【百丁目】「許さない…!」
「容疑者を発見しました」
よどみなくそう告げる圓(目目連)へ、別の映像の確認作業をしていた秋羽(三尺坊)が振り向いた。
「出たか!」
二人の視線の先で、圓の妖力【万照冥眼】によって映し出された映像の一つが拡大される。
そこに映し出された二人の人物を見て、秋羽は絶句した。
「あれは…美恋殿!?」
目を剥く秋羽の視線の先に、白百合の花束を抱え、容疑者…犯行予告映像に出ていた銀髪の女と共に走り続ける美恋の姿があった。
「バカな…どういうことだ!?何故、彼女が奴と一緒にいるのだ…!」
「…それはこういう事でしょう」
やや置いてから、圓が美恋達の映像の傍らに別の映像を転写させた。
リプレイされるその映像の中で、意識を失った巴が覚醒すると同時に、犯行予告映像に出ていた「誰の記憶にも無い女」へと変貌していく。
それを目にした秋羽の顔が、更に驚愕に歪んだ。
「さ、三ノ塚が…犯人…だと!?」
「…迂闊でした」
一方、両目を覆う布の上から眼球を揉みほぐす様に、指を当てる圓。
「まさか、味方の中に犯人がいたとは…いまさら悔やんでも仕方ありませんが、彼女が『複合同時存在』であるなら、正体不明だった『三の首』の本性も最初に容疑者として疑っておくべきでした」
そして、思い出したように、
「ああ、でも、これで合点がいきましたよ。あの犯行予告映像は、特別住民対策室の機材で撮影されたものだったんですね…道理で、市販の映像機器とは画質が違う訳です」
「妙な所で納得している場合ではありませんよ、圓秘書官!」
珍しく、秋羽が取り乱した風に声を荒げる。
「我々は内閣府の特別機関に、よりにもよってテロリストを採用してしまったんです!大問題ですよ、これは!」
「まあ、その辺は事が済んでから人事部門に詰め腹を切っていただくしかありませんね」
圓はしれっとそう答えると、秋羽に向き直った。
「それより、早く現場に行かなくて宜しいので?このまま彼女達が無事にゴールすれば、十乃さんの身が危ない。そうなれば、警備担当である我々も首が飛びますよ?」
「分かっています…!」
犯行予告映像を見ていない美恋は、犯人が自分と共にゴールを目指している女だとは知らない筈だ。
圓の言う通り、このまま二人がゴールしたら、犯人が巡の前に何の妨害も無く立つ事になる。
(それどころか、下手をすれば美恋殿の身も危ない…!)
身に纏ったウェディングドレスの裾を掴み上げ、秋羽は物凄い勢いで飛び出して行った。
後に一人残された圓は、映像へと向き直る。
そして、映像の中で懸命に走り続ける美恋へ薄く微笑んだ。
「さて…これでゆっくりと『観察』できます。期待しておりますよ『モドキ』さん」
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走る。
走る。
美恋は、その健脚を最大限に発揮し、ゴールである「降神町ジューンブライド・パーティー」会場のステージへと向かっていた。
ここまで何度も窮地に陥ったが、輪(朧車)や摩矢(野鉄砲)、沙槻(戦斎女)、リュカやフランチェスカといった妖怪達に助けられてきた。
彼女達の尊い犠牲と献身がなければ、美恋はここにはいないだろう。
そして、いま思えば何人の花嫁達がこの「六月の花嫁大戦」に希望を託し、そして夢破れて果てたことか。
対峙した時は脅威でしかなかった彼女達だが、誰もがただ「理想の相手と結ばれたい」という、乙女であればごく自然でささやかな願いを胸に、戦場へ身を投じたのだ。
誰が彼女らの所業を責める事が出来よう。
これまでの激闘の数々に想いを馳せる美恋の胸に、戦いの無情と空しさが去来する。
(でも、もうすぐこの戦いも終わるのね…)
降って湧いた花嫁達の激闘も、自分達のゴールをもって、遂に最終局を迎えるのだ。
それまでは、最愛の兄…巡を狙う謎の犯人の魔の手から彼自身を守るために、輪から託されたこの白百合の花束をゴールまで守り通されなければならない。
なし崩し的に「六月の花嫁大戦」に巻き込まれた美恋ではあったが、自らに課せられた使命の達成には感慨を覚えた。
「大丈夫ですか?美恋さん」
自分の先を行く銀髪の女性…三ノ塚 凍若衣(舞首)が、気遣う表情で振り向きながらそう声を掛けてくる。
自分の世界に入っていた美恋は、慌てて愛想笑いを浮かべた。
「え?な、何がですか?」
「いえ、何か『心ここにあらず』という様子でしたので…」
「そ、そうですか?そんな風に見えました?私」
