【九十四丁目】「一曲歌ってください」
「水鏡の池」こと「水の宮」で、篝(牛鬼)とフランチェスカ(雷獣)との激闘が決着を迎えた頃。
「ウインドミル降神」の一角にある大砂丘「大地の砂丘」では、また別の激闘が始まっていた。
「【砂庭楼閣】・第一楼“倒兇砂瀑”…!」
白無垢姿の沙牧(砂かけ婆)が腕を打ち振るうと、たちまち周囲の砂が渦を巻き、天を衝く竜巻と化す。
それを目にした沙槻(戦斎女)は、動じることなく大幣を打ち振るった。
「かぜのかみしなつひこのみことしなつひめのみこと!」
祝詞に応えるように、風の神の力が顕現。
沙槻の周囲の大気が鳴動し、空を裂く竜巻を生み出した。
「行きなさい」
「きよめたまえ!」
二人の掛け声に合わせて、二つの竜巻はお互いに激しくぶつかり合い、やがて相殺するように消え失せていく。
それを目にした沙牧は、いつものにこやかな笑顔を浮かべた。
「さすがは伝承に聞く“戦斎女”ですね。見事なお手並みです」
一方の沙槻は、真剣な表情を崩さなかった。
「六月の花嫁大戦」に参戦する事になった沙槻達は、相談の結果、各々で分散し、花束の探索に当たる事になった。
そもそもはこの「降神町ジューンブライド・パーティー」本部に送りつけられた一本の動画メールが原因だ。
それには「イベント担当者を消す」…即ち、沙槻の想い人でもある十乃 巡に害を成そうという予告メッセージが残されていた。
紆余曲折の後、巡の無事は確認できたものの、彼には厳重な警護役が付いており、保護しようにも沙槻達ですら手が出せない状態だった。
そこで、彼に近付く手段として二弐が開催した「六月の花嫁大戦」に参戦し、彼に近付くためのキーアイテム「五つの花束」を入手するため、動き始めたのである。
もし、予告メッセージの通り、巡に害を成そうという輩が、花束を一つでも入手した場合、容易に彼に近付く術を得ることになる。
時間もないため、沙槻達はそれぞれに分かれて花束を入手する事にしたのだった。
その中でも神道に精通している沙槻は、すぐさま「亀甲占い」により花束のおおよその位置を特定。
誰もよりも速やかにその確保に動いた。
しかし…
その現場であるこの「大地の砂丘」には、奇しくも自分と同じ白無垢の女が待ち構えていた。
それが今目の前にいる沙牧である。
沙槻と沙牧はそれまで面識が無かったが、お互いの存在は認識していた。
沙槻の耳に聞こえてきた沙牧の噂は「しっとりとした、未亡人系の美人」というもののみ。
それ故、こんな場所で鉢合わせる事になるとは思っておらず、沙槻は困惑したものだ。
しかし、戸惑う彼女に沙牧はにこやかに微笑み、告げた。
「では、お覚悟くださいね?」
問答無用で襲い掛かってきた事も驚きだったが、更に驚いたのはその実力だ。
沙槻の知識の中にある妖怪“砂かけ婆”は、大した脅威にはならない妖怪の筈だった。
ところが、いざ相手取ってみると、沙牧はかなりの強敵だった。
沙牧自身が余程この砂丘と相性がいいのか、今の竜巻に加え、蟻地獄を作りだしたり、砂で出来た身代わりで幻惑してきたりと、実に巧妙かつ多彩な戦法で沙槻を追い詰めようとする。
「【砂庭楼閣】・第九楼“砂斬黒襲”!」
沙牧が両腕を頭上で十字を組んでから、勢いよく振るうと、二筋の黒砂…砂鉄の刃が沙槻へと襲い掛かる。
「はらいたまえ!」
沙槻はそれを大幣の一振りで打ち消した。
たちまち四散する砂鉄の刃。
が、その飛沫が更に微細な刃となり、再度沙槻へと向かってくる。
(にだんがまえの…!)
