【百十九丁目】「だから…今回だってうまくいきますよ、きっとね」
「はらいたまえ…!」
霊力を練った渾身の一撃。
それで目の前にいる北杜とかいう“野寺坊”は、致命的な傷を負うはずでした。
しかしその瞬間、打ち振るった大幣は、不可視の何かに押さえ込まれたように停止しました。
私…五猟 沙槻(戦斎女)は、思わず目を見張りました。
「と、とおのさま…!」
私の目の前…“野寺坊”との間に、十乃 巡様が何かを掲げて立ち塞がっています。
それは絵馬に似た木の札でした。
表面には複雑な神代文字が書かれており、強い霊力を放つ朱印が押印されています。
(天霊決裁…!)
「天霊決裁」…それは、人間のみが携帯でき、使用できるとされた強力な護符です。
表面には神代最高位とされる「ある神霊」がしたためた勅令文と神印が示されており、妖怪や魔物、悪神はおろか「ある神霊」の眷属やそれに仕える私のような巫女にも影響を及ぼすことができます。
つまり、この天霊決裁の前では「ある神霊」より下位の存在は、その力を振るうことが叶わなくなるのです。
実際、天霊決裁の発動と共に、私の霊力は一瞬で封じ込まれてしまいました。
しかしこの時、私は天霊決裁の効力以上に、目の前の光景に驚いておりました。
「なぜです!?」
私は自分の声が震えているのを感じました。
愛してやまない殿方が、妖怪を庇い、私の前に立ち塞がっている…その現実に、私の身体を絶望に似た衝撃が襲いました。
「このものたちは“ぬえ”のたまごをかくしているのですよ!?それがどういうことか、わかっておられないのですか…!?」
思わず声を上げる私。
そんな私に、十乃様は見たこともない悲しげな表情で言いました。
「駄目だ。それでは駄目なんだよ、沙槻さん…!」
微光を発する天霊決裁を掲げながら、十乃様は苦悩の表情で続けました。
「確かに“鵺”は人にとって脅威になる存在です。けど、ただそれだけで…『災いになるから』とかいう理由で全て切り捨ててしまっては、僕達人間はずっと妖怪達とは共存できない…!」
そして、背後の“野寺坊”へと振り向き、
「北杜さん達だって“鵺”の卵を守っている理由があるのかも知れない…それも聞かないで、一方的に人間の都合ばかりを押し付けるのは、きっと間違っている…!」
「ぬかせ、小僧!」
私の背後で、黒田様が怒鳴り声をあげます。
今回、研修中の身だった私に、実家である五猟神社から召還の報があったのは、政府絡みで内密の依頼があったためです。
その内容は「国と『K.a.I』なる機関と協力し“鵺”の卵を確保せよ」というものでした。
そして、引き合わされたのが黒田様と烏帽子様でした。
しかも、引き合わされた場所は深山亭…私が降神町役場の皆様と共に研修を行ってた宿屋だったのです。
その前の晩、露天風呂で偶然出会っていた烏帽子様は、驚く私に事情を説明してくださいました。
何でも“鵺”の卵は「夜光院」と呼ばれる場所にあるとのこと。
「夜光院」の伝承は私も耳にしたことがあります。
遠き昔から、そこには得難き宝が眠っているという噂と共に。
しかし、その所在地は知る者もなく、永らく「幻」とされていました。
その夜光院への道筋を、烏帽子様達「K.a.I」は見つけたというのです。
烏帽子様は、
「特別住民が人間社会へ適合し、進出しようと現在、私達『K.a.I』は彼らへの差別の原因になりかねない“鵺”の復活を見過ごすわけにはいかないのです」
と仰っておりました。
ともなれば、迷う必要はありません。
伝承にあるように、幻獣“鵺”は、世に災いをもたらす存在。
退魔調伏を生業とする“戦斎女” として、かの凶獣が蘇る前に覆滅せねばなりません。
でなければ、烏帽子様が仰るように、ほかの特別住民の皆様が謂れのない差別を受ける可能性があるのですから。
「夜光院の連中が“鵺”とかいう化け物を匿っていたの事実なんだ!もし、やましい気持ちがないなら、隠す必要などないだろうが…!」
黒田様の言葉に“野寺坊”が、答えます。
「いいや、隠す必要があったんだよ」
「何!?」
“野寺坊”は、無精髭を撫でつけながら、黒田様を言いました。
「お前さん達人間は、妖怪達の興味を引き過ぎるのさ。いい意味でも、悪い意味でもな」
「どういうことです?」
問い掛ける十乃様。
“野寺坊”は目を閉じました。
「“鵺”が現れた時代…お前さん達が『平安時代』と呼んでいる時代の末はな、その名前に反して様々な災厄で世が乱れた時代だった。疫病、貧困、戦乱…そんなもんが溢れてて、先が見えない…そんな混乱の中、人間達の負の感情がどんどん膨らんでいった時代だった」
