【百十一丁目】「害虫退治だ」
淡い蛍のような燐光が、枯山水の石庭をいくつも漂っていく。
異界「幽世」にひっそりと存在する夜光院。
その宗主ともいえる北杜さん(野寺坊)の説明では、この浮遊光は夜光院に住む特別住民の一人“川蛍”の妖力によるものだという。
“川蛍”は、千葉県印旛沼に現れたとされる怪火で、熱を伴わない炎…「陰火」の妖怪だ。
雨の日、夜中に沼の上をホタルのような光が漂うという伝承が残されている。
もっとも、伝わっている伝承の中では、これ程の数の“川蛍”が出現したという記載はない。
この大量の“川蛍”の原因は、ここ「幽世」にあるようだ。
妖怪達が持つ妖力の源でもある「神秘」が満ちたこの「幽世」では、余程妖力が増強されるらしく、この夜光院を中心に、相当数の“川蛍”の光が常時飛び交っているという。
“川蛍”は、人を惑わすという西洋の“彷徨鬼火”と違い、ただ空中を漂うだけで、特に人に害をもたらすわけではないため、恐れるほどのものではない。
薄闇の中を舞うその姿も、とても幻想的で美しい光景である。
だが、数が数だ。
風に舞うタンポポの綿毛のように、ふわふわと浮かぶ大量の光球をずっと見詰めていると、少しばかり空恐ろしくなる。
「怖いくらいにきれいだろう?雨が降るとな、もっと数が増えるんだ」
大広間の開け放たれた障子から庭を見詰めていた僕…十乃 巡の心情を悟ったのか、北杜さんがそう声を掛けてきた。
「昼のないこの世界では、貴重な光源でね。お前さんがたの世界と違って、妖力ぎれの心配も無いし、無制限で妖力を開放させてる。お陰で“川蛍”の奴も、調子に乗ってんのさ」
「そうなんですか…」
僕は群れなす光球に視線を戻した。
「…でも、いくらきれいだからって、限度がありますよね」
苦笑する北杜さん。
「そうだな。限度って奴は大事だよ」
そう言うと、北杜さんは膝に頬杖をついて、うって変わって溜息を吐きながら視線を正面に向ける。
「…んで、こっちもそろそろ限度ってのを考えた方が良いんじゃないかな」
その先では、僕の友人…七森 雄二が降神町役場の同期である織原 真琴さんと睨み合っている。
織原さんの傍らでは、彼女の友人である早瀬 水愛さん(コサメ小女郎)が、ハラハラした表情で睨み合う二人を見守っていた。
「一体何考えてんだよ!?」
雄二が柳眉を逆立てる。
「こんな所に女二人だけで来るなんて!何かあったらどうすんだ…!?」
怒鳴る雄二には聞こえないよう、北杜さんが明後日の方向を見ながらボヤく。
「…『こんな所』で悪かったね」
「何よ!心配だったから、わざわざ追っ掛けて来たんじゃない!」
詰め寄る雄二に対して一歩も引かず、織原さんが怒鳴り返す。
「大体、あんな話聞かされて『あとはよろしく!』で全部押しつけられても、こっちだって始末に困るってーの!」
「そこを何とかするのが、残った女の役目だろ!」
「はあ!?何よ、それ!どこの前時代的アホ宇宙の無茶ぶり法則よ!?」
激昂したまま火花を散らす二人。
さっきから繰り広げられているこの舌戦は、そろそろ三十分を経過しつつある。
そもそもの発端は、この夜光院を目指した僕達を追い掛けて、織原さんと早瀬さんが明王滝を乗り越え、この「幽世」までやって来た挙句、夜光院の守護僧である西心さん(石塔飛行)に不審者として捕縛されたことにあった。
まったく、女の子二人で、何とも無謀な真似をしたものである。
幸い、ケガ一つ無かったものの、彼女達がこの「幽世」に不用意に飛び込んだことは、雄二には余程衝撃だったらしい。
二人の無事に安堵したのも束の間、一転、説教を始めたのだ。
が、それに織原さんが反発し、凄絶な口喧嘩が勃発。
現在に至ったりする。
両者一歩も引かない激しいその応酬は、北杜さんをして辟易させる程だった。
雄二が吠える。
「うるせー!とにかく女の身で無茶するなっての!お前はいいとして、水愛ちゃんまで巻き込むな!」
「あ、あんたねぇ!そもそもあたし達がここまで来たのは、水愛があんたを…モガガ…!」
不意に、血相を変えた早瀬さんが織原さんの口を塞ぐ。
「ご、ごめんね、七森君。今後気を付けるから…」
上目づかいで、しおらしく小声でそう言う彼女に、雄二は納得いかないように憮然となってそっぽを向く。
「…勘弁してくれよな、こういうのはよ」
「うん…本当にごめんね…」
泣きそうになりながら、俯く早瀬さん。
そこにパンパンと北杜さんが手を叩いた。
「よーし、そこまで。お嬢さん方の素性も大体分かったし、侵入者の疑いも晴れた。なら、こっちはそれでいい。七森、お前さんもそこまでにしとけ」
「北杜さん…」
