【百二十五丁目】「サンキュー!じゃあ、また後でな!」
突然だが、ここ降神町には、いくつか特徴的な地形や施設が点在する。
東部には、いくつもの谷やカーブが連なる「蛇尾山」渓谷。
南部には、美しい白浜と青い海が人気の「白神」の浜と「逆神」の浜。
北部には、険峻な「雉鳴山」と、最近になって開かれた「深山温泉郷」
他にも「北無の森」や「ウィンドミル降神」などなど、天然・人工問わず、種類も豊富だ。
その中でも、特徴的なのが西部に位置する「宵ノ原」と呼ばれる古い地区である。
降神町は三方を山々に囲まれ、南には海が広がっているのだが、北と東は険しい地形になっている反面、残る西側は比較的なだらかな地形になっている。
そのため、古くから交易の基点となっていたのは、陸路に恵まれた西側、海路が望める南側であった。
その西側の中でも、宵ノ原は古くから宿場町として栄え、その当時のたたずまいを現代に残す、貴重な文化遺産が多く残る地区でもある。
地区内には、老舗の名店や旧家が並び、規模こそ及ばないものの京都や修善寺のような、古都の雰囲気を満喫できるということで、密かな人気を誇っていた。
その宵ノ原に、総面積1万坪余りの広大さを誇る「百喜苑」と呼ばれる施設がある。
明治期に、さる大富豪が自らの私費を投じて開いたというこの施設は、敷地内に「名庭」として名高い、島根県の「足立美術館」にも匹敵する日本庭園を有していることで知られている。
他にも、百人規模で宿泊できる大屋敷や温泉、趣き溢れる茶室や大会が開けそうなほど広い武道場など、ありとあらゆる和風施設が整備された、まさに「趣味の施設」だった。
そして今回、この「百喜苑」が「妖サミット」の会場に選ばれたのである。
「うう…緊張するなぁ」
この日のために新調した背広を正しつつ、僕…十乃 巡は居心地の悪さを感じた。
現在、僕は百喜苑内にある大きな屋敷の一つ「宵ノ原邸」にいた。
僕の周囲には、降神町の顔でもある御屋敷 俚世町長(座敷童子)をはじめ、町のお偉方が玄関で一列になって勢ぞろいしている。
そして、その対面には国…つまり、政府の要人も何人か顔を揃えているのである。
よく見ると、ニュースで見たことのある方々もチラホラいる。
はっきり言って、僕がいることなど場違いも甚だしい。
「…少しは落ち着いたらどうじゃ、坊」
傍らにいた御屋敷町長が、チラリと僕を見上げる。
いつものミニスカ風の丈の短い着物とは違い、豪奢な振袖で着飾った御屋敷町長は、見た目は小さな女の子ながら、さすがにこうした場には慣れている。
さっきも、特に緊張した様子もなく、政府の関係者ともそつなく会話していた。
「坊は、儂の補佐役じゃろうが。あまり、落ち着きなくキョロキョロするでない」
「そ、そう言われましても…」
声を震わせる僕に、溜息を吐く御屋敷町長
「やれやれ…今そんな調子では、この後、連中が姿を見せた時のことを考えると、先が思いやられるのぅ」
「すみません…」
現在、午後六時。
苑内は薄闇に包まれ、しんとしている。
一般的に会合が開かれる時間としては遅い時刻だが、これからやって来る彼らにとっては、この「逢魔時」こそが本分となる時刻だ。
そのため、国から町のお偉方一同、わざわざスケジュールを調整したという。
それだけ、この会合は重要なものなのだ。
「…ふむ、来よったな」
不意に、御屋敷町長がそう呟き、開かれた大きな門の先に広がる闇を見やる。
それを追った僕の目に、小さな明かりが行列をなして近付いてくるのが見えた。
「提灯…いや、狐火!?」
夕闇の中、青白い炎が左右に並び、徐々にこちらへ近付いてくる。
最初は高張提灯…手で掲げ持つ大型の提灯かと思ったが、それにしては妙に灯の揺らめきが激しい。
目を凝らすと、それは宙に浮かぶ人魂のような大きな炎の塊だった。
