【八丁目】「さて、フィナーレだ」
これほど必死になって、ハンドルを握る間車さんを、僕は初めて見た気がする。
いつも明るく、気風の良い姉御肌の間車さん。
いま、それはなりを潜め、焦燥に急き立てられた表情で、車を走らせている。
カーブを切り返すたびに起きる、大波に翻弄されるような車体の揺れよりも、僕はそちらに気をとられていた。
“スネークバイト”中盤。
女王、妃道軌との一騎打ちにおいて、僕達は優位にレースを進めていたはずだった。
だが、今は違う。
妃道が操るバイクは、激走する僕達の車をからかうように、少し前を走っている。
しかも、その差が縮まらない。
間車さんの妖力【千輪走破】が発動しているのに、全く追いつけないのだ。
これで導き出される答えは二つある。
一つは、妃道はやはり妖怪であること。
これは通常の人間が【千輪走破】を使っている間車さんには、ほぼ勝てないことから明白だ。正体は分からないが、彼女も妖怪ならば、何らかの妖力を使っている可能性が高い。
そして、二つ目は…
このままでは僕達は、このレースに勝てない。
「そんな…」
茫然と呟いた僕とは対照的に、間車さんは気勢を上げた。
「巡、ここがチャンスだ!勝負するぞ、しっかりつかまっとけ!」
アクセルを限界まで踏み込む間車さん。
…そ、そうか!
ここからは少しの間、直線道路が続く。間車さんは、その間に思いっきり加速して、相手のリードを詰めるつもりなのだ。
勝手に諦めていた僕とは違い、間車さんはキッチリ勝つためのチャンスを伺っていたのである!
「行け、相棒…!」
間車さんの瞳が蒼い輝きを放ち始める。
妖力を発揮するため、極度に集中しているのである。
間車さんの呼び掛けに応じるように、彼女の身体と駆っている車体がおぼろげな陽炎を纏い始めた。
月光に照らされた霧のような、蒼い陽炎だ。
【千輪走破】を最大開放したのであろう。
車体は持ち主である「朧車」の名前の通り、幻想的な陽炎をたなびかせ、一気に加速する。
弾丸と化した車は、あっという間に妃道のバイクに並んだ。
並走しながら、チラリとこちらに目を向ける妃道。わずかに覗くその目からは嘲笑が消えていた。
さすがに直線距離では、車に分がありそうだ。そのまま、僕達の車はバイクの前に回り込んだ。
「やった!」
思わず歓声を上げる僕。
間車さんにも、ようやく笑みが浮かぶ。
「間車さん、このまま一気に…」
言いながら、僕は目を見張った。
ミラー越しに、遠ざかっていく妃道のバイク。その車体が前に持ち上がる。
ちょうど、ウィリーをしている状態だ。
そして、異変が起きた。
ウィリーと同時に、妃道の身体とバイクが炎に包まれたのだ!
「あれは…!」
一瞬、事故かと思った僕は驚愕した。
バイクの車体を彩る炎の模様が、そのまま実体を結び、現実の炎になったのが見えた。
炎は、バイクの後輪と妃道の下半身にまとわりつくように燃え盛る。
しかも、ウィリーをした片輪状態なのに、彼女のバイクは更に加速し始めた。
「あの女、“片輪車”だったのかよ!?」
同じ光景を見たのか、間車さんも驚愕する。
「この姿を見せた以上…」
妃道は、ウィリーをしたままヘルメットを無造作に脱ぎ捨てた。
ざあっと長い髪が黒く燃え広がる。
その目には本気の光が宿っていた。
「あんたたちは潰させてもらう…!」
オオオオォォォォォ…!!
炎のバイクが、この世ならざる咆哮を上げて迫ってきた…!