“野寺坊”の言葉は真実でしょう。
時代の変わり目となる周期では、人心の乱れが生じやすいといいます。
永く生きた私自身、それを何度も目にして参りました。
「そうして渦巻いていた人間達の負の感情が積み重なり、誕生したのが“鵺”なんだよ」
“野寺坊”の言葉に、十乃様と黒田様は絶句しました。
私も初めて知る“鵺”の誕生の原因に、思わず目を見張ります。
驚愕する私達に“野寺坊”は続けました。
「言ってみりゃあ“鵺”は、お前さん達人間自身が生み出した幻獣なのさ。複数の獣が入り混じった、混沌とした“鵺”の外見は、多分、千々に乱れた人間達の不安なんかが寄り合わさった結果なのかもな」
「そ、そんな…」
「ま、信じる信じないは任せるさ。いずれにしろ、知っての通り、平安時代の“鵺”は、お前さん達人間自身の手で討ち滅ぼされた。だがその後、俺は偶然“鵺”の発生の原因になる『卵』を見つけちまった」
そこで、薄く笑う“野寺坊”
「正直言えば、放っておこうとも思った。だって、そうだろ?手前らで生んだ災厄に悩まされるなら、そいつは自業自得ってやつさ。こっちだって、人間がどうなろうと知ったこっちゃないからな」
「…なぜ、そうしなかったのです?」
私の問いに“野寺坊”は、顎を掻きながら事も無げに答えました。
「だって、つまんないだろ」
「…は…?」
私をはじめ、十乃様や黒田様、烏帽子様まで呆気にとられる中“野寺坊”は言いました。
「世が乱れれば、戦が起きる。そうなりゃあ、泣くのは力のない女や子供ばかりだ。おまけに田畑は踏み荒らされるし、村も焼かれる。場合によっちゃあ砦を作りために山は削られ、川も堰き止められる…そんな人の世の様子ばかり見てるのは、とてもつまらないんだよ、妖怪達はな」
“野寺坊”はこう言っていました。
“鵺”は私達人間自身が生んだ「災厄の種」である。
それにみまわれるのは「自業自得」
だけど、その様を見ているのは「面白くない」
だから…
「あなたたちは“ぬえ”のたまごを、まもっていたのですか…みだれたひとのよに、ふれさせないように、このいかいで、すっと…」
そんな、妖怪達には無関係な理由のために…
何十年も、何百年も、押し寄せる人妖を退けながら…
彼らは戦い抜いてきたというのでしょうか…?
“野寺坊”は肩を竦めて、
「感謝はするなよ?こっちが勝手にやってたんだ。結局『宝』って言葉に惑わされたんだろうが、押し寄せてきた連中は多かったよ。まあ、全部丁重に叩き返してやったが」
そして、ニヤリと笑う“野寺坊”
「喧嘩は腹が空くから、俺は好かないんだけどな。それでも、人間とはいえ、女子供が泣くより、俺達の腹の虫が鳴く方がまだマシってもんだろ?」
その笑みに、私は知らず知らずのうちに構えていた大幣を下していました。
そして、いつか十乃様から聞いた言葉を思い出しました。
「妖怪達は、人間よりずっと純粋で、失われゆくものを大切にする」と。
「沙槻さん」
ふと、十乃様にそう呼び掛けられ、私はハッとなりました。
見ると、十乃様は私に手を差し伸べていらっしゃいました。
あの日。
五猟神社の奥の院で、出会った時の微笑みを浮かべたまま。
「大丈夫ですよ。僕達はもう一度、妖怪達と手を取り合っているじゃないですか」
“とおで ともにてをとりて…”
かつて私自身も包まれた“逆神の浜”の夕刻。
それが母様が教えてくれた手毬唄と共に、脳裏によみがえります。
動けない私に、十乃様は差し伸べた手をそのままに続けました。
「だから…今回だってうまくいきますよ、きっとね」
「十乃様…」
私は、自分が知らないうちに泣いていたことに気付きました。
何ということでしょうか。
「戦斎女としてのお役目」と「親しい特別住民のみを守る」という思いだけに捕らわれ、私はもっと大切なことを見失っていたのです。
相手のことを知ろうともせず、ただ「悪」と決めつけ、排除しようとする…それは、かつての私が歩いてた暗闇の道。
そんな私を、そこから救い出してくださったのは…
「…はい!とおのさま…!」
私は。
差し伸べられたままのそのあたたかな手を、そっと握りました。
流れ落ちる涙で、見られた顔ではないでしょうけど…今は精一杯の笑顔で、十乃様に応えるために。
「ふざけないでもらえるかしら…?」
そこへ。
氷のような冷たい声が響き渡りました。
振り返ると、烏帽子様が鋭い目つきで私達を見ています。
「沙槻さん、貴女はお家から受けたお役目をむざむざ蹴ろうというの?それも、国からの依頼でもあるお役目を」