それに照らされ、鈴の音と共に一基の籠が近付いてくる。
豪奢な飾りがあつらえられたそれは、白狐の面をつけた男性と女性に守られながら、静々と門をくぐった。
やがて、籠が降ろされ、その戸が開くと、そこから一人の女性が姿を見せた。
(うわぁ…きれいな女性…)
僕は思わず胸の内でそう呟いた。
見た目は二十代半ばから後半。
僕より年上に見えた。
純白の髪に、白い肌。
そこに映える朱の隈取りと深紅の唇。
それらが完璧な配置で顔に収まり、人外の美貌を形作っている。
髪の毛と同じ、汚れ一つない白い着物は、まるで、古い上流階級の姫君のようないでだちだ。
お供の手に手を取られ、籠から立ち上がった女性は、ゆっくりとこちらに近付いてきた。
そして、居並ぶ僕達を見て、ニッコリと微笑んだ。
「あらあら、こないな大勢でのお出迎え、ご苦労さんやなぁ。うち、緊張してまうわぁ」
はんなりとした京言葉が、居並ぶ男性陣を蕩けさせる。
漠然とだが…何か、この女性は男性を誑し込むのが上手そうな気がした。
「あらぁ?」
ふと、女性が僕の横に立つ御屋敷町長に気付いた。
そのまま、ゆっくりと近付いてくる女性。
香水なのか、白梅の香りがふんわりと漂う。
「ご無沙汰やねぇ、俚世ちゃん。元気にしてた?」
顔見知りなのか、女性がわざわざ身をかがめ、御屋敷町長に目線を合わせてそう微笑む。
それに、御屋敷町長は仏頂面のまま返した。
「お陰様でな。そっちも変わりないようじゃな、玉緒」
玉緒。
その名前を耳にした僕は、思わず息を呑んだ。
“霊王”玉緒…全国の化け狐…即ち“妖狐”達の頂点に立つという“天狐”という最上位の妖狐である。
“天狐”は、その実力も神に等しいとされ、そんじょそこらの妖怪など、相手にもならない程の実力者だ。
この一見おっとりした女性が、そんな力を持っているとは、想像もつかない。
「うん。まぁ、うちは変わりないわぁ。せやけど…」
ちろり、と色っぽい流し目を送る玉緒さん。
その直後。
何と、玉緒さんは、ガバッと御屋敷町長に抱きつくと、舐め回さんばかりに頬ずりし始めた…!
「ここんとこ、ちぃーーーーーーーーとも、うちんとこに遊びにも来てくれへんなんて、どゆことー!?俚世ちゃん、うちのこと、嫌いになってしもたんー!?」
唖然となる一同の前で、玉緒さんは滂沱の涙を流しつつ、御屋敷町長に迫った。
「うちがこないに寂しい思いしてたのに、俚世ちゃん、いけずやわぁ~~っ!!」
「ええーい!離せ、離さんか、この色ボケ狐が!」
必死に抵抗する御屋敷町長に、玉緒さんはなおもすがる。
「イヤやぁ!せっかく久し振りに会うたんや!もっと『俚世ちゃリウム』補給させてぇな~!」
「何が『俚世ちゃリウム』じゃ!人の名前で、面妖な元素を妄想するな!おい、坊!お主もボーっとしとらんで、早くこの駄狐を引っぺがせぃ!」
不意にそう言われて、ハッとなる僕。
ええと…
相手は神に等しい存在だけど、僕は町長の補佐役を任されているわけだし、彼女の身を守るのも、その役目なんだよな…?
しばしの葛藤の後、僕は恐る恐る玉緒さんに声を掛けた。
「あ、あの、すみません。間もなく、他の来賓もいらっしゃいますし、ここはもうその辺で…」
そう言ってから、僕は硬直した。
泣き喚いていた玉緒さんが、ふと、怜悧な目で僕をじぃーっと見詰めている。
その人知を超えた迫力に、僕は声を失った。
「…俚世ちゃん、この子は…?」
「ん?ああ、こやつか。こやつは例の、ホレ、あいつじゃよ」
「この子が…?」
そう言うと、玉緒さんは御屋敷町長をあっさり開放し、僕の前に立った。
女性ながら、身長は僕より少し高い。
神に等しい叡智を秘めた双眸が、僕を射すくめる。
「あ、あの…その…」
「…ええ…」
「え?」
「可愛ええ♡」
えへらーっと、妖しげな笑みを浮かべた後、突然、玉緒さんは今度は僕に抱きついてきた!
