【百二十四丁目】「そうなったら、楽しそうですね」
明けて翌年。
正月休みも終わり、特別住民支援課でデスクワークにいそしんでいた僕…十乃 巡は、手元の書類に目を通しながら、鳴り始めた電話の受話器を取り上げた。
「はい、もしもし、こちら特別住民支援課…え?サミット会場内での露店の出店許可が欲しい?ダメですよ、サミット中は人間の立ち入りが制限されるんで…ええ、まあそのエリアなら何とかなるかも。あ、いま電話回しますので、道路使用申請の詳しい内容は建設課で確認してください。あと、届け出の所轄は降神警察署なので、直接警察へ行ってくださいね」
そうして、問い合わせの電話を他部署へつなぎ、受話器を置いた瞬間、また別の電話が鳴り始める。
息を吐く間もなく、僕は再び受話器を取った。
「はい、こちら特別住民支援課です。え?テレビ局?御屋敷町長にインタビュー?分かりました、いま、秘書室へつなぎます。そのままお待ちください」
そうして、内線でマスコミからの電話を秘書室の担当者に引き渡すと、僕は受話器を置いてから机に突っ伏した。
「だー!!!『妖サミット』がマスコミ発表された途端にコレだよ」
新しい年の始まりに賑わう降神町役場だったが、今年はそれに輪をかけてドタバタしていた。
その理由は、国からマスコミに発表された「妖サミットが降神町で開催される」というニュースのせいだ。
このセンセーショナルなニュースは、正月ムード一色の日本中をさらに沸き立たせた。
無理も無い。
古より人の目が届かぬ場所で行われてきた大妖怪や有名な魔物達の一大会合が、人が住まうこの降神町で催されるのである。
千年に一度あるか無いかのこの出来事に、地元住民だけでなく、日本中の妖怪ファンも大騒ぎだった。
そして、それを「商売の好機」と見て取った企業や商業者、果ては少しでもスクープをものにしようとするマスコミ各社からの問い合わせが、連日、この降神町役場へ寄せられていた。
「まったく、これじゃあ仕事が進まないよー…」
机の上で力無くつぶやく僕。
この多忙な時期に、頼りの黒塚主任(鬼女)は二弐さん(二口女)を伴ってサミットの打ち合わせで飛び回っている。
間車さん(朧車)は、遅い正月休みを取り、妃道さん(片輪車)とツーリング旅行中。
摩矢さん(野鉄砲)も生まれ育った山に帰郷中で不在だ。
沙槻さん(戦斎女)もクリスマスには戻って来ていたが、年末から実家の五猟神社に再び帰ることになった。
何でも、初詣や神社で執り行われる神事の手伝いで大わらわだという。
二弐さんの話では、それが落ち着くまでは当分こっちには帰って来れないようだ。
というわけで、目下、特別住民支援課は僕一人で孤軍奮闘中だった。
…何だか、最近はこんな状況ばかりである。
「御免」
不意に、そんな澄んだ声が響く。
驚いて身を起こすと、いつの間にか窓口に長身の女性が立っていた。
結い上げられた黒い髪に、鋭い日本刀を想わせる怜悧な美貌。
かっちりとしたスーツ姿に身を固めたその女性は…
「秋羽さん!」
そう。
内閣府「特別住民対策室」戦士長、日羅 秋羽さん。
またの名を「秋葉山三尺坊大権現」という、名高い天狗神である。
秋羽さんは、微笑した。
「しばらくぶりです、十乃殿」
笑うと、女性らしい柔らかさが表情ににじみ出る。
同じ「できる女性」である主任に似ながらも、どことなく母性すら感じさせるところもある秋羽さん。
彼女とは「天逆毎事件」や「六月の花嫁大戦」で散々お世話になった間柄だった。
「こちらこそ、ご無沙汰です。今日はどうしてここへ?…あ、立ち話じゃ何ですから、どうぞこちらへ」
奥の応接セットのソファへ案内すると、秋羽さんは素直に従った。
