【百十三丁目】「じゃあ、行ってくる…!」
「な、何だ!?」
「ちょっと…揺れてない!?地震…!?」
突如、細かく鳴動し始めた夜光院に、降神町役場の同期の二人…七森 雄二と織原 真琴さんの二人が慌てて立ち上がる。
僕…十乃 巡も、天井を思わず見上げた。
夜光院の宗主、北杜さん(野寺坊)に厳命され、夜光院の奥の間にて待機していた僕達。
北杜さんの話では、現在、この夜光院に保管されたあるものを狙って、正体不明の一団が出没しているという。
たまたま僕達がこの夜光院に辿り着いた時期に重なり、その一団が夜光院に忍び寄っているらしい。
北杜さんや南寿さん(古庫裏婆)、西心さん(石塔飛行)達は、その一団を退けるため、この部屋を後にした。
「絶対にここから出るな」という言葉と共に。
その言葉が意味するのは、これから迎え撃つ相手が夜光院にとって「敵」である可能性が高く、引いては僕達がその「敵」との戦いに巻き込まれないように、という配慮があったからだろう。
一方で、この「幽世」にやって来る前、僕が神無月さん(紙舞)から聞いた情報では、僕達と因縁のある「K.a.I」が、この夜光院について裏で調べ回っているという。
そのため、夜光院に忍び寄る正体不明の一団が「K.a.I」絡みである可能性は…極めて高い。
僕としては「絶界島」での一件で「K.a.I」が特別住民達に対して見せた「悪意」みたいなものを知っている上、僕自身が彼らに命を狙われていることから、黙って座している訳にもいかないのだが…
いかんせん、僕自身は普通の人間で、北杜さん達の手助けなど、到底出来そうもない。
それに…相手は殺し屋まで雇ってくるような輩だ。
事情を知らない雄二達を、迂闊に「K.a.I」絡みの案件に巻き込む訳にもいかないだろう。
「水愛、どうしたの?」
ふと、ひとり天井を見上げていた早瀬 水愛さん(コサメ小女郎)に、織原さんがそう声を掛ける。
すると、早瀬さんは僅かに目を細めて、小さな声で言った。
「妖気を感じるの…誰かが、妖力を使おうとしてるみたい…」
僕はハッとなった。
早瀬さんはこの中では唯一の特別住民だ。
妖気の感知はお手の物だろう。
そして、彼女の言葉通りなら「妖力の発動」が意味するのは…間違いなく、戦いが始まったということだ。
僕は思わず立ち上がった。
「巡、どこに行く気だよ!?」
部屋から出ようとする僕に、雄二が慌てたようにそう言う。
僕は一瞬躊躇ってから、振り返った。
「…ごめん、みんな。僕、ちょっと様子を見てくるよ」
それを聞いた雄二達が驚いた。
「お、おい!何言ってんだよ!」
「さっき北杜さんに止められたでしょ!?」
「うん…分かってる」
僕だって、いま自分が無用な危険に首を突っ込もうとしているは重々承知だ。
だが、僕はどうしても見極めたいことがあった。
それは「K.a.I」の思惑である。
現状、彼らの目的などは一切不明なのだ。
彼らが示した妖怪達に対する悪意を世間に対して糾弾出来ない以上、せめてその手掛かりだけでも掴んでおきたい。
そう言う意味では、これは貴重な好機なのかも知れないのだ。
僕は顔を上げた。
「これは完璧に僕のワガママになるんだけど…」
雄二達に振り返り、僕は真剣な表情で告げた。
「みんなはここに残っていて欲しいんだ。ここから先は…本当に来てはいけない」
「いきなり何言ってんだよ!?意味分かんねぇぞ、お前!」
「雄二、頼む」
そう言って、僕は雄二に頭を下げた。
その勢いに、一歩踏み出しかけた雄二の動きが止まる。
「織原さんと早瀬さんを、無事に現世に送り届けてくれ」
「巡…お前」
僕は顔を上げると、笑って見せた。
「大丈夫、僕だって命は惜しい。だから、無茶はしない。約束する」
「理由は…」
そう言いかけて、雄二は溜息を吐いた。
「…いや、聞いても無駄か」
「ちょっと!そんなんでいいの!?」
驚いて雄二を見る織原さんに、肩を竦める雄二。
