【百十四丁目】「「「次は…性能差だ、ミスター!」」」
そもそも、過去、夜光院を襲撃した人妖達は、歴史にこそ残らなかったものの、数多く存在した。
夜光院に眠るとされる宝を得んとする者がほとんどであったが、中には難攻不落で知られる夜光院を陥落させ、その栄誉を己の武勲としようと目論む剛毅な者もいた。
しかし。
その野望はいずれも空しく潰えることになる。
夜光院を守護する妖怪達。
いずれも一騎当千を誇る無双の軍団の中において「四卿」と呼ばれる最強の妖怪達がいた。
「武経僧都」こと夜光院の宗主、北杜(野寺坊)。
強力無双、残虐無慈悲の魔媼、南寿(古庫裏婆)。
謎多き「夜光院の最奥」、東水(???)。
そして、天空の武闘僧、西心(石塔飛行)
彼ら四体の妖怪の存在が、夜光院の難攻不落伝説を築きあげているともいえた。
「【韋駄天足】…!」
“魔動人形”特有の「限定機能解除」により、六堂 那津奈(錬金術師)謹製の女性型“魔動人形”イヴの姿が一瞬霞む。
ヒンドゥー教、そして仏教に伝わる俊足の軍神「韋駄天」の名を冠したこの機能により、イヴは常人には到達し得ぬ高速機動を可能としていた。
「はあああっ!!」
浮遊する石塔に乗り、錫杖を構えていた西心の側面へ、瞬間移動の如く移動したイヴは、地を蹴って宙に舞う。
そのまま、身動きしない西心目掛け、拳を突き下ろすイヴ。
あわや直撃というその瞬間、
「見切った…!」
西心は石塔を移動させ、薄皮一枚で高速の鉄拳を回避した。
「くっ…!」
続けざまに放たれた回し蹴り、脳天への手刀、肘打ちの連撃も、西心を捉えること無く空を切る。
「バカな…!?」
西心のその動きに、瞠目するイヴ。
昨夜、那津奈を急襲した際、僅かな応酬ではあったが、イヴは西心の戦闘力は把握していたつもりだった。
それによる彼女の戦力差分析では、西心との戦闘力はほぼ互角。
それどころか、機動力の差で、彼女の方が有利という解が導き出されていたのだ。
それがどうだろう。
今回の戦いでは、その優位性が覆されている。
(信じられん…どういうことだ!?)
仕切り直すために距離を取りつつ、内心、困惑するイヴ。
対する西心は、石塔に乗り、無言のまま構えを取っている。
イヴは唇を噛んだ。
西洋魔術界において「天才錬金術師」として、その非凡な才能を絶賛されている主…那津奈。
「化学」などの流れを汲むが故に、数ある魔術の中において「異端」とされる錬金術。
那津奈はその既存の錬金術に敷かれた概念をさらに打ち破り、本来「神秘」とは相容れない「科学」の流れを取り込むことで、独自の錬金術とは異なる術式体系を生み出した。
先に顕現化させた「四腕戦士」などは、その一端に過ぎない。
そんな彼女の手により鋳造されたイヴも、アダムと並び、その機能の全てにおいて既存の“魔動人形”の規格を遥かに凌駕した「完全限定生産型」の“高機能魔動人形”である。
【韋駄天足】をはじめ、従来の“魔動人形”にない機能を有する彼女は、主を守護し、その前に立ちはだかる相手を何回も殲滅してきた。
それだけに“魔動人形”らしからぬ彼女の自尊心は、傷付けられる思いだった。
「【韋駄天足】!」
先程よりも出力を増し、高機動に移るイヴ。
音速を超えたその動きに、周囲に衝撃波すら発生する。
「覚悟!」
西心の真後ろに出現したイヴが、必殺の貫手を放つ。
今度こそ、避けようのない間合いだった。
勝利を確信したイヴは、次の瞬間、宙を舞っていた。
(!?)
突然起こった平行感覚の喪失に、驚愕するイヴ。
数瞬の浮遊感の後、イヴは背中を強かに打ち、地面の激突した。
「がはっ!?」
その衝撃に、全身が軋む。
絶息するイヴに対し、振り向くこと無く、錫杖の一振りで彼女の貫手をいなし、地面へ叩きつけた西心が向き直る。
「攻めに驕りが見えるな」
念仏を唱えつつ、そう告げる西心に、唇を噛みながらイヴが身を起こす。
「驕り…だと…!?」
「然り」
シャン、と錫杖を鳴らすと西心は続けた。
「其処許は、自らの『速さ』に自信があるようだが、それだけでは拙僧を下すことなど叶わぬ」
「…」
「如何に速き攻めも、その『意』が読めれば、いなすことなど造作も無い」
「…ご指南、痛み入る、ミスター」
立ち上がりながらダークスーツをはたき、簡単に身体の機能チェックを行うイヴ。
特にエラーが出ていないことを確認すると、改めて西心に向き直る。
「東洋でいう『武』の精神か…不合理だな」
「不合理…?」
聞きとがめたように眉根を寄せる西心。
一方のイヴは、整えるように髪を掻き上げた。
「ミスター、勝敗とは所詮、単純な数値の差がもたらす『結果』だよ。性能差、物量差…諸々の差。それだけが勝利と敗北を分ける、確たる要素だ。私がミスターの前に這いつくばったのは、その数値の誤差に過ぎない」
それに西心は静かに問う。
「ほう…では、その誤差を、其処許は如何とする?」
「こうするさ」
イヴが薄く笑う。
それと同時に、その足元に魔法陣が展開した。
僅かに眉を寄せる西心。
(妖気が増した…?)
