譚「俵藤太物語」に見ることが出来る。
昔、琵琶湖のそばの近江国瀬田の唐橋に恐ろしげな大蛇が現れた。
大蛇は橋に横たわり、人々はこれを怖れて橋を渡れなかったが、通りかかった俵藤太(藤原秀郷)は、臆することなく大蛇を踏みつけて渡った。
すると、大蛇は人に姿を変えて、勇敢さを示した藤太にこう訴えかけた。
「我が一族が、三上山に棲む百足に苦しめられている。類稀な勇気を持つ方よ、貴方の力で、あの大百足と討ってもらえまいか」
これに同情した藤太は、強弓を手に三上山へ。
果たして姿を見せた大百足は、何と三上山に七重に巻き付くほどの大きさだった。
藤太は、強弓を構え、矢をつがえて射掛けたが、一の矢、二の矢は大百足の固い殻に跳ね返されて通用せず。
三本目の矢に、魔性の者が苦手とする唾をつけて、大百足の目を射ると、今度は効を奏し、大百足を倒したという。
“大百足”は、別の伝承でも語られている。
昔、下野国(現在の栃木県)の二荒山(男体山)に祀られた二荒神と、上野国(現在の群馬県)の赤城山に祀られた赤城神が、中禅寺湖を巡って敵対。
二荒神は大蛇に、赤城神は大百足に化けて戦ったとされている。
つまり“大百足”は、その外見に似合わず、強大な力を持った魔物として存在していたのだ。
「さて、そろそろ止めをくれてやろう」
手甲鞭を構える七重。
それを認めた太市は、不意に身を翻した。
その先には、数名の従者に守られた駕があった。
「悪いけど…こっちも仕事でね…力比べは…また今度にさせてくれ…!」
「おのれ!」
太市の意図を察し、追いすがる七重。
が、打ち振るわれた手甲鞭を麻痺が残る身体に鞭打ち、辛うじてかわすと、太市は四肢から大鎌を生やして、疾走を始めた。
「君らの相手も…今はご免被る…!」
迎撃に移る近衛の従者をも回避し、あっという間に駕の上へと飛び乗る太市。
右手の大鎌を、弓を引くように引き絞ると、そのまま駕の天井へと突き立てようとした。
「その首、もらい受ける…!」
「お館様!」
七重が叫ぶと同時だった。
不意に高速で飛来した木綿のバンテージが、太市の右腕を一瞬で絡め取る。
驚く一同が見た先…バンテージが飛来した方から、一人の若者が姿を見せた。
「久し振りに顔を見せたと思ったら…」
怒りの表情を浮かべた青年…飛叢(一反木綿)が、吠えるように続けた。
「こんなところで、一体何やってんだ、太市…!」
「飛叢…!?」
突然の旧友の登場に、太市が驚愕の表情を浮かべる。
「あわわ…な、何で風峰殿がこんなところに!?」
飛叢の後ろでは、余(精螻蛄)があたふたとしている。
「余まで…馬鹿な、何でお前達がここにい…」
太市が、我を忘れて呟いていたその瞬間、
ゴッ…!!
突然、駕の側面の扉が開くと、巨大な毛むくじゃらの腕が伸び、そのまま駕に乗っていた太市を殴り飛ばした。
唖然となる一同の前で、太市は先程自らが吹き飛ばした従者達のように宙を飛び、大木の幹へ叩きつけられた。
しかも、それだけでは留まらず、大人数人でようやく囲めるような大樹の幹すらへし折り、太市の姿は消えていった。
「太市…!」
「待て」
我に返って、太市の後を追おうとした飛叢を、深い男の声が制止する。
見れば、巨腕がスルスルと駕の中に引っ込み、その代わりに一人の男が駕から姿を見せた。
長い髪を背中で結った、四十代頃の細身の男だ。
先程の巨腕の持ち主には程遠い、一見普通の人間である。
黒い裃に袴姿で、静かに飛叢を見詰めていた。
物静かな外見に関わらず、その双眸で射られた瞬間、飛叢は身体が震え出すのを感じた。
(こ、こいつ…間違いなく、強ぇ…!)
思わず息を呑む飛叢。
「お館様!ご無事で…!」
男の前に、駆け付けた七重が跪き、頭を垂れる。
見れば、太市に叩き伏せられ、ようやく起き上がって来た従者達もそれに倣い、跪いていた。
「だ、誰なんだ…あんた…」
震える声でそう尋ねる飛叢に、男は静かに告げた。
「俺か?俺は魔王だ」
「魔王…って、まさか…!」
言葉を失う飛叢に、男が静かに微笑む。
「そのまさかだよ。山本五郎左衛門っていうんだが…知っているかな?」