瞠目しながらも、沙槻は懐から数個の勾玉を取り出し、宙に放りながら祝詞を唱える。
「あまのやへぐもをふきはなつのごとく…!」
直後、勾玉が光を帯び、砕け散る。
その破片は煌めく雲の様に漂い、砂鉄の刃をことごとく無力化した。
互いに間合いを取り、対峙する二人。
オーロラビジョンを介し、その一連の攻防を固唾を飲んで見ていた観客から、大歓声が上がる。
「こ、これは何という技と技の応酬だーっ!」
「まさに一進一退!両雄、一歩も引かない好勝負です!」
思わず、二弐(二口女)のアナウンスにも熱が入る。
「ここ『大地の丘』こと『地の宮』で始まった第二戦目は『守護花嫁』である沙牧さんの完全勝利かと思われました!」
「しかし、ご覧のように我らが特別住民支援課が誇る最強の退魔師、沙槻ちゃんが急遽乱入!攻め寄せていた花嫁達の唯一の生き残りとして、現在も激戦を繰り広げております!」
二弐の言葉通り、沙牧の周囲には、何名もの花嫁達が倒れ伏している。
先に乗り込んだ彼女達は、沙牧によって一足先に無力化されていたのである。
「沙槻さんまで…一体、何でこんなふざけたイベントなんかに…!?」
自分の親友である沙牧と矛を交える沙槻の姿に、彼女の人となりを知っている鉤野(針女)が絶句する。
そんな中、沙槻は真剣な表情のまま、おもむろに沙牧に切り出した。
「…さまきさま、ここまでといたしましょう」
油断なく身構えながら、沙槻が沙牧に訴えかけるように続ける。
「じじょうはおはなししたとおりです。いまこうしているあいだにも、とおのさまをねらうふらちものが、よくないかんがえをめぐらせているのです。わたしはそれをなんとしてもそししなければなりません。このようなむえきなあらそいをしているばあいではないのです…!」
一方の沙牧は、涼やかな笑顔を浮かべたまま、答えた。
「確かに事情はお伺いしました。事が重大なものであるということも認識はしております」
「でしたら…!」
「…ですが」
沙槻の言葉を静かな声で遮る沙牧。
「今の私はこの『地の宮』を守護する『守護花嫁』…先に逝った篝さんの遺志を無駄にしないためにも、簡単に道を譲る訳にはいきません」
そう言いながら、しなを作り、袖で目元を拭う仕草と共に紅を引いた唇から僅かに吐息を漏らす沙牧。
哀切と艶が混じり合ったその姿に、同性の沙槻ですら状況を忘れ、思わず溜息を洩らしそうになる。
同じ白無垢姿ではあるが、初々しさが目立つ沙槻に対し、沙牧からはゾクリとするような色香が立ち上っていた。
白い肌やうなじ、ほんのりとさした頬紅、銀の簪にはキラキラと光る水晶が揺れている。
見事に「女」を意識させるその艶姿に、中継に見入っていた男性の来場者たちからも、思わず生唾を飲む音が一斉に上がった。
沙牧は目を潤ませながら、続けた。
「沙槻さん、全ては運命なのです…貴女や十乃さんに恨みはありませんが、私は『守護花嫁』として、亡き友のためにここを守り通します。貴女がこのヒマワリの花束を求めるのであれば、私は全力でお相手いたしましょう…!」
「さまきさま…」
言葉とは裏腹に、切々と訴え掛ける沙牧。
その悲哀に満ちた決意に、沙槻も思わず唇を噛み締める。
それを見ていた特別実況席の二弐は、ボソリと呟いた。
「…沙槻ちゃん」
「見事に騙されてる…」
実は元々、篝や沙牧は、二弐が輪・摩矢・沙槻達三人のサポート役として、花束を隠したポイントに配置した、いわば「偽客」である。
万が一、彼女達が他の花嫁に出し抜かれた時を考え、二弐がわざわざ頼み込んで篝や沙牧達に引き受けてもらったのだ。
勿論、理由は言っていない。
だが、それが災いしたのか、思わぬアクシデントが発生してしまった。
それが「守護花嫁」である。
先に倒れた篝の言葉を信じるなら、どうやらこの沙牧がその発起人のようだ。
「男に騙されそうな、薄幸系未亡人」といった外見の沙牧だが、その実「ドSで守銭奴、毒舌家」であり、元々権謀術にも長けた人物である。
恐らく「イベントをより盛り上げるため」とか言って、彼女独自のアレンジを発案し、篝達を丸め込んだに違いない。
「…どうでもいいんですが、篝さんは美砂の中で完全に死亡扱いになってますわね…」
ジト目でそう言う鉤野に、二弐が問い掛けた。
「何にせよ、沙槻さんは精神的に追い込まれてしまいました。これは沙牧さんの作戦なんでしょうか?」
「親友の鉤野さんから見て、どう思いますか?」
「100%ブラフですわね」
溜息を吐く鉤野。
「いくら地形に恵まれ、パワーアップしているとはいえ、所詮“砂かけ婆”が『退魔兵器』である“戦斎女”に敵う道理なんて最初からありません。だから美砂は、演技で相手の情に訴えかける策を繰り出してきたんだと思いますわ」
「な、成程…さすが沙牧さん、やる事がセコエグい」
「でも実際、純粋な沙槻ちゃんには効果絶大のようですね」
二弐は呻くように言いながら、モニターへと注目する。
その中でこう着状態に陥る二人。