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「片車輪」とは、昔、近江国(いまの滋賀県)に現れた妖怪である。
とある村を毎晩のように徘徊し、見た者や噂話をした者は祟りにあった。
そのため、人々は夜には外出を控えて家の戸を固く閉ざしていた。
しかし、ある女が興味本位で、家の戸の隙間から外を覗き見ると、炎に包まれた片輪の車に女が乗っており「自分を見るよりお前の子を見ろ」と告げた。
慌てて女は子どもを探すが、家の中にいたはずなのに、その姿がない。
女は嘆き、
“罪科は 我にこそあれ小車の やるかたわかぬ 子をばかくしそ”
即ち「罪は私にあります。どうか、小車の引き方も分からない小さな我が子を隠さないで」と一首詠んで戸口に貼り付けた。
次の日の晩に片輪車が現れ、その歌を見た。
そして「心優しい人間よ、子どもは返してやろう。私は、人に見られた以上ここから去るとする」と言って子供を返した。
片輪車はそのまま姿を消し、その村に姿を現すことは二度となかったという。
これが「片輪車」の伝承だ。
バイクをウィリーさせ、片輪走行のまま、炎を纏って疾走する今の妃道は、その伝承さながらの姿だった。
彼女は、妖怪としての本性を現したまま僕達の車を追い抜き、トップポジションを確保した。
「行きな!【炎情軌道】!!」
そう叫んだ瞬間、彼女のバイクに纏わりついていた炎が、灼熱の飛礫と化して、後方…つまり僕達に向かって発射された!
「チッ!!」
咄嗟にハンドルを切ってかわす間車さん。
だが、その分スピードが削がれてしまう。車体が大きく踊り、さすがの間車さんでも立て直すのが精一杯のようである。
どうやら、今の炎を操る力が、妃道が持つ妖力らしい。
妃道は、続けて第二弾を放った。
今度は避けきれず、助手席のそばをかすめた。焦げ臭いにおいが車内にも漂ってくる。
危うく直撃寸前だった僕は、悲鳴を上げた。
「大丈夫か!」
「ドアが少し焦げましたが…だ、大丈夫です…」
「妃道、てっめぇ!まだローン残ってんのにぃぃぃぃっ!!」
逆上する間車さん。
…どうやら、心配していたのは車のようである。
いや、いいけどね…
「しぶといねぇ…なら、これはどうだい!?」
第三弾。
今度は飛礫だけではない。バイクの後輪から炎の帯が走り、タイヤの跡が残る路面が、派手に燃え上がっっていく。
ちょうど、飛行機の後に伸びた飛行機雲が燃え上がった感じだ。
こちらのタイヤに直撃する前に、間車さんが軸をずらしたが、飛礫の方は避けきれない!
凄まじい衝撃音が車体を揺るがした。
思わず目をつぶった僕は、車がクラッシュする様を想像した。
しかし、車は何事もなかったように走り続けている。
「あ…れ…?」
恐る恐る目を開けてみる。
焦げ臭いものの、車体は無事だった。
「何で…?」
「【千輪走破】で防いだんだよ」
間車さんが説明する。
「ちょっとやそっとの力じゃ、あたしの【千輪走破】は破れねぇよ」
そうだった。
彼女の【千輪走破】は、車輪の付いた乗り物を自在に操るだけではなく、その能力も強化する。
つまり、耐久性も向上させるのである。
しかし、間車さんは続けた。
「…けど、ありゃあ、ちょっとやそっとの力じゃないらしい…次に食らったら、マジでヤバいな」
見れば、車体を覆う陽炎が、だいぶ薄らいでいるようだった。
歯噛みする間車さん。
思わず唾を飲み込む僕。
「さて、フィナーレだ」
炎に照らされた妃道の笑みが、最後の時を告げる…
遂に明らかになった、妃道の正体!
今回の妖怪「片輪車」は、お気に入りユーザーの一人、菅部享天楽さんからリクエストをいただきました。
菅部享天楽さん、やりましたよ!(笑)
“スネークバイト”も終盤です。
次辺りで、決着をつけたいですね。
ご感想、お待ちしております。
※本作の「片輪車」の呼び名は、様々な資料にある妖怪として忠実な呼び名を採用しております。よって、作者に差別的な意図はございません。ご了承願います