「烏帽子様…」
「貴女がここで裏切るなら、事の顛末は五猟家に包み隠さず報告させていただきます。そうなれば、貴女はもう五猟一族には戻れなくなるわよ。それでもいいの…?」
打って変わって厳しい声になる烏帽子様に、私は一度目を伏せると、彼女を正面から見つめました。
「かまいません」
一瞬、烏帽子様は声を失いました。
「…正気ですか、貴女?」
「はい。おいえにはつたえてください。『さつきは、とおのさまのもとをえらんだ』と」
それに口を閉ざす烏帽子様。
代わりに、黒田様が顔を真っ赤にして怒鳴ります。
「き、貴様!五猟家がどれだけ国からの援助を受けているのか、分かった上で言っているのだろうな!?」
「…」
私は思わず俯きました。
そうです。
現代では希少となった「退魔」の血筋である五猟家。
その五猟家は、密かに政府の援助を受ける代わりに、国からの依頼を受け、人に仇成すあやかし達を討滅してきました。
もしそれが無くなれば、お家に出る影響は少なくないはずです。
沈黙する私に、十乃様が庇うように私の前に立ちました。
「黒田さん!いま、聞いた通りです。彼ら夜光院の妖怪に、人間をどうこうしようという企ては無いんですよ!だから、五猟家への依頼だって、無効になるはずです…!」
「うるさい!そんなことは知ったことか…!」
さらなる怒声で、黒田様は続けました。
「現に“鵺”の卵という危険な代物がここにあるのだ!それに…」
一転、黒田様はニヤリと笑い、
「化け物共の言葉など信用できるものか!何なら、嘘でも儂がマスコミに訴えてやるさ!『やはり特別住民は危険な存在だった』と…!」
「おおっと、ここでねつ造宣言が出ましたよ?どう思いますか、解説の織原さん」
「そうですね、これは政治家としていただけませんね、実況の七森さん」
不意に。
そんな場違いな掛け合いの声が割って入りました。
思わず振り返る私達の前に、七森様、織原様、水瀬様(コサメ小女郎)の三人が姿を見せます。
「ゆ、雄二!?織原さんに水瀬さんまで…!?」
目を丸くする十乃様の横で“野寺坊”…いえ、北杜様がボリボリと髪を掻きました。
「ありゃあ、何だよ、お前さん達まで出て来たのか?しかし、よくあの部屋からここまで辿り着けたな」
「へへ…水愛ちゃんのお陰ッスよ」
そう言いながら、七森様は傍らに立つ水瀬様の肩をポンと叩きました。
「水愛ちゃんが妖気ってのを辿って、出口まで案内してくれたんス」
水瀬様は何故かそれに顔を赤らめ、小さな声で言いました。
「あの…言いつけを守らなくて…ごめんなさい…北杜さん…」
それに、北杜様は微笑しました。
「そうか、お前さんが妖怪だってのを忘れてたぜ…ま、仕方ねぇな。無茶をしでかすのは若者の特権だ」
そう和やかになった空気を震わせ、黒田様が再度怒鳴りました。
「き、貴様ら、深山亭の!」
「どうも!!!!その節はお世話になりました!!!!!!」
黒田様を凌ぐ大声で、そう告げる七森様。
私は、ビックリして思わず十乃様の背中に隠れてしまいました。
一方、耳を塞いでいた黒田様は、忌々しげな表情で七森様を睨みます。
「あの時のうるさい小僧か…!貴様までこんな所にいたのか…!?」
「まあ、色々ありまして」
そう言うと、七森様は手にした「すまほ」と呼ばれる機械を黒田さんに突き付けました。
「それより、黒田さん。あんた、いま随分と腹黒いことを言ったんじゃないかな?」
口調の変わった七森様に、黒田様の眉がピクリと反応しました。
「北杜さんの証言と、あんたが今言ったねつ造宣言…こいつでバッチリ録音したんだけど、その上で聞いとくぜ?」
七森様は勝ち誇ったように言いました。
「誰が何をマスコミにタレ込むって…?」
「…貴様…」
憎々しげに七森様を睨む黒田様。
よく分かりませんが、あの「すまほ」には、会話を録音する機能がある…ということのようです。
成程、今の黒田様の言葉が記録されているなら「ますこみ」の人達も、簡単に黒田様の言葉を信じないでしょう。
「えへへ…あたしの方は動画もあるわよ?よく撮れてるでしょ?」
そう言いながら、織原様もご自身の「すまほ」を見せつけます。
前から思っていましたが「すまほ」とはすごいものです。
あんなに小さいのに、活動写真まで撮影できるのですから。
きっと、中には働き者の精霊か小人などが宿っているのでしょう。
「…ふん」
唇を噛んで、黙っていた黒田様。
しかし、不意に薄く笑うと、突然、傍らに倒れていた女の子に走り寄り、取り出したナイフを突きつけました…!