しかし、不意に沙牧が口を開いた。
「ですが、沙槻さん。貴女が十乃さんをお救いしたいというその気持ちは、私にも痛い程分かります。そこで、一つ提案があるのですが…」
「ていあん…ですか?」
「ええ。申し上げた通り、私は『守護花嫁』としてここを守り通す使命がございます。ですが、沙槻さんの誠意によっては、その使命を放棄し、花束をお渡ししても構いません」
沙槻が目を見開く。
それは彼女にとって、最高の福音だった。
沙牧には何の恨みも無い故、傷付ける事はしたくないし、かといって引き下がる訳にもいかない。
だが、沙牧はそれを回避する選択肢をくれるという。
沙槻は迷うことなく頷いた。
「わかりました。で、わたしはどうすればよいのでしょうか…?」
「一曲歌ってください」
…
……
………
「…はい?」
一瞬、頭の中が真っ白になった沙槻が、思わず間の抜けた声でそう尋ね返す。
その目の前で、沙牧はいそいそとマイクとスマホを取り出した。
「これで一曲歌って、声入れをお願いします。あ、スミマセンが曲はこちらで指定したものでお願いしますね?」
「え?あの?さ、さまきさま…?」
「ああ、マイクの使い方なら私がお教えします。まず、ここをこうして…」
「ちょ、ちょっとまってください!」
馴れ馴れしく近付き、機器の操作を教授しようとする沙牧に、沙槻は思わず声を上げた。
「その、はなしがきゅうすぎてわかりません!なぜ、わたしがいまここでうたわなければならないのですか!?」
沙牧はキョトンとした顔になり、右頬に手を当てながら小首を傾げた。
「あらあら。もしかしてカラオケボックスの方が良かったですか?意外と、こだわり派なんですね」
「いえ、そういうことではありません!」
「『からおけぼっくす』ってなんでしょう?」とか考えつつ、沙槻は続けた。
「わたしがうたうことのいみがわからない、ともうしあげているのです!」
「ああ、御免なさいね…実は私の知人に芸能界関係者がいましてね」
にっこり笑いながら、沙牧は指を立てた。
「その人最近、新人歌手の発掘にも力を入れているみたいで。ちょうど声がきれいで、可愛い女の子を探しているんですよ。知りません?“琴古主”のKOTOSUっていうんですけど」
補足すると“琴古主”は、その名の通り、年月を経て化けた琴の妖怪で「付喪神」と呼ばれる器物の妖怪達の一種である。
「げ、げいのうかい…あいどる…!?」
途端に沙槻の顔が真っ青になる。
「あ、あの、わかいじょせいをうまいことばでだまし『あいどる』とかいう、かちくどうぜんのちいにおとしめ『うれるため』といって、からだをうることもきょうようされるという…あの『げいのうかい』…!?」
「…さ、沙槻さん?」
笑顔のまま、ひと筋汗を流す沙牧。
「『ばらえてぃ』とかいうばんぐみでさんざんいじられたり、はずかしめをうけたり、ひとまえでみずぎになったり、ときには『しゅうかんし』とかいう『すとーかー』におわれて、しせいかつものぞかれまくるという…あの『げいのうかい』…!?」
「…もしもし?」
頭を抱え、歯も噛み合わんばかりにガクガク震え出す沙槻に、声を掛ける沙牧。
次の瞬間、沙槻はわが身を抱き締めながら、イヤイヤするように泣き出した。
「いやです!わたしはこのみを、とおのさまにささげるとちかいました!みずしらずのとのがたに、じゆうにさせるつもりはありません!!」
「いえ…それは偏見…」
「わたしは、はずかしいみずぎになったりとか、せけんからうしろゆびをさされるようなほうどうのえじきにはなりたくなんかありません!!ぜったいに!!」
わーんと泣き出す沙槻に、沙牧はもとより、特別実況席の二弐や鉤野も目が点になった。
「…また、えらく偏った芸能界観ですわね…」
「あー、そう言えば…沙槻ちゃん最近女性週刊誌とか読んでましたねー」
「輪ちゃんが読み捨てたやつ。彼女、ああいうゴシップ誌好きだから」
「ちゃんと隔離してあげてくださいな!そういう有害媒体は!」
頬を掻きながら告白する二弐に、鉤野が思わず声を上げる。
一方、泣きじゃくる沙槻に、ほとほと困惑した沙牧が、懸命に説得を続けていた。
「…という事なんです。別に変な事を強要される訳ではありませんから、どうか落ち着いてください」
「ほ、ほんとう…ですか…?」
ぐしゅ、としゃくりあげる沙槻。
「ええ。ただ、ちょーっと歌を吹き込んでいただければ良いだけですので」
「…わかりました」
涙を拭い、沙槻は拳を握りしめた。
「ここは、とおのさまをおすくいするため…わたしもぜんりょくでやらせていただきます…!」
それに沙牧がニッコリ笑う。
「その意気、誠に天晴です。では、マイクOK?チェック。ワンツー…それでは歌っていただきましょう!五猟 沙槻さんで、曲は『水無月の恋時雨』!」
「「「「「ド演歌かい!?」」」」」
実況席と観客一同、倒れ伏した花嫁達からも一斉にそうツッコミが入ったという。