「ええ…もしくは、何か『荒唐無稽な出来事の最終局面を、勝手にきれいなモノローグでまとめようとしているような感じ』にも見えましたが」
「………………い、いやですねぇ、そんなまさか。オホホホホ…」
「何にせよ、花束もったままでは走りにくいでしょう。何でしたら、私がお預かりしますが…?」
美恋はそれに首を横に振って見せた。
「ありがとうございます。でも、大丈夫です。花束は、間車さんから託されたものですから、私自身がちゃんとゴールまで持っていきたいんです」
「そうですか…ですが、疲れたならいつでも頼ってくださいね」
そう言って微笑む凍若衣。
美恋はそれに頷いて応える。
最初、巴から凍若衣への変身を目の当たりにした時は美恋も驚いたものだ。
彼女自身から“舞首”としての事情を聞いた時も更に驚いたが、現在、こうして道行きを共にする限り、凍若衣は巴とはうって変わって理知的で落ち着いた雰囲気を持つ、頼りになりそうな大人の女性に見えた。
実際、彼女は自ら符術を駆使して鳥の式神を上空へと放ち、周囲を監視しながら的確に最短ルートを選択してくれている。
聞けば、彼女は陰陽道に精通し、術理戦に長けているのだそうだ。
「周囲に他の花嫁の姿はありません。このまま進みましょう、美恋さん」
「はい。でも…」
言い淀む美恋に、凍若衣が再び振り返る。
「何か気になる事でも…?」
「ええ…例の犯人が、このまま指を咥えたまま私達を見逃すでしょうか…?」
「…それは」
無言になる凍若衣に、美恋は続けた。
「兄が標的なら、犯人はこのタイミングで私達を狙ってきそうな気がします。もっとも、他の手段をとって、イベントを潰しにくる可能性もありますが…」
「確かに…ですが、私は犯人の目的はあくまで十乃さんだと思います」
「えっ?何故ですか?」
即座に否定する凍若衣に、美恋がそう尋ねる。
それに、凍若衣は前を見て走り続けながら答えた。
「確証がある訳ではありませんが、恐らく犯人は『十乃さんの誘拐』にこだわって、あの映像まで作ったと思います。ならば、やっぱりそこにこだわるんじゃないかと…」
「そういう…もんですか」
美恋は考え込むような表情になった。
「まー、確かにそんな凝った犯行予告映像まで作っておいて、いまさら別の方法で…っていうのは、ちょっとしょーもなすぎる気がしますねー」
「うっ…そ、そうでしょう?」
何故か歯切れの悪い返答を返す凍若衣。
そんなやり取りをしているうちに…
「見えた…!」
前方に大勢の観衆と、それを横断するように敷かれた真紅の絨毯が見える。
まるでバージンロードの様だ。
美恋はギョッとなった。
「うぇわ!?あんなトコ走るの!?」
「躊躇っている場合ではありません。急ぎましょう、美恋さん…!」
「は、はい…ううう、何かこれって一種の晒し物だよね…」
凍若衣に促され、渋々従う美恋。
不意に湧いた羞恥に、美恋が赤面していると、近付いてくる二人の姿に気付いた観衆から、大歓声と拍手が上がる。
用意のいい事に、色とりどりの紙吹雪も振り撒かれ始めた。
「は、はは…どーも、どーも」
頬を引きつらせながら、愛想笑いで観客に応える美恋。
そこへ、
「美恋ーっ!ガンバーっ!!」
「お虎!」
輪と共に「六月の花嫁大戦」に巻き込まれた際、離れ離れになっていた同級生の長篠 虎珀が、ギャラリーの中から手を振る。
虎珀は、ギャラリーの中から飛び出すと、美恋に追いすがる様に走り出した。
「へへへ、全部オーロラビジョンで見てたよ!凄いね、美恋!最後まで生き残るなんて!」
「いや…何つーか、成り行きでね…」
苦笑する美恋。
虎珀は走りながら、手にしていた自分のヴェールを美恋の頭へと被せた。
「ハイ、これ!着替えてる時間はないから、せめて花嫁らしくね!」
そう言って笑顔で手を振りながらながら、離脱していく虎珀。
美恋はそれに応えながら、凍若衣と共に歓声の中を駆け抜けた。
すかさずステージ上にいた二弐(二口女)が、マイクを片手にアナウンスを始める。
「見えた!見えました!激闘の末、見事『六月の花嫁大戦』を制した花嫁達が、遂にこのゴールへと姿を現しました!」
「えーと…個人的な予想とはかなり逸脱しましたが、いずれも劣らぬ美女と美少女!まさに勝者に相応しい艶やかさです…!」
「あら…?先程まで別の娘がいたと思ったのですが…」
少し前までオーロラビジョンで動静を見守っていた鉤野(針女)が、凍若衣を見て首を傾げる。
(あの銀髪の女性、先程のシニヨンの娘と同じドレスを着ていますわね…どういうことでしょうか…?)