「業務中にすみません」
「いいえ、気にしないでください。大したものもないんですが、どうぞ」
そう言って、僕はお茶を差し出した。
それにクスリと笑う秋羽さん。
「…?どうしました?」
「ああ、いえ。前に颯と共に、乙輪姫の一件でお邪魔した時のことを思い出してしまって…」
「…ああ、そうでした。あの時も、課内に僕しかいなくて、こうやってお茶を出したんでしたっけ」
乙輪姫は「天逆毎事件」の発端となった妖怪神だ。
色々な経緯を経て、僕は彼女が起こした事件を報告書にまとめ、国に提出することになった。
その際、様々な事情から、現場に居たメンバーで口裏を合わせることになり、提出した報告書の中では乙輪姫はこの世から消滅したことになっている。
その時に口裏合わせに乗ってくれたのが秋羽さんだった。
彼女は、部下であり、眷族でもある颯さん(木葉天狗)を伴い、わざわざ役場まで訪れてくれた。
そして、一緒に報告書の作成を手伝ってくれたのだ。
「あの時は大してお役に立てず…何とも申し訳なく…」
済まなさそうに頭を下げる秋羽さん。
実は彼女も颯さんも、パソコンが使えないことが発覚し、結局、報告書の添削作業に終始してもらったのだ。
まあ、旧くて強大な妖怪ほど、文明の利器には縁が無いのだから、仕方がない。
僕は笑って言った。
「そんなに気にする事は無いですよ。お陰でお互いの報告書の中身を突き合わせることが出来たから、変に思われなくて済んだようですし」
「しかし、圓情報統括官には『古式ゆかしい貴女らしい報告書ですね。お陰で久し振りに読書欲が刺激されます』と、皮肉を言われました」
と、情けなさそうに呟く秋羽さん。
ちなみに、報告書の内容の突き合わせをした際に僕も拝見したが、彼女の作る報告書は、巻物に毛筆でしたためたものだった。
量もさることながら、文体も古典に出てくるような随筆に近く、表現も古典的だった。
目を通す方にすれば、読むのも解読するのも一苦労だろう。
そして、それを担当したであろう圓さん(目目連)は、秋羽さんと同じ特別住民対策室の情報統括官であり、室長である雄賀さんの秘書でもある。
秋羽さんとは、同じ部署の仲間という間柄で、僕も「六月の花嫁大戦」の時に、一度だけ直に会ったことがある。
何と言うか…どこか神秘的で、何を考えているのか分からない感じの女性だった。
「そう言えば、颯さんは時たま会うんですけど、圓さんはお変わりないんですか?あと、リュカさんやフランチェスカさんも」
僕はそう尋ねた。
実は「六月の花嫁大戦」のとある一件で、暗殺者に目を付けられた僕は、秋羽さんの命を受けた颯さんに定期的にボディガードを務めてもらっている。
だから、週に一回は彼に会っているが、圓さんやリュカさん(犬神)、フランチェスカ(雷獣)さんとは全く会う機会が無かった。
「圓情報統括官は、相変わらず雄賀室長の手足となって飛びまわっています。リュカ達は…すみません。彼女達の所属する部隊については機密事項なので、十乃殿にもお話しできません」
「そうですか…皆さん、お変わりないならいいんですけど」
僕が呟くようにそう言うと、秋羽さんは微笑んだ。
「相変わらずですね、十乃殿は」
「えっ?」
「貴方は、我々のような妖怪相手でも、普通の人間のように分け隔てなく接してくださいます。そして、リュカ達のように、別れて離れてしまった相手も同じように気に掛けてくださる」
秋羽さんは、嬉しそうに続けた。
「十乃殿のようなお優しい方が、五猟の巫女の良人になるのであれば、彼女を守護するという誓いを立てた私としても、何の憂いもありません」
ぶふーーーーーーーーーーーーっ!!