「うわあああああっ!?な、何事ーっ!?」
目を白黒させる僕に、御屋敷町長は溜息を吐いた。
「また、悪い癖を出しおって…玉緒な、可愛いものが大好きで、相手は老若男女問わん変態なんじゃよ。儂も以前、目をつけられて、ホトホト困っておったんじゃ」
な、成程。
それで、御屋敷町長は、あえてずっと玉緒さんの所に行ってなかったのか。
そんな散々な批評が聞こえていないのか、玉緒さんはなおも息を荒くし、僕を押し倒さんばかりに攻めてきた。
「可愛ええ!可愛ええやん、この子!ほうかほうか、ボクが『例の子』やったんか♡まさか、こないに可愛ええ子やったとは、お姉さん感激やー!はあああ~♡お肌すべすべー!髪の毛もサラサラー!」
「え、ちょ、な!?わぁ、どこ触ってんですかー!?」
「ええやん、ええやん♡な?な?今晩、お姉さんとこ遊びに来ぃひん?二人っきりでエロエロ…じゃなかった、色々お話しせぇへん?」
「いやああああっ!それはご遠慮しますーっ!」
突如訪れた貞操の危機に、思わず絶叫する僕。
と、その時だった。
ドン!
大気を震わせる程の大きな音が響く。
ドン!
ドン!
ドン!
続けて鳴り響く、正体不明の音。
いや、これは…太鼓の音か?
その音を聞いた玉緒さんが、ふと、僕から身を離した。
見ると、うって変わった厳しい表情で、門の外を見詰めている。
「来よったか、四国の田舎者。ふふ、相変わらず大仰な」
着物を正しつつ、正面玄関に立ち塞がるように立つ玉緒さん。
その周囲に、お供の狐面達が身構えて備える。
ドン!
ドン!
ドン!
太鼓の音が段々と大きくなる。
その音は、門の外から聞こえてきた。
目を見張る僕達の前に、巨大な輿に乗った一団が姿を見せる。
全員が黒い隈取りをした、壮健な男達の一団だ。
揃いの毛皮を纏い、手には大小様々な太鼓を手にしている。
それを打ち鳴らしながら、輿の上に置かれた大太鼓を背にした一人の青年が、一同を見回した。
「よーし、止まれ!」
輿の上の青年が、号令をかけると、一団はピタリと静止した。
それを満足気に見下ろしつつ、青年は腕を組みながら、大声で言った。
「五代目“隠神刑部”小源太、ここに推参!」
唖然となる僕達の前に、鮮やかにとんぼをきって着地する青年。
若い。
見た目だけなら、僕より下である。
少年っぽさが抜けていない、やんちゃそうな若者だ。
短めの短髪は、まるで狸の尾のように黒と茶色のメッシュが入っている。
勝ち気そうな目や表情は自信に溢れていた。
実際、彼はそれだけの実力を持っている。
“隠神刑部”とは、「松山騒動八百八狸物語」に語られる化け狸…“妖狸”の元締めである大狸のことだ。
眷属である“八百八狸”を率い、四国最強の神通力をもって君臨したこの大妖狸は“佐渡の団三郎狸”“淡路の芝右衛門狸”“屋島の大三郎狸”をも凌ぐ実力者とされる。
先程の名乗りからして、彼はその五代目ということだろう。
「どうした、どうした!どいつもこいつも鳩が豆鉄砲食らったような面しやがって!この『獣王』小源太様がはるばるやって来てやったんだ、労いと感謝の言葉くらい寄越しやがれ!」
そう吠える小源太さんに、玉緒さんがニッコリ笑って言った。
「あらあら、随分と鼻息荒くして。そないに気張っていると、この先もちませんえ、子狸はん」
それを聞き、小源太さんが不敵に笑う。
「おうおう、何か油揚げくさいと思ったら、京都の女狐かよ。この俺を差し置いて一番乗りとは、相変わらず小賢しいじゃねぇか」
それに、肩を竦める玉緒さん。
「別に狙って一番乗りになったとちゃいます。うちは、早う俚世ちゃんに会いたかっただけやし。何でもかんでも一番になれば偉いと勘違いしとる狸と一緒にせぇへんといてくれます?」
「相変わらず口先と若作りだけは達者だな、女狐。まあ結局、狸が狐より偉いのは変わらんけどな」