「いいんだよ。こうなったら、コイツはテコでも動かない頑固者だし。見かけによらずにな」
「…悪い」
「だから、謝るなって。どうせ、お前の頼み事は聞けねぇんだからよ」
「え?」
驚く僕に、雄二は親指を立てて見せた。
「俺が送り届けるのは『全員』だ」
「雄二…」
「あーもう!どうして男の子って、こういうノリばっかなのよ!」
お手上げといった風に、織原さんが頭を抱える。
「もういいわ!十乃君、事情は知らないけど、絶対無茶はダメだからね!もし十乃君に何かあったら、七森君のことを黒塚さんや沙槻ちゃんと一緒にくびり殺すから!」
「…おい巡、死ぬ気で帰って来い。あと、死んでも帰って来い。いいな!?」
織原さんに指を突きつけられた雄二が、真顔で僕を見てそう言う。
「はは…分かったよ」
苦笑する僕に、早瀬さんもおずおずと言った。
「十乃君、気を付けてね…」
「ありがとう、早瀬さん」
笑い掛けてから、僕は障子に手を掛けた。
「じゃあ、行ってくる…!」
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「おらおらぁ!」
押し寄せる青銅の魔動人形「四腕戦士」を相手に、南寿が咆哮する。
手にした巨大な鉈を軽々と振り回し、屈強な鎧戦士達にも一歩も引かない。
四本の腕に金属の棍棒を持ち、数に任せて次々に攻め寄せる四腕戦士達だったが、常軌を逸した速さと威力を持った南寿の鉈さばきに、押し切ることが出来なかった。
「どうしたどうした、ガラクタ共!見てくればかりで、大したことないじゃねぇか!」
打ち降ろされた棍棒を片手で受け止め、南寿が牙を剥いて笑う。
その隙に左手に回り込んだ一体を、見もせずに大鉈で一閃。
両断はされなかったものの、その四腕戦士は軽々と吹き飛び、金属が軋むような呻き声を上げる。
「何だ、あのザマは!?全然役に立たんではないか!?」
その様子に黒田 権蔵が六堂 那津奈(錬金術師)を睨む。
タブレットを片手に、戦闘状況を見守っていた那津奈は頭を掻いて笑った。
「あはは~、こりゃあ強いや~。さすがのなっつんさんもおったまげだよ~」
「~ッ!烏帽子君っ!」
「落ち着いてください、黒田先生」
怒髪天をつく黒田に「K.a.I」総責任者の烏帽子 涼香がやんわりと言う。
そして、那津奈に向かって、
「六堂さん、遊んでいる場合ではなくてよ?」
「いや~、遊んでないよ~?四腕戦士ちゃん達、ガチですよ~」
「冗談でしょ?貴女、アレ一体で『並みの魔動人形三十体分の戦闘力はある』って言ってたじゃない?」
「うん、そうなんだけどね~」
眼鏡に手を掛け、那津奈は珍しく真剣な表情で続けた。
「どうやら『幽世』は現世より『マナ』の濃度がとても高いみたい~」
「『マナ』?」
聞きなれぬ単語に、首を傾げる烏帽子。
那津奈は頷いた。
「そう『マナ』はね~、言ってみれば魔術や超能力といった特別な力の源だよ~。そして『神秘』や『幻想』に類する存在は、それが濃ければ濃い程、強大な力を発揮するんだ~」
「つまり…夜光院は派手にドーピングを使っているようなものかしら…?」
「まあ、そんな感じだね~。いや~、これは貴重なデータだよ~。有史以来、ここまで『幽世』について電子的な観測が出来た例はないだろうしね~。こんな端末じゃあ、データ送信でパンクするかな~?」
それに、殿で戦況を見ていた北杜が、にへら、と笑った。
「あ、それだったら夜光院、Wi-Fi設備あるぜ?」
「本当~!?わーい、そいつはラッキー~♪」
「だから、敵と和むなっ!!!」
のほほんとした那津奈に、黒田の怒声が飛ぶ。
「このままではこちらが全く不利ではないか!」
黒田の視線の先では、八体の四腕戦士相手に大立ち回りを行っている南寿の姿がある。
確かに「神秘」に溢れたこの幽世では、妖怪達の力は現世に比べて各段に底上げされる。
が、それ以前に南寿達は、古くから夜光院に眠る宝物を手に入れるべく押し寄せてきた人妖達をことごとく退けてきた古強者でもある。