思わず横を向いて、口に含んだお茶を吹き出す僕。
…何だろう。
こんなことも、前にあったよーな…
僕のコント丸出しの反応に、秋羽さんがキョトンとした顔で尋ねる。
「如何されました、十乃殿?」
「い、いや…その…何で、それを?」
「五猟の巫女」とは、言うまでも無く沙槻さんのことだ。
彼女は秋羽さんと旧知の仲らしいし、女性同士だから「そういう話題」も普段の会話の中で交わされていて、知っていておかしくは無いのだろうが…
秋羽さんは、不思議そうに、
「何で、と申されましても…巫女より送られてきた年賀状に、そうしたためられてありましたよ?『ことしこそ、とおのさまとめおとになりますので、ぜひおうえんをよろしく』とありました。」
「…」
「そう言えば、年賀状自体にも『誓願』の術式が込められておりました。余程の覚悟を持って望まれるようです」
どっと疲れて、頭を抱える僕。
確かに、彼女の目的は「それ」なんだけど…あまり、世間に声高に宣言しないで欲しい。
しかし…まさかとは思うが…彼女、知り合い全員に同じ内容で送ってないだろーな…!?
「それはまあ置いておいて…今日わざわざお越しいただいたのは、一体どういうご用件でしょうか?」
僕がそう問うと、秋羽さんは居住まいを正した。
「実は…十乃殿にお伺いしたいことがあって参りました」
その真剣な表情に、僕も思わず背筋を伸ばす。
「な、何でしょう…?」
「今回、この降神町で催される『妖サミット』ですが、十乃殿が御屋敷町長に随行して出席されると伺いました」
僕はおずおずと頷いた。
「え、ええ…何だか、あれよあれよという間に、そういう展開になってしまって、僕も戸惑っています」
「そうですか…」
秋羽さんは、考え込むように沈黙した。
「何か気になることでもあるんですか?」
僕の問いに、秋羽さんはふと周囲を伺ってから、小声で言った。
「もう一つ…十乃殿、貴方が『夜光院』に行かれたというのも本当ですか…?」
「あ、その…ええ、まあ、はい」
動揺しつつ、僕は再度頷いた。
雄賀さんから聞いたんだろうか?
夜光院の事件もそうだが、国にとっては夜光院そのものが重要な機密らしく、雄賀さんや御屋敷町長からも「他言無用」と厳命をされている。
そうでなくても、あそこで起きた「K.a.I」絡みの一件を考えれば、詳しい話は誰にも言えない。
だから、雄賀さんや御屋敷町長にも、烏帽子さん達「K.a.I」のことは一切シラを切っているのが現状だ。
秋羽さんは信頼のおける人だし、話しても大丈夫だろうが…いまはまだ伏せておいた方がいいだろう。
「妖サミット」の警備は、彼女達が行うようだし、余計な話をして、任務の邪魔になったら申し訳ないし…
秋羽さんは、小さく溜息を吐いた。
「…乙輪姫の時といい、三ノ塚の時といい、貴方はとことん問題ごとに巻き込まれる体質のようですね」
「はあ…」
言われなくても、僕自身、もう嫌という程自覚している。
もしかして、前世で何かやらかしたんじゃないだろうか…そう考えてしまうことすらある。
「でも、それと僕が『妖サミット』に出席することになったことと何か関係があるんですか?」
秋羽さんは真剣な顔で頷いた。
「ええ。調べたところ、今回、大妖達がわざわざこのような人里で会合を行うことになったのは、どうやら貴方が原因になっているようなのです」
「僕が…!?」
「そうです。あの『夜光院』に赴き、無事に生還した点もそうですが、それが何の力も持たない人間だった…そこに大妖達がいたく興味を持ったようですね」
僕は息を飲んだ。
実はそのことについて、既に御屋敷町長がそれとなくほのめかしてはいた。
最初に「妖サミット」の随行を告げられた時のことだ。
『今回、サミットに参加する妖怪の親玉連中がな、坊にいたく興味を示しているそうだ』
そう町長は言っていた。
理由を聞いても曖昧にかわされてしまったが…
そういうことか。
そう言えば、町長室で課長と主任の三人で話をしていた時も、
「連中の胸の内なぞ、儂にも分らんよ…ふふ、もしかしたら、誰か会いたい人間でもおるんかの」
なんて、言っていたっけ。
あの時、僕もよく分かっていなかったから、愛想笑いくらいしかできなかったけど…いま、秋羽さんの話を聞いて、ハッキリした。
でも…いや、待て…!