何か言いたげな雄二を、北杜さんは目で制した。
「事情はともかく、男がいちいち細かいことに目くじらを立てるもんじゃないぜ?聞きゃあ、このお嬢さん方はお前さん達のことを心配してはるばる夜光院まで来たっていうじゃないか。女だてらに、見上げた根性だと思うけどな」
無精ひげを撫でながら、北杜さんはニンマリ笑った。
「いい女は男を立てる。んで、いい男ってのは女を守るもんだ」
「…分かりました」
雄二は納得いかないまでも、どうやら、ひとまずは気分を落ち着けたようだった。
雄二には、紅緒ちゃんという妹がいる。
そのせいか、時々、女の子に対して過保護になることがあるのだ。
今回の件も同様だろう。
笑顔のまま一つ頷く北杜さん。
「そうそう、聞き分けがいいのも、いい男の条件さ…さて、カタがついたところで一服にするか。さんざん怒鳴りあったんだ、お前さんがたも喉が乾いたろう?」
そう言いながら、北杜さんが腰を浮かしかけた時だった。
ゴオーン
不意に。
夜光院の鐘が、大きく鳴り響く。
同時に、にこやかだった北杜さんの表情が一変した。
「やれやれ…何て間の悪い」
北杜さんのその呟きが終わらないうちに、障子が開け放たれ、南寿さん(古庫裏婆)が厳しい表情で入って来る。
「北杜!」
「分かってる。例のお客さん、だろ?」
南寿さんに向かって一つ頷くと、北杜さんは僕達に向き直った。
「悪いな、少し野暮用ができた。お前さんがたは、この部屋で自由にくつろいでいてくれ」
と、そこで北杜さんは有無を言わせぬ口調で付け加えた。
「ただし、絶対に外には出るな」
「何でです…?」
事情が分からず、顔を見合わせる雄二達を尻目に、僕は敢えてそう問いただす。
そう。
僕には北杜さんがそう告げる意味が、何となく理解できている。
神無月さん(紙舞)から聞いた夜光院に対する「K.a.I」の暗躍。
力也さん(山男)が言っていた、ここ最近聞こえていたという「警鐘」ともとれる夜光院の鐘の音。
その点と点が、僕の頭の中で不安と共に繋がっていく。
真剣な顔で見詰める僕に、何かを感じ取ったのか、北杜さんは仕方なくといった感じで言った。
「…実はな。ここ最近、夜光院に妙な連中がちょっかいを掛けて来ているんだ」
「妙な連中…?」
「ああ。詳しくは教えられんが、実は夜光院には『あるもの』が保管されている。連中、そいつを狙って来ているようなんだな、これが」
無精ひげを撫でつけながら、北杜さんは続けた。
「俺達は、その『あるもの』を守るために、この夜光院を居城にして、盗人どもと戦ってきたのさ。で、あの鐘の音はな、そうした盗人どもが夜光院の周囲に現れたことを告げる警報なんだよ。さっき西心が見回りに出ていたのは、お前さんがたがここに来る少し前に、あの鐘が反応したからなんだ」
僕は、明王滝に辿り着いた時に鳴り響いていた鐘の音を思い出した。
あの時も、何者かが夜光院に侵入しようとしていたということだろうか?
「連中の正体が何だかは知らないが、俺が展開する夜光院は無敵さ。だが、万が一ということもある。お前さんがたは、俺達が連中を追っ払うまで、ここで大人しくしていてくれや」
北杜さんはそう言うと、ニカッと笑った。
神無月さんの「太市君(鎌鼬)が夜光院にいる」という推理はハズレだった。
しかし北杜さんの言う「妙な連中」が、神無月さんが教えてくれた「K.a.Iの実行部隊」と合致する可能性は高い。
そして、その目的はどうやら太市君の捕獲ではなく、夜光院に眠る「あるもの」を手に入れるためと考えられる。
彼らが狙う「あるもの」の正体は分からないが「絶界島」での一件もある。
十中八九、妖怪達に危害を及ぼす「何か」に利用しようとしているに違いない。
そう考えた瞬間、僕は思わず言った。
「北杜さん、僕も一緒に行っては駄目でしょうか?」
そんな僕を、北杜さんはすぅっと目を細めて見詰めてくる。
それはまるで、僕の心の中を見透かしているような視線だった。
「何でだ…?」
先程、北杜さんに投げ掛けたの問いを切り返され、雄二達をチラリと見てから、無言になる僕。
ダメだ…雄二や織原さん達がいる前で「mute」や「K.a.I」の話をするわけにはいかない。
連中は殺し屋まで差し向けてくるような連中である。
そんな相手に皆を関わらせるわけにはいかない。
躊躇っている僕に、北杜さんは静かに告げた。
「十乃、お前さんが何を知っているのかは知らんが、夜光院には客人を危険な目に合わせる理由がない。」
そう言うと、北杜さんは背中を向けた。
「ま、込み入った話は後にしようや。まずやるのは…」
北杜さんの声が固く響いた。
「害虫退治だ」