「ふぬ?ふぬん!?ふぬうう…!?」
その横では未だ椅子に縛られ、さるぐつわを噛まされた巡が、美恋の姿を見て驚きの声…もとい、呻きをあげる。
そうこうしているうちに、美恋達は遂にステージ上に立った。
二人のゴールを観衆達の大歓声が祝福する。
「つ、着いた~…」
疲労をぶちまける様に、息を大きく吐く美恋。
そんな美恋を労うように、凍若衣が肩に手を置く。
「お疲れ様でした、美恋さん。人間の身でよくもここまで。ご立派でしたよ」
「凍若衣さん…ありがとうございます」
「さ、あとは私が引き継ぎましょう。花束をこちらへ」
「あ、はい…」
美恋は、少し戸惑った様に花束を握り直した。
そして、そのまま硬直する。
(…な、何を躊躇ってるの、私?)
ぞわり、と美恋の中で何かが蠢く。
同時に、得体の知れない不安と焦燥がその胸に生じた。
(まさか…私、こんな状況でやきもちを妬いているの!?バカみたい!凍若衣さんは秋羽さんと同じ国の特別機関の人で、お兄ちゃんを守る任務でここまで来たのよ?花束を渡したからって、お兄ちゃんとデートする訳ないじゃない…!)
「美恋さん?」
凍若衣が不思議そうな顔になる。
美恋はハッとなって、顔を上げた。
「あ、すみません、私ったら…」
「いえ…ですが、時間がありませんわ。さ、お早く…」
凍若衣が花束に手を伸ばす。
それを目にした美恋の目が、大きく見開かれる。
「嫌っ!!」
不意に。
美恋は花束を庇うように身を引いた。
それを見た凍若衣は、一瞬呆気にとられた表情になった後、鋭い目つきになる。
「美恋さん…ふざけている場合ではありませんよ?」
「あ…い、いえ、これは…」
美恋自身、身体が勝手に動いた様な感覚に戸惑っていた。
ただ、ウェディングドレス姿の凍若衣が巡の横に立つ姿を想像した瞬間、目の前が一瞬真っ赤になり、気付いた時には身体が動いていたのだ。
「あの~、お二人とも?」
「どうかされました?」
二弐が二人の様子に気付き、そう声を掛ける。
観客達も、優勝者達の間に生じた異様な雰囲気にざわつき始めた。
それに気付いた凍若衣が、にこやかに微笑んだ。
「いえ、何でもありませんわ。彼女は少し疲れている様で…」
「そこまでだ!動くな、三ノ塚!」
突然、会場に凛とした声が響き渡り、一瞬静まり返った会場の上空から、無数の黒装束の男達が降り立つ。
そして、それらを従えつつ、一人の花嫁が進み出た。
それを見た美恋が、目を丸くする。
「あ、秋羽さん!?」
驚く美恋の横に立つ凍若衣を指差しつつ、秋羽は厳しい表情で告げた。
「美恋殿、その女から離れてください!その女が我々が探していた『犯人』です…!」
美恋が目を剥くと、その横で凍若衣が小さく舌打ちした。
「チッ…あと一歩のところで」
「凍若衣さん!?」
呆然となる美恋の目の前で、凍若衣は大きく飛び退ると、拘束されたままの巡の横に立った。
氷の様な笑みを浮かべ、凍若衣は胸元から数枚の符を取り出す。
「ちょ、ちょっと!?」
「何?どういうこと?」
「貴女!十乃さんに何を…!?」
突然の展開に慌てふためく二弐。
鉤野も異変を感じて、自らの鉤毛針を展開する。
「ふぬぬ!?」
傍らの凍若衣に微笑まれ、巡が身をよじって逃れようとした。
「お兄ちゃん!」
「すみませんが、彼は頂いていきます」
そう言いながら、凍若衣は符を宙に放った。
「逃がすな!確保だ!」
「「「「「応!」」」」」
咄嗟に秋羽が黒づくめの男達…「木葉天狗衆」に命令を出す。
しかし、それより速く凍若衣の唇が呪言を紡いだ。
「符転黒幕、急急如律令!」
凍若衣が唱えた呪言により、符に込められた力が解放される。
居並ぶ一同の前で、符は爆発すると共に黒い煙を周囲に撒き散らした。
「これは…!」
「煙幕か!?小癪な…!」
数人の木葉天狗衆が、すぐさま一斉に剣印を切る。
「臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前!」
「九字護身法」により、自己の防御を固める木葉天狗達。
そのまま突き進もうとした天狗衆達だったが、黒く漂う煙幕に触れた瞬間、勢いよく弾き飛ばされた。
「む、結界か…!?」
秋羽が唸る。
その視線の先で、ステージ上は暗幕で隔たれたように完全に視界が阻まれ、外から切り離された空間と化す。
不意に生じた暗闇の中で、美恋は懸命に兄の姿を求めた。
煙幕のせいで、先程まで傍らにいた二弐や鉤野の姿すら目視できない。
「な、何なの、この煙は…!?」
「何も見えな~い!」
「ひきゃあ!?ちょっと、二弐さん!?どさくさにまぎれて何処を触っていますの…!?」
そんな二人の声だけが聞こえてくる。
美恋は二人の無事に安心するも、肝心の巡の安否が不明な事に胸騒ぎを覚えた。
「兄さん!どこにいるんですか…!?」
思わずそう叫ぶが、応えは無い。
右往左往する美恋に、ふと声が届く。
(美恋殿!聞こえますか、美恋殿!)
「…その声は秋羽さん!?」
まるで水の中で会話しているようにくぐもっているが、秋羽の声が美恋の耳に届く。
どうやら、障壁と化した煙幕の外…ステージ下から呼び掛けているようだ。
(いかにも、私です。ご無事で何よりです)
「秋羽さん、助けてください!兄が…!」
(心得ております。今からこの結界を破りますので、観客席側より離れてください)
「わ、分かりました!」
慌てて、観客席側から身を引く美恋。
同時に、黒い壁となっていた煙幕の一部に、赤光が生まれる。
それは漆黒の空間を突き破り、突然現れた。
剣だ。
燃え盛る剣の切っ先が、暗黒の中に光をもたらした。
驚く美恋の目の前で、炎の剣の切っ先は徐々に黒い煙幕を切り裂いていく。
「はああっ!」
気合い一閃。
秋羽が人が一人通れるくらいの穴をくぐって姿を見せる。
「ご無事でしたか、美恋殿…!」
「あ、秋羽さん…そのウェディングドレス…」
「今はそれどころではありません!」
やや赤面しながら、秋羽が美恋に駆け寄る。
「犯人…三ノ塚はいずこに!?」
その言葉が終わると共に、ステージ上の闇が徐々に薄らいでいく。
二人が周囲を見渡すが、巡と凍若衣の姿は見当たらなかった。
その代わりに、巡が拘束されていた椅子と縄だけが残されている。
それを見た秋羽が歯噛みした。
「くっ!取り逃がしたか…!」
「そ、そんな…兄さん…」
美恋の身体がふらつく。
ショックだった。
知らなかったとはいえ、最愛の兄を狙っていた張本人を、自分がその目の前に連れてきてしまったのだ。
今頃、巡はどんな目に会っているのか…それを考えた瞬間、再び美恋の身体の奥で何かがぞわりと蠢いた。
(…い)
「誰か」がそう呟く。
(…る……い)
深い淀みの様なその声を、美恋はかつて「二度」聴いた。
(ゆ…さ…な…)
声と共に、マグマの様な熱い何かが、美恋の全身を駆け巡る。
同時に、視界が暗くなり、代わりに四肢に力がみなぎっていく。
遠くで秋羽が自分を呼んでいる声がした。
「許さない…!」
不意に。
声がはっきりと聞こえた。
それは美恋自身の口から迸っていた。
「み、美恋殿…!?」
ふらついていた美恋へ、心配そうに声を掛けていた秋羽は、我が目を疑った。
美恋が顔を上げる。
獣のように鋭く開かれた目は、黄金の瞳を宿していた。
まとめられていた長い髪がほつれ、風に流れて黒く波打つ。
そして。
その額には、ヴェール越しに二本の角が鋭く伸びていた。
「はああああ…」
異形へと変化した美恋は、白い蒸気の様な息を吐いた。
「こ、これは…」
美恋の変化に、秋羽が思わず息を飲む。
それには構わず、美恋は臭いを嗅ぐように鼻を天へと向けた。
そして、
「そっちかぁぁぁぁぁぁッ…!」
咆哮を上げながら、荒野を行く野風の如く美恋は疾走を始めた。