それなら、おかしい点があるぞ。
「あの、秋羽さん。聞いているかもしれませんが、その時は僕以外にも『何の力も無い人間』はいましたよ?」
「そのようですね。それについては、こちらの情報網でも確認しております」
頷きながらそう言うと、彼女は複雑な表情になった。
「しかし、その人間達の中でも、貴方は極めて特異な存在なのです。何しろ、あの古妖“彭侯”や、怨霊“七人ミサキ”が力を貸し、妖怪神“天逆毎”を調伏。“戦斎女”とも親交が深く、幻とされた夜光院を訪れ、その後、無事に生還」
秋羽さんは、再び溜息を吐いた。
「十乃殿…本人を前に失礼を申しますが、このようなあり得ない事例に立て続けに関わり、しかも無事に存命している人間など、同じ現場に居た私ですら、未だに信じられません」
「…はあ…」
感心されているのか、呆れられているのか、よく分からない僕は、そんな間抜けな相槌しか打てなかった。
秋羽さんは、真剣な表情になって告げた。
「ご存知でしょうが、大妖共は、そのほとんどが『人間』を格下に見ております。しかし、その反面、この現代まで栄華を誇る『人間』に対し、興味を抱く者共も増えつつあるのです。それ故、連中は色々と貴方を試そうとするかも知れません」
「試す?僕を?それは、どうやってです?」
秋羽さんは首を横に振った。
「それは…私には憶測でしか申せません。しかし、過去にそうした逸話を持つ大妖がいるのは事実です」
僕は息を飲んだ。
秋羽さんは、静かに席を立った。
「ご存知のように、我々はサミット警備の任を任されてはおりますが、残念ながら貴方に同行し、その身を傍で警護することは叶いません…それ故、今日こうして警告に伺った次第です」
「そうでしたか」
僕も続いて立ち上がった。
「ありがとうございます、秋羽さん。僕もそれ相応の覚悟を持って、サミットに臨むことにします。大妖達とも、腹を割って話せるように、頑張ります!」
手を差し出す僕に、秋羽さんは微笑した。
「…もしかしたら」
僕の手を握り返しながら、秋羽さんは続けた。
「私の心配は、杞憂なのかも知れませんね。…十乃殿、もしかしたら、貴方なら名だたる大妖をも友とすることが出来るかも知れない」
僕は目をしばたたかせた。
あの酒呑童子や隠神刑部と僕が…?
あり得ない。
彼等のような強大な力を持つ妖怪達が、非力な僕を対等に扱うなんて…
僕は苦笑した。
「そうなったら、楽しそうですね」
「…ふふ、では私はこれで」
と、秋羽さんは途中で立ち止まると、背中を向けたまま、少し俯いた。
「十乃殿」
「何でしょう?」
「美恋殿の『鬼化』の件ですが…もう少し時間をください。現在、極秘裏に調査を進めております故」
「…そうですか。で、何か分かりましたか?」
「…」
無言で首を横に振る秋羽さん。
僕は深く一礼した。
「すみません…色々とお忙しい中でしょうけど、引き続き宜しくお願いいたします」
「十乃殿…やはり、美恋殿を我々に預けてはもらえませんか?」
背を向けたまま、秋羽さんは苦しそうに言った。
「本音を申し上げれば、過去に人が妖怪に変異した事例はあっても、その検証となると資料や記録が恐ろしく乏しいのです。しかし、美恋殿の身体を調べる事が出来れば『鬼化』の原因やそれを打開する方法が分かるかも知れません」
「それは…」
僕はそのまま、無言で立ち尽くした。
二人の間に沈黙が落ちる。
お互いに言わんとすることが分かるだけに、それは僕の胸の内に重くのしかかって来た。
「…我々としては、ご再考願った上で、良い返事を期待いたします…それでは、御免」
そう言うと、秋羽さんは振り返ること無く去って行った。
だから、彼女がどんな表情を浮かべていたのか、最後まで分からなかった。
一人立ち尽くしていた僕。
その時、堰を切ったように電話が鳴り始めた。
慌てて、受話器を取りに向かう僕
「はい、こちら特別住民支援課です…!」
漠然とした不安を胸に抱えながら、僕はそれから目を背けて逃げるように、終わらない仕事へ没頭した。