確かあの女の子は、ここに来た際、十乃様が抱きかかえていた子です。
先程、私の神楽鈴の音色を受け“古庫裏婆”共々、気を失ったままのようです。
「黒田さん、何を!?」
「儂は決して化け物には屈しないし、騙されもしない…!」
ナイフを少女に突き付けたまま、黒田様は憎悪に満ちた目で北杜様を見やります。
「この娘も貴様らと同じ妖怪だろう!?仲間の命が惜しいなら、今すぐ“鵺”の卵を寄越せ!それと、そっちの小僧と小娘!貴様らのスマホもだ!」
黒田様の目には、狂気に近い光がありました。
出会った時から、妖怪に人一倍嫌悪を示しておられましたが…まさか、ここまでなんて。
「黒田さん…何故、そこまで…」
痛ましいものを見るような十乃様に、黒田様は少女を抱き起しながら、怒鳴ります。
「ふん…貴様のような偽善者には、永劫に分からんだろうな…妖怪と人間が共存?馬鹿も休み休み言え!そんなことが出来るわけないだろう…!!」
「…?…………!?」
耳元で大声を出されたせいでしょうか。
気を失っていた女の子が、うっすらと目を開きます。
そして、目の前で光るナイフの切っ先に目を瞬かせました。
「東水ちゃん、動いちゃ駄目だ!」
十乃様の声に、自分が置かれた状況に気付いたのでしょう。
東水と呼ばれた女の子は、身を引きつらせたように固まり、可哀想に震えだしました。
「目が覚めたところで、どうにもならん!さあ、早く寄越すものを寄越せ!」
黒田様の声が、勝ち誇ったように響きます。
誰しも動けない中、不意に、
「東水」
北杜様が、溜息を吐いて言いました。
「仕方ねぇ。許す。いいから、尋ねろ」
「尋ねろ」?
一体どういうことでしょうか…?
皆が不思議そうな顔をする中、東水様がおもむろに頷くと、自分を抱きかかえる黒田様を見上げました。
そして…
「あげましょうか?」
「…何?」
突然、東水様が澄んだ可愛らしい声でそう尋ねます。
それに、黒田様が怪訝そうに聞き返しました。
「東水ちゃん!?君、声が…!?」
何故か、十乃様が驚いた声を上げました。
何が起こっているのか分からない中、東水様が再び、
「ねぇ、あげましょうか?」
「何だ?何を言っている!?」
「あげましょうか?」
黒田様の言葉に答えず、あどけない表情でひたすら問い掛ける東水様。
「あげましょうか?」
「何だ、何をだ!?」
「あげましょうか?」
「だから、何をだと聞いている!」
「あげましょうか?」
「貴様…馬鹿にしているのか!?」
「あげましょうか?」
「おい、聞いているのか!」
「あげましょうか?」
「…!!」
黒田様のお顔が、かつてないくらいに真っ赤になっています。
対照的に、東水様は無邪気に問い掛けを続けています。
「ねぇ、あげましょうか?」
「貴様…!!!!!」
何度目かの問い掛けに、ついに黒田様が激怒します。
そして、北杜様が皆に呼び掛けました。
「あー、全員何かにつかまってろ。じゃないと流されるぞ」
その言葉に、私は気付きました。
東水様の正体に
私は思わず絶叫しました。
「こたえてはいけません!そのこは“やろかみず”です…!」
ですが、私の叫びも空しく、黒田様は怒鳴りました。
「ええい!何だか知らんが、寄越さば寄越せ…!!!!!」
瞬間。
凄まじい地響きと共に、夜光院の背後の山にあった滝から、洪水のような水が押し寄せました。