これより多勢を相手に、何度も死線をくぐり抜けて来ているのだ。
「仕方ないな~…じゃあ、こっちもインチキさせてもらおうかな~」
そう言いながら、那津奈は懐から別の試験管を取り出す。
そして、小さく呪文を唱えた。
「mishmar…!」(※ヘブライ語で「守護」の意)
呪文の詠唱と共に放られた試験官が、空中で砕け散る。
細かい霧のように降り注いだ薬液が、苦戦する四腕戦士達を包んだ瞬間、その動きに変化が現れた。
「ちっ!こいつら…!」
先程まで、南寿に圧倒されていた四腕戦士達の動きが倍加する。
加えて、繰り出される棍棒の重みも増していた。
「何が起こったんだい…!?」
たちまち余裕がなくなった南寿が、決死の表情で大鉈で斬りつけるも、四腕戦士達の動きが倍加したため、その一撃もかわされるようになった。
趨勢はあっという間に逆転した。
「おお、いいぞ!やればできるではないか!」
興奮気味の黒田とは逆に、那津奈は軽く溜息を吐く。
それに烏帽子が不思議そうに聞いた。
「どうしたの?」
「うん…“守護”の薬液は、効果は見ての通りなんだけどね~。魔動人形に使うと、耐久性も無視した動きになるんだ~」
「耐久性?」
那津奈が頷く。
「さっき言ったドーピングって、そういう意味なの~。要は、あの子達の身体が、増幅された戦闘速度に耐えきれないってこと」
「それって…」
烏帽子は南寿を取り囲み、なぶり殺しにしつつある四腕戦士達に目をやった。
「杞憂じゃないの?」
「だといいんだけどね~。もって、あと二、三分だからケリはつけられると思いたいね~」
繰り出される棍棒を受け、南寿が大きく跳ね飛ばされる。
派手に土煙を上げて、夜光院の塀に激突する南寿。
それを見た北杜が、感心したように言った。
「ほーぉ…西洋の外法ってのも馬鹿にできんな。南寿がここまで痛めつけられたのは、久し振りに見たぜ」
味方がやられているのにも関わらず、北杜の口調はいつも通りだった。
そんな北杜に、四腕戦士達が迫る。
北杜は微動だにせずそれを見詰めつつ、言った。
「いつまで寝てる?早く喰っちまえ」
ガラガラ…!
北杜の呟きに応じるように、瓦礫に中から南寿が立ち上がる。
艶めかしくはだけた法衣を気にした風も無く髪を掻き上げると、南寿は牙を剥いて笑った。
「チッ…仕方ねぇな。コイツら、固そうだから遠慮したかったんだがよ」
言うや否や、南寿の口腔内に、鮫のような牙が伸びる。
その身体から立ち上る妖気に、とどめを刺しに殺到した四腕戦士達が、一瞬怯んだように立ち止った。
「【魔媼食膳】」
呟くと同時に。
南寿は鉈を捨て、爪と牙を剥いて一体の四腕戦士に獣の如く襲い掛かった。
まさにすれ違いざまといったスピードで、その四腕戦士の頭部が消え失せる。
着地した南寿は、咀嚼していた何かを吐き出す。
石段に転がったそれは、今まさに消え失せた四腕戦士の頭部の残骸だった。
無残な姿になった四腕戦士が、糸の切れた操り人形のように崩れ落ちるのを見、黒田は背筋を冷たいものが伝うのを感じた。
「ケッ、やっぱり対して美味くもねぇな」
口元を拭い、凄惨な笑みを浮かべる南寿。
妖怪“古庫裏婆”…山寺の庫裏(台所)に住みつき、時に墓地に葬られた屍を掘り起こし、皮をはいで死肉を喰らったとされる魔媼。
その姿さながらの南寿に、北杜がニヤリと笑った。
「悪いなァ、六堂の。この姐さんはご覧の通り悪食でね。何でも喰っちまうんだ」
「うるせぇな。人を見境なしみたいに言うな。せめて、あっちの女共を喰わさせてくれよ」
不平を言いながら、烏帽子達を指差す南寿。
それに黒田は更に戦慄した。
「ば、化け物め…!」
「何だい今更。知ってて、喧嘩を売りに来たんだろ?」
北杜の眼が鋭くなる。
「ホレ、南寿、喰い残しは良くねぇ。全部平らげちまいな」
結局。
八体の四腕戦士が南寿の腹に収まるまで、三分もかからなかった。