冷然と目を細める玉緒さん。
挑発的に見下す小源太さん。
その雰囲気に、周囲が息を呑む。
やはりというか。
昔から、狐と狸は互いに獣であり、人を化かすという点では同属なのだが、お互いにプライドがあるのか、どうにも仲が悪い。
今でこそ、不可侵条約が結ばれ、お互いの領域を尊重しながら存在しているものの、こうして顔を合わせると、ギスギスした雰囲気になってしまう。
ましてや、双方とも“妖狐”“妖狸”の総大将である。
「おい、二人共」
と、その緊迫した空気に割って入ったのは、御屋敷町長だった。
「もう、その辺にしとけ」
「俚世ちゃんは下がっていて」
「邪魔すんな、餓鬼」
もはや、敵意剥き出しの二人。
そんな二人に、御屋敷町長が空を指差しながら言った。
「いや、止めはせんが…そこから離れた方がいいぞ?次の客が到着する」
「え?」
「あん?」
玉緒さんと小源太さんが、揃って訝し気な顔になる。
と、その頭上に、濃い影が差す。
何事かと見上げた二人が、次の瞬間、目をひん剥いた。
「どけどけどけーっ!」
そんなハスキーボイスと共に、夕空を裂いて、突如、一艘の帆船が落下してきた…!
「な、何だ!?」
「船!?」
「何でこんなところに…!?」
突然の出来事に、慌てふためく一同の眼前に、凄まじい水音と共に着水(?)する巨船。
その直下にいた玉藻さんと小源太さんが、すんでのところで退避する。
「い、いきなり何なん!?」
「どこのどいつだ、危ねぇだろが!」
抗議の声を上げる二人の前で、巨船の舳先に一人の女性が姿を見せた。
「あはは、悪いな!うちの操舵士は、腕は良いけど、舵取りが荒くてね!」
ちっとも悪びれることもなく、豪快に笑う女性。
背が高く、日焼けした顔が健康的な美女だ。
右目の眼帯に頬の傷が目を引く、まんま「女海賊」といった感じである。
そして、よく見ると、両耳の裏から魚の鰭のような器官が覗いていた。
僕の同期である早瀬さん(コサメ小女郎)と同じである。
と、すると、この女性も魚の妖怪だろう。
であるならば、該当するのは一人しかいない。
「『海王』勇魚、来てやったぜ!」
高らかにそう宣言する女海賊。
…やっぱり。
この豪快な女性が、あの“悪樓”というわけか。
“悪樓”は、日本神話に名前を残す巨大な魚の姿をした悪神である。
伝承によると、日本武尊が、熊襲討伐後の帰り道に、吉備国(岡山県)の穴海でこの悪樓に遭ったとされる。
そして、激闘の末、暴れ狂う悪樓の背にまたがった日本武尊は剣でこれを退治した。
そんな古い記録を有するため“悪樓”は「最も古い魔物」の一柱に数えられるのである。
噂では、この巨船は、水上だけでなく空中や陸上でも航行可能で、彼女らの「移動基地」みたいなものらしい。
普段、彼女らはこの巨船に乗って、世界中の海を巡っているのだとか。
「久しいのう、勇魚。陸地で会うのは、何年振りか」
そう声を掛ける御屋敷町長に気付き、勇魚さんはニカッと笑った。
「おう、俚世か!相変わらずちんまいなぁ!ちゃんと飯食ってんのか?」
「人並みには、食っておる。それより、その船、邪魔じゃから、早くどかせ」
「おっと、わりーわりー」
そう言うと、勇魚さんは指示を飛ばした。
「野郎ども、回頭だ!船を出せ!おい、そこの兄ちゃん、こいつはどこに停めたらいい?」
呆然としていた僕は、不意にそう声を掛けられ、ハッと我に返った。
「あ、はははい!たぶん、駐車場で、いいんじゃ…ないか、と…」
言うまでもないが。
この百喜苑に、船を停泊できそうな場所などない。
自信なさげにそう案内する僕に、勇魚さんはニカッと笑った。
「サンキュー!じゃあ、また後でな!」
一同の目の前で、巨船が宙に舞い上がる。
あり得ないその光景に、僕は今更ながら、とんでもないイベントに関わってしまったことを思い知ったのだった。