「では、始めよう。なあに、大した誤差じゃない」
展開した魔法陣が、イヴの両足に多量の魔力を漲らせる。
瞬…!
イヴの姿が掻き消えたと思った瞬間、西心を取り囲むように三体のイヴが出現する。
「む!?」
「「「まず、物量差」」」
微笑む三体のイヴに、西心は油断なく再び錫杖を構える。
(幻術ではなく、全て実体だと…面妖な)
「「「次は…性能差だ、ミスター!」」」
瞬間、三体のイヴの両足から蒼い光が伸びる。
それは一対の翼のように広がった。
「「「見切れるか?【水星神話】!!」」」
イヴ達が唱和した瞬間、三つの蒼い彗星が地を駆ける。
【水星神話】…ギリシャ神話に神々の伝令神として伝わる、神速のヘルメスの名を冠したこの技は、羽根のあるサンダルを有したヘルメスになぞらい、その速度も【韋駄天足】のおよそ三倍。
放出される両足の魔力の翼により、高速で対象をなぎ払う殲滅走法である。
まさしく、イヴの全機能をフル稼働させた究極の「限定機能解除」だった。
「「「落ちろ!」」」
殺到する蒼い破壊の光に、西心は退く様子も見せず、身構える。
「言ったであろう… 其処許がいかに速くとも『意』が分かれば、いなせる、と…!」
錫杖を旋回させ、西心は叫んだ。
「妖力【石塔飛行】!!」
その瞬間。
西心の周囲に、轟音と共に無数の石塔が降り注ぐ。
「「「!?」」」
間一髪、それらを回避する三体のイヴ。
妖力【石塔飛行】…西心自身の正体である怪異と同じ名を持つこの妖力は、発動と共に無数の石塔を意のままに操る力を持つ。
降り注ぐ石塔は瞬く間にその数を増し、西心を守り、イヴの前進を阻む石の迷宮を生み出した。
しかし、
「それで防いだつもりか…!」
石塔を避け、魔力の光翼で破壊しつつ、西心に迫る一体のイヴ。
ほぼ間髪を入れずに、残りのイヴも西心に襲い掛かった。
「「とった…!」」
六枚の蒼い光翼が西心をなぎ払う。
イヴが勝利を確認したその瞬間、
ゴッ…!
「な…」
最初に襲い掛かったイヴが、信じられないものをみるように自らの鳩尾に突き立った錫杖へ目をやる。
突き立てた本人…西心の背後で、残り二人のイヴが、一瞬で消滅した。
光翼を消失し、膝をつくイヴを見下ろしつつ、西心は告げた。
「捉えたぞ、本体よ」
「気付いて…いたのか…」
口と腹部から水銀の血液を吹き出しながら、イヴが苦しげに呻く。
西心は首を横に振った。
「半分は賭けであった…確信したのは、間際であったさ」
西心は乱れた長髪を振り払い、続けた。
「先程も言ったであろう?其処許は自らの性能に驕りがある故に『意』が表に出過ぎるのだ」
「な…に…」
【水星神話】で生じる三体のイヴ…それは超高速で移動するイヴが生み出した残像だった。
残像とはいえ、その密度は本体と遜色ないものだ。
現に、西心自身も最初はイヴが三体に増えたと錯覚した程である。
そして、超高速で三方向から襲い掛かる彼女達の同時攻撃は、避けることなどほぼ不可能だ。
閉じたままの西心の両目が、イヴに向けられた。
「あの残像…拙僧にも見破ることは叶わない程見事であった。全く同じ呼吸で挑みかかられていたら、拙僧もこうして立っていられなかったであろう」
そう言うと、西心は錫杖を一閃し、僧衣を整えた。
「しかし、本体である其処許は、残像とは違い『殺意』が前に出過ぎた。結果、拙僧の呼び寄せた石塔をいち早く突破した」
イヴの目が大きく見開かれる。
「な…!?ま…さか…あの石塔は…本体の…あぶり出すために…?」
イヴは驚愕した。
西心の言葉を信じるのであれば、この男は超高速で襲い来る三方からの同時攻撃の脅威の下、本物のイヴを見定めるため、計算の上で無数の石塔を配置していったのだ。
西心を倒すために「殺意」を逸らせ、僅かでも残像より先行するであろう、本物のイヴが網にかかるように。
「其処許の敗因は、人に近いその『心』よ」
背を向ける西心。
「恨むのなら、精巧に造り過ぎた其処許の創造主を恨め、人形」
「き…さま…ァ!!」
西心の背に、追いすがろうと手を伸ばすイヴ。
シャン、と錫杖が鳴る。
直後、西心は無慈悲に告げた。
「妖力【石塔飛行】」
飛来する無数の石塔。
それは、身動きできないイヴの頭上へ、墓標のように無慈悲に降り注いだ。




